生駒 忍

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相対的貧困と過去の年金破綻と責任追及の動因

きょう、マイナビニュースに、貧困の「悪者探し」はやめよう--結局、全国民が負担するしかないという記事が出ました。

「日本の貧困が16.1%、すなわち、6人に1人ということを話すと、多くの人から「いったい、なんで、こんなことになったんだ」という怒りのコメントをいただきます。」、よくあることです。ですが、ここで6人に1人とされた「貧困」は、統計的な相対的貧困率によるものですので、気をつけてください。1か月前に出たこの連載の初回、「ニッポンの貧困」について知っていますか?--6人に1人が"相対的貧困"で、「「相対的貧困」とは、その時代の社会において、一般市民が「当たり前」とおもっているような生活をおくれないことを指します。」と定義した上で、「最新のデータによると、このような「社会の当たり前」の生活ができない確率が高まるのが、年間手取り所得が122万円(一人世帯)以下の人々となります。」という表現をさらりとはさむことで、定義の根本が異なる「いま、日本の相対的貧困率は16%です(厚生労働省推計)。」へとつないであるのです。生活保護制度で水準均衡方式がとられているように、「社会の当たり前」は個々人の感覚によってまちまちで、あたりまえには決まりませんので、数式で切ると便利なのです。銘柄和牛のパックを示して、「当たり前(の価格では)買えないですね」とテロップが打たれるキャプチャ画像を思い出した人もいるでしょう。このあたりに関して、不満をうったえるあのような生活保護受給者に、日本国民の所得分布などを示して、国が自分を分布のどの位置まで上げなければいけないと考えるのかを教えてもらいたいと、ときどき思うことがあります。和牛焼肉、寿司店などの外食、野球の遠征、いまほど普及する前に新しいスマートフォンなど、個別に「社会の当たり前」をあらそうよりも、全体での妥当なラインを考えていくほうが、制度に直接つながって生産的であるように思います。

「俺たちの払っている税金と社会保険料は、全部、年寄りに使われて、俺たちが年を取るころには何も残っていない」、よくある誤解がうかがえます。制度上は、いま払ったお金をためておいて、払った人に将来使うようなシステムではありません。「政府の支出に対して、収入が6割程度しかなく、支出の4割は借金で賄われている」のですから、税金は未来のためではなく、むしろ過去のために使っているともいえます。また、この手の議論では、公的年金の賦課方式を理解していない人が目だちます。いまの若者が将来受けとる年金には、そのときの若者が払う年金保険料が回り、代々くり返すような制度設計です。年金制度は破綻するなどとあおる人もいますが、この方式では少なくとも、ある日突然に年金受給が止まり、日本年金機構に無意味に人が押しかけるような、会社の破綻のような展開にはなりません。あるいは、当初の制度からの不利益変更を破綻と呼ぶのでしたら、受給開始年齢のくり上げも、マクロ経済スライドの導入もと、過去に何度も破綻しています。一方で、破綻の対義語は思いつきませんが、受給側に有利な変更もあり、受給資格期間は25年から10年へと大幅短縮される予定ですし、免除申請は2年までさかのぼってできるようになりましたし、特別障害給付金制度も10年前に始まりました。それとも、そんなものは自己責任、自業自得の不公正な甘やかしで、まじめに納付してきた人をばかにした不愉快、不利益な制度変更だと考えますでしょうか。

「年金生活者から、もっと消費税をとるつもりか」、これもよくある声です。政府の「支出の4割は借金」なのは、この人たちが若いころに先に使われ、ゆたかなくらしをささえた分ともいえます。孫は祖父より1億円損をする 世代会計が示す格差・日本(島澤諭・山下努著、朝日新聞出版)でいう、「ワシワシ詐欺」です。ですので、未来から借りて得たしあわせを、数パーセントずつでも返していくと考えることもできるはずです。また、高齢者の支出で大きな割合を占める医療や介護の負担は、原則として消費税がかかりませんので、消費税が上がっても、上がったパーセントよりも小さな負担増にしかなりません。日本の消費税には軽減税率がなく問題だと主張する人がいますが、軽減どころか、税率ゼロの分野が意外にあるのです。ちなみに、わが国では金融資産が高齢者にかたよっていることは有名ですが、あたりまえとはいえ、株や債券に消費税はかかりません。

「日本に住み続けるのであれば、負担増加の覚悟を決め、その上で、一番必要なところに資源を配付し、守るべきものは守る決断をしていかなくてはなりません。」、そのとおりです。「不利益分配」社会(高瀬淳一著、筑摩書房)のような考え方が必要な時代なのです。少なくとも、PRESIDENT Onlineにきょう出た記事、「男が全力で逃げる」妻・OLの生態と口癖5の各類型のような感覚で日本社会にかかわろうとする人は、論外です。

「しかし、現在、XXX万世帯の人々が国民健康保険の保険料を払うことができずに、無保険となっています。そうなると、医療サービスは全額自己負担となります。」とあります。伏せ字にすることで注意をひく、ティザー広告のような作戦につられて、気になってしまった人も多いでしょう。現在がいくらかはともかくとしても、平成25年度国民健康保険(市町村)の財政状況についてにある360.6万世帯という数字が、公式には最新の滞納世帯数であるはずです。また、滞納するとただちに「無保険」「全額自己負担」へ移行するわけではなく、短期証を経て、資格証明書へ落ちてもなお、窓口でいったん全額負担となるものの、滞納がなくなれば、保険者に申請して保険適用分の払いもどしを受けることができます。もちろん、滞納がかさむほどの経済状態であれば、減額賦課を相談できるところもありますし、生活保護の医療扶助も考えてください。不納欠損に持ちこむのは、すすめません。

「すべての子どもに高等教育の機会」が、「子どものためだけでなく、国として必要なこと」とします。「子どもの貧困対策は、その子が成人となったときに支払う税金や社会保険料で十分にペイバックするからです。国が少しの投資を子どもにすることにより、その子がもつポテンシャルがフルに発揮でいるようになるからです。」、近代国家が、そろって国民皆教育を導入した本質につながるところです。幼児教育については、幼稚化と早生まれのマタイ効果の記事で触れた、ペリー就学前計画が有名です。高等教育では、そこまでの介入研究が思いあたらないのですが、たとえばフィンランド 豊かさのメソッド(堀内都喜子著、集英社)で、国民すべてに高等教育の機会を保障しての学歴社会となったフィンランドの、高い税金と引きかえのゆたかさを見てください。

「貧困の「悪者探し」はやめましょう。今、私たちに必要なのは、誰が責任をとるべきか、誰が悪いのかといった議論ではなく、国民みんなが負担をシェアし、最低限、何を守っていくかの議論です。」、同感です。dot.の記事、年金は安全? 年金保険料未納率4割ではなく4%だったも、「若い世代を中心に、年金制度への不信感が広がっているようです。」としつつ、「世代間の対立という構図を作るような、制度を批判するのは簡単ですが、後ろ向きの議論をしていても何も生まれません。」と指摘しています。

一方で、新国立競技場の騒動ひとつとっても、これから何をどうするかを後まわしにして、後ろ向きな責任追及や断罪にばかり前向きな人が、あれほどたくさんいます。しらべぇの記事、知りもしないことを聞かれ、適当に回答する国民と、その結果に右往左往する偉い人たちにあるように、理解していないと自覚できていることにさえ、評価をくだしてしまう人もいるくらいで、ひとはなぜ裁きたがるのか(日本記号学会編、新曜社)という本がありますが、そういう裁き行動への動因の強さを感じます。しかも、好きで積極的に裁きにいってしまうというよりは、通俗的な意味での「条件反射」のような自動性を感じます。そういえば、ITproにきょう出た記事、条件反射でメールを見ていないか?――「ビジネスメール実態調査2015」に、「条件反射には、無条件反射と条件反射があり、梅干しを思い浮かべて唾液が出るのは条件反射だったね。」「大学の心理学の授業で習ったよ。」とあったのには、少々困惑しました。