きょう、毎日新聞のウェブサイトに、混浴:“絶滅”危機 残せるか大自然の魔法という記事が出ました。北川温泉・黒根岩風呂での取材を中心として書かれたものです。
タイトルで、温泉そのものではなく、混浴を「大自然の魔法」としてとらえる視点が特徴的です。混浴は入り方ですから、自然の側ではなく、人間の側、文化に属する問題だと思うのが、ふつうだと思います。冒頭でも、「でも、そもそも日本人にとって混浴文化って何だろう。失ってはいけないものなのか。」と問題提起があります。これは、後のほうでわかります。だから混浴はやめられない(新潮社)などの著書がある山崎まゆみの声、「手付かずの自然の中にあることが多く、混浴ならではの大自然の感動が味わえる。」と、黒根岩風呂でむかえる日の出でのややトランスパーソナルな体験、「不思議なもので、雲の合間から真っ赤な日の出が見えた途端、夫婦連れを中心にした男女約10人が一気に打ち解けた気がした。大自然の魔法だろうか。」と対応します。
やはり、「ワニ」の問題は登場します。旅行作家の竹村節子が「見るでも見ないでもなく目の光を消し、後から入る人と上手な距離感を保ったものです。」とかつての文化を表現している、そういうマナーを守れない人が増えたのでしょうか。混浴が減れば減るほど、「わざわざ」混浴に来ておいて見るなと言うのはおかしい、いやなら来るな、となるのでしょうか。たしかに、別浴ならば異性にじろじろ見られません。そう言うと、msn産経ニュースにきのう出た記事、関西の奥座敷「女湯」30分間丸見え…30代・独身女性ら老舗旅館提訴 兵庫・武田尾温泉をもう忘れたのかと言われそうですが、あの事件では、誰かに見られる被害が生じて訴えたのではありません。なお、記事タイトルに「30代・独身女性」と入れたところには違和感もありますが、原告側弁護士が「独身女性が」とつけて被害の大きさを主張したことに合わせたのでしょう。きたない話題ですが、新装版 おしゃべり用心理ゲーム(パキラハウス著、阪急コミュニケーションズ)に、出すところか出たものかの2択で、性経験の有無がかなり的中する問いだとされるものがあったのを思い出しました。
混浴か別浴かという以前に、今の若い人は、公衆浴場のマナーを学ぶ機会がない可能性も高いでしょう。マイホームにお風呂があるのが当然の時代なのです。けさの新潟日報にあった、小田郁子という人の回想に、H教授に「まえはおかくしあそばせ」と言われて、意味がわからなかった人のお話がありました。
さて、毎日の記事では、日本固有ではないことも、混浴に否定的な話題として取りあげました。日本以外にもあるので「固有」でないのは、そのとおりです。ですが、以前に福祉と人生の意味の記事で書いたお話とも関連しますが、日本にはあっても、一般的な「外国人」にはなじみがない文化です。また、「江戸後期になってから」のものを、日本の伝統ではないと斬りすててよいかは、むずかしいところです。時代祭、神前結婚式、肉じゃが、奥の深いテーマになります。
取材先の近年の動向として、「私が訪ねた黒根岩風呂でも、3年前に女性専用露天風呂を造った。」とあります。ですが、これについての観光協会のお話に、ややずれた印象を受けました。「女性だけでなく男性からも好評です。」、これはまだ理解できます。「目の光を消し」がうまくできないと思い、森田療法の出番になるような不安になる男性もいるでしょうし、先に入っただけで「ワニ」をうたがわれることもなくなります。ですが、「夜7〜9時は女性専用時間に設定しています。」、すると、女性専用風呂に女性専用時間があるのでしょうか。女性専用車と書いてあっても、時間帯によるような、そういう運用なのでしょうか。小国記者が「造った」と書いたことからは、別個の設備のはずです。時間枠なら「作った」と書くでしょう。