生駒 忍

記事一覧

いじめ反対の青いリボン運動とブルーの心理

きょう、朝日新聞デジタルに、秋田)青いリボンでいじめ反対示す 大曲中という記事が出ました。大仙市立大曲中学校での運動の紹介です。

2006年度に始まったのは、あまおうの知名度を全国区にした、筑前町立三輪中学校いじめ自殺事件がきっかけでしょうか。「8年目を迎え、いじめ撲滅の心は、確実に浸透しつつある。」とあって、こころに浸透するのだと思って読むと、こころがこころに浸透することになってしまいますので、学校にと言いたいのだと思います。生徒は3年で卒業、教員も数年でどんどん異動する時代に、学校に8年かけて浸透途上であるメカニズムは、しっかりと実証研究にのせられると興味深いかもしれません。CAGリピートが世代間で伸張する表現促進現象を思い出しました。

ほかの色ではなく、青いリボンにしたのはなぜでしょうか。わが国でブルーリボンの運動といえば、北朝鮮による拉致被害者の救出運動でしょう。ブルーリボンバッジもあります。単に、青が好まれる色だからでしょうか。最近の心理学的データは思いあたりませんが、日本の中学生でしたら、青7現象が成立すると思います。英単語の語感が公立中学校の生徒にわかるかどうかとは別に、若者ことばのような色あいで、「ブルー」が日本語化して久しいと思いますが、気分が沈んだイメージは考えなかったのでしょう。ふと、先日のロケットニュース24の記事、【研究結果】感情は体の中をこう変える / 感情と体の相関関係を示した図が話題の、Depressionがほんとうに青く、Sadnessが続く画像を思い出しました。きょう早朝には、OKWaveに「心と体の相関図は、犯罪心理学に応用できますか?」という質問記事が立って、同じ知見に対して、「Sadnessは心臓だけ赤く、他は青くなり、Depressionでは真っ青になり」と表現していました。なお、この質問No.8447031は、その日のうちに、まるごと削除されました。

写真が、壁や黒板を背にして横ならびの、無難な記念撮影風ではなく、絵になる背景をとり入れて、立つ角度も考えた仕上がりになっています。撮影中にしろうとが通りかかったら、なぜこんな廊下の角でと、ふしぎに思うでしょう。一方、キャプションで、よく行われる左の人物からではなく、右のほうを先に名前を出したのは、大きく目だつほうからと考えたのでしょうか。本文中での生徒の登場順は、戸嶋葵、吉沢雅香、米沢谷佳樹、鈴木健斗、杉山未祐ときますので、それとも対応しません。今回の記事の中ではなく、これまでの新聞登場経験の順にしたのでしょうか。

「オオカミ少女」の信頼性のなさのあつかい方

きょう、リアルライブに、「オオカミ少女・アマラとカマラ」は嘘だった!?という記事が出ました。「狼に育てられた子」についての、もちろん否定的な紹介です。

最後の結論など、おなじみのオオカミ少女はいなかった(鈴木光太郎著、新曜社)とはまた異なりますし、各論的なところにはいろいろ議論がある話題です。ですが、基本的に実話だと理解したままの人もまだまだ多いでしょうから、信用するべきでないと世の中に知らせてもらえるのは、ありがたいと思います。

それでも、この手の話題は、あつかいがむずかしいところがあります。ひとつは、お話全体の信頼性と、個別の真偽との対応です。この「狼に育てられた子」のお話は、科学的にありえないこと、合理的に考えてありそうにないこと、事実だと断定するには弱いこと、報告者の姿勢をうたがわざるをえないことなどがいろいろと混ざって、総合的にみて信用するべきでないと結論されることになります。ですが、含まれた内容が、すべて事実と異なるとは言っていません。内容がすべて真であるとはいえないので、すべて偽であるかどうかには関係なく、全体を信用できるものとは考えないという立場です。ですが、このあたりは、うそが書かれるはずのない論文の世界にいる、科学者の視点でしょう。歴史的な文書の世界では、明らかにおかしな内容が混ざったものだからといって、まるまる無視するのは非現実的です。たとえば、ヘロドトスの『歴史』は、著者が広く見聞を集めて、真偽も考えながらまとめた貴重な書物ですが、今日からみれば荒唐無稽な内容も見うけられます。第3巻は、和訳版では歴史 上(岩波書店)に入りますが、インド人やエチオピア人について、肌の色と同じように、精液も黒いとあります。これを、2500年前にはそうだったととる人は、まずいないでしょう。一方で、これは事実ではないので、『歴史』第3巻に書かれた内容はすべてうそだと結論することも、ふつうはしません。『歴史』は、歴史学者の間ではうたがうべき部分の多い文書とされますが、全否定する人は少数派でしょう。なお、この黒い精液のお話は、今回の記事の筆者である山口敏太郎のブログの記事、都市伝説?!インド人男性の精液は、黒色?!に、荻野アンナが書いたこととして、論評ぬきで登場します。

もうひとつのむずかしさは、きちんと述べても全部は伝わらない場合に、結論がひっくり返ってしまう問題です。TechCrunch Japanにきょう出た記事、研究結果:人はオンラインで即座に訂正されても虚偽情報を信じ続けるのようなこともありますが、それ以前の問題です。この記事でもそうですが、こういった話題では、まずは対象の内容を紹介してから、疑問点や反証を挙げて批判的に論じる流れをとることが多いと思います。ところが、読者は最後まできちんと読むとはかぎりません。おもしろいエピソードとして読みはじめて、議論のところはむずかしそうなので飛ばしてしまったり、読む途中でほかのことが入って中断しておしまいになったりすることも考えられます。すると、筆者の主張とはまるで逆の知識がつくられることになります。私も、授業でそういう逆転を、しばしば体験します。途中で寝てしまったのかわかりませんが、あのエピソードはおもしろかった、とてもおどろいた、人間ってそういうものなんですね、などといったかたちで、その後で斬った話題を事実だととったコメントペーパーに、よく困惑させられます。それでも、無視して取りあげないわけにはいきません。学説史として、古い考え方を理解してからでないと、新しい考え方にたどりつく思考がつながらなくなりがちですし、接種理論的な観点でも、おかしなもののどこがどうおかしいかを学ぶことには意義があります。それでも、これから紹介するお話は絶対に信じないように、とくぎをさしてから話すのも奇妙ですし、なかなかむずかしいところです。

常磐大学のSFA公開講演会・公開研修会

きょう、常磐大学・常磐短期大学のウェブサイトに、心理臨床センター主催 公開講演会・公開研修会の開催についてという記事が出ました。3月2日に開催される2本のイベントの案内です。

公開講演会、公開研修会の順で書かれていますが、実際の開催順序は逆であることに、気をつけてください。一般向けで、広くいろいろな人へのアピールになるほうを、先に持ってきたかったのでしょう。ですが、何の説明もなく「解決志向ブリーフセラピー」と言われても、一般の人は困惑するかもしれません。研修会の内容説明には、「問題や病理ではなく、リソースや強みを重視し、協働して「解決」(より良い状態や望んでいる未来)を作っていく画期的なモデル」と書いてありますので、これがどのくらいわかりやすいかはわかりませんが、イベントの記載順序を入れかえなければ、こちらを先に読める可能性が高かったはずです。きれいにひっくり返すのは、なかなかむずかしいのです。roomieにきょう出た記事、すべてが「反転」するショートムービーを思い出しました。

講演会のほうの演題のところには、「自分で考えられる子どもに育てる「子どもを伸ばす5つのルール」(ベン・ファーマン)から、実践的な方法をわかりやすくご紹介します。」とあります。ですが、そういう本からの紹介のように思わせておいて、その名前の書籍はたぶん、実在しないはずです。子どもを伸ばす5つの法則(小山英樹著、PHPエディターズグループ)や、「しあわせ脳」に育てよう! 子どもを伸ばす4つのルール(黒川伊保子著、講談社)でしたらありますが、SFAをベースにした育児本とは考えにくいです。おそらく、フィンランド式 叱らない子育て 自分で考える子どもになる5つのルール(B. ファーマン著、ダイヤモンド社)を指したかったのだと思います。

殺人者の心理がわかるゲームで感動する心理

きょう、Gigazineに、殺人者の心理がわかるゲーム「DayZ」が発売後1カ月で100万DLを突破した理由とは?という記事が出ました。Fast Companyの記事、"DayZ" Makes You Feel Every Murder You Commit. Can You Handle This?に基づいた内容です。

数あるFPSの中で、このDayzがもつ魅力のひとつに、Permadeathがあるといいます。熱狂的な支持者をつくり、以降のRPGに大きな影響を与えたウィザードリィの、「ロスト」のシステムを思い出しました。いしのなかにいる、今の若い人は知っていますでしょうか。

「このゲームは殺人者シミュレーターです」と評したプレイヤーの声が印象的です。このゲームを悪く言うのではなく、「初めて他のプレイヤーを殺したときの感情の変化に感動」、それは「殺したことを正当化する感情が自分の中に芽生えた」ことと対応するようです。「持っている道徳観と犯した罪との間で苦しむような感覚」も、賞賛の対象となります。一方で、心理学用語の「リスキーシフト」が、日本語版ウィキペディアの記事へのリンクつきで登場しますが、知らない人もリンク先ですぐ気づくように、一般的な意味からはずれる使い方です。ところで、標準社会福祉用語事典[第2版](秀和システム)の「リスキー・シフト」の項目に、「個人で単独に意思決定を行う場合よりも、集団討議後の決定のほうが、リスクの高い方向に意見が極端化しやすいこと。」と定義文があるのは、あまり適切ではないでしょう。後で「集団極化現象のうち、よりリスクの高い決定を行う場合をリスキー・シフト、より慎重な決定を行う場合をコーシャス・シフト」とあるところのほうが、より適切だと思います。

それにしても、殺しあいが起こるリアルなゲームで、殺人者の心理がわかるとしても、何かの役にたつでしょうか。作家や役者が殺人をあつかうときに、これで勉強するとリアルな作品になるでしょうか。それとも、フィクションには現実は知らなくてもよい、あるいはへたに知らないほうがよいでしょうか。小津安二郎も長谷川町子も、生涯を独身で通し、生殖家族をつくりませんでしたが、こころの通った家族をえがく作品で広く受けいれられました。また、東スポWebにきょう出た記事、放送続行の芦田愛菜ドラマ ついに“犠牲者”では、元日テレの水島宏明が野島伸司について、「他局の人から聞いたが、野島さんは現場取材はほとんどしないらしい。だからこそ、独創的な作品を描けるようだ。」と言っています。一方で、殺人者の気持ちがわかったと思っても、それがほんとうの殺人者そのものの気持ちかどうかは、ほんとうの経験がないとわからないという限界もあるでしょう。CM NOW 2014年1月号(玄光社)で、女優の堀北真希が、親の気持ちもわかるようになったが、親の経験はないので親そのものの気持ちはわからないと書いたことを思い出します。

女性専用露天風呂に女性専用時間がありますか

きょう、毎日新聞のウェブサイトに、混浴:“絶滅”危機 残せるか大自然の魔法という記事が出ました。北川温泉・黒根岩風呂での取材を中心として書かれたものです。

タイトルで、温泉そのものではなく、混浴を「大自然の魔法」としてとらえる視点が特徴的です。混浴は入り方ですから、自然の側ではなく、人間の側、文化に属する問題だと思うのが、ふつうだと思います。冒頭でも、「でも、そもそも日本人にとって混浴文化って何だろう。失ってはいけないものなのか。」と問題提起があります。これは、後のほうでわかります。だから混浴はやめられない(新潮社)などの著書がある山崎まゆみの声、「手付かずの自然の中にあることが多く、混浴ならではの大自然の感動が味わえる。」と、黒根岩風呂でむかえる日の出でのややトランスパーソナルな体験、「不思議なもので、雲の合間から真っ赤な日の出が見えた途端、夫婦連れを中心にした男女約10人が一気に打ち解けた気がした。大自然の魔法だろうか。」と対応します。

やはり、「ワニ」の問題は登場します。旅行作家の竹村節子が「見るでも見ないでもなく目の光を消し、後から入る人と上手な距離感を保ったものです。」とかつての文化を表現している、そういうマナーを守れない人が増えたのでしょうか。混浴が減れば減るほど、「わざわざ」混浴に来ておいて見るなと言うのはおかしい、いやなら来るな、となるのでしょうか。たしかに、別浴ならば異性にじろじろ見られません。そう言うと、msn産経ニュースにきのう出た記事、関西の奥座敷「女湯」30分間丸見え…30代・独身女性ら老舗旅館提訴 兵庫・武田尾温泉をもう忘れたのかと言われそうですが、あの事件では、誰かに見られる被害が生じて訴えたのではありません。なお、記事タイトルに「30代・独身女性」と入れたところには違和感もありますが、原告側弁護士が「独身女性が」とつけて被害の大きさを主張したことに合わせたのでしょう。きたない話題ですが、新装版 おしゃべり用心理ゲーム(パキラハウス著、阪急コミュニケーションズ)に、出すところか出たものかの2択で、性経験の有無がかなり的中する問いだとされるものがあったのを思い出しました。

混浴か別浴かという以前に、今の若い人は、公衆浴場のマナーを学ぶ機会がない可能性も高いでしょう。マイホームにお風呂があるのが当然の時代なのです。けさの新潟日報にあった、小田郁子という人の回想に、H教授に「まえはおかくしあそばせ」と言われて、意味がわからなかった人のお話がありました。

さて、毎日の記事では、日本固有ではないことも、混浴に否定的な話題として取りあげました。日本以外にもあるので「固有」でないのは、そのとおりです。ですが、以前に福祉と人生の意味の記事で書いたお話とも関連しますが、日本にはあっても、一般的な「外国人」にはなじみがない文化です。また、「江戸後期になってから」のものを、日本の伝統ではないと斬りすててよいかは、むずかしいところです。時代祭、神前結婚式、肉じゃが、奥の深いテーマになります。

取材先の近年の動向として、「私が訪ねた黒根岩風呂でも、3年前に女性専用露天風呂を造った。」とあります。ですが、これについての観光協会のお話に、ややずれた印象を受けました。「女性だけでなく男性からも好評です。」、これはまだ理解できます。「目の光を消し」がうまくできないと思い、森田療法の出番になるような不安になる男性もいるでしょうし、先に入っただけで「ワニ」をうたがわれることもなくなります。ですが、「夜7〜9時は女性専用時間に設定しています。」、すると、女性専用風呂に女性専用時間があるのでしょうか。女性専用車と書いてあっても、時間帯によるような、そういう運用なのでしょうか。小国記者が「造った」と書いたことからは、別個の設備のはずです。時間枠なら「作った」と書くでしょう。