きょう、西日本新聞のウェブサイトに、故曻地三郎さんに感謝状 福岡市「障害児福祉発展に功績」 [福岡県]という記事が出ました。
以前に、「平野新聞」終刊の記事で、曻地の訃報に触れましたが、この感謝状は、すでに亡くなったことを前提として、「生前果たした」ことへの感謝を述べます。賞状や感謝状のたぐいは、これでもかというほど受けてきた偉人ですが、もしお元気だったとすれば、これもあの人なつっこい笑顔で受けとったことでしょう。今回、福岡市が出したのは、市の障害者福祉への貢献のためであることは、容易に見当がつきますが、あまりにも容易すぎるためでしょうか、記事には感謝状を出した理由が明示されていません。最後に、「感謝状は「日本の障害児福祉の発展に多大なる足跡を残した」と三郎さんの生前の功績をたたえている。」とあるので、日本に対してのことに福岡市が感謝したように読めます。なお、ここのかぎかっこ内の表現は、実際の感謝状にあるものとは、少しだけ変えてあります。正しくは、「我が国の障がい児福祉の発展に多大なる足跡を残されました」です。ほかのところはともかくとしても、「障がい」を「障害」に「直した」のは、許しがたいと思った人もいるかもしれません。この単語の表記をめぐっては、強く主張したい人とやり取りする意欲はないので、私からはこの機会に、まだ知らない人の多そうな2点を、軽く示すのみにします。ひとつは、昨年8月25日付の福祉新聞で、障害者の側から「まだまだ、この「障害者」という言葉を使っていくべき」とした、文福の八木勝自理事長のユニークな指摘、もうひとつは、「“「障害」は本来「障碍」と書くのに、戦後になって「障害」と書くようになった”という俗説」を根本的に反証した、アスペ日記に1か月ほど前に出た記事、「障害」書き換え説,あるいは戦前の雑さです。
「曻地三郎さんは、小学校教師として大阪府で勤務していたが、長男が生後間もなく脳性まひとなり、福岡市に転居。」とありますが、誤解をまねく書き方であるように思います。私の理解では、長男が脳性まひを発症したのは、その教職を辞して、大阪から広島へ戻ってからのことで、福岡への転居も、発症してすぐではなく、福岡県女子師範学校の仕事が取れてからのはずだったと思います。あるいは、もし私の理解におかしなところがあれば、ぜひ指摘していただきたいと思います。ですが、BLOGOSにきょう出た記事、STAP細胞の研究論文内の不自然な画像データがその日のうちに「一時削除」となった騒動を見ると、指摘することのむずかしさも感じます。