生駒 忍

記事一覧

女性専用のコーナーとメレディス・モンク

きょう、zakzakに、女性のための「zak女」新設 女性記者21人の本音コラムもという記事が出ました。

新設となったのは、独立した新しいウェブサイトというよりは、zakzakの中のコーナーと考えられるもののようです。「女性のための情報や読み物が満載の「zak女」(ざくじょ)」だそうで、少し前まではよいイメージで連呼されたものだった「リケジョ」を意識して、この名前が会議を通ったのでしょうか。

「女性専用の“サイト・イン・サイト”ですが、女性の心理を知りたい、男性もぜひのぞいてみてください。」とあります。内容は女性を意識したものでも、男性も食べられるレディースセットのようなもので、専用とはっきり書くのは、きびしすぎるかもしれません。女性専用車両よりも、ワンダ モーニングショットの「朝専用」に近い意味あいでしょうか。

画像は、キャプションにある「zak女の雄叫び」が大書されたもので、コラム用のタイトル画像のようです。この色の取りあわせは、3型2色覚の人にはやや不親切ではなどと言いだすときりがないこととは別に、少なくとも私には、すぐれたセンスだとは思えません。aの中に目のような黒い部分があるのは、本家のロゴと同じですが、こちらではほかに黒い部分がないので、目だち方が違います。また、文字の輪郭がぼやけて、まわりに基礎心大会プログラム表紙の記事で触れたようなノイズもともないます。文字の下の余白部分は、もう少し狭くしたほうが落ちつくのではないでしょうか。何だか、文句ばかりになってしまいました。

文句で思い出しましたが、CNN.co.jpにきょう出た記事、創造性の「暗黒面」 抑鬱や狂気が天才を生み出す?には、「画家モンクの幻視」とありました。幻視体験については議論がありますが、ことし没後70年をむかえたエドヴァルド・ムンクのことでしょう。モンクと書くなら、音楽家メレディス・モンクだと、私の中の声が言いだします。たとえば、Meredith Monk: Inner Voice、ご存じでしょうか。ですが、同じく音楽家でもセロニアスのほうだったり、探偵のエイドリアンだったりを連想する人のほうが多いような気もします。そして、Monkの発音は「マンク」だという文句も出てきそうです。

裸画像の自画撮りで性犯罪者になった女性

きょう、msn産経ニュースに、愛好者同士で自分の娘の裸画像交換も…摘発過去最悪、増加する児童ポルノという記事が出ました。児童ポルノ事件の、想像しがたい現実をあつかった記事です。

「近年、増加傾向にある児童ポルノ事件の形態としては、言葉巧みに誘導されて被害児童が自らの裸を撮影し、メールなどで送信してしまう「自画撮り」がある。」とあります。「自画撮り」が、性犯罪の一種を指す用語になってしまったのも気になりますが、自分から撮影したことが「自画撮りによる被害」にひっくり返ることも、ふしぎに思われるかもしれません。ですが、無理やりではなく、自分で撮ったもので自分が被害者になる例が、後をたちません。ウートピに先月出てずっとアクセスを集めつづける記事、ネットに公開された美少女達の”性器” 消えることのない「セルフィー」の悪夢とは?には、アメリカでの事例として、13歳の時に「胸と性器の写真を4chanに公開されて」、男性の反応がひろがったために「ロリはすっかり怯え、今では自衛のためにたくさんの銃を持った両親と共に家に引きこもって過ごしています。」とあります。わが国でも、以前に裸画像のうわさの記事であつかったLINE上での事件はうわさあつかいですが、昨年の自称立命館大生によるストーカー事件被害者の画像公開は、記憶に新しいでしょう。また、親は知らない ネットの闇に吸い込まれる子どもたち(読売新聞社会部著、中央公論新社)には、「裸をさらした少女たちの後悔と恐怖」という節があり、自画撮りをした中学生ががわいせつ物陳列で、高校生が児童買春禁止法違反で書類送検された例が紹介されます。前者の母親は、「最初は信じられなくて、誰かに無理やり撮影されたものだと思った」とあります。被害者が性犯罪者になる「被害」まで起こるのです。

「児童ポルノ事件の大きな特徴として、画像を撮影したりネット上などで流通させたりしている加害者側はほとんどが金もうけを目的としていないことが挙げられる。」とあります。先ほどの親は知らない ネットの闇に吸い込まれる子どもたちの事例のうち、高校生はお金目あてでしたが、中学生のほうは注目がほしかったようで、一円も手にしなかったようです。そして、記事には「中には、「幼い自分の娘の裸の画像を交換している悪質なケースもある。全く理解できない」と、一般的な感覚を超越したケースも多いという。」とあります。これも、親は知らない ネットの闇に吸い込まれる子どもたちにもある話題で、第5章「欲望の対象にされる子どもたち」に、その「一般的な感覚を超越したケース」がならびます。

こうなってくると、早急な対策が求められるところですが、記事では「国際的な圧力で国内でも法規制」「「表現の自由」か、違法な「児童ポルノ」か」と表現するように、自発的にすなおにはいかないところが、とてもやっかいです。このあたりの議論も、先ほどの親は知らない ネットの闇に吸い込まれる子どもたちにもあります。

「透明な存在」の酒鬼薔薇と早大コピペ文化

きょう、NEWSポストセブンに、凶悪犯が酒鬼薔薇聖斗に憧れ宅間守や加藤智大に憧れない理由という記事が出ました。

これは、「柏「通り魔」だけじゃない!「酒鬼薔薇に憧れるネット男」が増えている」という中づりの見だしで気になった方も多いと思いますが、女性セブン 3月27日号(小学館)の、柏の通り魔殺人だけでなく、1月の狭山、先月の東京と、相つぐ「酒鬼薔薇」の影響を受けた事件に注目した記事からの抜粋です。「格差社会とネット文化」が背景にあるという、和田秀樹の主張が紹介されます。

「世間の注目を集めて自分を認めてもらおう」とあるのはそのとおりだと思いますが、気になるところもあります。まず、格差社会との結びつけです。酒鬼薔薇は、世間をにぎわした凶悪犯の中では、むしろ格差との関連がうすい人物です。宅間(吉岡)守や加藤智大のほうが、本人の真意はともかくとしても、くらし向きも、社会的反響も、格差と強く結びついたものでした。あるいは、もう起こした事件は忘れた人も多く、今では宗教を立ちあげ、岡山に礼拝地をおくなどの主張で一部の話題になった死刑囚、造田博でもいいはずです。そうならないのは、格差社会にもまれる人には、現実を意識させない存在のほうが、あこがれの対象になりやすいためでしょうか。そういえば、「働かずに稼ぐ方法ベスト25」を載せたSPA! 12月17日号(扶桑社)で鴻上尚史が、労働問題をテーマにした「ダンダリン」の視聴率がふるわなかったのは、みんなそういう企業ではたらいているのにドラマでまた見たいとは思わないためだろうと論じていました。

「酒鬼薔薇を崇拝する人々は、皆、小さい頃にあの事件をテレビで見て、日本中が騒然となった様子を肌で感じた世代」とあります。幼いころに、テレビ報道の洪水で水路づけされたと考えるのでしょうか。ですが、さかのぼってみて、オウム真理教事件の松本智津夫、幼女連続誘拐殺人の宮﨑勤、グリコ・森永事件の「かい人21面相」、「ロス疑惑」の三浦和義、ロッキード事件の田中角栄、連合赤軍の面々などが、それぞれその当時に子どもだった世代のあこがれを集めて、それぞれに対応する犯罪へみちびいたかというと、考えにくいところです。酒鬼薔薇の影響の大きさは、子どものころに接した世代というよりは、子どもにとっての同世代が犯人だったことによると思います。この、いわゆる酒鬼薔薇世代は、アスペルガー症候群を有名にした「人を殺してみたかった」の豊川夫婦殺傷、2ちゃんねるを有名にした「ネオむぎ茶」のバスジャックで、あの年にはまだ、17歳のこころの闇、キレる17歳などと誤解されたのですが、このコホートはその後も、注目を一手に集める通り魔殺人犯などを輩出するのでした。加藤智大も、その少し前の土浦通り魔事件の金川真大もそうです。加藤は金川の事件に、ネオむぎ茶は豊川事件に刺激を受けるなど、酒鬼薔薇からの影響が、同期の中をさらに回ることもあります。山口母親殺害・大阪姉妹殺害の山地悠紀夫や西尾ストーカー殺人・蒲郡通り魔のように、社会復帰後にまた事件を起こす例もあります。最近ですと、東スポWebに1か月前に出た記事、アイドル脅迫容疑で「第二の酒鬼薔薇」逮捕の、「自分の存在を認めてほしかった」という自称「第二の酒鬼薔薇聖斗」も、同世代です。

酒鬼薔薇の存在感の強さは、一般社会のどこかにいることにもよります。あの世代では、金川や山地はもう刑死しましたし、心神喪失で無罪となった者も思いあたりませんが、医療少年院に入ったネオむぎ茶を除けば、死刑どころか何の刑事罰も受けることなく、社会復帰となった例外的な存在なのです。週刊新潮2005年1月20日号によれば、復帰前にはカウンセリングを行った女医と「医者と患者を超えた信頼関係」となったそうです。ユングは複数の女性患者と関係をもち、心理学対決! フロイトvsユング(山中康裕編、ナツメ社)によれば、それは「創造の場としての「神聖」で「超越的」な関係」なのだというお話を思い出します。そして、現在どこでどうしているのかはわからず、特別に改名したともいわれますので、もし何かで亡くなったとしても、それが世の中に知られることはありません。ですので、酒鬼薔薇は誰も見ることができない「透明な存在」となり、永遠に生きつづけるのです。

もちろん、酒鬼薔薇だけが凶悪犯罪者を刺激するわけではありません。今回の記事のタイトルとは異なり、柏の通り魔は尊敬する人物として、宅間も挙げました。週刊文春 3月20日号(文藝春秋)には、本人の誤字と思われるところをそのままで、「XJAPAM」「沖田宗司」も尊敬の対象だとあります。TBS News iも、「宅間元死刑囚と酒鬼薔薇聖斗、尊敬している人だと。」というチャット仲間の発言を報じました。

宅間の影響は、酒鬼薔薇の次に位置するかもしれません。直接に宅間を使った例としては、「大阪から来たんだよ。宅間のお兄ちゃんだよ。」の事件があります。また、まったく性質の異なる事件でしたが、奈良小1女児殺害事件の小林薫は、「早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤か吉岡守として世間に名を残したい」と供述しました。まだ裁判中であった宮﨑は、これを知り、いやがったようです。そういえば、歌と宗教(鎌田東二著、ポプラ社)は、酒鬼薔薇のあの神を「バモイドウキ神」と表記しましたが、本人がこれを知ったらいやがるでしょうか。「おにばら」に抗議したときの気持ちを思い出すでしょうか。

さて、記事には「酒鬼薔薇は“時代の寵児”」「若い世代にとって猟奇殺人の“元祖”」とあります。影響を受けて、自分もと大きな事件を起こして注目を集めても、元祖を乗りこえることは容易ではありません。せっかく注目を集めたところで、元祖の流れをくむ、つまりオリジナルとはいえないものになってしまっては、「承認欲求」を満たしきれるのか、少し心配になります。その意味では、知名度の流用だとはっきり自覚がある「第二の酒鬼薔薇聖斗」や「宅間のお兄ちゃん」は、気負いがなく楽かもしれません。

気負わずに流用といえば、はてなダイアリーにきのう出た記事、早稲田大学の理工系におけるコピペ文化についてが、かなりの反響を集めています。横にならべるととび出して見えそうなレポートの執筆者をならべて事情をきくことのある仕事をしているので、ここまで突きぬけてしまえば、おたがいに楽かもしれないと感じます。ここに書かれた範囲でも、留年にもつながること、教員は採点をしないこと、「附属高校から上がってくるボンクラ学生がいること」、お金がないことなど、いろいろな要因が重なったことで、突きぬけたのだと思います。

あの大きな大学にお金がないとは、実感がわきにくい人もいると思います。ですが、Business Journalにきょう出た記事、早稲田と日大、なぜ学費大幅値上げ?補助金削減に志願者減…有名大学でも試練の時代によれば、早大と日大との学費の値上げが、他大ではない規模のようです。大学の学費には消費税がかかりませんが、両大学とも補助金を大幅に減らされたとあります。知名度や歴史は、お金とイコールではありません。

この2大学の組みあわせは、どこかで見おぼえがあると感じ、すぐに思い出しました。守一雄・東京農工大学教授が示した、大学の論文数と研究者数との相関です。グラフの右下に、まるでアンダー・アチーバーのようにはずれた2点が、その2大学です。筆者も指摘するように、私学に不利な要因もありますが、世間のイメージでは横にならぶ慶応と比較するだけでも、早稲田の苦戦は明らかです。早稲田は慶応の5割増しの研究者数で、論文数は3分の2にもとどかないのです。ここから、早稲田のコピペ文化などといわれるものは、あったとしても学部生まである、もしも上までそういう文化ならば、慶応に大差をつけられることはないはず、という解釈をしてもよいでしょうか。

その稲門閥の希望の星が、実はブラックホールだったかもしれません。あのNature論文だけにはとどまらず、本人の博士号、まわりの研究者の不正へと、問題は広がりつづけます。中日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、STAP疑惑底なし メディア戦略あだには、「会見に備え、理研広報チームと笹井氏、小保方氏が1カ月前からピンクや黄色の実験室を準備し、かっぽう着のアイデアも思いついた。」と、研究とは無関係にオリジナリティが見えたところまで、作りものだったと明かしました。上昌弘・東大特任教授のツイート、どうやら、小保方さんは剽窃・改竄の常習犯だった可能性が高いにあるように、どこかで暗黒面におちたのなら、ではどこでという問題も出てきます。早稲田のコピペ文化の発展なのでしょうか。それとも、稲門閥にはほかにこういう人は存在せず、特異な才能が目ざめただけなのでしょうか。

おとといには、「かけがえのないバイオの若い才能」と評価した人が、もうそのツイートを消してしまいました。小保方氏、早稲田応用化学会HPから顔写真が消えた! 「絶賛」「擁護」のブログやツイート、削除する有名人もにあるように、スプツニ子!というアーティストです。はみだす力(スプツニ子!著、宝島社)では、「日本にはあまりにも批判がない。」と言いきったこの人が、日本で批判を受けだした人物をいったんはかばいました。そのツイートを消したのは、自著と矛盾すると思ったためでしょうか、それとも、このままでは自分が批判されそうだと、心配になったためでしょうか。

小冊子の学習でメタ認知能力が伸びる可能性

きょう、ValuePress!に、メタ認知能力を高める危険予測訓練小冊子新発売!という記事が出ました。

「認知症」とは異なるかたちで、認知について知ってもらえる機会が増えるのは、ありがたいことです。メタ認知については、心理学の外でも、特に学校教育場面への活用がよく意識されますし、メタ認知 基礎と応用(J. ダンロスキー・J. メトカルフェ著、北大路書房)にあるように、法廷場面への応用もあります。そして、この小冊子は、交通場面にメタ認知を結びつけます。

B5版16ページで、下半分が書きこみ用の空欄になったページもたびたびありますので、その程度の分量でメタ認知能力が伸びるのかと、疑問に思う方もいるかもしれません。また、メタ認知「能力」を高めるようにつくられたといえるかも、気になるところでしょう。これは、「能力」のとり方によると思います。メタ認知の構成、分類、用語については議論もありますが、ここではロングセラーの認知心理学 4 思考(市川伸一編、東京大学出版会)にあるもので考えると、メタ認知的知識については、身につくと思います。どんな交通場面でどんなことを見落としやすいのかという、一般的な人変数や課題変数、どこに注意を向けるべきだろうかという方略変数は、冊子内容から、かなり直接に学べます。ですが、能力と表現すると、メタ認知的活動が適切に行えるイメージに近いと思います。この冊子には、「「メタ認知能力」は、2つの側面があり、1つは「自分の心を知ること」で、自己モニタリングする力です。もう1つは「自分の心と行動を制御すること」で、自己コントロールをする力です。」とありますので、心理学でいうメタ認知的活動を、「メタ認知能力」と呼んでいることがわかります。ここを伸ばせるかどうかについては、もう少し慎重に見たほうがよいかもしれません。冊子から学べるメタ認知的知識は身についても、それを実際の交通場面で自発的には使えない、産出欠如で止まってしまったら、「能力」としてはあらわれません。記事タイトルにあるように、「危険予測訓練」として、分量はこのくらいでも、何度もくり返して訓練する使い方をするなら、ある程度の効果はありそうです。それでも、交通場面に限らない、全般的な「メタ認知能力」に効くかどうかは、さらに上の次元になります。知能検査の練習をすると知能は上がるか、音楽の訓練で知的能力も伸びるか、状況に埋めこまれた学習は状況が変わると役にたたずむだになるかなど、般化の問題は心理学的にも奥が深いところなのです。

佐村河内、ASKA、小保方、それぞれの対応

きょう、報知新聞社のウェブサイトに、佐村河内氏に新弁護士 新垣さん提訴へ入念準備という記事が出ました。

「氏」と「さん」との使いわけのルールも気になりますが、「今後、提訴に向けて、可能かどうかも含めた入念な準備を進める」とされたところに、注目したいと思います。あれだけ訴えると息まいたいきおいのままいくのではなく、一気にブレーキが踏まれた印象です。そういえば、一連の「アンネの日記」損傷事件の犯人とみられる人物について、書店での張り紙という別件逮捕とも思える案件で挙げるほど前のめりだった捜査も、msn産経ニュースにきょう出た記事、本の切れ端、ネット履歴なし 無職男、証拠隠滅図る?にあるように、「捜査1課は刑事責任能力の有無も含めて慎重に捜査」と、一転してしりぞいた印象となり、事件を「右傾化」に関連づけて、あるいは関連づけようとヒートアップした人々もだまってしまいました。

さて、「可能かどうかも含めた」ところからですので、不可能と判断したのでしませんと宣言して、あるいは何も言わずにうやむやで終わる可能性もあります。訴えると宣言しておいて訴えないのは、脅迫罪になるのではと思う人もいるかもしれません。弁護士ドットコムに2か月前に出た記事、義舅が主人を訴えてやるという言葉は脅迫?を見ると、あの記者会見もこの程度の範囲内でしょうか。東スポWebに先週出た記事、佐村河内氏「逆ギレ提訴宣言」の隠れた狙いでは、警察関係者が「相手に『これ以上、余計なことしゃべるなよ!』と圧力をかける意味」との見方を示しましたが、わざわざ告訴すれば、どっちもどっちの泥沼ととられて、相手の思うつぼでしょうから、ゴースト側は流すだろうと思います。

一方で、清原騒動でまた蒸しかえされぎみのASKAの疑惑では、反応せずに流しきるのかと思ったら、一息ついてから否定コメントが出ました。ロケットニュース24の記事、長らく沈黙していたASKAさんが「黒い噂」の報道を全面否定 「違法なことは一切やっていません」に、「事実無根であると訴えているのだが、それなら法的手段をとるべきではないのだろうか?」とあるように、相当なダメージをあびたのに法的手段なしでは、実際は黒なのだろうという声もよく見ましたので、白ならあの対応は、ミスだったと思います。

結局のところ、佐村河内は訴えるのでしょうか。長年お世話になったゴーストをうそつきあつかいして、ですが第三者の証言がとれない二人だけのところを水かけ論のかたちに見せるところまでにとどめるのでしょうか。いじわるばあさん 4(長谷川町子作、朝日新聞出版)の75ページ、たたみ屋にデマでやり返すお話のレベルに見えては見ぐるしいですので、どこかですっきりさせてほしいところです。ですが、世間ではもう、作曲家ではなく科学者で、特徴的でうたがわしい人物がじわじわと注目を集めて、佐村河内騒動は過去のものとなりつつあります。曻地三郎への感謝状の記事の最後のところで、初期のSTAP疑惑騒動に触れましたが、あれから1か月、当人が雲がくれを続ける間に、風はすっかり変わったのでした。