生駒 忍

記事一覧

「クリスマスは恋人とホテル」がつくられた時代

きょう、東洋経済ONLINEに、「クリスマスは恋人と」っていつ決まった!? 「恋人同士がフランス料理を食べてホテルに泊まる祭」の起源という記事が出ました。ジェンダー論の専門家による連載、女性差別?男性差別?の第2回です。

ジェンダー論と聞くと、あるべき理想とのずれにいつも怒り顔というイメージを持つ人もいるのではと思いますが、この連載はソフトで、今回の導入部では、「みなさん、24日の夜の予定はどうなっていますか?」と問いかけてきます。予定といっても、文字どおりの予定なら、多くの人にあるでしょう。ぼく、オタリーマン。6(よしたに作、中経出版)の「ぼくとクリスマス」のようなものです。

早々と、「結論を先にばらしてしまうと、クリスマスって別に恋人たちの日じゃなかったんですよ。」と書いています。ですが、キリスト降誕や、ミトラ教の儀式へとさかのぼるわけではありません。いきなり、「クリスマスはプレゼントの日」という見だしが来て、こたえてしまいます。

そして、やや脱線した展開がしばらく続きます。「ほしいものが、ほしいわ」は、歴史に残るコピーですが、このコピー自体が、こういうものがほしかったとクライアントに思わせるという、入れ子構造になっていたと思われるところも、もっと評価されてよいと思います。最近では、WIRED VOL.8(コンデナスト・ジャパン)にある、カニエ・ウェストがジェフ・バスカーに言ったことばが、こちらはつくるほうからですが、このコピーとつながる考え方を持っていると思います。

アメリカでの、クリスマスに対するポリティカル・コレクトネスがらみの近況を述べてから、サンタクロースのお話へ進みます。ですが、ここでもミラの聖ニコライへとさかのぼるわけではありません。サンタの赤い服はコカコーラ由来というまめ知識を出してきますが、少なくともsnopes.comの記事、The Claus That Refreshesは、コカコーラ起源説に否定的です。

そして、タイトルにあるテーマへ入り、日本のクリスマスが恋人たちの日に変わっていったのは、1980年代からだという主張がされます。日本語版ウィキペディアの「クリスマス」の記事には、「しかし、1930年代から、パートナーのいる人にとっては着飾ってパートナーと一緒に過ごしたり、プレゼントを贈ったりする日となっている。」とあるのですが、「フランス料理を食べてホテルに泊まる祭」へ化けたのは、この時期と理解してよいと思います。「恋人がサンタクロース」を収録したアルバムが、ちょうど今年、年内限定出荷のSURF & SNOW(松任谷由実)としてよみがえりましたが、先月出たユーミンの罪(酒井順子著、講談社)では、バブル期の「連れてって文化」への道として回顧されている作品です。また、この時代の、クリスマスが恋人たちの手に移り、同時に商業主義の手の内に取りこまれているという展開は、若者殺しの時代(堀井憲一郎著、講談社)に、やはり当時の空気ごとえがき出されています。この本ですが、後ろのほうの章は、同時代の若者の実感がうすれて、解釈が空まわりしているきらいがありますが、バブル崩壊くらいまでは、時代の風向きがリアルにとらえられています。

この1980年代の、性体験や性意識の「革命的な」変化へと議論が進みます。先ほどの若者殺しの時代での、1983年の転換点もここにかかわりますし、性交渉を結婚から切りはなしたテレビドラマ、男女7人夏物語は1986年に放送されました。また、ここでは、変化を目のあたりにした若者が1960年代生まれであることを書いています。日本人には二種類いる 1960年の断層(岩村暢子著、新潮社)を意識したのでしょうか。

フランス料理はともかくとして、ホテルの日になったところは納得しやすい展開から、あたりまえだと思われているものが、実は意外に新しくできたものにすぎないという、ジェンダー論でよく見られる結論となります。それでも、説教くさくはせず、「筆おろし」や「婚前交渉」といった死語を使ったあとに、「リア充」を持ちだして落として、筆をおいています。「リア充」がせっかくみちびいた結論に打ち勝ってしまうことに、つまりは相手は「充足者:幸せ者」だという、ネットが社会を破壊する 悪意や格差の増幅、知識や良心の汚染、残されるのは劣化した社会(高田明典著、リーダーズノート)の指摘を思い出します。