生駒 忍

記事一覧

『お父さんがキモい理由を説明するね』の救い

きょう、岐阜新聞Webに、『お父さんがキモい理由を説明するね』中山順司著 娘に告げられた衝撃の本音という記事が出ました。直球のタイトルに、こちらも思わず衝撃を受けてしまいますが、先月に出たお父さんがキモい理由を説明するね 父と娘がガチでトークしました(中山順司著、泰文堂)を紹介するものです。

「寝顔にチュッといったむきだしの愛情表現がすべて裏目に出ているという事実に直面した父親の意気消沈ぶりがなんとも痛ましく、おかしい。」とあります。ここは、私は初出のコラム記事のほうで読みましたが、父がすなおにたずねて、娘が次々にひっくり返し、それでも前向きにたずね続けて、手きびしい内容なのに対話のドアが全開のままという明るさが特徴的です。心に火を。(廣済堂出版)のScene 15、テレホンアポインター編には、「「お母さん」は、実は孤独だ。」とありますが、あくまで「お父さんがキモい」のであって、母はそうでないと断言されるなど、見当がついてはいても、思いあたる人にはこたえそうです。それでも、娘もたまにはフォローを入れますし、形勢逆転しそうな風向きも何度か来て、また押しもどされてと、ワンパターンでないところが救いですし、おもしろさを生んでいます。

父の孤独も重いのですが、いじめや死など、ほかにも重い話題が取りあげられます。それでも、あの筆致ですので、読みやすいだろうと思います。そういった話題までふくめて、「娘世代にとってこそ「いいね!」連打の共感の書」となるでしょうか。

東大の失業者用プログラムと飯山駅での明暗

きょう、朝日新聞デジタルに、失業者の心のケア、再出発の手がかりに 東大で講座という記事が出ました。

東大本郷キャンパスでのイベントを紹介する短い記事で、それでも適切な情報がひととおりそろい、トラック魂 Vol.10(交通タイムス社)で、上田恵という人のキャリイに、「ちっちゃくても一人前」とあったのを思い出しました。ですが、「同大大学院の高橋美保准教授(臨床心理学コース)がプログラムを開発。」とあって、講座とはいっても、講話や座学のイメージのものではないようです。主催グループ側による募集情報ページは、失業者のためのメンタルヘルスケアプログラム 参加者募集というタイトルで、「グループ形式による2日間の体験型プログラム」が隅つきかっこでくくられて、「講座」という表現は見あたりません。

朝日の記事は、「無料だが、アンケートなど調査に協力する必要がある。」とあって、プログラムについてのデータ収集目的、あるいはデータ収集も目的であることを示唆します。一般公開のふつうの講演と異なり、参加対象者の条件の線引きがはっきりしているのも、そのためでしょう。まだ行われていないものに言うのも変ですが、おそらく有効なプログラムだと思いますので、興味をもった失業者の中で、この線引きのどちらに入るかで明暗がわかれることもあるかもしれません。ロスジェネ心理学(熊代亨著、花伝社)が、相手からみて使えない個性なら、あってもしかたない個性だと指摘したのを思い出しました。これは、人間に限ったことではないでしょう。同じく朝日新聞デジタルにおととい出た記事、長野)飯山駅ホームの鐘楼 新たな願いこめ新駅に移築によれば、北陸新幹線の開業で、90年以上前につくられた飯山駅の「寺社のようなたたずまいが特徴」の駅舎は取りこわされて道路にされ、一方でそこにある鐘は、大みそかの「例年400人を超える人気」もあってでしょうか、新駅に移ってまた活躍するそうです。ちなみに、この記事を書いた山田雄介という記者は、記事が出て半日後に、新宿3丁目の路上でしつこい勧誘を行い、逮捕されました。

新潟こころの発達クリニックが開院します

きょう、新潟日報モアに、発達障害専門医院 新潟に9日開院という記事が出ました。新潟こころの発達クリニックの開業の案内です。

「待合室には小さい子どもも過ごしやすいようキッズスペースを設けた。」とあります。公式サイトを見ると、いすが暖色系の待合室-1、寒色系の待合室-2との間に幼児待合室があるようで、そこのことだと思います。まだ、よび方が固まっていないのかもしれません。そういえば、トップ画像であるh1.pngは、公式サイトで2番目にファイルサイズの大きい画像ですが、そこには「Niigata mental developmental clinic」とある一方で、ページ下部の著作権表示には「Niigata mental development clinic」とあります。どちらがよいでしょうか、それとも、さらに別の表現を提案したくなるでしょうか。

「遠藤院長は「発達障害についての情報が多いため、不安を抱えている保護者は多い。気軽に相談できる場にしたい」と話している。」とあります。情報が少なくて不安になるのではなく、逆です。そういえば、同じく精神科医の香山リカも、くらべない幸せ 「誰か」に振り回されない生き方(大和書房)で、情報がふえて不幸になったと論じていました。

上智大卒業へのねたみと「ゲーム感覚」の人生

きょう、msn産経ニュースに、黒子のバスケ事件、被告が法廷で吐露した「負け組」の思いという記事が出ました。この事件に関しては、以前に犯人像推測についての記事を書きましたが、その犯人が、「「負け組の底辺」が人気漫画家をねたんで起こした「人生格差犯罪」」を語ってアピールしたことを紹介するものです。

罪状認否で、「上智大学出身の藤巻氏の学歴やバスケ漫画での成功について触れ、「手に入れたくて入れられなかったものを全て持っている作者のことを知り、人生があまりにも違うと思った」と述べた。」そうです。まんが家の世界の成功は、ほんのひとにぎりの人しか手にできないのだと思いますが、いまの時代に、学歴はそこまで羨望やねたみを生むものでしょうか。それも、たかが上智でなどと、わざわざけなす人もいるかもしれません。ですが、私のまわりにも、GMARCHを出ていて、上智に行きたかったのにと今でももらす人が複数います。卒業どころか、入学もしなかった人々からも思ってもらえるのは、ありがたいことである反面、成功した卒業生が攻撃ターゲットにされてしまい、そのために母校まで攻撃がおよぶのは、こわいことでもあります。

逮捕されたときに「負けました」と言った意味について、「この言葉のせいでゲーム感覚の愉快犯とする説が流れたが、断じて違う。」と断じたそうです。ですが、この人には、私は「ゲーム感覚」を感じます。犯行がゲーム感覚というより、人生観にゲーム感覚がぶつかっているのです。ゲームといってもいろいろですが、たいていはやり直しがききます。ミスをおかしたら、先を有利にすすめるための条件を満たせなかったら、すぐリセット、「死んで」またやり直すことができますし、それが当然のあそび方でしょう。RPGでは、以前に殺人者の心理がわかるゲームの記事で触れた「いしのなかにいる」でもない限り、失敗する直前から何度でも、気にいるまでやり直せます。心理研究家ゆうきゆうのスーパーリアルRPG マンガで分かる理想と現実の115の違い(マガジンランド)の88章で提案されたような、爆発して二度目がないゲームは、もしあっても誰もやりたがらないでしょう。ですが、実際の人生は、そうはいきません。失敗なしですすんでいけば、大きな成功へ一直線のはずですが、確率的にはほとんど起こることはありません。そして、ミスしたからといって、先を有利にすすめるための条件を満たせなかったらといって、戻ることはできません。この一戦は絶対勝ちたかったのに、あちらを選んでおけばフラグが立ったのにと思っても、やり直しはできません。失敗しないとわかっていたら、どんなことをしてみたい?(J.C. マクスウェル著、ダイヤモンド社)にあるように、「「やり直しの国」というすてきな場所は存在しない。」のです。一部の宗教がもつ、輪廻転生的な死生観を信じれば別ですが、人生にリセットボタンに相当するものはありません。すると、失敗の人生は何をまねくでしょうか。私の世代ですと「桃太郎電鉄」や「いただきストリート」のイメージですが、集まってボードゲーム系の作品で遊んでいて、うまく回せず下位へ落ち、挽回はまず無理となったとき、皆さんはどうしていますでしょうか。けさの毎日新聞朝刊にあった、甲本まおという人の主張、「努力は絶対に裏切らない」「努力は絶対裏切らない」のようなフレーズを頭の中でくり返して、いつか逆転できるかもと、最後までまじめに取りくみますか。どんなにつまらなくても、拡大再生産でよい気分のほかのプレイヤーが楽しみ続けられるように、気をつかってつき合いますか。「負け組」の自分への配慮やおめぐみをもとめますか。まじめな勝負を投げて、非常識なプレイや受けねらいに走りますか。ゲームの場自体をこわして、自分以外も不愉快にさせますか。

犯人は、「刑務所での服役を終えて出所したら、できるだけ人に迷惑をかけない方法で自殺する」と宣言しました。ですが、私は、服役中に改心するか、あるいは改心したことにするかして、口だけになる可能性もあると見ていますが、どうでしょうか。できるだけとはいっても、迷惑なしには自殺はありえませんので、私は自殺に賛成しませんが、決行されてしまった場合の影響も、心配なところです。同じように「クソみたいな人生、やってられない」と思った人が、同じことを考えてしまうでしょうか。それとも、むしろ反面教師として、広く影響をのこすことになるのでしょうか。そういえば、僕たちの「ガンダム」ランキング キャラクター編(宝島社)には、ランバ・ラルの自爆は、こうはなるなと若者たちに伝えたかったのではという解釈がありました。

華原朋美の「天然水」と後に続く持田香織

きょう、NewsCafeに、【ウラ芸能】華原朋美の笑えない話という記事が出ました。パソコンからのアクセスの場合は、User-Agentで対応しなければはじかれますので、OKMusicへ提供された同記事でご覧ください。

「それが影響しているのかもしれませんが、また彼女の精神状態を心配する声が上がり、このままでは仕事が激減する可能性がある、と心配するムキもあります」とあります。ふつうに「向き」と書いてよさそうなところを、カタカナにした理由がよくわかりません。漢字にすれば同じですが、カタカナではまるで、つい本気に、むきになっているように見えます。また、筋肉がたくましく張ったさまをあらわす擬態語の「むきむき」は、擬態語ですが「ムキムキ」と表記されるほうが多いので、そちらも連想します。サマーライオン 初回限定盤C(アイドリング!!!)に収録された「ミルキーガール」の歌詞には、「骨はムキムキ」とありました。あるいは、くだらないことで本気になる「ムキ」ですと、むずむずする曲名ですが、Dear My Friend(Every Little Thing)の歌詞に「すぐムキになって」とあるのが、一番売れた楽曲でしょうか。それにしても、そのELTの持田には、この記事の華原との相似を感じます。売れないアイドルを経て、意欲的なプロデューサーの下で大ヒット、そのプロデューサーとはなれた後で、精神的問題をうたがわれる奇行が話題になり、その間に元プロデューサーは失速と、華原の振れ幅を小さくして後に続くような展開です。すると、そろそろ五十嵐充も持ちなおすのでしょうか。

「それで観葉植物がうつ状態になってしまい『こんなになったのは、忙しくてかまってあげられなかった私のせいだよね。いいお水を飲んでね』と天然水をあげたら『ありがとう。元気になるね』と植物が言ったというような話です」とあります。元気になるのならよいのですが、この人に「天然水」と言われると、のろいの都市伝説を生んだ桃の天然水かと思ってしまいます。そういえば、賢治文学「呪い」の構造(山下聖美著、三修社)には、「私は歌手の華原朋美の大ファン」とあります。