生駒 忍

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要介護認定の調査時の演技とよく見せるうそ

きょう、NEWSポストセブンに、要介護認定の訪問調査 「苦しむ演技はダメよ。すぐにわかる」という記事が出ました。

「要介護認定を受けるにあたって、最も重要なのは実情に即した、より重い認定を受けることだ。」とします。正当な「実情に即した」と、「より重い」とでは意味が異なりますが、あえてこう書いたのだと思います。この後、高室成幸という人が、「特別養護老人ホームに入れるのは原則、要介護3以上の人に」として、「将来、特養に入ることが必要になるかもしれないので、実情に即した要介護認定を受けておいたほうがいいのです」としますが、こちらは「実情に即した」の部分を、「より重い」と読みかえたほうが、意味がとおります。

「「基本調査」は、50項目以上の質問に対し、本人があてはまる状態を選ぶ。」とあります。あやまちをくり返さないよう、しっかり練られた戦後70年談話をめぐって、日本語の主語に関する議論があったところですが、ここでは本人が選ぶわけではないので、注意してください。ふと、心理テストを行うカフェの記事で紹介したものを思い出しました。

「ただ、訪問調査は原則1回しかなく、調査時にたまたま本人の体調が良かったり、本人が調査員の前で無理して頑張って動いたりして、実情より軽く認定される例は少なくない。」とあります。先ほどの特養のところのアドバイスと対応させると、「原則1回」が、まるで一生に1回であるかのように誤解する人も、出るかもしれません。実際には、1回の申請につきということです。

「実際に訪問調査を行なうケアマネージャーが明かす。」として、「ただ、重い認定にしようと歩けないように演技する人がいるが、それは絶対にダメ。」、当然です。ですが、「演技されると、一生懸命『特記事項』を書く気がなくなる」、これを理由として示すことは、調査員の気持ちしだいで、「特記事項」が、そして要介護認定が変わりますと言っているようなものですので、好ましくありません。それでも、うそをよく見せられていること、判断するのも人間であることは、現実として知っておいてよいと思います。

それで思い出したのが、web R25にきょう出た記事、女性の嘘SNS 男性の倍は「当然」です。「オーストラリア・シドニー工科大学らの共同研究で、SNSへの投稿において、女性は男性よりも倍近く“偽る”割合が多いという結果が出たことが報じられ、ネット上でも話題だ。」と、大学を人のようにあつかう、ふしぎな書き出しですが、自分をだまして学ぶことの記事で取りあげた、悪気なくうそをつく女性が増加しているというお話とも関連しそうです。また、「自分を良く見せる為だけの、当たり障りのない誰も傷つけない嘘もあれば、商品やサービスを安く手に入れようと思ってソーシャルネットワークを利用して嘘のクレームを書いたりする人もいる」という意見が紹介されていて、これは和尚様というアカウントのツイート、やっぱり?!SNSで嘘をつくのは男性よりも女性が多い!だと思われます。その後段のクレームは論外としても、前段のうそも、ステレオタイプ的にはママ友での間のイメージですが、やり過ごせずにマウンティング的な効果を生じて、当人は熱く、外からみるとあきれるほどお寒い傷つけあいに走るかもしれません。ふと、おはし(0930)の歌い出しを思い出しました。ちなみに、0930はこの曲が出る前の日、2001年5月31日放送の「うたばん」に出て、「自分たちを美しく見せようとは思ってないんです」と言っていました。

女性の結婚と学歴との関係と「毒親」のゲーム

きょう、産経ニュースに、“毒母”とのバトル「命がけで自分の理想像、押し付けられ」…女たちの苦闘という記事が出ました。

「母と娘との愛憎渦巻く関係がここ2、3年、注目されている。」「こうした“母と娘の確執”の存在が広く認識されたのは平成25年頃だ。」とします。かなり最近のことのようなあつかいで、母の反対で仕事が続かない女性の記事で取りあげたものもそのあたりでしたが、母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子著、春秋社)くらいまでさかのぼってもよかったように思います。ここでは、画像が完全にそうなっていますし、タレント本的なものでちょうどこのテーマが続いたことが、「広く認識された」タイミングと考えたようです。ですが、母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか(斎藤環著、NHK出版)によれば、少なくとも20世紀末ごろから、こういうタイプの母娘問題の苦しみが顕在化していて、その背景には、女性への抑圧が減ったことがあるのです。

「漫画家、さかもと未明さん(49)も昨年刊行の自著「まさか発達障害だったなんて」(PHP新書)で母親との確執を告白」、もう読んだ人も多いと思います。このような書き方ですが、まさか発達障害だったなんて(星野仁彦・さかもと未明著、PHP研究所)は、単著ではありません。

「しかし、母親は「大学へ行くと結婚しなくなるとお父さんが言っている」「生意気な娘がいい気になると困る」と大学進学を反対。」したそうです。父からの伝聞のほうは、しなくなるとは限りませんが、学歴が高いほど確率的に低くなることは、女性ではとても明確です。稀に役立つ豆知識の記事、学歴コンプレックスがあると結婚できないという仮説が、わかりやすくまとめています。一方、「いい気になる」ほうは、気になるところではあるのですが、直接的な検証はむずかしそうです。家族という病(下重暁子著、幻冬舎)を読んでいらだった人は、あの筆者を連想したかもしれません。

さかもとは、「精神科医から「母親も発達障害の可能性がある、娘を理解するために必要な部分が欠損していたのだから許さないといけない」といわれ、救われたという。」とあります。よい展開で何よりです。発達障害には遺伝の影響があり、愛情とも悪意とも無関係に、続く部分があるのです。もちろん、遺伝率100%ではありませんので、親の持つものが丸ごとそのまま引きつがれるというわけではありません。

それで思い出したのが、らばQにきょう出た記事、アメリカの富裕層、2代目で70%、3代目で90%の財産を失っていることが判明です。成功してひと財産をつくっても、子孫はさらに増やすどころか、そのまま引きついでいくことさえむずかしいのです。財務省のサイトにある、主要国の相続税の負担率でわかるように、アメリカの相続税の甘さは飛びぬけていますが、それでもこうなります。一方で、ハンギョレのウェブサイトにきょう出た記事、韓国の若者10人のうち7人「一度失敗したら立ち上がれない」は、OTLの画像のかすれが気になることはともかくとしても、「「社会的な成功において親の経済的地位よりも自分の努力の方が重要だ」との回答は27.3%にとどまった一方、「親の経済的地位の方がより重要だ」との回答が72.7%」、成功は引きつがれるというイメージが強いことを指摘しました。ここは、アメリカンドリームの世界とのちがいで、きびしい学歴社会があり、受験競争が激化し、教育投資が子の成功を左右することとなり、「毒親」的な献身もつながります。わが国にも、週刊ダイヤモンド 8月22日号(ダイヤモンド社)で「究極の「育てゲー(育成ゲーム)」」と表現されたものがあります。

日本における障害者の比率と声かけの増加

きょう、物流ウィークリーのウェブサイトに、運送業で進む障害者雇用 人材確保、経済的自立を支援・・・という記事が出ました。「運送業界では、障害者雇用の促進は進んでいるのだろうか。」という関心から書かれたもので、促進が進むという書き方からもうかがえるように、文章力が気になるものの、こうして話題にされるのは、ありがたいことです。

「日本では、障害のある人の比率は全体の約6%という。」とします。ここでいう全体とは、日本国民全体のことでしょう。平成26年版 障害者白書(勝美印刷)には、「およそ国民の6%が何らかの障害を有していることに」とあります。ですが、これは推定値であること、少し前の調査からの数値であることだけでなく、3障害区分での数値の単純合計であって重複分の調整がないことや、「一過性の精神疾患のために日常生活や社会生活上の相当な制限を継続的には有しない者も含まれている可能性」にも、注意してください。

「京都市内の運送事業者では今年から、聴覚障害のある社員を雇用し、同社員は現在、倉庫の入・出荷作業を行っている。」という事例が紹介されます。「社員同士の声かけが以前よりも増え、活気が出ている」という声は、なぜ聴覚障害者が入って声かけが増えたのか、もう少し説明がないと、ふしぎに思われると思われます。

同じ社長の意見、「運転業務でも障害者のドライバー採用は決して不可能ではないのでは」、考えられることだと思います。ですが、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、池袋暴走:医師てんかんの持病 定期的に通院、服薬怠る?のようなことから、危険な「障害者」というイメージが一部で暴走することが、さまたげになる面があります。東洋経済ONLINEにきょう出た記事、地方は「好き嫌い」で物事を決めすぎるの世界でもそうですが、自分の感情でうごく人が、まわりの足をひっぱり、その人をふくむ自分たちの社会がよくならない原因となることは、めずらしくないのです。

郷ひろみの熱さと柴田紗希の留学発表と杏のs

きょう、Musicman-NETに、郷ひろみ SUMMER SONICに初出演、会場に集まった1万人と「A CHI CHI A CHI」熱唱という記事が出ました。

「今回夏フェスに参加する上で、自身が常に変化をしたいという想いと、60歳を迎えるにあたり新たなる進化を遂げたいと想いで夏フェスへのチャレンジとなった。」、おかしな文であることはともかくとしても、まさに「A CHI CHI A CHI」で、郷の変わらず熱い姿勢がうかがえます。週刊新潮 1月1日・8日号(新潮社)では、「「郷に入っては郷に従え」の格言はアンドロイドには通用しないとみられる。」と揶揄されましたが、昔から変わらない人の記事で触れた赤の女王のようなもので、たゆみなくアクティブにうごき、変わりつづけることが、あの変わらない存在をつくるのです。もう枯れたかのように、変わる意欲がないことで早々と「中年化」という変化におちいる子どものまま中年化する若者たち(鍋田恭孝著、幻冬舎)の人生観とは、とても対照的です。「自身で選曲を行った、夏フェス仕様全7曲」でも、この中での最新曲であるデンジャラー☆では「人生はそう One Big Game」と、その40年前になるデビュー曲の男の子 女の子では「一度の人生 だいじな時間」と歌います。

それで思い出したのが、柴田紗希オフィシャルブログにきょう出た記事、行動あるのみ!です。今月末から韓国へ留学することを明かし、「人生一度きり! やりたいことを後悔せずに!」と気合いを入れています。冒頭に紹介されたmer 2015年10月号(学研マーケティング)の表紙には、「この秋、今より“半歩先”のわたしになる♪」とありますが、何歩でも先へすすみ、たっぷりと「吸収」できるよう、がんばってください。

それで思い出したのが、HARAJUKU KAWAii!! STYLEにきょう出た記事、青文字女子の“ほっこりオトナ化”計画! mer10月号発売です。「「mer(メル)」10m月号」という表記があり、考えこんでしまいました。もう10月号という先走りしすぎた印象を、じらすことが特徴的なM(桂正和作、集英社)を連想させて、中和したのでしょうか。あるいは、「綴込付録では、総勢24名のスターモデルたちのかわいいのヒミツに完全密着!」とあることと対応させて、modelのmであり、S・M・Lとしてまん中のものを、まん中に入れたのでしょうか。ふと、Amazon.co.jpでとても評価の高い杏のふむふむ(杏著、筑摩書房)の、「五黄の寅さん」のsを思い出しました。

配達員が感じた異変の情報提供と形骸化

きょう、佐賀新聞LiVEに、郵便局「目」も配ります 見守り活動、厳木地区社協と連携という記事が出ました。高岡市と富山新聞販売店との協定の記事で取りあげたものの、新聞販売店を郵便局に入れかえたようなお話で、10日に結んだ協定ということは、栃木県の児童家庭支援センターの設置検討の記事で取りあげたもののような、お盆休みのために書きためたもののように見えます。

具体的には、「郵便局の地域との接点を生かし、配達の際に感じた異変や気づきなどの情報を提供してもらうことで、問題を未然に防ぐことを狙う。」そうです。ここで気になったのは、異変と気づきとが並列の関係で書かれたことです。異変については、それ自体は相手側の事実としてあって、それを感じるという郵便配達員の主観的なできごとの情報提供ということになりますが、気づきはそれ自体が主観的なものですので、異変を感じるというのであれば自然ですが、気づきを感じるという表現では奇妙に思えます。それとも、異変が相手側のことであることと同様に、相手側の気づきを配達員が感じるという、「心の理論」的な活動なのでしょうか。

「厳木郵便局の砂田哲也局長は「地域の安心安全に貢献できることはうれしい。活動が形骸化しないよう改善しながら取り組んでいきたい」。」と言ったそうです。まずはかたちができたそばから、かたちだけが残る事態を考えはじめるのは、しっかりしていると見るべきでしょうか、それとも、どこか飛んだ人だと感じましたでしょうか。ふと、ニューヨークの女性の「強く美しく」生きる方法(エリカ著、大和書房)に、「ニューヨークの人たちは、バケーションが終わった瞬間に、次のバケーションのことを考え始めます。」とあるのを思い出しました。