生駒 忍

記事一覧

訳せない「引きこもり」「がんばる」「甘え」

きょう、ハフィントンポスト日本版に、ひきこもりを英語で表現するとhikikomoriという記事が出ました。同じ筆者がこれの前にハフポに書いた、自宅で過ごす時間が長くても、インターネットにはまっているとは限らないは、定量的データの理解に気になるところがありましたが、今回は統計は出てきません。

引きこもりがそのまま"hikikomori"と訳されるのは、ある意味でもっともなところだと思います。心理学や精神医学関連では、「甘え」の構造(土井健郎著、弘文堂)があつかった"amae"の例が有名でしょう。Amazon.co.jpでたいへん評価の高い、すぐ会社を休む部下に困っている人が読む本 それが新型うつ病です(緒方俊雄著、幻冬舎)も、「甘え」は「がんばる」とともに、対応する英単語がないと指摘しています。甘えは、日本人の利益獲得方法(田中健滋著、新曜社)でいう「受利社会」である日本にはなり立っても、何事にも自分でうごく「能利社会」では考えられないのです。そういえば、採用基準(伊賀泰代著、ダイヤモンド社)が批判する、役職者を「役職にふさわしい」で決めるふさわしくない決め方も、ぜひ私にまかせて、とリーダーシップをとることが好まれない「受利社会」らしいところです。

「このhikikomoriの語源を持つ日本では、定義が確定されているわけではなく、以下のようなものが主に活用」と例示した上で、「いまだ「ひきこもり」の定義で、社会的に合意/確定されたものは見られていない」としています。ですが、単一の定義で「社会的に合意/確定」するのは、なかなかむずかしいことです。もっと広く知られ、大きな問題になっている「うつ病」でさえ、そこまでの定義はないでしょう。きちんとあるなら、「新型うつ病」をめぐる入り口論は起こらないはずです。また、「引きこもり」と「社会的引きこもり」との関係をめぐっても、議論があります。ひきこもりつつ育つ 若者の発達危機と解き放ちのソーシャルワーク(山本耕平著、かもがわ出版)では、「社会的引きこもり」には批判的な立場がとられています。ですが、その理由は、斎藤環が言っているからと言いたげなものでした。