きょう、Yahoo!知恵袋に、知らない人に攻撃する人の心理を知りたい。という質問記事が出ました。
攻撃そのものというよりは、「攻撃的な態度を取る人の心理を知りたい」というところのようです。より具体的なかたちとしては、同じくきょう、知恵袋の同じカテゴリに出た質問記事、都内在住の美男です。 街ですれ違いざまにいちいち容姿にケチつけて来る女がいま...のようなものをイメージすればよいでしょうか。以前にSNSへの不適切投稿の心理の記事などでも触れた、「~する(人の)心理」のパターンですので、人間にはそもそも攻撃性があるから、あるいはその逆に、攻撃性が人間という種をつくったという、アフリカ創世記 殺戮と闘争の人類史(R. アードレイ著、筑摩書房)のような一般的なお話では、求められる答えにはなりません。一部の人のそんなささいなことに、大きな用語である「攻撃」を使ってほしくないという声もあるかもしれませんが、毎日あちこちで出ていると思われる、そういう人たちのそういう「負のエネルギー」は、合わせればかなりの量なのではないかと思います。ワールドワーク プロセス指向の葛藤解決、チーム・組織・コミュニティ療法(A. ミンデル著、誠信書房)にある「叫び声や言い争いを美しい歌に変容させていった」グループのお話ではありませんが、みんながしあわせになる方向へ使えないものかと、つい思ってしまいます。ですが、みんながしあわせになると、その「負のエネルギー」もわいてこなくなるような気がしますので、振動するかもしれません。
さて、ここではありがちなけんかやいじめではなく、「知らない人に」というところに関心が向けられています。いわゆる「誰でもよかった」のようですが、悪口やにらみつけですので、ずっとささいなことです。それでも、アンサイクロペディアの誰でもよかったに、「だが、誰でもよかったと言う割には自分よりも強そうな人、政治家や社長のように社会的立場が上のような人ではなく、到底返り討ちに遭いそうにない、老人や女子供などの弱そうな人、後から仕返しされなさそうな人を選んでいることが多い。」とあるのが、同じようにあてはまりそうです。さっそくついた回答は、読んでよい気分のしない話題を含みますが、それでも相手を選んでいるはずだという冷静な視点があります。
「知らない人に」で思い出しましたが、行動心理学 社会貢献への道(岩本隆茂・和田博美編、勁草書房)のコラム「広汎性発達障害」は、「「人を殺してみたかった」.顔見知りの主婦を殺害した高校3年の少年は,そう供述した.」と書き出されます。ここは、以前に酒鬼薔薇の影響力の記事で触れた、愛知・豊川の事件のようにも見えるのですが、被害者はどちらも、顔見知りではなかったはずです。豊川ではないとすると、どこの事件なのでしょうか。ご存じの方がいましたら、教えていただきたいと思います。