生駒 忍

記事一覧

大分県に情緒障害児短期治療施設ができます

きょう、oita-pressに、15年春、大分市に新設 情緒障害児の施設という記事が出ました。再来年の春に、大分県初の情緒障害児短期治療施設が開所となることを報じています。

先週に、佐賀県での情短施設設置の記事を書きましたが、今度は大分県です。これで、九州で情短施設がない県は宮崎のみとなりそうです。ですが、「県内初で九州5例目」とあるのは、佐賀よりも先にできることが確実だからです。佐賀のほうは、平成29年度からの設置を目ざしているところです。

どこにできるのかというと、「施設は大分市芳河原台の約1万平方メートルの県有地に建設予定。」とあります。記事の画像には、「(上)情緒障害児短期治療施設の完成予想図」というキャプションだけがありますが、下がこの施設の建設予定地の地図であることは確実ですので、これを合わせて確認してみると、大分県立大分工業高校の正門を出てすぐ向かいだとわかります。芳河原台11番のうち、11号までは民家ですので、それ以降を使うのでしょう。これだけでは1万平米にはやや足りないような気もしますので、川ぞいの大字鴛野へも、少しだけ張りだすのかもしれません。

クローズアップ現代EMDR特集をまとめた記事

きょう、J-CASTに、本人も気づかない「トラウマ」幼少期の辛い記憶よみがえり抑鬱状態や不安障害という記事が出ました。EMDRを取りあげた、おとといのNHK総合テレビの「クローズアップ現代」、心と体を救う トラウマ治療最前線をまとめて紹介しています。

まとめて紹介といっても、あの番組は公式サイトに「放送まるごとチェック」がありますので、文字情報でチェックするならそれでかなり足りてしまいます。ですので、別の場所で別の記事にする意味がどのくらいあるのかは、よくわかりません。眼球運動のところだけを見るとあやしげに思われがちなEMDRが、広く理解される機会になるならありがたいことですが、こちらの記事には、やや気になるところもあります。

記事タイトルからして、誤解をまねくおそれがあるように思います。少し前の記事で、つらい経験が今のよろこびを高める可能性について紹介したところでしたが、ここでの事例は、「辛い記憶よみがえり」といっても、PTSDのフラッシュバックや、自閉症のタイムスリップ現象といった、つらい記憶が思い出され意識化されて苦しむことが主訴だったわけではありません。悪夢を見る13歳の症例は、J-CASTのほうでは取りあげられていません。

「アメリカの精神医学会は今年5月(2013年)、抑鬱状態や不安障害にトラウマが関わっているとの見解を示し、診断マニュアルを19年ぶりに改訂している。」というのも、適切ではないと思います。Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders: DSM-5(American Psychiatric Association著、American Psychiatric Publishing)は今年出ましたが、トラウマに関しては、PTSDを対象に含め、不安障害のひとつとして位置づけたDSM-Ⅲの時点で、「不安障害にトラウマが関わっている」体系化をしています。

「10年前に精神科の医師からうつ病と診断され、向うつ薬を使った治療を5年間続けた」とありますが、テレビ番組なので音しかわからないとしても、「抗うつ薬」でしょう。抗精神病薬と向精神薬とをまちがったら、いろいろな意味で大変なことになりますが、うつに立ち「向」かうというイメージでこう書いたのでしょうか。料理通信 2013年12月号(角川春樹事務所)の、金山康広のインタビュー記事で、「向かい入れる側のホテル」とあったのを思い出しました。

その女性の「なんか知らんけど」から始まる発言は、かぎかっこでくくってありますが、このJ-CAST記事と、番組公式サイトのほうとで、ややずれがあります。NHKオンデマンドでは、見逃し見放題の適用対象で再視聴できますが、後者のほうが、実際の発話に忠実だと思います。かぎかっこの始まりが欠けている「国谷フラッシュバックとよく言いますが、突然思い出すのですか」」など、もっと原形から遠いところもあります。iTunesではじめるクラシック音楽の愉しみ(音楽之友社)で、相場ひろが、編曲ものはオリジナルから離れるほどおもしろいと主張していますが、そのとおりに言ったように誤解される書き方は好ましくないと思います。「WHOによってEMDRは標準治療とされている」という奇妙な表現も、放送された中には登場しないようです。

番組では、発達障害や虐待とのからみへの言及もされています。スタジオの杉山登志郎・浜松医科大学特任教授が専門とするところです。子ども虐待という第四の発達障害(学習研究社)の著者ですし、先ほど触れたタイムスリップ現象も、杉山が考案した用語です。なお、「日本でも、和田一郎先生という方が、2012年の虐待のコストの試算をされまして、1兆6,000億円という結果が出ています。」と言っているのは、放送の2日前に朝日新聞が報じた、子ども虐待、社会的損失は年1.6兆円 家庭総研まとめのことでしょう。

「クリスマスは恋人とホテル」がつくられた時代

きょう、東洋経済ONLINEに、「クリスマスは恋人と」っていつ決まった!? 「恋人同士がフランス料理を食べてホテルに泊まる祭」の起源という記事が出ました。ジェンダー論の専門家による連載、女性差別?男性差別?の第2回です。

ジェンダー論と聞くと、あるべき理想とのずれにいつも怒り顔というイメージを持つ人もいるのではと思いますが、この連載はソフトで、今回の導入部では、「みなさん、24日の夜の予定はどうなっていますか?」と問いかけてきます。予定といっても、文字どおりの予定なら、多くの人にあるでしょう。ぼく、オタリーマン。6(よしたに作、中経出版)の「ぼくとクリスマス」のようなものです。

早々と、「結論を先にばらしてしまうと、クリスマスって別に恋人たちの日じゃなかったんですよ。」と書いています。ですが、キリスト降誕や、ミトラ教の儀式へとさかのぼるわけではありません。いきなり、「クリスマスはプレゼントの日」という見だしが来て、こたえてしまいます。

そして、やや脱線した展開がしばらく続きます。「ほしいものが、ほしいわ」は、歴史に残るコピーですが、このコピー自体が、こういうものがほしかったとクライアントに思わせるという、入れ子構造になっていたと思われるところも、もっと評価されてよいと思います。最近では、WIRED VOL.8(コンデナスト・ジャパン)にある、カニエ・ウェストがジェフ・バスカーに言ったことばが、こちらはつくるほうからですが、このコピーとつながる考え方を持っていると思います。

アメリカでの、クリスマスに対するポリティカル・コレクトネスがらみの近況を述べてから、サンタクロースのお話へ進みます。ですが、ここでもミラの聖ニコライへとさかのぼるわけではありません。サンタの赤い服はコカコーラ由来というまめ知識を出してきますが、少なくともsnopes.comの記事、The Claus That Refreshesは、コカコーラ起源説に否定的です。

そして、タイトルにあるテーマへ入り、日本のクリスマスが恋人たちの日に変わっていったのは、1980年代からだという主張がされます。日本語版ウィキペディアの「クリスマス」の記事には、「しかし、1930年代から、パートナーのいる人にとっては着飾ってパートナーと一緒に過ごしたり、プレゼントを贈ったりする日となっている。」とあるのですが、「フランス料理を食べてホテルに泊まる祭」へ化けたのは、この時期と理解してよいと思います。「恋人がサンタクロース」を収録したアルバムが、ちょうど今年、年内限定出荷のSURF & SNOW(松任谷由実)としてよみがえりましたが、先月出たユーミンの罪(酒井順子著、講談社)では、バブル期の「連れてって文化」への道として回顧されている作品です。また、この時代の、クリスマスが恋人たちの手に移り、同時に商業主義の手の内に取りこまれているという展開は、若者殺しの時代(堀井憲一郎著、講談社)に、やはり当時の空気ごとえがき出されています。この本ですが、後ろのほうの章は、同時代の若者の実感がうすれて、解釈が空まわりしているきらいがありますが、バブル崩壊くらいまでは、時代の風向きがリアルにとらえられています。

この1980年代の、性体験や性意識の「革命的な」変化へと議論が進みます。先ほどの若者殺しの時代での、1983年の転換点もここにかかわりますし、性交渉を結婚から切りはなしたテレビドラマ、男女7人夏物語は1986年に放送されました。また、ここでは、変化を目のあたりにした若者が1960年代生まれであることを書いています。日本人には二種類いる 1960年の断層(岩村暢子著、新潮社)を意識したのでしょうか。

フランス料理はともかくとして、ホテルの日になったところは納得しやすい展開から、あたりまえだと思われているものが、実は意外に新しくできたものにすぎないという、ジェンダー論でよく見られる結論となります。それでも、説教くさくはせず、「筆おろし」や「婚前交渉」といった死語を使ったあとに、「リア充」を持ちだして落として、筆をおいています。「リア充」がせっかくみちびいた結論に打ち勝ってしまうことに、つまりは相手は「充足者:幸せ者」だという、ネットが社会を破壊する 悪意や格差の増幅、知識や良心の汚染、残されるのは劣化した社会(高田明典著、リーダーズノート)の指摘を思い出します。

タイソン「思うに福祉ってのは最悪だな」原文

マイク・タイソンが、イギリスへの入国を拒否されたそうです。Timesの記事、Mike Tyson blocked from entering the UKを受けて、きょう、国内の報道機関各社も報じています。先月に出たUndisputed Truth(M. Tyson・L. Sloman著、Blue Rider Press)で、にせのペニスを使ったと告白するなど、よくない話題にこと欠かないタイソンですが、今回も悪いニュースです。日本にいる者としては、<帝国>(A. ネグリ・M. ハート著、以文社)で知られるネグリの来日がつまずいたり、呉善花・拓殖大学教授が韓国に入国拒否されたりといった事件を連想しますが、こちらの理由はもっと明確で、タイソンの前科が法改正で引っかかるようになったそうです。なお、ネグリの騒動は、池田信夫blogの記事、ネグリを歓待しなかった日本政府の追記によると、主催者側に問題があったようです。

さて、タイソンについて、福祉とかかわる話題があります。ゲットーからからだひとつで頂点に立った男と福祉とは、奇妙な組みあわせかもしれません。ですが、「思うに福祉ってのは最悪だな。クラックより酷い中毒になっちまう。」で始まる文章は、見たことのある方も多いでしょう。検索すると、あちこちに広まっていることがわかります。

では、この発言は、いつ、どこでのものでしょうか。「タイソン語録」からの引用のようになっていたりもしますが、その語録というのは、おそらく日本語版ウィキペディアの「マイク・タイソン」の記事で、編集合戦になってきたものです。掲載されていたころの過去ログでは、「主にPLAYBOY、Sports Graphic Numberに掲載されたインタビュー記事より抜粋。」とあるだけで、個々の出所はわかりません。{{存命人物の出典明記}}という以前に、こういうことはWikiQuoteですべきですので、不掲載は妥当だと思いますが、この2誌の中にある可能性が高いことはわかりました。

探した結論を書くと、原文は昨年に公刊されていました。PLAYBOY誌による、1998年11月の独占インタビューが、Mike Tyson: The Playboy Interview (50 Years of the Playboy Interview)として、Kindleで読めるようになっています。ここにある、"To be sincere and honest, welfare is worse than crack ever be."からの発言が、原文だと思われます。

つらい体験は人をポジティブにするでしょうか

きょう、ハフィントンポスト日本版に、「つらい体験」がもたらす良い点とは:研究結果という記事が出ました。先週にHuffington Postに出た記事、New Study Says There's An Upside To Experiencing Hardshipを日本語に訳したものです。

ここで紹介された研究の発表先は、「学術誌「Journal Social Psychological and Personality Science」」とあって、おかしな雑誌名だと思った方も多いと思いますが、これは原文にあったものそのままのようです。正しくは、Social Psychological and Personality Scienceです。SPPSは、表紙ではPsychonomic Societyの雑誌のように、andではなく&を使っていますが、正式名称はandのほうのようです。

記事タイトルになったのは、「しかし、「過去につらい思いを経験した人は、ものごとを楽しむ能力が高まっている」ことも、研究チームは発見した。」というところです。こういったかたちの実証データで示したところに意義があるわけですが、直観的にも納得がいくところでしょう。きょうのニュースを見ても、そういったものがいくつも見つかります。たとえば、佐賀新聞のサイトの記事、生活や福祉の在り方語る 障害者の主張大会には、岡本敬治という中途障害者が写真入りで登場しますが、交通事故、視覚障害、自暴自棄、その先で人の役にたつよろこびを知り、「視覚障害者になってやりがいのある仕事ができて良かったと思える」そうです。また、こちらはネガティブな話題ですが、神戸新聞NEXTの記事、金属バットで殴打 43歳女アメとムチで支配か 中3監禁虐待では、尼崎の男子中学生監禁性的虐待事件について、主犯とされる容疑者は金属バットでなぐるなどの暴力の一方で、食事の提供を組みあわせて、少年たちを手なずけていたようで、継続的なDVを思わせるところがあります。もちろん、もっと多くの人にあることでも、コントラストが人生のよろこびを増すことは、よくあります。最近のまんがで言えば、あたしンち 19(けらえいこ作、メディアファクトリー)のNo.17や、毎日かあさん10(西原理恵子作、毎日新聞社)の「できれば優しい人」の世界です。

ですが、念のため注意をうながしておくと、本文を読んでいないので今回の記事とアブストラクトからの想像ですが、この研究は横断的研究、後ろ向き調査のかたちをとっているようです。つらい体験から元へと立ちなおれるだけの「強さ」のあるポジティブな人は、つらい体験で人生につまずき、自殺した人、体調をくずし命を落とした人、またはなお闘病中の人、くらしの安定を失った人、ひと目につきにくい生活へ追いこまれた人などにくらべて、調査対象としてサンプリングされやすい位置にいる可能性が高そうです。すると、つらい体験をした人の標本は、元からポジティブだった人の割合が高めになりますので、そのままで比較すれば、平均的に見てよろこびを感じやすい特徴があらわれやすくなるでしょう。YOMIURI ONLINEにきょう出た記事、「自殺の長男埋めた」市課長夫婦と長女、心中かで、舞台となった坂井田家の長男はいじめ被害にあい、不登校、引きこもり、そして自殺して庭に埋められたとみられていて、つらい体験から死の転帰をとる、悲しい例を示しています。