きょう、京都新聞のウェブサイトに、謝罪せず再犯も 少年事件、進まぬ矯正に遺族怒りという記事が出ました。記事中では「WiLL もうひとつの子どもの日」と表記されていますが、もうひとつの子供の日 第15回『WiLL』を取材した記事です。もちろん、Amazon.co.jpでいつも高評価のWiLL(ワック)とは無関係です。
取材といっても、10月12日に開催されたものが、今ごろに記事になったかたちです。イベント報告にはつきものの、開催場所の情報は、本文、写真キャプションとも、「大阪市西区」だけになっていて、参加者がどのくらいいたのかも書かれません。そういう外形的なところよりも、中での声をとどけたいということなのでしょう。
石垣島から来たという富永広美という人は、少年にわが子を殺された親たち(黒沼克史著、文藝春秋)にも登場しますが、今回は賠償金滞納への対応のお話が印象的でした。「大きな精神的負担の上、経費が40万円かかった。」というリアリティが重く感じられます。そのあとのさけびは、「訴えたかった」までがかぎかっこに入っていますが、その前までではなく、ここまでさけび声に入っていたのでしょうか。「ホットペッパーを見た」のような、ことばそのままではないものをかぎかっこでくくったパターンのようにも思いますが、会場でさけびを聞いた方はいますでしょうか。
「大半の加害者から謝罪や誠意が見えない現実」も、大小数ある少年犯罪の中で、そういう特性の加害者に命をうばわれた人の遺族ばかりが集まった会だからこう見えるという見方もあるかもしれませんが、それでも重い事実であることには変わりないでしょう。COURRiER Japon 2014年1月号(講談社)でジョシュア・グリーンが、「道徳的な感情は本能でしょう」と言っていますが、その例外もあると考えるべきでしょうか。外から反省が見えないことに関しては、がっつり! プロ野球 Vol.5(日本文芸社)で北川弘美が、去年の阪神は「がんばります」と言っていても姿勢がそうでないと批判したことも思い出しますが、日本語版ウィキペディアで、発達障害を思わせる行動特徴を見せる人がブロックされた後にときどき見られる展開にも、やや似たところがあります。早々にメーリングリストへブロック解除を求めて、どうすれば反省したとみなしてもらえるのかを問いあわせて、そこでの好意的でない反応に反論すると、これをとらえて反省していないと突く人が出てきて、では何をすればいいのかと返して、という流れです。