生駒 忍

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予定どおりだった所沢産野菜ダイオキシン事件

きょう、J-CASTに、「所沢の方には迷惑かけた(笑)」 久米宏が「ダイオキシン騒動」振り返るという記事が出ました。おとといのTBSラジオでの、爆笑問題とのやり取りを紹介したものです。

昨年は、ギャラクシー賞50周年記念賞を取る一方で、2020年東京五輪決定を受けいれられず、「反対の最後のひとりの日本人になっても、反対は続けていくつもり」発言で物議をかもした久米宏の、またも危うげな発言です。今回は、失言についての話題であるところが、メタ的でおもしろいと思った人も、反省が感じられないと思った人もいるでしょう。

「僕は思いつきの失言はしないんですよ。失言は予定通りです」、つまりうっかりの「失」言であることを否定します。そして、「失言をするシチュエーションを僕なんかの場合は、ニュースステーションの場合は自分で演出」「思わず言ったようにして、ずっと用意してたやつ(失言)をかますって感じ」などと明かし、それは視聴者におもしろがらせるためだと言います。報道としては蛇足ですが、テレビショーとしてのおもしろさを選んだのでしょう。そういえば、山陽新聞WebNewsにきょう出た記事、乾杯推進条例案を発議へ 岡山県議会委は、記事としてだいたいまとまっていますが、最後の文だけ蛇足で、うまくまとまりません。県議会環境文化保健福祉委員会「も」と書かれたら、保健福祉のほうからも飲酒をすすめるうごきがあるのかと思ってしまいます。週刊朝日 2月28日号(朝日新聞出版)に載った「恋愛の仕方がわからない「確信犯非婚者」の存在」のような、文と文、段落と段落の間が全体的にゆるい文章ではないので、ペースのくずれが目だちます。

あぶないのは、その後の「所沢」発言です。あの事件は、テレビ朝日側は茶葉だったとは知らないままに、番組で「葉っぱもの」「野菜」発言をかぶせてしまって起きた被害だというのが、公式見解のはずです。ですが、「失言は予定通り」に所沢がふくまれるのなら、久米はどこかで先に茶葉だと知りながら、あえて野菜へと誘導した可能性が出てきます。和解では、テレビ朝日側に作為はなかったとされましたので、それをくつがえす暴露になります。アサ芸プラスの記事、久米宏「講演では語られなかったタブーな黒歴史」にある、不倫がらみの自殺企図事件など、まだ語られない問題も多い中で、ここは墓場までかかえていくべきだったのに、と当時の関係者は困惑しているかもしれません。

また、予定どおりの失言だったかどうかにかかわらず、笑い話として公共の電波に乗せたのも、危うげな行いです。自殺企図事件とは異なり、本人の中でもう笑い話となり、人前で話せるような程度に落ちつくのは、それ自体はかまいません。ですが、すでに和解したとはいっても、公共の電波で笑い話として持ちだすのは、反発もよぶでしょう。先日復刊したいじわるばあさん No.4(長谷川町子作、朝日新聞出版)の51ページ、雪玉のお話のような、被害者と加害者との認識のずれがあらわになりそうです。あるいは、予定どおりに地雷をふむ芸なのでしたら、ここはせめて、爆笑問題に思いきりつっこみをかぶせてもらってカバーするくらいの戦術がほしかったところです。

心理学におけるたとえの使用と「若作りうつ」

きょう、LAURIERに、「ご飯のオープンサンド」ってなに? ~たとえ話の心理学~という記事が出ました。筆者は、博報堂で黒リッチってなんですか?(博報堂お金持ち勉強会著、集英社)にかかわり、その後独立したライターです。

この記事は、ことばでわかりやすく伝えるための技術のひとつを紹介します。読めばわかるように、比喩、たとえです。ですが、この人は、たとえによる表現を「たとえ話」と混同します。「「バケツをひっくり返したような大雨」「彼は上司のロボットだ」など、「たとえ話」は普段の会話でもよく耳にする表現です。」、少なくとも私の感覚では、これらはたとえ話ではありません。たとえたとえがきちんとなり立っても、たとえ話とは呼べません。たとえ話は、文字どおり「話」ですので、お話としての展開が必要で、必然的にもっと長くなります。たとえば、シュークリーム・パニック Wクリーム(倉知淳作、講談社)の「限定販売特製濃厚プレミアムシュークリーム事件」で、十津川が語る砂漠のペットボトルの話のように、長くて中身のうすいものも、立派なたとえ話です。

この記事は、タイトルには心理学とありますが、心理学的なお話とは言いにくい内容です。ですが、心理学の世界でも、たとえはよく使われます。ピグマリオン効果、接種理論、キャリアライフレインボーなど、たとえによる命名はよく見かけますし、クレーン現象はたとえによる語を使っての、マタイ効果はたとえ話にたとえての命名です。モデルも、認知科学パースペクティブ 心理学からの10の視点(都築誉史編、信山社出版)でも論じられたようにいくつかレベルがありますが、わかりやすい「かたち」に仮託するという点では、たとえに近いところがあります。また、深い思想や理念を、講演などで一般の人にもわかりやすくするときにも、たとえは有用です。わかりやすいものとしては、たとえば意味への意志(V.E. フランクル著、春秋社)の、砂時計のたとえがあり、現存在、人生の意味と時間の議論をイメージしやすくしています。なお、フランクルを読みやすくということでは、原典をかみくだいた本もよいと思いますが、最近では『フランクル つらいときに力をくれる100の言葉』回収のお知らせの事件がありました。ドリームニュースにきょう出た記事、心理学の全領域を網羅し、20世紀の心理学の成果を凝縮「有斐閣心理学辞典」(ダウンロード)の販売を再開のように、著作権問題を解消して生還することはあるでしょうか。それでもイエスと言えるでしょうか。

フランクルの時間論、人生論で思い出しましたが、先週出た本に、「若作りうつ」社会(熊代亨著、講談社)があります。帯の「年の取り方がわからない!」が、私には強いインパクトをはなって見えましたが、わかっていないことにまだ気づかない人に手にとってもらって、感想を聞きたい本です。また、凤凰网にきょう出た記事、心理学家表示人生最美好的记忆在25岁之前にあるのが、心理学的には一般的な傾向なのですが、この本に出てくる「年相応」を見うしなった人々がまったく同じになるのかも、私の専門分野がらみとしては興味があります。

知的障害者に食べさせたくて盗んだそうです

きょう、msn産経ニュースに、困窮と犯罪 出所した高齢者らへ支援という記事が出ました。シリーズ「負の連鎖 高齢者・障害者の再犯防止」の1本目で、回転ドアから抜けだした事例です。

始めのほうに、「県地域生活定着支援センター職員」とありますが、千葉県の話題です。終わりのほうに「開設4年目の支援センターを中心に、県内では自立困難で再犯リスクのある高齢者・障害者に手を差し伸べる輪が広がりつつある。」とあるのも、千葉県です。ですが、「開設4年目」にとまどった方も、いるかもしれません。5か月ほど前に同じmsn産経ニュースに出た記事、「県地域生活定着支援センター」開設4年 課題は運営費や人手不足 千葉のタイトルと、時間的に整合しません。mama★staにきょう出た記事、島田紳助が射殺され重体ではありませんが、あるべき順序が逆なのです。そこで、生活サポート千葉が出した案内パンフレット、千葉県地域生活定着支援センター 福祉と司法をつなぐ架け橋を見ると、今回の記事の「開設4年目」が正しいようです。では、前の記事はというと、本文のほうは正しい記述です。4年目どころか、まだ3年にもわずかに満たないときの記事なのに、タイトルだけがなぜか、「開設4年」と誤っていたのでした。

さて、「男性は出所後、センターの支援を受けて初めて介護認定を受けた。」とありますが、異性に求めるものの記事で言及した昭島と昭和島ほどではなく、誤解もないと思いますが、あと1文字を足すだけですので、正式な用語である要介護認定と書いてもよかったと思います。10年以上前の文書ですが、2015年の高齢者介護 ~高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて~から、参考(3) 介護保険制度における要介護認定の仕組みを挙げておきます。それとも、記者は「心身の状況に関する調査」のことを指したかったのでしょうか。

この記事で気になったのは、「がっちりした体格の入居者の男性(85)」の、障害年金が出るレベルの知的障害者である子どものあつかいです。「「倅(せがれ)を食わせないと…」。息子への思いから何度も、近くの小売店で食べ物を万引した。」とあり、「3回窃盗罪で摘発され、執行猶予期間中に再犯」というほど、自らを犠牲にして子どものために盗み続けた人で、出所後も「一旦は息子と暮らす自宅アパートに戻った」そうですが、からだが丈夫で要介護3になるほどの認知症とはいっても、子どものことはもう頭から消えたのでしょうか。「ここは退屈で仕方ないよ」といいつつも、子どもを心配することばはありません。そして、「「でも、ご飯が3食安心して食べられるのはありがたい」もう、食べ物のために盗みを起こすことはない。」とあり、盗みは「起こす」というよりは「おかす」もののはずなのはともかくとしても、子どもに食べさせるためだったはずが、いつの間にか、自分が食べたかったかのようになりました。記者は、この人は減刑ほしさに障害者をだしにする人だったとほのめかしたいのでしょうか。それとも、千葉市にはこの親子で入所できる、認知症対応型共同生活介護と障害者共同生活援助との両方を兼ねたグループホームがあるのでしょうか。

女性受刑者増加の話題は新しくありません

きょう、西日本新聞のウェブサイトに、女性受刑者増加 処遇含め総合的な対策をという記事が出ました。けさの朝刊の社説と思われます。

「意外に思う人が多いかもしれない。」と書きだしますが、続く内容に、私は別の意味で意外に思いました。なぜ今ここで、と思ってしまう話題なのです。「2013年版の犯罪白書で明らかになった。」と、ニュースのような書き方ですが、平成25年版犯罪白書(日経印刷)は、昨年11月に閣議報告され、12月に冊子で公刊されました。しかも、あの白書の中で、まだあまり報じられていないところに焦点をあてるわけではありません。この記事に使われた数値は、たとえばイザ!に閣議決定の直後に出た記事、女性の受刑、20年で倍増、目立つ高齢化 犯罪白書「男性中心見直す必要」にすべて見つかります。

犯罪白書のお話は長めのつかみで、後のほうに出てくるモデル事業の話題が新しいのだと思った人もいるかもしれません。ですが、白書ほどではありませんが、これも新しいニュースとはいえません。佐賀新聞電子版に1か月近く前に出た記事、女子刑務所の処遇改善 麓刑務所でモデル事業を見ると、モデル事業はもちろん、摂食障害の問題や、外部専門家との連携にも、すでに言及があります。

ここ最近に、特に女子刑務所に注目が集まるような事件があったわけでもありませんので、この社説がなぜ今、新しくない話題を組みあわせて書かれたのかが、よくわかりません。しかも、説明が不十分なところ、誤解をまねきそうなところもあります。「女性受刑者の刑務所での処遇をめぐる問題」をいろいろ挙げた上で、「こうした問題に対処するには心理療法や医療、介護などの分野で高い専門性が求められることは言うまでもない。」と主張しますが、「介護」の必要性は、書かれた範囲では見えにくく感じます。高齢者の増加は「処遇をめぐる問題」としては書かれていませんし、「女性の場合は同一の施設に収容」が頭の中で介護につながるのは、処遇指標のWやPなどを知る人でしょうから、その説明をせずに書かれると、一般向けとしては苦しいでしょう。また、記事タイトルと合わせて「罪を犯して刑務所に入った女性が、ここ20年で2倍以上に増えたというのである。」と書かれると、急増中のように思ってしまいますが、イザ!のほうの記事で「ここ10年ほぼ横ばい状態」とあるのが実態です。伸び続けているのは、女子比と高齢者層の人数です。ちなみに、「女子刑務所の12年末の平均収容率は103.4%で過剰な状態」とあるのも、白書を見ればわかるように、10年ほど前から微減傾向です。もちろん、以前とくらべれば改善されてきたといっても、過剰収容であることは明らかですので、問題なしとするつもりはありません。そういえば、思春期病棟の少女たち(S. ケイセン著、草思社)では、カレーと呼ばれることをいやがった「壁にうんこ」のアリスのことで、リサが「何だって比較の問題だからね」と言っていました。

性産業ではたらく親および娘の家族関係

きょう、NEWSポストセブンに、AV男優 息子の中学卒アルに「目指せAV男優」と書かれショックという記事が出ました。

読んだおぼえがあると思った方もいるでしょう。これは、きのう出た溜池ゴロー氏 息子に「18歳までAV観るな14歳まで調べるな」に引きつづいて、週刊ポスト 2月28日号(小学館)の特別読物「お父さんがAV男優でごめんな」から切りだしたものです。なお、この号は、Amazon.co.jpでの内容紹介が、どう見ても前号のものです。今号は、約2000人の「基地反対派の新市民」が市長選前に名護市に住民票を移していたなどの硬派の話題から、字がきたない若者を生みだした「個性」重視、佐村河内守を芸人にさせた場合のブラックな笑いの取り方まで、もりだくさんの内容です。「死ぬほどSEX」シリーズもあきずに続ける一方で、今号からの新シリーズには「体はもっても、カネがもたない」とあるのも、おもしろい取りあわせです。

今回のNEWSポストセブンの記事は、佐川銀次の職業と家族のお話です。性産業と親子関係に関係する話題といえば、親のお金の都合で娘がという、かつての慰安婦、今でも名前のない女たち 最終章(中村淳彦著、宝島社)に登場するパターンか、性の仕事を選んだ娘の親の思いに焦点をあてるかが大半です。なお、ブッチNEWSの記事、AV女優からカネをむしり取る悪徳プロダクションの手口の「熊井優」の事例のような、後者がらみで前者とは逆向きのパターンもあります。

一方で、親が性産業ではたらき、それを子どもに知らせるか、子どもがどう思うかという視点は、あまり多くありません。週刊文春 11月7日号(文藝春秋)で宮藤官九郎が提起した疑問の世界です。その中で興味深いものとして、風俗嬢たちのリアル(吉岡優一郞著、彩図社)の「桃子」の事例があります。かつて母親がはたらいていた京都・五条楽園で仕事につき、息子には自分の仕事を知らせてあるそうです。

今回の記事は、さらにひねりが入って、性産業ではたらく男性のほうを取りあげます。女性については、デフレ化するセックス(中村淳彦著、宝島社)による人あまりの指摘がありますが、一般的には男女どちらも必要なAVの世界でも、もともと男優の数は女優とはけた違いに少ないので、貴重な企画です。また、浅田真央が載ったこのタイミングの号で、亡くなった母親の、一部で悪く言われている過去を連想させるのは非常識なので、男性でよかったと思います。

「驚くことに、佐川さんは子どもたちだけでなく、奥さんにも「AV男優をしている」と明言していない。」、これにはおどろきました。佐川は、「もちろん、女房は僕の仕事を知ってはいるけど、家で話題にしません。」と言います。ばれているのに、そしてばれているとわかっているのに毎年サンタクロースを演じるような感覚で、アリバイ会社の従業員にでも化けているのでしょうか。以前に佐村河内守の記事で、佐村河内の妻に触れたことを思い出しました。