きょう、中國新聞のウェブサイトに、手作り新聞200号発行で幕という記事が出ました。ちょうどきょうで民生児童委員を退任する、杉山信正という人による手づくりの新聞が、まもなく終刊になるというニュースです。
若い人が新聞から離れて、新聞が高齢者向けのメディアとなりつつありますが、これは高齢者が「高齢者の安否確認の際の話題づくりに役立てよう」と、「執筆や印刷、配達を1人で」行ってきたという新聞です。名前は「平野新聞」ですが、山あり谷ありだったのではないかと思います。それも、公務員のお仕事のかたわらと考えるとさらに敬服しますが、業務の一部であると見たほうが正しいでしょうか。この人はお給料の出ない公務員なので、どこまでがお仕事なのか線を引くのは、あまり意味がないかもしれません。
終刊について、この発行者は、「残念がる声が多く、大変うれしい。」と言っています。残念とうれしいとの対比が、先週末に発売された年末ジャンボミニ7000万や、デイリースポーツオンラインにきょう出た記事、元フジ長谷川氏、古巣の問題を暴露にある「非常にちょっと天才入ってる」のような、上・下・上ほどではありませんが、注意をひきました。ですが、自分のしたことについて残念と言われたときに、どう返答するかはむずかしいものです。申しわけないと低頭するのは、かえって気をつかわせてしまいそうです。ほんとは好きだよ(小林深雪作、講談社)にあるように、きらいはたくさん言えるのに好きは出しおしみするものですが、利用低迷で廃線が決まってから、残念だととなえて乗客を増やしにくる人には、おわびや自罰の思いでこたえるべきでしょうか。千代の富士の、大乃国にやぶれた有名な一番の後での返答、「もっと残念ですよ」は、凡人にはなかなか使えません。やはり、うれしいと明るく返すことになるのでしょうか。そういえば、「サブちゃんの十大習慣健康法」の4番目に新聞を読むことを挙げている、100歳時代を生きぬく力(曻地三郎著、東洋経済新報社)には、「なぜかというと、他の人が悲しい気分でも、笑顔でおれば、自分だけは明るい気分でいられるから。」という冗談があります。きょう、その曻地の訃報が入りました。ご冥福をいのります。