生駒 忍

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牧原純『二人のオリガ・クニッペル』の評判

二人のオリガ・クニッペル チェーホフと「嵐」の時代(牧原純著、未知谷)という本があります。9月に出たのですが、私はちょうど1か月前、10月20日付の毎日新聞の書評欄にあったことで、ようやく知りました。それより前に、書店で見かけてはいたとしても、あのようにコンパクトで、おだやかな表紙なので、目にとまらなかったのかもしれません。

評判はどうなのでしょうか。毎日のほか、先ほど検索してみたところ、読売の書評もありましたので、かなりの人に知られる機会があったはずです。なお、読売の記事は、最後に「2013年10月28日 読売新聞」と書かれていますが、記事のURLからみても、実際にはその一週間ほど前に掲載されたものの可能性が高いです。ちなみに、オフタイムから独立した「食べB」の第154回 茨城県ご当地グルメ(その4、最終回)は、最後に「2013年10月25日」とありますが、こちらは逆に、実際にはその一週間後に出た記事です。

そのように、存在はかなり知られていておかしくない本なのに、少なくともネット上では、よいとも悪いとも、ほとんど評判をみることができません。Amazon.co.jpでも、何のレビューもついていません。『音の惑星』 on the web...という、稚内のコミュニティラジオ局のブログの、先月23日付の記事が、例外的な存在でしょうか。ここは好意的ですが、ブログの立ち位置からして、きびしいことは書きにくいような気もします。内容紹介がほとんどで、評価といえるのは、導入時の「“爽快感”と共に一気に読了した」という表現、「2人目のオリガ・クニッペル」のナチスやソ連とのかかわりには「大変に興味深い!!」、そして最後の、「本作は、永い間に亘ってチェーホフの研究を続けて来た著者による、大変に興味深い話題をコンパクトに纏めた秀作だ!!」という礼賛です。これ以外で、個人ブログなどでの評価は、さっぱり見あたりません。若者が文学を読まなくなったというお話は、それ自体がもう古典のようになりましたが、ネット世代には、チェーホフに興味のある人など、もういないのでしょうか。

そういう私も、チェーホフを論じるような関心はありません。ですので、この本についても、本題についてはアナログ世界にまだまだご健在と思われるそういう人に期待することにして、最後におまけのようについた関連年表について、少し指摘するにとどめます。理解を深める上で有用な年表なのですが、義務教育レベルのものも含めて、まちがいや奇妙な理解が混ざっていて、困惑させられます。フランス革命が1793年に終わったとしているのは、歴史解釈の範囲内かもしれませんが、第二次世界大戦が1938年に始まったというのは、無理があります。また、この両者には開始年と終了年との両方を書いていますが、「スターリン粛清」は1934年からとだけあって、終わりがないのは不気味です。1938年に「ドイツ・ハプスブルグ帝国の併合。」というのは、カール1世退位やサン・ジェルマン条約、復位運動の失敗を無視しているようですし、「ハプスブルク」ではないのも気になります。表記では、1859年のダーウィンの主著はさんずいがつくほうで、1971年の「パリ コンミューン」は今日あまりされない書き方です。そして、プラハの春が1958年ということになっています。

「強迫観念」で上司のまねをするという説

きょう、マイナビウーマンに、上司の真似をする人の、実は尊敬していない心理とは?「脅迫観念」という記事が出ました。以前の、「割れ窓理論」が登場する記事の記事で取りあげたものと、ひょっとすると同じライターのお仕事なのではないかと思ってしまう、書きたくて書いている印象のしない記事です。

本文の中では「強迫観念」となっていますが、タイトルには「脅迫観念」とあって、少なくとも心理学の用語としては、前者が正しいです。「漢字」間違っているのはどっち?(守誠著、青春出版社)でも、後者は四字熟語としてまちがいとされています。同じくマイナビウーマンの記事、彼とのお泊りデートのために、女性が密かに行う身だしなみとは?に起きたように、そのうちタイトルを直すかもしれません。ですが、「脅迫観念」という表現が、強迫観念よりもしっくりくるような使い方を見かけることもあります。都市感性革命 二十一世紀を生き抜くこどもたちのために(加藤寛二著、文芸社)には、「人は優しいというより恐いという脅迫観念で教育されると、自分への攻撃的衝動を間近に感じて人は身体接触も恐れるように」とあって、ここで著者が書きたいのは「脅迫」の語感であるように感じます。心理学関係でも、そだちの科学 21号(日本評論社)に出てくる「返事をしなければならない脅迫感」に、やや近い印象をうけます。「魚貝類」のように、私は今でも好きになれませんが、いずれ日本語として定着するのでしょうか。

論旨もよくつかめません。まねた結果として関係が円滑になるのはよくて、円滑にしたくてまねるのはよくないような書き方がされています。ここ数年での神経言語プログラミングの一般進出は、まったく気にかけていない一般の心理学者が多いようでやや気になりますが、その中で広く知られるようになった「ミラーリング」への批判的な態度ととるところでしょうか。また、「「恐怖」や「憎しみ」から、自分の身を守るための方法」とありますが、恐怖はすぐ前に書かれていても、憎しみのほうは唐突なように思います。「好意からの真似なのか、悪意からの真似なのか」についても、悪意でのまねのお話は出ていないように、私には読めます。「叱責のターゲットにされないために」というのが、悪意なのでしょうか。

自分は自分、自分に自信をもって、まねでは成長しない、といったただのものまね批判ではないのは、悪くないと思います。日本を救うC層の研究(適菜収著、講談社)は、「「人のまねはよくない」というのは、近代に発生した妄想にすぎません。」と言いきっています。ワンダーフォーゲル 2013年12月号(山と渓谷社)で木下浩二という人が相談しているように、あるいは先ほどのミラーリングでもありがちですが、ぴったりまねされるほうはいい気分がしないこともあるでしょう。一方、まねるほうとしては、仕事でも何の道でも、もうわかっていることに、実際にまねるとあらためてわかることがあります。ビジネスに効く 英語の名言名句集(森山進著、研究社)に、"That is what learning is. You suddenly understand something you've understood all your life, but in a new way."という、ドリス・レッシングのことばが紹介されています。きょう、そのレッシングの訃報が入りました。ご冥福をいのります。

浅香山病院精神科病棟でのくらしの写真展

きょう、msn産経ニュースに、精神科の暮らし知って 堺の病院、患者ら写真展という記事が出ました。あすまで開催の、約40点が展示されているという写真展の紹介です。

精神障害者と写真という組みあわせは、視覚障害者と写真ほどのものめずらしさはありませんが、めずらしいものではありません。精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察(呉秀三・樫田五郎著、創造出版)では、写真によるリアリティも、強い印象をのこします。被写体側ではないものとしては、ただいま第4回の出品を募集しているさがみスクラム写真展が、精神障害者が企画するイベントですし、小林順一という福祉事業家の活動もあります。小林の写真ワークショップは、精神看護 2012年7月号(医学書院)で取りあげられ、その障害者側にとっての意味が9項目にまとめられています。また、変わったところでは、8か月前に読売新聞大阪版に載った心の傷いやす和み猫 ほのぼの写真展があり、その記事によれば、撮影者はブルー・ムーンの「スタッフら」のようです。

このmsn産経の記事で紹介された写真展でユニークなのは、写真はプロと思われるカメラマンの作品ですが、そこに「被写体になった本人が手書きの説明を添えている」ところです。写真の中の客体を主体にもどすつくりは、アート的なおもしろさもありますが、同意のある公表であることを示す人権関係の配慮も感じられます。企画や運営にも、入院患者が関与しています。記事のタイトルに「堺の病院、患者ら写真展」とありますが、これは病院で患者らの写真が展示されるという意味だけではなく、病院と患者らによって行われる写真展という意味でもあるのでしょう。

基礎心理学会第32回大会プログラムの表紙

きょう、日本基礎心理学会第32回大会のプログラムが届きました。大会ウェブサイトにそろそろPDFで出るものと思って待っていたら、印刷版のほうが先となりました。

今回の表紙は、大会準備委員長がデザインしています。写真は、上の2枚が金沢大学角間キャンパスで、下4枚は、左上から時計回りに、金沢城、兼六園、ひがし茶屋街とホテル日航金沢、金沢21世紀美術館です。なお、大会会場はこのどこでもなく、市の文化ホールですので、気をつけてください。

表紙中央には、こちらも大会準備委員長のデザインによる大会ロゴが置かれています。ウェブサイトで見たときには、何をヒントにしたか気づかなかった人でも、このななめの配置をおりると、すぐわかるでしょう。金沢 すみよしや旅館ブログの今年の記事の中にある、今年のものではないライトアップの写真と同様のもので、雪吊が池にうつり反転していますが、上下ではなく色調をひっくり返すと、あれに近づきます。ですが、残念なのは、ロゴにノイズが入っていることです。非可逆圧縮をかけてしまったのでしょう。できるクリエイター GIMP 2.8独習ナビ(インプレスジャパン)に「JPEGで発生した荒れなどの修正にも有効」とある、選択的ガウスぼかしですぐ消えるタイプのノイズですが、気づかずに印刷させてしまったのでしょうか。それとも、以前にキャリア教育学会大会の文書の記事に書いたこととも関連しますが、こちらの大会ももうあと3週間を切りましたし、PDF版も出ていませんので、気づいても印刷を止めなかったのでしょうか。情報提供の優先が当然というのは正論ですが、私は涙をのんだデザイナーの気持ちも察したいところです。

小規模多機能型介護と小規模多機能ホーム

きょう、わかやま新報のウェブサイトに、有功に高齢者2施有功に高齢者2施設竣工 紀伊松風苑という記事が出ました。ミニマルミュージックを思わせるサイケな感じのタイトルが、注意を集めるだけなら有効ですが、ふつうの読者には歓迎されず、記者のほうが注意されそうな気がします。

内容は無難なのですが、「小規模多機能型ホームは、デイサービス、宿泊、ヘルパーの3つのサービスを行う施設。」とあるところが気になりました。デイと宿泊に対して、「ヘルパー」はサービスのよび方としてはなじまないように思います。デイサービスに近い表記として「ホームヘルプ」、宿泊に近い表記として「訪問」、どちらかに寄せたいところです。また、「小規模多機能型ホーム」というのも、あまり使われないよび方です。事業ないしはサービスに対しては「小規模多機能型居宅介護」、その施設に対しては「小規模多機能ホーム」と使いわけることが一般的なところを、ここでは施設形態を指すのに、なぜかわかりませんが「型」をはめてしまったようです。そういえば、Visual C++.NET逆引き大全500の極意(岩田宗之著、秀和システム)というぶ厚い本に、「Tという箇所には、何だかわからないけれど何かの型が入り」という表現があります。