生駒 忍

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内発的動機づけへの悪影響と親の養育態度

きょう、パピマミに、ご褒美をあげすぎると良くない? “外発的動機づけ”は子どもの心が成長しにくいワケという記事が出ました。教育心理学のテキストによく登場する、アンダーマイニング効果のお話です。

タイトルから誤解されそうですが、「ご褒美をあげすぎると良くない」ことを検証する研究知見の紹介ではありません。ごほうびの効果がある量まででは上昇し、その先からは下降する、逆U字型になると論じるわけではありません。ちなみに、心理学の世界では、グラフのかたちを「逆U字型」と表現することがよくあり、これはinverted-Uの訳で、英語圏ではYerkes-Dodsonの法則を特にinverted-Uとよぶこともあるようですが、日本人の感覚からすると、Uは両端がまっすぐに屹立するイメージがありますのでやや違和感があり、自然な日本語にするなら「山型」だろうと思います。さて、紹介された知見にあわせるなら、ごほうびをあげるとよくないと書くのが適切だと思います。また、「過ぎる」はすでに悪い状態を指しますので、あげ「すぎる」と「良くない」とわざわざ書くのはおかしいと思う人もいるでしょう。なお、ライフハッカー日本版にきょう出た記事、適度なナルシストはリーダーに向いている:研究結果にも、逆ですがやや近いところがあるだけでなく、ナル(シ)シズムに対して「適度な」なら適切ですが、「適度なナルシスト」は変だと思う方もいるかもしれません。

内容にも、誤解をまねくところ、誤解したまま書いたと思われるところがあります。用語の定義、「動機づけとは、行動を起こすためのモチベーションになるもののことです。」は、日本語化した「モチベーション」を中に含みますが、どちかといえば動機や動因の説明のように見えます。また、本文にも「ご褒美などの報酬(つまり、外発的動機づけ)をあげすぎるとよくない、という研究」とありますが、その後の紹介は、あげるとよくないと解釈される知見です。そして、「本当はその活動がおもしろくてやっているのに、そこに報酬が与えられると」と表現されるのも、誤解をまねくと思います。外発的動機づけを減らすのは、事前に報酬を約束してからの活動の場合で、活動に後から報酬を随伴させただけでは、アンダーマイニング効果は得られにくいのです。この記事で挙げられた研究者たちの知見では、有名な1973年のLepper, Greene, & Nisbetや、そこまでではない1972年のDeciがあります。今では、アンダーマイニング効果が安定して起こるのは、かなり限定的な条件の下でしかないことがわかっています。私の理解では、これはちょうど20年前のメタ分析で、ある程度の決着がついたものです。このあたりの動機づけをめぐる議論や関連する知見については、私にとってはハンバーグのお話がなぜか記憶に残った本ですが、学習意欲の心理学 自ら学ぶ子どもを育てる(桜井茂男著、誠信書房)もあります。

つまり、これは古典的な知見の紹介で、そのまま事実として理解するのは適切ではなさそうです。1971年のDeciどまりで、1972年のDeciは落とした理解です。ですが、筆者はこの分野を専門とする心理学者ではないので、古い知識で止まったままになるのは、多少はしかたがないと思います。これのひとつ前に書いた記事、親の育て方によって変わる4つの養育スタイル・子供の成長傾向とは?も、四つといってもP.M. SymondsではなくD. Baumrindですが、古典であることには変わりありません。養育態度の影響については、今でも研究を見かけますが、性格のパワー(村上宣寛著、日経BP社)の第5章「子育て神話の崩壊」は、実証研究のレビューの後に、「残念ながら、方法論的に欠陥のある研究にかぎって、親の養育態度の重要性を指摘しているようだ。」と斬って締めています。書いたのはどういう方かと思い、パミマミでのTomokoの紹介を見ると、研究者ではなく臨床家です。「大学・大学院では心理学(臨床心理学)を専攻。」とある「心理カウンセラー」で、あれば書くでしょうから、臨床心理士資格はなさそうです。もちろん、私は臨床心理士は受験資格さえありませんし、臨床心理士資格の有無は今日の心理学を広く理解しているかどうかの判断基準には適しません。そういえば、OKWaveにけさ出た質問記事、「精神科医より臨床心理士の方が心に詳しいのでしょうか」は、こころについてくわしいのは誰か、臨床心理士か、精神科医か、宗教家かとたずねるものでした。なお、この質問No: 8454721は、その日のうちに、まるごと削除されました。

西九州大学心理カウンセリング学科の前身

きょう、西九州大学のウェブサイトに、日本心理学会の機関誌『心理学ワールド」に記事が掲載されました。という記事が出ました。かぎかっこの対応がとれていませんが、10日ほど前に公開開始となった心理学ワールド第63号の一部を、直リンクで紹介したものです。

心理カウンセリング学科が「お知らせ」を出したことに、おどろいた方もいると思います。この学科は、来年度から始まるので、まだ実在しないのです。産まれる前からすでに語る位置にいた、NHK大河ドラマ「平清盛」の源頼朝のようです。それは、「本学科の前身である臨床心理コース」と書きながらも、前身だとされるコースは神崎キャンパスの健康福祉学部社会福祉学科にあり、新しい学科は神園キャンパスの子ども学部の中に新設されることとも、やや対応するように思います。東西の位置関係はここと逆ですが、平家から源氏へ、大きな交替があっても、武士の世をつくる意志はゆるがず、より堅固になって受けつがれたのです。

その切りかわりについて、リンク先PDFでは最後の節、「新「心理カウンセリング学科」設置準備中」に説明があります。ここでは、特に最初の文の主語を書かずにぼかしたところが、コースが学科に昇格するような直線的な発展ではないことをうかがわせます。

記事でひとこと触れてもよかったと思いますが、リンク先の最後の文に「「健康福祉学研究科臨床心理学専攻」として申請中」とあるのは、書かれた時点でのことですので、気をつけてください。この申請は、掲載された第63号の発行とほぼ前後して通り、それから2か月もしないうちに、研究科の名前が「生活支援科学研究科」へと変更されることになりました。落ちつきがないと感じる人もいるかもしれませんが、きちんと理念を持っての改称ですし、一度口に出したらもう変えられない、親子アスペルガー(兼田絢未著、合同出版)のような世界ではなくてかまわないと思います。

明治大学臨床心理士資格合格祝賀会と人口減少

きょう、明治大学のウェブサイトに、臨床心理士資格合格祝賀会が開催されましたという記事が出ました。合格者の皆さん、おめでとうございます。

文学部事務室による報告なのですが、文中のことばづかいには、気になるところがあります。特に、「資格を所得したことになり」は、明らかに「取得」のまちがいでしょう。ほかの民間資格でもだいたいそうですが、臨床心理士の取得が所得と表裏一体と考える人は、取得者にはあまりいないと思います。

表の下には、「修了者数と受験者数が異なるのは、複数回受けている修了生がいるため」とあります。ですが、修了者数と受験者数とは、どの年度の行でもぴったり一致して、異なるところが見あたらず、「異なるのは」という前提が確認できません。数値がずれるのは、たて方向です。修了者数の列は、合計が62とあるのに、7年分を単純合計すると、67になります。複数回修了した人がいるとは考えにくいです。合格者数のみを書いた表にしてあれば、ここで引っかかることはなくなります。ですが、そうすると中ほどの人数減少に、教育の質がくずれた時期があったような印象を生じそうです。

人数減少で思い出しましたが、きょう、OKWaveに、日本でイースター島のような人口減少が有り得ますか?という質問記事が立ちました。人口減少そのものはもう現実となり、平成25年少子化社会対策白書の第1-1-2図と第1-1-3図とでわかるように、反転する見こみは当分ありません。ですが、「イースター島のような」と言われても、ロンゴロンゴが解読されたことになっているなど、通説からははずれた理解を前提としての問いのようです。通説といっても、私はせいぜい、文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの 上(J. ダイアモンド著、草思社)どまりの理解なのですが、その後、しろうとも知るべき通説の書きかえがあったのでしょうか。ご存じの方がいましたら、教えていただきたいと思います。

仕事を選ばない剛力と宮崎駿の「娼婦」発言

きょう、メンズサイゾーに、剛力彩芽、『プリキュア』声優出演で「ゴリ押し」の声が復活!という記事が出ました。本人も芸能ライターだと思われる津本ひろとしという人が、芸能ライターの論評をまじえて書いたものです。

私はまったくついていけていないのですが、プリキュアの人気はとても広いようです。「詐欺撃退」 オタク母の機転「プリキュア37人言える?」のような使いみちがあるほどですし、この記事にも、「いわゆる“大きなお友達”も多いのが現実」とあります。もちろん、本来のターゲット層も、しっかりつかんでいるようです。オレンジページ 2月2日号(オレンジページ)の「おかあさんの扉」では、プリキュアの放送は見ずに、別ルートからプリキュア好きになった女児がえがかれました。

その映画の新作の声優に、剛力が加わるそうです。どんなキャラクターにどんな声をあてるのがよいかは、関心の高い人の多いテーマで、最近ではテレビアニメ版の「サザエさん」の波平の声が、次は誰がいいのか話題になりました。私などは、最初のイメージとずれてもそのうち慣れるからと思ってしまうので、発言小町の声優目指して早7年、異常に人に必要とされたい彼氏に出てくる、アスペルガー症候群の女性の彼氏の「アニメを見ないいもあんには分からないよ。」のようなかたちで、無理解をなじられそうです。また、またかという声もあると思いますが、この映画に本職の声優ではないタレントを使うことには、落胆も、営業上しかたがないとの理解も出るでしょう。あるいは、声優ではないことを、むしろ歓迎する人もいるかもしれません。宮崎駿がプロの声優をきらったとされるお話は、あまりにも有名です。アンサイクロペディアの声優では、「アイドル声優は、声の娼婦であり、風俗嬢である」と言ったことにされました。ですが、オリジナルの発言内容がはっきりしないままで広まったお話でもあります。国家・宗教・日本人(司馬遼太郎・井上ひさし著、講談社)には、司馬遼太郎が宮崎から直接聞いたこととして、「若い声優の声がだめ」「募集してテストしてみたら、ほとんどみんな娼婦の声」とあります。

今回の場合は、ここ数年とにかく露出が多い一方で、いわゆるアンチも多い剛力なのが、さらに議論をよぶところでしょう。私は、未来日記-ANOTHER:WORLD-の第1話で見かけて、うまくはないのにこれから当たりそうな感じを受けてから、多少の注意を向けてきましたが、いまだにつかみどころが見えないのが引っかかります。「友達より大事な人」PVは、強いて言えばあざやかな絵で明るい群舞が続くボリウッド映画に近いのですが、頭をひねってユニークに作る意図はそうでもないのに、日本中ほかにどこにもない、時代のななめ上を飛ぶ作品になって、まるで松本人志監督作品とは正反対でした。ですが、ドラマ女優のほうは、ヒットしないのはこの人だけの責任ではないと思いますが、この人でなければ、この人ならではとはなかなかならないのが、対照的です。一時の上戸彩に近いでしょうか。それはそれで、使いやすいのかもしれません。かつての上野樹里、最近では能年玲奈のように、当たり役が後をしばることもあります。特定の役ではなく、色が固まれば、また使いやすくなるでしょう。いつものキャラの、観月ありさの安定路線です。それで仕事の幅を広げると、何を演じてもキムタクになってしまう木村拓哉か、何を演じてもフカキョンにしてしまう深田恭子か、どちらに行くかが問題です。

剛力がいわゆるアンチも多くかかえるのは、仕事を選ばない姿勢にも一因があるのでしょう。オスカーの方針だといえばそれまでですが、本人の前向きなところも、先ほどのPVがぴったりくるほどです。FLASH 12月24日号(光文社)によれば、仕事が好きだという思いをずっとベースにしているそうですし、niko and... 2013 Autumn & Winter(宝島社)では、みずから「アクティブな自分」と表現しました。図解 どっちが得?「おとなの雑学」(インタービジョン21編、三笠書房)によれば、かつてコシヒカリと人気を分けあったササニシキは、その人気が気候の合わない土地での栽培を増やし、味が落ちて人気も落ちる、アタリショックのようなくずれ方をしたそうです。そうならないために、もう少し仕事を選んでもよいかもしれません。

不適切発言を悪口で抑制する心理学的方法

きょう、アメーバニュースに、相手にとって言ってはいけないことを言った時の対処法―同じような悪口や悪態を続けて連発するという記事が出ました。失言をカバーする斬新な方法の提案です。

かなりむちゃな提案であるように思えますが、とても古典的な記憶研究に根拠をおいた着想です。ポップ心理学的な文脈で、B.J. Underwoodが登場するのは異例ですし、Skaggs-Robinsonにいたっては、今の心理学者には聞いたことのない人もいそうです。なお、前者はWikipediaに単独記事があるすぐれた心理学者ですが、Wikipediaのinterference theoryでは、"The next major advancement came from American psychologist Benton J. Underwood in 1915."とあって、さすがに早熟がすぎると思います。

提案のベースにある現象は、「逆行抑制」です。どちらかというと、「逆向抑制」と表記することが多いようにも思いますが、その表記ですと、記憶現象では新近性効果とならぶ、日本語変換がしにくい用語となります。ですが、意外に古い文献でも、「逆行抑制」も見かけます。たとえば、1971年の心理学辞典(ミネルヴァ書房)では、「順行抑制」「逆行抑制」がならびますし、1970年に出た講座心理学 4 知覚(大山正編、東京大学出版会)では、「順向抑制」「逆行抑制」です。

「しかし、やってしまったことはもう仕方がありません。」とあるのを読んで、実験レポート等では、やる/やらせると表現するときちんとしたことばづかいではないと添削が入りがちですが、「しまった」ものならば意味あいが変わると思いました。ですが、きちんとした科学研究機関も、使ってしまうことはあります。理化学研究所による理研ブログ2014にきょう出た記事、認知心理学の実験にご協力いただける方(20歳~30歳)を募集しています!には、「どなたでもできる簡単なゲームのような課題をやっていただく」とあり、ていねいなことばづかいと同居したかたちです。

困ったときについ取りたがる方向とは反対にあえて進ませて、何らかのよい効果をねらうのは、心理療法ではよくあります。森田療法の恐怖突入、行動療法のフラッディング、認知行動療法の反応妨害法、ブリーフセラピーのパラドキシカルアプローチ、いろいろあります。この記事での提案にも、軽減どまりではなく、「最後はお互いに吹き出してしまって丸くおさまる」ところまで反転させるためには、抑制以外のメカニズムを考えることになるでしょう。

見方によっては、冷静に考えればよくないはずの要素で、あえて突きぬけて効果をねらう奇策、そうなのか! ランチェスター戦略がマンガで3時間でマスターできる本(田岡佳子著、明日香出版社)でいう八方破れに近いようにも思います。それでも、ふつうは破れかぶれどまりで、よけいに迷惑ですし、さらに首がしまる可能性が高いでしょう。かなわぬ想い 惨劇で祝う五つの記念日(角川書店)所収の「正月女」が、不幸に追いこまれた主人公が、ほかの女性も巻きこもうとしてさらに不幸に落ちる落ちだったのを思い出します。その作者の坂東眞砂子が、きょう亡くなりました。ご冥福をいのります。