生駒 忍

記事一覧

あたためた井戸水による足湯と「売春島」

きょう、佐賀新聞LIVEに、多久市の福祉施設に足湯 「ほのぼの横丁」という記事が出ました。

この足湯に使われているのは、ふつうの温泉のように見えるかもしれませんが、「“温泉”」と表現されています。ここは、行政上のあつかいとの関係があるのかもしれません。25度を下回っても、温泉法上の温泉にはなれると言われそうですが、井戸を掘って出たものであるところが、気にかかります。神戸新聞NEXTに先日出た記事、偶然出た温泉の利用ダメ 神戸の男性、県に申請認められずのようなかたちで、温泉として掘ったのではなかったことがひびいていそうです。入湯料ではなく、「施設の維持協賛金として50円」なのも、そのあたりでしょう。記事は、「温泉成分が含まれており」として、「入浴」との表現もとる一方で、「足湯には温めた井戸水を使う。」とします。「泉質は炭酸水素ナトリウム泉。」は危うげかもしれませんが、記者のことばではなく、施設運営者の江里口尚子という人が言ったそのままというかたちです。以前に、LINE上のトラブルと裸の画像の記事で触れたような、記者側が逃げた書き方にも見えます。ですが、このあたりは、実害のないグレーとして、それほど気にしないのが、誰にとってもよいことかもしれません。三重県の「売春島」の社会学的調査でも知られる漂白される社会(開沼博著、ダイヤモンド社)に、「「白/黒つける」「合法/脱法の規制を構築していく」作業は、問題をなくす、もしくは減らす意図を持ってなされているはずだが、二分化を進めれば進めるほど、本来の意図に反して「脱法」へと人々を誘導することになる。」とあったのを思い出しました。そういえば、FLASH 6月3日号(光文社)には、となりの国の「売春島」の「独占潜入撮」記事があり、「中国共産党の指導を受ける人民解放軍管轄のため、いくら売春がおこなわれていても、本土の公安(中国の警察)は一切、取り締まれないという。」とありました。

攻撃的な態度をとる人の心理と豊川似の事件

きょう、Yahoo!知恵袋に、知らない人に攻撃する人の心理を知りたい。という質問記事が出ました。

攻撃そのものというよりは、「攻撃的な態度を取る人の心理を知りたい」というところのようです。より具体的なかたちとしては、同じくきょう、知恵袋の同じカテゴリに出た質問記事、都内在住の美男です。 街ですれ違いざまにいちいち容姿にケチつけて来る女がいま...のようなものをイメージすればよいでしょうか。以前にSNSへの不適切投稿の心理の記事などでも触れた、「~する(人の)心理」のパターンですので、人間にはそもそも攻撃性があるから、あるいはその逆に、攻撃性が人間という種をつくったという、アフリカ創世記 殺戮と闘争の人類史(R. アードレイ著、筑摩書房)のような一般的なお話では、求められる答えにはなりません。一部の人のそんなささいなことに、大きな用語である「攻撃」を使ってほしくないという声もあるかもしれませんが、毎日あちこちで出ていると思われる、そういう人たちのそういう「負のエネルギー」は、合わせればかなりの量なのではないかと思います。ワールドワーク プロセス指向の葛藤解決、チーム・組織・コミュニティ療法(A. ミンデル著、誠信書房)にある「叫び声や言い争いを美しい歌に変容させていった」グループのお話ではありませんが、みんながしあわせになる方向へ使えないものかと、つい思ってしまいます。ですが、みんながしあわせになると、その「負のエネルギー」もわいてこなくなるような気がしますので、振動するかもしれません。

さて、ここではありがちなけんかやいじめではなく、「知らない人に」というところに関心が向けられています。いわゆる「誰でもよかった」のようですが、悪口やにらみつけですので、ずっとささいなことです。それでも、アンサイクロペディアの誰でもよかったに、「だが、誰でもよかったと言う割には自分よりも強そうな人、政治家や社長のように社会的立場が上のような人ではなく、到底返り討ちに遭いそうにない、老人や女子供などの弱そうな人、後から仕返しされなさそうな人を選んでいることが多い。」とあるのが、同じようにあてはまりそうです。さっそくついた回答は、読んでよい気分のしない話題を含みますが、それでも相手を選んでいるはずだという冷静な視点があります。

「知らない人に」で思い出しましたが、行動心理学 社会貢献への道(岩本隆茂・和田博美編、勁草書房)のコラム「広汎性発達障害」は、「「人を殺してみたかった」.顔見知りの主婦を殺害した高校3年の少年は,そう供述した.」と書き出されます。ここは、以前に酒鬼薔薇の影響力の記事で触れた、愛知・豊川の事件のようにも見えるのですが、被害者はどちらも、顔見知りではなかったはずです。豊川ではないとすると、どこの事件なのでしょうか。ご存じの方がいましたら、教えていただきたいと思います。

『教育現場は再生できる』は実戦的でしょうか

きょう、西日本新聞のウェブサイトに、『教育現場は再生できる』 松本安朗 編著 (スペースキューブ・1728円)という記事が出ました。

昨年度末に出た、教育現場は再生できる 役立つ実践論16の声!(松本安朗編、スペースキューブ)の紹介です。ですが、「サブタイトルは「役立つ実戦論 16の声」。」とあります。記事にある表紙の画像は、帯をはずしたこともあり、よけいにプロらしくないデザインに見えますが、そこでも「実践論」と読めます。アゴラの記事、地方紙化する朝日新聞には、「地方紙が極左的な論調をとるのは自然である。」とありますので、「戦」の字をいやがってみせるならありそうなことなのですが、西日本新聞は逆に、書きかえてまで「戦」を入れました。私は、3か月半前に書いた就活面接の記事のタイトルにも「戦略」を使いましたし、気にしないほうなのですが、これはかえって気になります。msn産経ニュースにきのう出た記事、奇妙な日本の自己不信には、「米国にとって尖閣の防衛はまさに集団的自衛権の行使」「米国にはその行使を求め、その恩恵を喜びながら自国の同じ権利の行使は罪悪のように拒むのは欲張りな子供のようだ。」というきびしい批判がありましたが、自衛権をめぐる安倍内閣のうごきを敵視しての、無関係な人が「戦」に巻きこまれる皮肉のつもりかもしれませんが、やりすぎでしょう。そういえば、言葉に関する問答集 総集編(文化庁著、国立印刷局)には、「実践的」と「実戦的」との使いわけが説明されていて、実践と実戦との比較だけでなく、「「的」の意味も異なる」というところまで議論がありました。

「臨床心理学を専門とする九州大学大学院教授」の名前が出ていないのも、あまりされない書き方です。ですが、確認しようと思ってこの本をAmazon.co.jpで見ると、各章へのインタビューの配置が、記事とは異なるようです。また、4章16編のはずなのに、池邉和彦という人のカスタマーレビューは、3話構成の本のように書かれています。

認知症高齢者の日常生活自立度と孤独死3万人説

きょう、現代ビジネスに、「人生の最期は、家でひとりで」の時代がやってくる 『孤独死のリアル』著者・結城康博インタビューという記事が出ました。サイト運営者である講談社が出した、孤独死のリアル(結城康博著)の著者へのインタビュー記事です。

インタビュアー側が、年に3万人の孤独死という数を出して、それに「だから、実数のデータはまだなく、3万人というのは推計値です(ニッセイ基礎研究所の2011年3月の調査データをもとに推計)。」との回答がつきます。あくまで推計値なのはそのとおりなのですが、この書き方は適切ではないように思います。まず、その調査データとはおそらく、ニッセイ基礎研究所のセルフ・ネグレクトと孤立死に関する実態把握と地域支援のあり方に関する調査研究報告書のもののことだと考えられますので、ちょうど震災のタイミングにあたる「2011年3月の調査データ」ではありません。東京都監察医務院が出した東京都23区における孤独死の実態の2009年時点のものを用いた分析ですし、この研究所が収集してきたデータでもありません。報告書が2011年3月付となっていて、実際の公表は4月だったようですが、それを書いてしまったのでしょう。また、「調査データをもとに推計」とはあっても、ニッセイ基礎研究所がオリジナルで出したのはデータそのものではなく、そこからの推計値ですので、その推計からさらに著者が独自に推計したとは考えにくいと思います。研究所の推計値は、「孤立死の基準としてはやや厳しい(孤立死を過大評価する可能性がある)水準」を採用しての上位推計でも2万6千人台、中位推計ですと1万5千人台、「3万人というのは推計値」の約半分にすぎません。インパクトを考えて、大きく表現することを意識したのでしょうか。そういえば、他者の苦痛へのまなざし(S. ソンタグ著、みすず書房)には、広島では「数秒のうちに七万二千人の市民が灰となった」、南京では「四十万人近くの中国人を虐殺」とありました。

「いま「道に迷う」「金銭管理にミスが目立つ」などの日常自立度Ⅱ以上の認知症高齢者は300万人以上、65歳以上の10人に1人といいます。」とあります。これはおそらく、「認知症高齢者の日常生活自立度」のことだと思いますが、ここは私は前から気になっているところです。この日常生活自立度は、数が大きくなるほど自立度が低い方向につくってあるので、混乱をまねく概念です。「日常自立度Ⅱ以上」と書かれても、自立度が一定以上に高い方向ではなく、逆になるのです。数字が小さいほど重い、労災保険の障害等級や障害者手帳の等級とは逆ですが、要介護度の判定につながるものですので、要介護度と同じ向きにしたのでしょうか。名前を「日常生活非自立度」とでもあらためれば早いのですが、否定の意味の字が入るのはわかりにくいかもしれません。ビッグファイブのNを「情緒不安定性」とはせず、逆に読んで「情緒安定性」とした性格は五次元だった 性格心理学入門(村上宣寛・村上千恵子著、培風館)を思い出しました。

「その点で、本書でも、読売新聞やヤクルトなどの例を取り上げていますが、自治体が民間企業と組んで、配達先の独り暮らし高齢者を業務として見守ってもらう、というサービスを取り入れるのは有効です。」とあります。以前に高岡市と新聞販売店との協定の記事で紹介したものは、この「業務として」に入るでしょうか。

「孤独死対策には、公的サービスや職員を増やす、地域包括支援センターを充実させる、など「公助」を増やすべき」という主張を、皆さんはどう考えますでしょうか。当然の正論ととる人も、だからこそありきたりすぎて価値を感じないという人もいるでしょうし、よくも悪くも元公務員だという見方もあるかもしれません。その一方で、最後は「私の実感は、「孤独死しても2、3日以内に発見してもらえる人間関係と環境をつくっておこう」ということです。そう意識して生活していれば、ほんとうに困ったときには、誰かが助けてくれるようになるものなのです。」と、互助や個人の意識へと還元して締めます。このあたりに関連するところでは、この本より半年早く出た、孤独死のすすめ(新谷忠彦著、幻冬舎)の独特の主張があります。孤独死をここまで前向きにとらえるのは異例で、「元気な日本を復活させるためには国民が「おねだり」をやめること、すなわち、孤独死を覚悟することが唯一の道である、というのが私の基本的な考えです。」とします。そして、行政や他人はあてにならないと斬り、安倍「三本の矢」批判、大学教育の無料化、所得税の不公平性、フリーターの「アクティブ」「パッシブ」の2類型化など、さまざまな話題を展開しながら、個人主義の確立をうったえます。

佐賀の福祉作業所全焼事件と子どもの居場所

きょう、YOMIURI ONLINEに、精神障害 理解求め30年という記事が出ました。

「和歌山市の精神障害者家族会「つばさの会」が30周年を迎えた。」とあります。ですが、「障害者の社会参加を図ろうと1984年9月、設立」とあるのが事実であれば、こちらは事実に反します。30周年をむかえる、あるいは、30年目をむかえた、と書いたつもりだったのでしょうか。20年以上前のものですが、精神障書者の生活の場 ─“麦の郷”からの報告─という論文によると、「1986年9月、作業所が法人化して移転した後の家屋を利用して憩いの家を開所」が、この会の「最初の仕事」のようですので、そこから数えると、さらに2年短くなります。

「会が母体となって、和歌山市内の作業所を運営するなど、子どもたちの居場所作りにも取り組んできた。」とあるのは、その「最初の仕事」の作業所のことでしょうか。「子どもたちの居場所作り」と書かれると、放課後子ども教室のようなものをイメージしてしまいますが、ここでは、親と子という意味での子どもです。そういえば、子供と若者の<異界>(門脇厚司著、東洋館出版社)は、「子供も庭の植木や盆栽を育てるように育てるのがよいという日本的子育て観」などとともに、「子供はいくつになっても子供で親の所有物なのだ」という発想に触れていました。

さて、よい作業所が維持され、本人の居場所、家族の安心につながるのは、とてもありがたいことです。ですが、突然焼けおちることもあります。Yahoo!知恵袋にきょう出た質問記事、確か、去年九月頃に福祉作業所が全焼為れましたよね? 其の犯人は未だ捕まってな...を見て、思いだしました。ここで取りあげられたのは、知の知の知の知 1521号に佐賀新聞からの全文転載がある、佐賀のワークピア天山の事件のことでしょう。私も、続報を知りません。47NEWSに半年前に出た記事、佐賀で消防団員が放火容疑 不審火相次ぐの消防団員は、関係があるのでしょうか。質問をしたgizensyadaikiraiという方は、これが知りたくてアカウントをとったのかもしれませんので、ご存じの方は、ぜひ回答をつけてください。