生駒 忍

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危険なバンジージャンプをする人とその心理

きょう、Yahoo!知恵袋に、バンジージャンプやスカイダイビングなど下手をすれば命を落とすような危険な事を...という質問記事が出ました。

特性論、ディメンジョナルな人間のとらえ方のほうが、より科学的ではあっても、人間自身は類型論、カテゴリカルな理解をしがちです。この質問も、そういう危険行為を起こす特性ではなく、そういうことを好む人々をくくって、ほかと切りわけるためのタイプ名を求めるものです。「刺激希求性の高い人」ではおそらく、この質問者の期待からははずれそうです。自傷行為の理解と援助 「故意に自分の健康を害する」若者たち(松本俊彦著、日本評論社)は、Amazon.co.jpでたいへん評価が高い本ですが、あのDSHのお話も近いようでいて、やはりずれるでしょう。

あえて危険に手を出すことをめぐっては、心理学でも古くから説明がこころみられてきました。解釈として便利なのは、後期フロイトの「死の欲動」でしょう。一方で、安易に内生的なものを仮定することを好まない行動主義では、ややややこしい問題となったところです。生体への強い刺激を低減するものが強化力を持つと考える動因低減説は、この分野の重要な理論のひとつですが、この危険行動の問題にはうまく対応しません。心理学検定基本キーワード(日本心理学諸学会連合心理学検定局編、実務教育出版)は、ちょうどこのバンジーを例にして、「しかし、バンジージャンプのような強い刺激も強化力を持つ場合があるので、刺激の低減だけで強化を説明することはできない。」とします。

認知心理学と行動心理学とをすすめる講演

きょう、岩手日報WebNewsに、ゲーム開発の世界を解説 盛岡で平林さんら講演会という記事が出ました。「盛岡広域振興局(杉原永康局長)の人材育成講座「特濃!ゲーム開発塾」の特別講演会は30日、盛岡市盛岡駅西通2丁目の盛岡地域交流センターで開かれた。」と、1文目からこなれない日本語ですが、きのう開催された講演会を取りあげたものです。

講演者のひとり、平林久和・インターラクト社長は、「「考える時、認知心理学と行動心理学の二つの心理学(の知見)を前提に考えてみてほしい」と勧めた。」そうです。この「行動心理学」は、少し前にうその見ぬき方の記事で触れた「行動心理学」とは、また別のもののように思えるのですが、どうでしょうか。聴講された方がいましたら、教えてもらえるとありがたいです。

写真は、ふつうの講演の光景ではあるのですが、右上に写りこんだ人名がとても注意をひいてしまっています。主役がきちんと主役でいられるように、より正面よりから撮ったり、スライドを背景に演者の上半身が入るアップにしたりといった配慮がほしかったところです。単に、フレームを少し左へずらしただけでも、勝間はずしはできますが、すると左上の空白がさらに広がって、バランスをそこなうでしょう。駿河台大学心理学研究科のウェブサイトにきょう出た記事、学位記授与式を行いましたの2枚目のようなイメージです。

小さいおじさんとなりきり厨被害の臨床心理学

きょう、シネマトゥデイに、釈由美子「小さいおじさん」話で脳のMRI検査の予約を取られた過去を明かす!という記事が出ました。記事の最後でだけは「妖精おじさ」と書かれましたが、妖精おじさん ディレクターズカット版(下山天監督)のDVD発売記念イベントを報じたものです。

「小さいおじさん」のお話は、私の印象では、もう話題としては古くなってしまったように感じますが、あのようなDVDですので、ずいぶん語ったようです。それでも、興味深いのは、「みなさんが見たおじさんと、わたしが見ているのは同じ感じ」だというところです。一見すると荒唐無稽な夢の世界を読みとき、人々に共通するモチーフを見いだすユングの思想ではありませんが、国内で同時多発的に報告されたこのおじさんも、人々を共時的にむすぶ何かを示唆するあらわれなのでしょうか。ですが、これと、いわゆるなりきり厨のロックオン被害については、都市伝説的で社会心理学よりの言説ではあっても、臨床心理学や精神医学の手のとどくところには、なかなか報告がありません。それでも、おじさんのほうは、たとえば臨床心理学 13巻4号(金剛出版)に、おやじギャグのようなことを言う小ぎたないおじさんに、お風呂で会う人の例があります。

「「わたしのこういう発言を怒ったり、馬鹿にしたり、白い目でみない人がいいですね」と交際相手となる男性の条件を上げた釈。」とあります。発言そのものは、条件を挙げたかたちですが、MRI検査をすすめるかどうかは別としても、そういう男性が世の中にどのくらいいるかを考えると、求める条件、ハードルを上げたと、これを書いた記者は理解したのだと思います。皆さんは、あるいは皆さんのまわりの男性では、この条件をみたせますでしょうか。

東員町の福祉ふれあい体験祭とダンスの写真

きょう、東員町のウェブサイトに、福祉ふれあい体験祭が行われましたという記事が出ました。「見て!聞いて!ふれあって!福祉ふれあい体験祭」がタイトルのようにも見えますが、公式には「福祉ふれあい体験祭が行われました」のほうが正しい記事タイトルなのだと思います。

「この祭は、体験を通して、日ごろから災害時等の支えあいに備えようと東員町社会福祉協議会が主催して開いたもので、車椅子や高齢者疑似体験、AEDなどの体験コーナーやパネル展示コーナーが設けられ啓発を行っていました。」とあります。ですが、その東員町社会福祉協議会のウェブサイトのお知らせ、福祉ふれあい体験祭 ~25年度東員町災害ボランティアセンター啓発事業~を見ると、その社協も、筆頭ですが協賛の一員にすぎず、主催者ではなさそうに見えます。以前に中央慈善協会の改称の記事で触れたような歴史的背景をもつ社協は、あくまで民間団体で、町とそこの社協とは別なのですが、それでもこういうところでずれるのは奇妙です。町のサイトでは、文末がひとごとのような表現なのも、別団体とはいっても気になるところです。

記事の写真は、社協のお知らせでは「その他」にさえ名前のない出し物のものです。本文で段落をわけたことからは、同じ会場であった、無関係な発表会の可能性も考えられます。ですが、体験祭の記事に、無関係なイベントの写真だけを載せるのも奇妙です。あの会場でお昼前でしたら、体験祭の時間帯のはずなのです。一方、正面のよい位置からではないところには、小さなデジカメではあっても、立場とカメラとを持った人とは思えない謙虚さがうかがえて、私はよい印象を受けました。ここは、昔のカメラの地位からの低下とみると、議論がわかれそうなところです。そういえば、山陰中央新報のウェブサイトにきょう出た記事、進化するケータイ/スマホ依存に要注意は、島根県ひとすじの方が、今日の情報機器、電子機器への批判精神、嫌悪感のあふれる論考から、「「昔のいいもの」を再評価すること」を求めるものでした。

わからずに精神保健福祉士になりたい中学生

きょう、OKWaveに、精神保健福祉士になりたい!という質問記事が出ました。質問者は中学生で、おとな風のあいさつから入り、お金も気にしつつの初々しい質問内容、そして「質問の確認」で締めるつくりです。

何をすることになるのかが具体的にわからなくても、それをしたいという気持ちは、りくつでは変かもしれません。以前に書いた、起業はしたいが起業してやりたいことが見えない若者の記事を思い出しました。ですが、この若さですし、あってよいと思います。市が弁論を目にとめたことが最初のきっかけでも、後に本人がよかったと思えれば、まったくかまわないと思います。皆さんが、いまの道にすすむことになった最初のきっかけは、何だったでしょうか。

これから考えが変わる可能性は当然ありますが、まずはその道を意識して、がんばりはじめてよいと思います。イズってヤツは。(出岡美咲著、宝島社)には、「なりたい未来の自分があるなら、なれるような努力をしなきゃ。」とあります。強く思うと「引きよせ」が起こると信じる方もいるとは思いますが、思いだけでなく、行動で努力をつむのが、順当なやり方でしょう。もちろん、精神保健福祉士など、受かるだけならかんたんかもしれませんが、だからといって、就活のコノヤロー ネット就活の限界。その先は?(石渡嶺司著、光文社)に登場する、やればできるとなめた態度の「あまちゃん大二病」になってしまうと、試験は合格しても、人間的には失格だといやがる人もいそうです。ぜひ、なりたい自分に向かって、少しずつでかまいませんので、がんばってください。