生駒 忍

記事一覧

「アイヒマン実験」の疑問点とリーダーシップ

きょう、ライフハッカー日本版に、口にする言葉がカギ。部下に「任せる」リーダーシップという記事が出ました。

「リーダーの多くが「権限を持ち積極的に関与する」人材を望む一方で、実際の関係はそうならないことが一般的です。」と書き出されます。ですが、「問題は、リーダーが社員を統制し指示を与えようとすることにあります。」とされます。成果のために、積極的にうごかないのなら指示をあたえ、それがうごかない部下をそだて、「社員が素晴らしい成果を上げる機会を奪っている」という、にわとりと卵のようです。「昔は、どちらもありましたよ」というロシアンジョークがありますが、ここではリーダーのほうから、どちらもあるようにリードする提案がされます。

「1960年代初頭、心理学者のStanley Milgram氏は、他人の指示に従おうとする気持ちの正体を突き止めようと試みました。」、これ自体は事実です。ですが、「アイヒマン実験」や「ミルグラム実験」とよばれるそのこころみから提出された知見は、Behind the Shock Machine: The Untold Story of the Notorious Milgram Psychology Experiments(G. Perry著、Scribe Publications)で、本質的にうたがわしいことが突きとめられており、慎重にあつかうべきものです。私も、授業で教科書的に紹介することは不適切と判断し、やめました。

潜水艦船長としての体験、「実行不可能な指示を出したところ、当直士官はそれをそのまま船員に命じました。彼もそれが実行不可能であることを知っていたにもかかわらず、「言われたから」それを伝えたのです。」が印象的です。日経電子版の記事、吉田調書「海水注入、命令違反を覚悟」 原発事故のようなことの勇気が、あらためてわかります。「官邸はまだ海水注入を了解していないので、四の五の言わずにとめろ」と指示が入っても、「ヒエラルキーのトップが指示を出し、下層部がそれに従うのは、普通のことだと思うかもしれません。でも、現場で何が起きているのかを把握しているのは、下層部の人間なのです。」、まさにこの世界だったのです。

「「指示をください」は、部下の本心を隠すカモフラージュであることが多い」、「ですから、リーダーは「指示をください」と言われても、すぐに答えを出さないのが正解です。」とします。こうすると、おたがい苦しいかもしれませんが、将来の苦しみを減らすことになるのでしょう。Amazon.co.jpでとても評価の高い週刊東洋経済 1月18日号(東洋経済新報社)で野村総一郎が、「医者が答えを出してしまったら、患者がそれ以上成長しなくなってしまう。」として、人生相談との立場のちがいを示したのを思い出しました。

偶然に生じた有意差の悪用とロングスリーパー

きょう、日経ビジネスONLINEに、【睡眠論争に決着?】 「ロングスリーパー=駄目人間」ではない!という記事が出ました。

日経ビジネス副編集長が、「本当にロングスリーパーは駄目人間で、長生きすることは出来ないのか、睡眠研究の第一人者に話を聞いてきた。」企画です。LAMSと「増田」の記事でも、このようなことをたずねましたが、「睡眠研究の第一人者」と言われて、皆さんがイメージするのは誰でしょうか。

「あるテレビ局」のお話に、「私は「そんなことをしても企画は成功しませんよ」って」、それでも「テレビ局のスタッフは「ならば、採点項目を寝心地とか寝つきの良さとか100項目ぐらい作ればどうか」と提案」、ねばられたようです。「ボランティアを集め、数十人ずつ2つのチームに分け、それぞれA社とB社の自信作の枕を使って数週間寝てもらう。」というほどの予算がついて、引きにくかったのかもしれません。

それでも、「大量に項目を作れば、何個かは偶然でも「統計的に有意」と言える差が出る項目が出るかもしれない。」、ここを使うのはもちろん、不適切です。何とか差を出さないとというプレッシャーが、あるある大辞典Ⅱに不正を生み、番組は死んだのですが、「偶然でも「統計的に有意」と言える差」の悪用は、あれとは異なる、なぜならでっち上げではなく事実だから、と思っていそうです。あるいは、笑われてもたたかれても、いつか出るはずという信念をあきらめず、ありとあらゆる試行錯誤を積む中から大発見に出会うような、偉人伝的なかたよった科学観とも関連しているようにも思います。そういえば、FRIDAY 6月12日号(講談社)には、ドローン少年について、「女子をいきなり大きな定規で叩いたりするので、とにかく嫌われていました。それなのに、私が知っている限りでも、小学校時代で60人くらいの女子に告白していました。」という、同級生の証言がありました。

そして、スポンサーのからみなどの話題もからませつつ、長く引っぱった後に、ようやく本題が登場します。ロングスリーパー・ショートスリーパーは、よくも悪くも個性なのだからというくらいの結論で、たとえば内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力(S. ケイン著、講談社)のように、ロングスリーパーには実はこんなすばらしい面が、といったタイプの、不利だとされてきた人が元気づけられる主張ではなかったことに、がっかりした人もいるかもしれません。それでも、本題が題どおりにありますので、「バイスティック」の7原則の応用の記事で触れた一部バラエティ番組のやり方よりは、ずっとましでしょう。

女性の意識を変える方法と無差別平等の権利

きょう、恋愛jpに、モテるのにナゼ? なかなか彼氏ができない女性の意識の変え方3つという記事が出ました。

「第一印象で男性として見られない人に会う意味なんて」という相談者に、「少しでも可能性を感じる相手ならお付き合いしてみては」と提案します。コピペでの就職活動の記事で取りあげたもののような物量作戦を、熱意がないのに行うと考えてしまうと、苦しそうです。「しかし、たまに現れるんです。」が信じられれば、追求心が出てくるかもしれません。そういえば、TOWER RECORDS ONLINEにきょう出た記事、宮本笑里、朴葵姫も参加!話題の「爽健美茶」の音楽を完全収録~image beautiful days emotional & relaxingには、「音楽心理学の権威である金沢工業大学・山田真司教授監修の下、楽曲の選定からアレンジ、音色の開発にいたるまで、科学的な健康美価値を追及した、究極のリラクシング・ミュージックです。」とあって、あの監修者から追及を受けるようすを想像してしまいました。

「自分の見る目に頼り過ぎず、たまにはその目を疑ってみると新しい発見があります。」「視野を広げて、交際相手候補の分母を増やしましょう。」、無難ですがよいアドバイスだと思います。ふと、みんなの山田うどん(北尾トロ・えのきどいちろう著、河出書房新社)に、「見上げてごらん夜の星を。そこに見えている星だけがすべての星ではないのだよ。」とあるのを思い出しました。

「『ザイアンス効果(単純接触効果)』というもの」が登場します。お笑いの単純接触効果の記事も書きましたし、ポップ心理学でもよく知られた効果のひとつです。「単純に会う回数が増えると人は相手に好意を抱くという」と、対人心理学の文脈での解釈で書かれているのも、ポップ心理学的です。ですが、「参考文献」が、単純接触効果研究の最前線(宮本聡介・太田信夫編、北大路書房)です。そういう本ではないのですが、役だててもらえたのでしたら、とてもありがたいことです。何だか、世界がせまく感じられます。

世界で思い出したのが、ウートピにきのう出た記事、貧困を押し付けられる子どもたち 「自己責任論」で見放された、困窮家庭の実態です。このまんが家の問題意識であれば、民法877条の解体を主張したくなりそうなのに、主題にしない理由も知りたいところですが、最後に「人は無差別平等に、健康で文化的な生活を送る権利を持っているのですから。」と締めたのも気になります。明らかに、生活保護法2条や3条など、国内法の表現を意識してありますが、その2条も、日本国憲法25条も、「すべて国民は」と書き出していて、「人は」ではありません。世界人権宣言25条や27条が、すでに国際慣習法となったとみなしてのことなら、それにそった表現にするはずです。アゴラに4か月前に出た記事、憲法改正デマ(4)「天賦人権説」という言葉の誤用が招いた批判でいう「「神の下の平等」という観念を下敷きにした人権論」でしたら、神が日本の国内法のことばに合わせるのかは、何ともわかりません。それでも、ふと不安になるのは、平時忠ではありませんが、日本人以外は人と考えないという、若年ホリエモン支持者批判の記事では「国家」主義、「民族」主義と表現したような感覚が、自然に出たようにも感じられるためです。「人は」と考えたら、日本の相対的貧困などとは比べものにならない、はるかに悲惨な絶対的貧困が世界中にあるわけで、「貧困を知る大人が減っていくこと」を問題視するこの人が知らないとも、知らんふりをしているとも思いたくないところです。それとも、みんながまずしい絶対的貧困なら、ALWAYS 三丁目の夕日(山崎貴監督)のようにこころはゆたかで、「貧困のなかで精神的に追い詰められた状態」になる相対的貧困のほうが大問題だと考えているのでしょうか。あるいは、近くを優先するのが人間の性で、足もとのゲットーのフードスタンプ生活ではなく、遠いアフリカの支援に回るアメリカのセレブは異常だというような考えなのでしょうか。それとも、きびしい絶対的貧困では死亡率も高いので、先進国の相対的貧困の支援のほうがむだを出さないという、トリアージ的な発想なのでしょうか。

思考をポジティブにする方法と流されない男性

きょう、新刊JPに、一流の男は“その他大勢”の男と一体何が違うのか?という記事が出ました。一流になる男、その他大勢で終わる男(永松茂久著、きずな出版)を紹介するものです。

「自分の基準を持ち、まわりの意見に流されず、自分の意志で判断するのが一流になる男だ。」そうです。ジューシィメイクとロースキンの心理の記事で、まわりに流される男性について触れましたが、よくないようです。もちろん、「あえて反対方向に進むのも、周りの人を基準に判断しているという意味では」同類です。就活のコノヤロー(石渡嶺司著、光文社)が批判した、自分ではかっこいいと思っている「ななめ45度」もそうでしょう。

「脳や意識は、「自分はなんでうまくいかないんだ?」と考え始めると、うまくいかない理由ばかりを探そうとする。しかし、「どうすればうまくいく?」を起点とすれば、意識は解決策を考え、思考はポジティブに向いていく。」とします。「脳や意識」というとらえ方に、「人間の心のルーツ」講座の記事で触れた、「私」と「脳」とを分ける議論を思い出しました。また、「どうすればうまくいく?」は、ピグマリオン効果とポジティブシンキングの記事で批判的な視点もならべた、ありがちなポジティブシンキングとは異なり、結果的にポジティブな思考がみちびかれてという方向で、SFA的な有効性も期待できそうです。

相対的貧困と過去の年金破綻と責任追及の動因

きょう、マイナビニュースに、貧困の「悪者探し」はやめよう--結局、全国民が負担するしかないという記事が出ました。

「日本の貧困が16.1%、すなわち、6人に1人ということを話すと、多くの人から「いったい、なんで、こんなことになったんだ」という怒りのコメントをいただきます。」、よくあることです。ですが、ここで6人に1人とされた「貧困」は、統計的な相対的貧困率によるものですので、気をつけてください。1か月前に出たこの連載の初回、「ニッポンの貧困」について知っていますか?--6人に1人が"相対的貧困"で、「「相対的貧困」とは、その時代の社会において、一般市民が「当たり前」とおもっているような生活をおくれないことを指します。」と定義した上で、「最新のデータによると、このような「社会の当たり前」の生活ができない確率が高まるのが、年間手取り所得が122万円(一人世帯)以下の人々となります。」という表現をさらりとはさむことで、定義の根本が異なる「いま、日本の相対的貧困率は16%です(厚生労働省推計)。」へとつないであるのです。生活保護制度で水準均衡方式がとられているように、「社会の当たり前」は個々人の感覚によってまちまちで、あたりまえには決まりませんので、数式で切ると便利なのです。銘柄和牛のパックを示して、「当たり前(の価格では)買えないですね」とテロップが打たれるキャプチャ画像を思い出した人もいるでしょう。このあたりに関して、不満をうったえるあのような生活保護受給者に、日本国民の所得分布などを示して、国が自分を分布のどの位置まで上げなければいけないと考えるのかを教えてもらいたいと、ときどき思うことがあります。和牛焼肉、寿司店などの外食、野球の遠征、いまほど普及する前に新しいスマートフォンなど、個別に「社会の当たり前」をあらそうよりも、全体での妥当なラインを考えていくほうが、制度に直接つながって生産的であるように思います。

「俺たちの払っている税金と社会保険料は、全部、年寄りに使われて、俺たちが年を取るころには何も残っていない」、よくある誤解がうかがえます。制度上は、いま払ったお金をためておいて、払った人に将来使うようなシステムではありません。「政府の支出に対して、収入が6割程度しかなく、支出の4割は借金で賄われている」のですから、税金は未来のためではなく、むしろ過去のために使っているともいえます。また、この手の議論では、公的年金の賦課方式を理解していない人が目だちます。いまの若者が将来受けとる年金には、そのときの若者が払う年金保険料が回り、代々くり返すような制度設計です。年金制度は破綻するなどとあおる人もいますが、この方式では少なくとも、ある日突然に年金受給が止まり、日本年金機構に無意味に人が押しかけるような、会社の破綻のような展開にはなりません。あるいは、当初の制度からの不利益変更を破綻と呼ぶのでしたら、受給開始年齢のくり上げも、マクロ経済スライドの導入もと、過去に何度も破綻しています。一方で、破綻の対義語は思いつきませんが、受給側に有利な変更もあり、受給資格期間は25年から10年へと大幅短縮される予定ですし、免除申請は2年までさかのぼってできるようになりましたし、特別障害給付金制度も10年前に始まりました。それとも、そんなものは自己責任、自業自得の不公正な甘やかしで、まじめに納付してきた人をばかにした不愉快、不利益な制度変更だと考えますでしょうか。

「年金生活者から、もっと消費税をとるつもりか」、これもよくある声です。政府の「支出の4割は借金」なのは、この人たちが若いころに先に使われ、ゆたかなくらしをささえた分ともいえます。孫は祖父より1億円損をする 世代会計が示す格差・日本(島澤諭・山下努著、朝日新聞出版)でいう、「ワシワシ詐欺」です。ですので、未来から借りて得たしあわせを、数パーセントずつでも返していくと考えることもできるはずです。また、高齢者の支出で大きな割合を占める医療や介護の負担は、原則として消費税がかかりませんので、消費税が上がっても、上がったパーセントよりも小さな負担増にしかなりません。日本の消費税には軽減税率がなく問題だと主張する人がいますが、軽減どころか、税率ゼロの分野が意外にあるのです。ちなみに、わが国では金融資産が高齢者にかたよっていることは有名ですが、あたりまえとはいえ、株や債券に消費税はかかりません。

「日本に住み続けるのであれば、負担増加の覚悟を決め、その上で、一番必要なところに資源を配付し、守るべきものは守る決断をしていかなくてはなりません。」、そのとおりです。「不利益分配」社会(高瀬淳一著、筑摩書房)のような考え方が必要な時代なのです。少なくとも、PRESIDENT Onlineにきょう出た記事、「男が全力で逃げる」妻・OLの生態と口癖5の各類型のような感覚で日本社会にかかわろうとする人は、論外です。

「しかし、現在、XXX万世帯の人々が国民健康保険の保険料を払うことができずに、無保険となっています。そうなると、医療サービスは全額自己負担となります。」とあります。伏せ字にすることで注意をひく、ティザー広告のような作戦につられて、気になってしまった人も多いでしょう。現在がいくらかはともかくとしても、平成25年度国民健康保険(市町村)の財政状況についてにある360.6万世帯という数字が、公式には最新の滞納世帯数であるはずです。また、滞納するとただちに「無保険」「全額自己負担」へ移行するわけではなく、短期証を経て、資格証明書へ落ちてもなお、窓口でいったん全額負担となるものの、滞納がなくなれば、保険者に申請して保険適用分の払いもどしを受けることができます。もちろん、滞納がかさむほどの経済状態であれば、減額賦課を相談できるところもありますし、生活保護の医療扶助も考えてください。不納欠損に持ちこむのは、すすめません。

「すべての子どもに高等教育の機会」が、「子どものためだけでなく、国として必要なこと」とします。「子どもの貧困対策は、その子が成人となったときに支払う税金や社会保険料で十分にペイバックするからです。国が少しの投資を子どもにすることにより、その子がもつポテンシャルがフルに発揮でいるようになるからです。」、近代国家が、そろって国民皆教育を導入した本質につながるところです。幼児教育については、幼稚化と早生まれのマタイ効果の記事で触れた、ペリー就学前計画が有名です。高等教育では、そこまでの介入研究が思いあたらないのですが、たとえばフィンランド 豊かさのメソッド(堀内都喜子著、集英社)で、国民すべてに高等教育の機会を保障しての学歴社会となったフィンランドの、高い税金と引きかえのゆたかさを見てください。

「貧困の「悪者探し」はやめましょう。今、私たちに必要なのは、誰が責任をとるべきか、誰が悪いのかといった議論ではなく、国民みんなが負担をシェアし、最低限、何を守っていくかの議論です。」、同感です。dot.の記事、年金は安全? 年金保険料未納率4割ではなく4%だったも、「若い世代を中心に、年金制度への不信感が広がっているようです。」としつつ、「世代間の対立という構図を作るような、制度を批判するのは簡単ですが、後ろ向きの議論をしていても何も生まれません。」と指摘しています。

一方で、新国立競技場の騒動ひとつとっても、これから何をどうするかを後まわしにして、後ろ向きな責任追及や断罪にばかり前向きな人が、あれほどたくさんいます。しらべぇの記事、知りもしないことを聞かれ、適当に回答する国民と、その結果に右往左往する偉い人たちにあるように、理解していないと自覚できていることにさえ、評価をくだしてしまう人もいるくらいで、ひとはなぜ裁きたがるのか(日本記号学会編、新曜社)という本がありますが、そういう裁き行動への動因の強さを感じます。しかも、好きで積極的に裁きにいってしまうというよりは、通俗的な意味での「条件反射」のような自動性を感じます。そういえば、ITproにきょう出た記事、条件反射でメールを見ていないか?――「ビジネスメール実態調査2015」に、「条件反射には、無条件反射と条件反射があり、梅干しを思い浮かべて唾液が出るのは条件反射だったね。」「大学の心理学の授業で習ったよ。」とあったのには、少々困惑しました。