生駒 忍

記事一覧

佐賀県に情緒障害児短期治療施設ができます

きょう、佐賀新聞のウェブサイトに、情緒障害児に短期治療施設の考え 古川知事という記事が出ました。きのうの県議会での知事答弁を取りあげています。

わかりにくい記事タイトルですが、民設民営でしたら「設置する」よりも「設置させる」と書くほうが適切であることをのぞけば、本文1文目にあるとおりです。児童福祉法43条の2に定める情緒障害児短期治療施設は、九州でまだないのは佐賀県、大分県、宮崎県の3県になりました。全国では38か所あり、記事に「全国30道府県に設置されている」とあるのは、複数ある府県もあるためです。確認したところ、大阪府にはそのうち5施設が集中していて、前に障害者虐待統計の記事で大阪の突出ぶりに触れたのを思い出しました。大都市だからという見方もできますが、大都市だけにきびしい少子化が続いていますし、東京都にはひとつもない施設です。

2段落目は、情短施設の一般的な傾向について述べています。家族心理学 家族システムの発達と臨床的援助(中釜洋子・野末武義・布柴靖枝・武藤清子著、有斐閣)にも、「以前は,不登校,家庭内暴力などの問題を抱えた子どもたちが多かったが,現在は被虐待児と呼ばれる子どもの入所が過半数を占める。」とあります。

知事の答弁内容について、「できるだけ早い施設が必要だと判断」、「教育、医療など超えるべき課題」と、不自然な表現や表記がとられているのが気になります。佐賀県議会インターネット中継で見ていた方はいますでしょうか。

被虐待児への支援の機会がひろがるのは、よいことだと思います。先週の第261回中央社会保険医療協議会総会でも、昨年度の児童虐待相談件数が66701件で、年々増加していることが取りあげられたようですし、自分とは関係のないものと思わずに、多くの方が関心を持つことも望みたいと思います。そういえば、きょう、マイナビウーマンに、外国人の顔が同じに見える心理「自分と関係ないものを排除する人間心理」という記事が出ました。私は、ひろがる認知心理学(生駒忍編、三恵社)にも書いてもらっている他人種効果を、外集団同質性原理で説明するのも、「外集団同室性原理」という表記も、ここで初めて見ました。茶人と茶の湯の研究(熊倉功夫編、思文閣出版)に影響されたのでしょうか。

福岡市職員の飲酒運転の続発と「修羅の国」

きょう、西日本新聞のウェブサイトに、「規範意識緩んでいる」 相次ぐ福岡市職員逮捕 市民から憤りの声 [福岡県]という記事が出ました。きのうの福岡市立城西中学校教諭逮捕を受けたものです。

頭を下げる責任者と市民の怒りの声という、お決まりのパターンの記事ですが、これがくり返されるくらい、福岡の飲酒運転問題は手ごわいのでしょう。7年前の福岡3児死亡飲酒運転事故以来、あの地では特に、さまざまな対策がとられてきました。あの悲劇から5年がたった日に、TEAM ZERO FUKUOKAが動きだしましたし、福岡県庁サイトの交通安全のコーナーには、「飲酒運転」の4文字が何度も出てきています。

それでも、その足もとの福岡市職員から、飲酒運転の逮捕者が続いてきました。3児死亡事故も西部動物管理センターの職員が起こしましたが、それから半年もしないうちにまた起こした職員が、ほどなく死亡して事件解明が困難になった例もありました。今年は、市職員からすでに6名の逮捕者を出しましたが、そのうち4名が飲酒運転です。あと2名は、先月の放火と、3月の性犯罪です。もちろん、今回逮捕された教諭は、記事では昨年度から休職中だったということですし、アルコール依存症に罹患していたようですので、指導が届きにくい状態にあって、ほかの事例ほどには市を責めにくい側面もあります。それでも、記事では、石飛善明という人の、「教師が不足している中で、市はなんでこんな教師をそのまま置いていたのか」という声を取りあげています。YOMIURI ONLINEにきょう出た記事、アルコール依存症で休職、福岡市が復帰支援課検討と、教職員ら次々逮捕 分限免職の適用拡大検討…福岡市とから、一方は手をかけて戻して、もう一方は首を切りやすくするという、一般の職員と教員とで方向性が逆の対策を組む予定が見えますが、こういった声と関連があるのでしょうか。

こういうレベルの地域と言いきっておしまいの人もいるかもしれませんが、この特性は変えられないものなのでしょうか。昔からだと言われる一方で、九州大学のサイトにあるアルコール依存症というページには、「また2000年12月には、福岡南署の警察官が「ここ数年福岡市南区で、酒に酔って家族に暴力をふるったり、街 で 暴れたりする人が多くて困っています。アル中が増えているようですが、なぜでしょうか?」と嘆いていました。」とあって、適切でない表現があるのはともかくとしても、ちょうど今回の逮捕者も南区からでしたし、日本のほかの地域にはない特異な増加要因があるのかもしれません。なお、酒のしおり(平成25年3月)12章にあるように、日本全体の酒類消費量は、平成6年から8年にかけてが頂点になっています。

現地の人々は、怒りの声は当然だと思いますが、これを機会に地域の体質を変えようと動いたりはしますでしょうか。放火や性犯罪を含めて、市民は悪くない、市役所が悪いという理解でしょうか。あの3児死亡事故から数年でこれですので、何をしても効かないとあきらめていますでしょうか。あるいは、このくらいで外野がいちいちさわぐなと怒りだしたりするのでしょうか。そういえば、PRESIDENT 12月16日号(プレジデント社)では、手榴弾や暴力団抗争を持ちだして「修羅の国」といじられるのは過剰反応だと、42歳の「福岡人」が不満を述べていました。私には、「修羅の国」というネット用語を自分で使って反応しているこの人のほうが、過剰反応であるように見えました。

静岡大学大学院を受験するためのテキスト

きょう、OKWaveに、教育心理学と教育学の大学院入試用の教科書についてという質問記事が立ちました。この手の知識コミュニティではなかなか見かけない、現職の高校教員が教えを請うものです。

ここでは単に、「地方国公立大の院」としか書いていないので、知っていそうな人に気づいてもらえる機会をのがしてしまっているように思います。科目の組みあわせや配点パターンなどからみて、条件のあてはまりが一番よいのは静岡大学大学院です。はずかしくて人前で名前を出せないようなところではないと、私は思うのですが、いかがでしょうか。

そこで、受けたいのは静岡大だと考えて、今年の募集要項を見てみましょう。http://www.ed.shizuoka.ac.jp/wpdata/wp-content/uploads/2011/12/という、私の感覚では今年のファイルをおく発想にはならないようなディレクトリに、PDFファイルで出ています。「教育心理学」を検索しても、そのことばが使われたうちの一部しか引っかからないめんどうなPDFなので、頭から目を通していくと、文書の10ページに、「教育心理学A―心理・教育に関する統計・資料文書等を読み取り、それを元にした思考力を問う問題を出題する。」とあります。すると、「教育心理学B」のほうは、知識重視の客観テストなのではないかという気がします。でしたら、AとBという、登場順序と相互排他性くらいしか示唆できない無味乾燥な記号ではなく、より具体的な命名がほしかったとも思いますが、スペースの都合もありますので、短いこのかたちが便利なのでしょう。敬語の指針の謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱのときもそうでしたが、これもわが国の国立大学なのですから日本語らしい表記をとるべきだと思いながらも、教育心理学イ・教育心理学ロや、教育心理学甲・教育心理学乙では落ちつきがよくないのも、また事実です。最近見たものでは、スープジャーでつくる100円ランチ(松尾みゆき著、青春出版社)の「A部」くらいでしたら、筆者のほうでわかりやすい名前をつけてしまってよかったと思います。名前が思いあたらないことを、ホルモン焼きの丸かじり(東海林さだお著、文藝春秋)の73ページの絵のように、ユーモアで表すのも楽しいでしょう。ですが、日本人の知らない日本語(蛇蔵・海野凪子著、メディアファクトリー)にある、日本人なら誰でも見たことがある小さなお皿の名前のようなこともあります。

AとBとの区別は、この高校教員にとってはついででよいことで、本題は入試対策向きのテキストとのことです。受験先の大学の先生が書いたもので対策するという、安直な戦略をとるならば、何がいいでしょうか。心理学(静岡大学教育学部心理学研究室編、八千代出版)は、そこだけ考えればぴったりに見えますが、あまりに古すぎます。やや角度がずれますが、比較的新しいものとしては、ここだけは押さえたい学校臨床心理学(小林朋子・徳田克己編、文化書房博文社)があります。

加害者の反省と反省の色とのどちらが優先ですか

きょう、京都新聞のウェブサイトに、謝罪せず再犯も 少年事件、進まぬ矯正に遺族怒りという記事が出ました。記事中では「WiLL もうひとつの子どもの日」と表記されていますが、もうひとつの子供の日 第15回『WiLL』を取材した記事です。もちろん、Amazon.co.jpでいつも高評価のWiLL(ワック)とは無関係です。

取材といっても、10月12日に開催されたものが、今ごろに記事になったかたちです。イベント報告にはつきものの、開催場所の情報は、本文、写真キャプションとも、「大阪市西区」だけになっていて、参加者がどのくらいいたのかも書かれません。そういう外形的なところよりも、中での声をとどけたいということなのでしょう。

石垣島から来たという富永広美という人は、少年にわが子を殺された親たち(黒沼克史著、文藝春秋)にも登場しますが、今回は賠償金滞納への対応のお話が印象的でした。「大きな精神的負担の上、経費が40万円かかった。」というリアリティが重く感じられます。そのあとのさけびは、「訴えたかった」までがかぎかっこに入っていますが、その前までではなく、ここまでさけび声に入っていたのでしょうか。「ホットペッパーを見た」のような、ことばそのままではないものをかぎかっこでくくったパターンのようにも思いますが、会場でさけびを聞いた方はいますでしょうか。

「大半の加害者から謝罪や誠意が見えない現実」も、大小数ある少年犯罪の中で、そういう特性の加害者に命をうばわれた人の遺族ばかりが集まった会だからこう見えるという見方もあるかもしれませんが、それでも重い事実であることには変わりないでしょう。COURRiER Japon 2014年1月号(講談社)でジョシュア・グリーンが、「道徳的な感情は本能でしょう」と言っていますが、その例外もあると考えるべきでしょうか。外から反省が見えないことに関しては、がっつり! プロ野球 Vol.5(日本文芸社)で北川弘美が、去年の阪神は「がんばります」と言っていても姿勢がそうでないと批判したことも思い出しますが、日本語版ウィキペディアで、発達障害を思わせる行動特徴を見せる人がブロックされた後にときどき見られる展開にも、やや似たところがあります。早々にメーリングリストへブロック解除を求めて、どうすれば反省したとみなしてもらえるのかを問いあわせて、そこでの好意的でない反応に反論すると、これをとらえて反省していないと突く人が出てきて、では何をすればいいのかと返して、という流れです。

「平野新聞」があさってで終刊となります

きょう、中國新聞のウェブサイトに、手作り新聞200号発行で幕という記事が出ました。ちょうどきょうで民生児童委員を退任する、杉山信正という人による手づくりの新聞が、まもなく終刊になるというニュースです。

若い人が新聞から離れて、新聞が高齢者向けのメディアとなりつつありますが、これは高齢者が「高齢者の安否確認の際の話題づくりに役立てよう」と、「執筆や印刷、配達を1人で」行ってきたという新聞です。名前は「平野新聞」ですが、山あり谷ありだったのではないかと思います。それも、公務員のお仕事のかたわらと考えるとさらに敬服しますが、業務の一部であると見たほうが正しいでしょうか。この人はお給料の出ない公務員なので、どこまでがお仕事なのか線を引くのは、あまり意味がないかもしれません。

終刊について、この発行者は、「残念がる声が多く、大変うれしい。」と言っています。残念とうれしいとの対比が、先週末に発売された年末ジャンボミニ7000万や、デイリースポーツオンラインにきょう出た記事、元フジ長谷川氏、古巣の問題を暴露にある「非常にちょっと天才入ってる」のような、上・下・上ほどではありませんが、注意をひきました。ですが、自分のしたことについて残念と言われたときに、どう返答するかはむずかしいものです。申しわけないと低頭するのは、かえって気をつかわせてしまいそうです。ほんとは好きだよ(小林深雪作、講談社)にあるように、きらいはたくさん言えるのに好きは出しおしみするものですが、利用低迷で廃線が決まってから、残念だととなえて乗客を増やしにくる人には、おわびや自罰の思いでこたえるべきでしょうか。千代の富士の、大乃国にやぶれた有名な一番の後での返答、「もっと残念ですよ」は、凡人にはなかなか使えません。やはり、うれしいと明るく返すことになるのでしょうか。そういえば、「サブちゃんの十大習慣健康法」の4番目に新聞を読むことを挙げている、100歳時代を生きぬく力(曻地三郎著、東洋経済新報社)には、「なぜかというと、他の人が悲しい気分でも、笑顔でおれば、自分だけは明るい気分でいられるから。」という冗談があります。きょう、その曻地の訃報が入りました。ご冥福をいのります。