生駒 忍

記事一覧

「はてな村奇譚」の終わりとさまざまな穴

きょう、orangestarの雑記に、はてな村奇譚_最終回という記事が出ました。

はてな村奇譚については、さいころをふる心理実験の記事でも取りあげ、その後もあからさまにきらう人は出ましたし、作者にもいろいろとあって中断もありましたが、当初の予定を大幅にオーバーしつつ、ついに大団円となりました。若さのアピールだと思われると不本意ですが、私ははてな村の食べものを口にせずにきましたので、はてな村奇譚 2の「穴の中で蠢いているバケモノ」にはならずにいますし、知らない話題もかなりありましたが、全体としてはとてもたのしめた作品でした。はてな村の最果てとして、大きな穴がならぶ荒れ地が示されるとともに、物語にずっと空けてあった大穴、「お姉さん」の正体が、はてなの誕生につながるかたちでうまり、うまく着地できた印象です。正体は以前から議論され、ついには作者から直接に出題されても、「2名ほど正解者が出ています。」という程度で、その意味でも大穴だったようです。

「コミュニティの一生」そのままの単純なくずれ方はしにくそうですが、はてな村もいずれは、からっぽの穴だけになってしまうのでしょうか。あるいは、穴になる前から、インターネットはからっぽの洞窟(C. ストール著、草思社)のように、もともと何もなかったようなものという見方もあるかもしれません。墓標さえなくても、その穴にあった世界は、穴になる前に生きた人のこころの中に生きつづけていることもありそうですし、そのコミュニティに深く生きた人は、こころにもぽっかりと穴がのこったままということもあるかもしれません。

それにしても、穴は、ふしぎな深さをもつものです。ほんじょの虫干。(本上まなみ著、新潮社)も、穴は特別な空間だと指摘します。フロイトの霊言(大川隆法著、幸福の科学出版)では、没後のフロイトが、穴にとらわれていました。奇想天外な穴としては、やはりマルコヴィッチの穴(スパイク・ジョーンズ監督)がはまりますし、週プレNEWSにおととい出た記事、スーファミ世代、悶絶の2大レジェンド対談! 堀井雄二(ドラクエ)×坂口博信(FF)【前編】「ファンとしてもライバルとしてもドキドキしてた」で、坂口が「あれを見せられた時は、もう一生勝てないと思いましたよ(笑)。」とふり返った、大穴の下には過去作を未来にもつ世界がつながる展開も、当時は強い印象をもたらしたものです。それでも、穴で印象的にねらおうと思っても、かんたんにはできないでしょうし、だからこそ腕が問われる、深い素材であるともいえます。アーティスト症候群(大野左紀子著、河出書房新社)にある、「二十年ほど前、東京芸大の油画科で、「穴」を描けという課題が出た。」という話題を思い出しました。

ほんとうの自分がわからない時代と「平和」

きょう、MarkeZineに、Facebookユーザーが気にしているのはイイね!数より、自分の見え方【オプト調査】という記事が出ました。

Facebookに「「自分には投稿することがない」64%」、あの空気、あの文化ではしかたがないでしょうか。「「投稿する時は、誰が見ているかに気を使う」が54%、「投稿内容について、自分の見え方に配慮して投稿している」が51%と半数強」、その行きついた先が、ここだという見方もできそうです。とても下世話な例ですが、Ceron.jpでのid:activecute氏の、結婚前と結婚後のタグを御覧くださいのツイートと「いいね!」の数の、大きな落差を思い出しました。

ないという断定だけでなく、「「何を投稿したらよいかわからない」60%」もあります。ピアヘルパーハンドブック 友達をヘルプするカウンセリング(日本教育カウンセラー協会編、図書文化社)は、どんどん人がつながるFacebookの登場よりも先に書かれた本ですが、「いまの時代は,どこのだれともわからない人間とも仲よくしないと生きにくい時代なので,よほど注意しないと,如才なくふるまっているうちにほんとうの自分は何を考えているのか,何を感じているのかがわからなくなります。」「人づきあいが表面的なものになってくると,ホンネが表現できないので,いつの間にか自分のホンネ(例.何をしたいのか,何を言いたいのか,何を感じているのか)が自分でもわからなくなります。」とします。また、下ネタの品格(文藝春秋)は、Facebookは定着どころか、もう「Facebook疲れ」が言われるようになってからの本ですが、村山由佳による、若者は何をしていいのかわからなくなっていることの指摘があります。

「Facebookユーザーは見栄張り、ノンユーザーはシャイ」なのだそうです。「日本人的なシャイネス」との相性の悪さがうかがえます。FACEBOOK FIGHTERを思い出しました。ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった(梅崎健理著、講談社)は、「匿名でいいたい放題ということがないだけに、その空間は、ツイッターに比べ、はるかに「平和」だといっていい。」と評価しましたが、比較としてはそうでも、あらそいのない平和そのものとは、必ずしもいえません。もちろん、あらそいを起こすのはユーザーであって、Facebookに罪はないという見方もあるでしょう。そういえば、ダ・ヴィンチNEWSにきょう出た記事、手足、鼻、アソコが腫れ、激痛が1カ月続く種類も! 美しくも危険な「毒きのこ」の世界には、「そう、毒きのこではなく、それを食べようとする人類がいけないのだ!」とありました。

女性専用のコーナーとメレディス・モンク

きょう、zakzakに、女性のための「zak女」新設 女性記者21人の本音コラムもという記事が出ました。

新設となったのは、独立した新しいウェブサイトというよりは、zakzakの中のコーナーと考えられるもののようです。「女性のための情報や読み物が満載の「zak女」(ざくじょ)」だそうで、少し前まではよいイメージで連呼されたものだった「リケジョ」を意識して、この名前が会議を通ったのでしょうか。

「女性専用の“サイト・イン・サイト”ですが、女性の心理を知りたい、男性もぜひのぞいてみてください。」とあります。内容は女性を意識したものでも、男性も食べられるレディースセットのようなもので、専用とはっきり書くのは、きびしすぎるかもしれません。女性専用車両よりも、ワンダ モーニングショットの「朝専用」に近い意味あいでしょうか。

画像は、キャプションにある「zak女の雄叫び」が大書されたもので、コラム用のタイトル画像のようです。この色の取りあわせは、3型2色覚の人にはやや不親切ではなどと言いだすときりがないこととは別に、少なくとも私には、すぐれたセンスだとは思えません。aの中に目のような黒い部分があるのは、本家のロゴと同じですが、こちらではほかに黒い部分がないので、目だち方が違います。また、文字の輪郭がぼやけて、まわりに基礎心大会プログラム表紙の記事で触れたようなノイズもともないます。文字の下の余白部分は、もう少し狭くしたほうが落ちつくのではないでしょうか。何だか、文句ばかりになってしまいました。

文句で思い出しましたが、CNN.co.jpにきょう出た記事、創造性の「暗黒面」 抑鬱や狂気が天才を生み出す?には、「画家モンクの幻視」とありました。幻視体験については議論がありますが、ことし没後70年をむかえたエドヴァルド・ムンクのことでしょう。モンクと書くなら、音楽家メレディス・モンクだと、私の中の声が言いだします。たとえば、Meredith Monk: Inner Voice、ご存じでしょうか。ですが、同じく音楽家でもセロニアスのほうだったり、探偵のエイドリアンだったりを連想する人のほうが多いような気もします。そして、Monkの発音は「マンク」だという文句も出てきそうです。

認定心理士をとって77回大会に参加した方

コミュニケーション・ホーム喜舎 生利喜佐男のブログという、名前そのままのブログがあります。きょう、そこに、第77回日本心理学会に参加して考えたことという記事が立ちました。

冒頭に、「昨年1年間大学へ通い、心理学の全講座を受講し、認定心理士の資格を得たことでこの学会の参加資格が得られた次第です。」とあり、誤解をまねく書き方になっています。今回大会を含め、日心大会に参加資格は特にないはずです。日心の会員でない場合にはやや参加費が上がりますが、特段の参加障壁であるとは思えません。非会員は予約参加申込みができないと誤解している方もいそうですが、連名発表者となることで問題なく可能です。ここで「この学会の参加資格」というのは、大会ではなく、学会本体への入会のことを指したつもりなのでしょう。日心は名前の通り学会なのですが、正会員入会審査規程を見ると、心理学の研究に関与していない個人の入会ルートもあります。それが、ひとつはこの方が利用したと思われる規程2(1)で、もうひとつは2(3)での「卒業後2年以上心理学に関連する」「業務に従事している者」です。研究者以外には入ってほしくないと考える方もいると思いますが、財政的には、会費を納める人が多いにこしたことはありませんので、研究者でない人にも学会を支えてもらえるのは、ありがたいことだともいえるでしょう。

学会、ないしは学界の中にいても、外から関心をむけている人もたくさんいることを、忘れないようにしたいものです。それに関して、特に心理学の場合には、学界のまん中を行く研究よりも、視点にしても手法にしても離れぎみなもののほうが、外からは受けがよいように感じることがあります。先日、一部で話題になった、日本心理学会で個人的に興味を引いた研究発表10という個人ブログ記事でも、そのあたりを再認識しました。私には、ふとんという学部生のツイートもうなずける一方で、あの電話帳の中から、外の人の興味をひいて、学界の外の知識で読めて、少しでもコメントできるものを抜くと、これが自然なのも理解できます。やや心配なのは、この記事へのアクセスが伸びたことによる、その後です。きょう、泡沫ブログがうっかり100はてブ獲得すると色々変わるし色々狂うという記事が立ちました。これは企業レベルのお話なのですが、『磯野家』のあとしまつ(内山幹雄著、こーりん社)を思い出してしまいます。

人間性心理学会大会参加等のブログ記事

SHOJI & NAOKO のつぶやき場というブログがあります。どこのカップルだろうと思われそうですが、名字は村山と知らされれば、ぴんと来る心理学関係者もいるでしょう。きょう、このブログに、西巣鴨にて <人間性心裡学会参加&とげぬき地蔵参拝>という記事が立ちました。「裡」の字を使っていますが、何か皮肉をこめたかったわけではなさそうで、日本人間性心理学会第32回大会のことです。私は参加しませんでしたので、こうして情報を出してもらえると、勉強になるところがあります。

記事のずっと後のほうに、「赤色のエネルギーを身につけると、身体も運気も、パワーアップするという理由からか」とあります。そういえば、この大会に数日遅れて開催された日本心理学会第77回大会の、小講演L-013を聞いた方はいますでしょうか。きょうになって、京都大学霊長類研究所認知学習分野のサイトに、それを含む発表の報告が、ちょうど投稿されたところです。

また、前のほうに、「見学させてっもらったこと」とあるのを見て、ふと、毎日役立つ塩ヨーグルトの最強レシピ(林幸子著、主婦の友社)を思い出しました。気軽な創意が楽しいレシピ集ですが、そこでは「リコピンスムージー」と「リコッピンスムージー」とが、似てはいますが別のものになっています。前者はミニトマト、ニンジン、はちみつ、ホエーで作るのですが、後者はトマト、りんご、ホエーのようなのです。

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