きょう、Yahoo!知恵袋に、何かを集中して見ていると、近くでピエロがダンスしていても、視界に入っているは...という質問記事が立ちました。まだ回答がついていないようですが、基礎でも臨床でも、心理学を多少かじった人なら、これはあれだと、思いあたるものがあるはずです。
基礎心理学的な方向からは、ピエロではなく、ゴリラの着ぐるみが侵入する動画が有名でしょう。すぐ頭に浮かぶ本は、錯覚の科学(C. チャブリス・D. シモンズ著、文藝春秋)です。これの原書が、そこをタイトルにしていたのです。原書が出たときに、おもしろそうな本なのに、訳してもこのタイトルでは売りにくいだろうと考えていたら、翌年に原形をとどめないタイトルで和訳が出て、おどろいたおぼえがあります。プルーストとイカ(M. ウルフ著、インターシフト)のようにはならなかったのでした。また、和訳といえば、このような現象を心理学では、inattentional blindnessと呼んでいるのですが、blindnessを辞書的に「盲」と訳すのは、語感としても、社会的なことを考えても、議論があるところです。注意をコントロールする脳(苧阪直行編、新曜社)は、これは「非注意盲」と訳し、ですがchange blindnessは「変化の見落とし」と訳したと、冒頭でことわっています。
臨床心理学的な方向からも、このようなことへの解釈がされています。サリヴァンの、選択的非注意です。似たようなお話といえばそうなのですが、こちらは実験研究ではなく、臨床事例や日常の解釈とつながっていますし、もう少し高次の次元のことになるようです。前に書いた背景画像の記事のお話は、こちらに近いかもしれません。そして、特にわが国では、いじめの議論に、この選択的非注意の概念が応用されています。教育と医学 2013年11月号(慶應義塾大学出版会)の特集「いじめ問題に真剣に取り組む」にもあるように、いじめが日常になると「透明化」してしまい、誰にも見えているのに見えていない、特に注意がむかない状態が発生するというのです。もちろん、いじめに限らず、このようなことはあちこちで起こっているものです。たとえば、袖ケ浦福祉センター養育園の日常化していた暴行も、そのような側面があるのでしょう。あるいは、大学業界でも、似たことがあるかもしれません。きょう、どうしんウェブに、北海道大 1600万円流用で元教授告訴 「氷山の一角」と他の教員の私的流用疑う業者もという記事が出ました。北海道大の公的研究費のうち、文科省が不正経理として調査対象にしたのが3億6400万円と、これだけでも問題ですが、「北大を含む全国47研究機関の合計額は5億7500万円で、北大が約6割と突出している。」というのは、明らかに異常です。はじめから、良心をもたない人たち(M. スタウト著、草思社)でいう「IQが高く上昇指向が強い場合」のような人ばかりが集まったとは考えにくいですし、考えたくないですので、学内と出入りの業者を含めて、選択的非注意が発生してしまった大学なのかもしれません。