きょう、ダ・ヴィンチニュースに、時代を築いたギャル雑誌の誕生と終焉という記事が出ました。ギャルと「僕ら」の20年史 女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉(長谷川晶一著、亜紀書房)を紹介するものです。
荻野善之の、「適当なモデルが見つからなくて、ふとひらめいたのが“読者モデルを表紙にしよう”というアイディア」から、「雑誌『Ray』の臨時増刊第1号として発売された『Cawaii!』の表紙は、読者モデルのみの水着100人スナップに」なったようです。当時の私は、いま以上にこういったことへの関心がなく、まったく見たおぼえがありません。そこで、少し検索して出てきたのが、ROCKIN' AND IDOLIN' LET THERE BE IDOLING!!!の記事、Cawaii!ですが、この創刊号は、月刊化したときのもののようです。eggの創刊号も出ていて、まったく感覚が異なるデザインであることがおもしろく思われます。ライバル誌として長くあらそいましたが、先に産まれたeggのほうが、長続きしたのでした。
さて、後に小さいおうち(文藝春秋)で直木賞を得る中島京子による、「あの頃、学校や家庭に居場所のない鬱屈したコたちに、『Cawaii!』という雑誌は行き場を与えてあげていたんだと思います」という指摘があります。ここ10年ほどで、居場所という概念は、心理学でも関心が高まり、「居場所の心理」文献リストもおかげでにぎわっていますが、「渋谷のギャルたち」の需要は、前からあったのです。I'm proud(華原朋美)が「街中で居る場所なんてどこにもない」と歌ったのが1996年、A Song for ××(浜崎あゆみ)が「居場所がなかった 見つからなかった」と歌ったのが1999年です。
そこに、Cawaii!の「居場所」による問題が起こったのでした。Cawaii!が足場を高校生にしぼったことにより、そこから卒業した「その読者の受け皿として少し年齢が上のギャルを対象にした『S Cawaii!』を創刊。」「現在も続く安定した人気を保つ雑誌となるが、このことにより『Cawaii!』と『S Cawaii!』は読者の取り合いに」、出版社のやり方としてはとても理解できるのですが、これが栄華をつまずかせたようです。ふと、増補新版 フルトヴェングラー 最高最大の指揮者(河出書房新社)で宇野功芳が、フルトヴェングラーが振るブルックナーを、「結果は悪いがやり方は正しい。」と論じたのを思い出しました。あるいは、学年誌の世界では、小学館は『小学一年生』と『小学二年生』が、集英社は『たのしい幼稚園』だけがと、下が残ったのですが、こちらは下が姉妹誌に負けたという点も、興味深いところです。
それでも、「『おしゃれなモデルが最新の流行を教えてくれるもの』だった雑誌が、『私たちが今、流行っているものを自慢するもの』へと変貌」、「編集部が雑誌を作り、綺麗なモデルが登場し、どこか遠い存在だった雑誌の世界を『Cawaii!』は変えた。自分たちが編集部と一緒に雑誌を作り、自分たちの仲間たちが発信する。」、この歴史的な位置は、ゆるがないことでしょう。大げさに考えれば、再帰的近代化(W. ベック・A. ギデンズ・S. ラッシュ著、而立書房)の主題につながりますが、おとなの、おとなによる、おとなのための流行とは異なる道をひらいたのです。
最後は、「ギャルが残り続ける限り、時代を彩った『Cawaii!』という雑誌の熱狂を人々は忘れないだろう。」と締めます。あのころのギャルが残っていると言えるかどうかは、考えがわかれるところでしょう。ガングロカフェに行きなさいと言う人もいれば、あんなものは動物園ですらないと、ばかにする人もいるのではないかと思います。
それで思い出したのが、日刊SPA!にきょう出た記事、わたしを“操り人形”とバカにする人たちへ――18歳女支配人・このみんの経営学「私のミカタ」です。CoCo壱番屋廃棄物横流し事件では、「実質的な経営者」だけが表に出て、対照的な意味で「ほんとの社長は誰なの?」という疑問を生みましたが、こちらは「“操り人形”と言われまくってきた」ことへの、この人なりの反論のようです。ですが、全否定するわけではなく、「結局何が言いたいかというと、「操り人形だって、しっかりやっていないと操り人形ではいられない」ということです。」「「操り人形」とバカにするみなさん、あなたにはそもそも、誰かに「操りたい」と思わせる価値があるんですか?」と、開きなおりともとれる主張で、いさぎよいと思います。楽天とはたらかないアリの記事の最後に取りあげた、みこしのお話を思い出しました。