生駒 忍

記事一覧

障害者施設ではたらく人のお給料の出所

きょう、OKWaveに、障害者福祉施設の運営資金という質問記事が出ました。障害者施設は、篤志家やボランティアのイメージがあるのか、高齢者介護のように薄給で人材が定着しないとたびたび報じられることもないためか、お給料をどう出しているのかを知る機会がなく、わかりにくいところかもしれません。

それでも、障害の種類ごとに、まるで温泉旅館の増築のようになっていたこの分野は、障害者自立支援法の体制になってから、かなりわかりやすくなりました。江藤淳と少女フェミニズム的戦後(大塚英志著、筑摩書房)で対比された「サティアン」ほどではなく、温泉旅館のほうでよいと思いますが、それが整理されました。今では障害者総合支援法へと名前を変えて、今月からグループホームとケアホームとの一元化もされましたが、障害福祉サービスはその介護給付と訓練等給付に対応し、利用者から直接受けとる一部負担以外の部分は、市町村からの給付費の代理受領でまかないます。ただし、障害児施設については児童福祉法のほうに入り、保護者等の一部負担と、都道府県等からの障害児施設給付費とです。

地域生活自立支援事業は、給付ではなく、事業費補助のかたちをとります。地域活動支援センターは、入所して使う昔ながらの障害者施設のイメージからは離れますが、任意事業としての福祉ホームは、この事業費補助を受けることになります。

障害関連の入所系の施設では、生活保護法に基づく更生施設や、以前に佐賀県への設置の記事大分県への設置の記事で取りあげた情緒障害児短期治療施設もあります。これらは措置制度ですので、委託費を受けるかたちです。

田中元施設長と早稲田大の「○○○さん」

きょう、SHIKOKU NEWSに、百十四銀新入行員、老人福祉施設でボランティアという記事が出ました。

学校ではなく、銀行のボランティア実習です。「絆や思いやりの心の大切さ」なら、ほかでも学ぶ機会はいろいろありそうですが、すでにわが国の人口の4分の1は高齢者、しかも金融資産は世代間での偏在が強いですので、高齢者とのかかわりがだいじなお仕事です。なぜこんなに生きにくいのか(南直哉著、新潮社)には、「使い道の思い浮かばないお金など、さして必要ではないのです。」とありますが、そういうお金こそ、銀行の好物なのです。

「特別養護老人ホーム一宮の里(田中元施設長)」あるのを見て、前の施設長がしりぞいて、まだ後任が決まらずにいるのかと思ってしまいました。おそらく、田中が名字、元が名前なのでしょう。「田中元」という介護関係のライターがいて、最近では介護の事故・トラブルを防ぐ70のポイント(自由国民社)を出しましたが、同一人物、あるいは親戚でしょうか。一方で、田元や中元なら、それなりに見かける名字ですが、田中元という名字がありそうには感じません。3文字も「元」もよく使う奄美にもなさそうです。「田中」の2字でのまとまりが強いですし、3文字あると名字2字と名前1字との、あるいは中華風に1字と2字とでもいいですが、フルネームに見えるのです。

それで思い出しましたが、早稲田大学 文化の杜の「文化の扉」の中に、学生編というコンテンツがつくられたようですが、文化構想学部文学部とも、今のところ「○○○さん」ばかりです。○の数から、ここは名字だけではなく、フルネームで入れたい考えのように見えるのですが、どうでしょうか。

千葉市いじめ調査委は次から原則非公開です

きょう、ちばとぴに、「主体的に対応を」 千葉市いじめ調査委が初会議という記事が出ました。きのう午後に開催された、第1回千葉市いじめ等調査委員会を報じたものです。

記事タイトルを見ると、どこかの指示待ち、言いなりや、たらい回しはさけて、自分たちで主体的に対応していこうと、この委員会が宣言したような印象を受けますが、記事の中には、そういう内容はありません。熊谷俊人・千葉市長が、おそらく開催にあたるあいさつの中で述べたと思われる、「私たちとしてもしっかりした対策を主体的にしていかなくてはならない」からつけたようです。記事を読めばわかるように、市長は委員に入りませんので、この「私たち」は、委員会ではなく、千葉市の幹部をイメージしたものでしょう。また、「対策」と「対応」とでは、どちらというと前者は事前のもの、後者は事後のものという語感ですので、タイトルではなぜか「主体的に対応を」へと変えたのも、調査委員会の宣言のように見えてしまう一因だと思います。「主体的に」のほうは初めからこうで、以前に書いた「自主的」を「主体的」に書きかえた本の記事のようなことではなかったようです。

この第1回委員会で、「会議を原則非公開にすること」が決まったそうです。今回は、10人まで傍聴を認めましたが、これ以降はもう、自分が委員に選ばれるまで、見ることができなくなったわけです。いじめ調査をあつかう場になりますので、妥当な決定でしょう。では、もう見られなくなるなら、今回見ておけばよかったと思った人はいますでしょうか。ですが、過ぎたことにこだわってもしかたがありません。後ろよりも、前を向いていきましょう。「口ぐせ」ひとつで他人が読める(渋谷昌三著、新講社)は、「○△しておけばよかった」「○○しておけばよかった」の問題を指摘し、かわりに「よし、これから○○しよう」「よし、これから△△しよう」をすすめています。

沈没事故への発言で脳は老化するでしょうか

きょう、J-CASTに、「沈没事故、2ちゃんの7割が『ざまあみろ』」 小田嶋隆さんの発言巡りネットで論議という記事が出ました。TBSラジオでの発言とその反響を取りあげたものです。

「日本で酷いことを言っていると韓国のネットで紹介され、一方、韓国では日本に対して酷いことを言っていると日本に紹介される」、ありがちなパターンです。ですが、今回のラジオ発言がこう話題になって、前半の火つけになるかもと考えての発言でしょうか。

「謹んでご冥福をお祝い申し上げます」が、誰のどんな行いに対する皮肉かを知らないようすなのはともかくとしても、「酷いことを言っているのは「工作活動」だなどとする指摘も」、このあたりの問題は、調べにくいといえばそれまでですが、追究したいテーマです。先週にJBPressに出た記事、保守層の愛国心を煽る“ネトウヨ”は日本人なのか 右翼やネオナチの看板を新たな工作活動に利用する者がいる可能性が一部で話題になったのを思い出しました。「中国や北朝鮮、あるいは韓国の工作員が日本の愛国者を装って過激な発言をし、国内の保守層を煽ることで日米関係などに悪影響を与えようとしている可能性も」と論じて、後で「狂言」の話題に切りかわるのが、意味ありげに見える記事です。

今回の件に限らず、一般には、悪口はよくないものです。日本には、人をのろわば穴ふたつ、ということわざもあります。It Mamaにきょう出た記事、悪口は「言えば言うほど脳が衰えて老化が早まってしまう」と判明を思い出しました。「熟女好きの頭の中」「好きな音楽を質問すれば、その人の性格が予測できる」など、さまざまな話題がつまった脳はなんで気持ちいいことをやめられないの?(中野信子原案、アスコム)に基づいた記事ですが、これは昨年から流行している、「脳は主語を理解できない」というふしぎな説の発展版です。そういえば、芸術を創る脳 美・言語・人間性をめぐる対話(酒井邦嘉編、東京大学出版会)には、ふしぎを感じる脳部位はまだ不明だというお話がありました。

先祖がえりする脳といじめの被害者による加害

きょう、Yahoo!知恵袋に、暴走族の脳みそについて。という質問記事が出ました。それなりに自説をぶったのに、今のところ平板な反応しかなく、誰かもっと反応してあげたらとも思いますが、私は回答リクエストの指定に当てはまりませんし、回答する気はありませんので、頭にうかんだことを少し書いておきます。

冒頭に提示される結論、「彼らの脳は先祖返りしていると思います。」、このアイデアは、19世紀への先祖がえりのようにも見えます。いわゆる犯罪心理ではない、学問としての犯罪心理学をかじると出てくる、生来的犯罪人説がよみがえったようです。今ではもう、この説をそのままで使うことはありませんし、提唱者は100年以上前に亡くなりました。ちなみに、その訃報は、わが国の萬朝報にも「ロンブローゾ歿す 刑事人類學大成者」と報じられましたが、その記事の本文には「ロンブローゾ」という表記は登場せず、「ケザーレ・ロムブローゾ氏」、「ロ氏」と書かれています。

「なぜそうなったかというと、家庭や友達がDQNだったからであり。 怖い父親、兄貴、先輩など常に脅える環境で過ごしたことにあります。だからこそ自分も自分より弱い相手をビビらそう、脅えさせようと考える、「その立場なら安全である」いわば弱者の自己防衛に端を発していると結論付けられます。」、こちらは虐待の連鎖にも近いですが、破壊的権利付与とはずれます。自分たちが差別されたと強く反応する一方で、あっさりと別の人たちの差別に走る人の感覚でしょうか。新しいところですと生々しいですので、古いお話を持ってくると、100年以上前の大阪で、「学術人類館」と称した見世物小屋の展示に沖縄の人々も入ったことに、反発した沖縄の新聞人である太田朝敷は、人類みな平等と説くのではなく、沖縄の女性をアイヌなどと同列にされるのはゆるせない、という差別的な方向の主張を展開したのでした。あるいは、いじめの被害者が機会をみて加害者側にまわるのにも似ています。他反応分化強化のような論理ですが、いじめられるのといじめるのとは同時に起こらないので、いじめのつらさを知る子ほど、自分がいじめられないようにいじめに走るのです。AERA 4月29日号(朝日新聞出版)にも、いじめの原因はストレスではないという指摘の中で、「いじめをやめると、次は自分がいじめられるかも。」という中学生女子の声が登場します。また、こちらはフィクションですが、先日に待望の続編として出た給食のおにいさん 進級(遠藤彩見作、幻冬舎)では、前の被害者、今は加害者の真耶のせりふに「やらないと、私がまたやられる」とあります。

「バイクに乗った原始人と言っても良いと思います。」、ここで連想したのは、ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊(正高信男著、中央公論新社)です。今の若者のありのままに批判的なものに定番の光景ですが、10年前に話題を呼んだこの本も、Amazon.co.jpではさんざんなコメントを受けています。