生駒 忍

記事一覧

ハロー効果をほんものの光でためした実験

きょう、デイリーポータルZに、後光がさすと説得力は増すかという記事が出ました。ウェブマスターの林雄司自らによる実験の報告です。

心理学の数ある「○○効果」のなかでも、ハロー効果は特によく知られたもののひとつです。ハロー効果のハローは、helloではなく、もちろんシャレオツ/ハロー(SMAP)とも無関係で、halo、つまり後光のことです。背後からさす後光のような、評価対象本人とは別の随伴する何かの印象が、本人の評価を引っぱってしまう効果です。後光は、宗教画や仏像などによく見られますが、正しい太鼓のもち方(トキオ・ナレッジ著、宝島社)の38ページの絵のような、思いきり俗な表現にも使われます。ハロー効果の応用範囲も広く、最近見かけたものでは、不合理 誰もがまぬがれない思考の罠100(S. サザーランド著、阪急コミュニケーションズ)で、原子力エネルギーへのかたよった危険視に、ハロー効果の関与があると指摘されています。

林は、「僕もハロー効果を活用したい。」と言いだすわけですが、ここでは比喩的な意味ではなく、字義どおりに後光の、しかも図像的な表現ではなく、ほんとうの後ろからの光の威力をためす実験に出ます。THE ALFEEによる覆面バンド「ビートボーイズ」が、当時の事務所社長の発案のようですが、覆面バンドなのだからと、ほんとうに覆面をかぶったことを思い出しました。

効果のほどはというと、ご覧いただくのが早いと思います。林のあのキャラクターを知っているかどうかにもよると思いますが、いかがでしょうか。

心理学テストのワークを選ぶのは開設者です

きょう、山梨日日新聞WEB版に、工作通じ心理学テスト 身延の女性がブックカフェという記事が出ました。昨年11月にオープンしたブックカフェの紹介です。

この「ふしぎ絵本館」の、何といってもふしぎなのは、立地です。富士川倶楽部にあるのですが、一度も行ったことのない方も、公式サイトをひと目見るだけで、ここにブックカフェは場ちがいではと感じるはずです。開設者と同姓同名のプロボクサーがいて、WBANのYumi Takanoにくわしいですが、年齢だけみても別人ですので、完全にインドアでまったくスポーティでない施設を、あの立地で開設した選択が、とてもユニークだと思います。

タイトルには「工作通じ心理学テスト」とあって、1文目では「心理学のテストを応用した工作などを体験できる」とあります。工作と心理学との関係がどちら向きか混乱しますが、どちらかというとタイトルのほうが、開設者がしたいことに近いようです。

気をつけてほしいのは、「心理学を用いた作業「ワーク」を7種類用意。」といっても、「高野さんが会話を通じ、その人に合っていると思えるワークを選択。」となるところです。お客には選択権がないようです。そういえば、就職しない生き方 ネットで「好き」を仕事にする10人の方法(インプレスジャパン)では、家入一真が「仕事を「選ぶ」なんて、ゼータクです!」「だいたいですね、自分はなにもしないで仕事を「選ぶ」とは、なにごとですか。」と言っていました。

スタバが今ごろ鳥取出店へとうごきだした理由

きょう、47NEWSに、スタバ、空白の鳥取進出を検討 14年度にも全国出店達成へという記事が出ました。共同通信の配信です。

おととい書いた島根県2店舗目のスタバの記事で、鳥取県はいまだにスターバックスが1軒もないと書きましたが、ついに1軒にはなる見こみがたちました。あるいは、もし複数軒が同時にオープンしたら、一気に島根への追いつき、追いこしも夢ではありません。正しい太鼓のもち方(トキオ・ナレッジ著、宝島社)は、「地元にスタバができた時以来の感動です」を、よろこびの表現として提案しましたが、鳥取県民には、もうしばらくでその感動がやってくるのです。あるいは、検討がはじまっただけで、もうよろこびでいっぱいでしょうか。それとも、ストレンジ・シチュエーション法でのCタイプのように、遅すぎる、もういらないなどと、へそを曲げる人も多いでしょうか。

気になったのは、今さらの出店検討開始の理由です。「中国地方最高峰の大山をはじめ観光地も多く、集客が見込める」と考えたようですが、観光地としての集客は、最近伸びたわけではないですから、最後まで残してあることとはなじみません。また、「昨年9月、店舗数が千の大台に乗り、全国出店の達成が次の目標」とは、わかりやすいですが達成のメリットがよくわからない目標です。国内だけで1万6千店以上をもつセブンイレブンも、店舗検索ですぐわかるように、島根にはあって鳥取などにはないままですが、全都道府県に出すことには関心がないようです。しかも、あと1軒出せばすぐ達成できるものを、ずいぶんと延ばしているようですので、目標なのに目ざす意欲があまりなさそうにも見えます。先々まで考えて慎重を期しているのか、目標がみだれて迷走に近い状態なのか、判断しにくいところです。前にきゃりーぱみゅぱみゅインタビューの記事でも書きましたが、スタバについても、長期戦略をどう考えているのか、関心があります。そういえば、建築家の松原弘典は、海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている(前田茂樹編、学芸出版社)で、「あらためて振り返ってみても、今までの自分は安定や長期的展望に立ったライフプランに乗らず/乗れずに生きてきた。」と書いています。きょう、その松原の3回目の逮捕の報が入りました。

訳せない「引きこもり」「がんばる」「甘え」

きょう、ハフィントンポスト日本版に、ひきこもりを英語で表現するとhikikomoriという記事が出ました。同じ筆者がこれの前にハフポに書いた、自宅で過ごす時間が長くても、インターネットにはまっているとは限らないは、定量的データの理解に気になるところがありましたが、今回は統計は出てきません。

引きこもりがそのまま"hikikomori"と訳されるのは、ある意味でもっともなところだと思います。心理学や精神医学関連では、「甘え」の構造(土井健郎著、弘文堂)があつかった"amae"の例が有名でしょう。Amazon.co.jpでたいへん評価の高い、すぐ会社を休む部下に困っている人が読む本 それが新型うつ病です(緒方俊雄著、幻冬舎)も、「甘え」は「がんばる」とともに、対応する英単語がないと指摘しています。甘えは、日本人の利益獲得方法(田中健滋著、新曜社)でいう「受利社会」である日本にはなり立っても、何事にも自分でうごく「能利社会」では考えられないのです。そういえば、採用基準(伊賀泰代著、ダイヤモンド社)が批判する、役職者を「役職にふさわしい」で決めるふさわしくない決め方も、ぜひ私にまかせて、とリーダーシップをとることが好まれない「受利社会」らしいところです。

「このhikikomoriの語源を持つ日本では、定義が確定されているわけではなく、以下のようなものが主に活用」と例示した上で、「いまだ「ひきこもり」の定義で、社会的に合意/確定されたものは見られていない」としています。ですが、単一の定義で「社会的に合意/確定」するのは、なかなかむずかしいことです。もっと広く知られ、大きな問題になっている「うつ病」でさえ、そこまでの定義はないでしょう。きちんとあるなら、「新型うつ病」をめぐる入り口論は起こらないはずです。また、「引きこもり」と「社会的引きこもり」との関係をめぐっても、議論があります。ひきこもりつつ育つ 若者の発達危機と解き放ちのソーシャルワーク(山本耕平著、かもがわ出版)では、「社会的引きこもり」には批判的な立場がとられています。ですが、その理由は、斎藤環が言っているからと言いたげなものでした。

スタバがない鳥取県、スタバがある筑波大

きょう、msn産経ニュースに、スタバ「ゼロ」鳥取の屈辱、山陰2号店は再び「島根」で鳥取〝コケ〟…2号店は動員力ある出雲大社に、鳥取怨念「スタバよ、来るときは覚悟せえ」という記事が出ました。

出雲大社門前町のにぎわいのお話も、石畳も駅も工事中だった「平成の大遷宮」の最中に行った私には感慨がありますが、スターバックスへの山陰の屈折した思いも、共感的に理解しながら読みました。コメダ珈琲店なら、鳥取にはすでに2店舗があり、島根はまだで、来週オープン予定の松江学園店が史上初となるはずですが、鳥取県民にはあくまでスタバが、よくも悪くも関心の対象なのでしょう。

スターバックスの、そこまでにさせるブランド力はすごいと思います。ほかのコーヒーチェーンとは別格の価値があるのです。2ちゃんねるでは吉野家が、ほかの牛丼チェーンとは別格であるように、「リア充」でありたい人にはスタバが、なぜか別格なのです。この季節でもテラス席に出たり、いわゆる「ドヤブック」にはげんだりしたくなるのです。そして、リアルだけでなく、ネット上にもしみ出してきます。日経BizGateに半年前に出た、なぜ人は「スタバなう」とつぶやくのかを、インパクトがあったので私は出てすぐに授業で触れたのですが、店舗数では上を行くドトールとの価値のちがいがひと目でわかる、あのグラフを思い出しました。

そのドトールが、茨城大学にできるというお話が、きのうのトゥギャッチの記事、「茨城大学にドトールが誕生」というウワサは本当か?にまとめられていました。実は、できたのは工学部のほうで、しかも自動販売機だったのでした。それでも、ただいま改装中の水戸キャンパス図書館には来年、サザコーヒーが入るようですので、わかる人にはいいお店だとわかるのですが、筑波大のスタバがうらやましく見えるのでしょうか。筑波大でも、あのスタバの導入をめぐっては議論があり、ドトールを、もちろん自販機ではなく店舗で入れる案もあったのですが、スタバに負けました。私は、卒業生の成功をたたえて、タリーズを入れるべきだと思っていましたが、タリーズはやや遅れて、附属病院のほうに入りました。すべては一杯のコーヒーから(松田公太著、新潮社)で書かれた、病院出店への創業者の特別な思いが、母校でも実ったのでした。また、開店直前には、筑波大学新聞の紙上で、津田幸男教授が「有名店の威光で大学を魅力的にしようとする小手先の改革」「むやみに「俗」を入れることはない」、大学は「変わってはいけない」「「精神的権威」であることを貫徹すべき」と主張し、大学上層部に翻意をうったえました。そして、「スターバックスを導入したら、大学はアメリカの文化支配を正当化してしまい、アメリカ文化への追従を促してしまいます。」「このままスターバックスが開店したら、それは大学が市場原理に飲み込まれたことを示す「悲しい墓標」になるでしょう。」と予測しましたが、あれからそろそろ6年、どうなりましたでしょうか。そういえば、筑波大学 by AERA(朝日新聞出版)では、その筑波大学新聞の編集長をつとめた松本果奈が、スタバを「ちょっとした自慢(笑)」と評していました。