生駒 忍

記事一覧

地味な流行語「嫁ブロック」と木村拓哉の手法

きょう、教えて!gooウォッチに、怪しげな会社に転職しようとする夫。思いとどまらせる方法はという記事が出ました。

ここは、「話題の出来事のQ&Aをウォッチ(観察)しながら、コラム形式で皆様に紹介していくサイト」ですので、4年以上前のQ&Aを持ちだされて、困惑した人もいると思います。「話題の」がかかる先はQ&Aではなさそうですので、ことしの流行語、嫁ブロックにあたるできごとと考えればよいでしょう。流行語そのものとしては、「センテンス スプリング」などよりはずっと地味ですが、BLOGOSに2か月前に出た記事、SMAP解散騒動で「キムタクだけ残留」の背景 転職時によくある「嫁ブロック」が発動かのようなかたちで、ことしの大きな話題が後からつながったものでもあります。ですが、このことばは、本文のどこにも見あたりません。「津ねや」のハタハタの記事で取りあげたもののように、書かなくてもわかるという考えかもしれません。

「転職してしまうと週1ぐらいしか休めなくなり、給与も今よりも下がってしまう事が心配なのだという。」と、ありがちな嫁ブロック事例のように見せます。実際には、早々に不正を求めてくるような会社であることも、不安要因なのですが、そこは触れません。タイトルにある「怪しげな会社」、節タイトルと思われる「■怪しすぎる、夫の転職話」も、そのあたりがわからないと、タイトルと中身とがずれて見えるでしょう。PRESIDENT Onlineにきょう出た記事、大学生の就職したい仕事は「地方公務員」という絶望のような、ねらってずらしたと思われるパターンでもありません。

「質問者さんのご主人と同じく独立話に乗って転職を決意したdoolittle5656さんは、以下の方法をオススメする。」として登場するアイデアは、どうでしょうか。久々にみんなで集まろう、飲もうという誘いに、まずは誰が来るのか、来ないかを聞きだそうとする人の、合理的、功利的な感覚にも近いかもしれません。あるいは、古くは花山天皇がはめられ、最近では木村拓哉がはめたともいわれる手法を連想するところもあります。女子プロレス エロカワ主義Ⅵ(ベースボールマガジン社)には、「世羅りさは待つだけの価値がある大器なのだから。」とありましたが、待たせて反応をみることで、先方の器の大きさをうかがうのも一手でしょう。

かわいい店員の列を選ぶ人と曾野綾子の好み

きょう、Yomerumo NEWSに、【激怒】アルバイト経験者が激白! マクドナルドに来たひどい客8選という記事が出ました。「激怒」ばかりではないのですが、「ひどいお客さんや変わったお客さんのエピソード」を集めたものです。

8種に整理されたものが、私はどれも見たことがないにもかかわらず、マックならありそうだと思ってしまいましたが「4. かわいい店員の列にしか並ばない人」と、「7. 注文を子どもに言わせる人」は、ほかでもまだありそうです。こういうことはと思い、Yahoo!知恵袋で、「かわいい レジ」で検索すると、スーパーのことが多いものの、想像どおりでした。また、スーパーで7に近いのは、セルフレジで子どもにさせるパターンでしょう。本人はしかたがありませんが、わきで見ているだけの親には、後ろに列ができているのも見てほしいと思うことがあります。

「仕事中はイラッとしてしまうかもしれませんが、人間観察が好きな人なら意外なところに楽しみを見つけられるかもしれませんね。」と、前向きに締めます。そういえば、週刊ポスト 6月12日号(小学館)で曾野綾子は、「幸いにも私が見て楽しいのは、名所ではなく人間と人生だ。」としました。

「たかが万引き」でない死と献立事件のうそ

きょう、ハフィントンポスト日本版に、「こんな気分になるために教師を目指したんやない」なぜ新任の女性教員は自殺したのかという記事が出ました。「都内の公立小の新任女性教員が2006年、自殺」、「東京地裁は今年2月、「自殺は公務が原因」として処分を取り消す判決を言い渡した。」ことを取りあげました。

広島の中学生自殺事件が、ニュースを連日にぎわせていますが、こちらは「5月、ある保護者に電話で「(児童が)万引きをした」との情報提供があったことを伝えると、「事実を示せ」と激しい抗議を受けた。最後は校長が謝罪する事態になった。」などとあります。「保護者とのトラブルについて、校長から全職員の前での説明を求められ、謝罪したこともあった。」、これも抗議の件ででしょうか。児童の反社会的行動をめぐる指導上の諸問題 窃盗(万引き)に関する指導を中心として(大蔵省印刷局)が「たかが万引きぐらい」と安易に考えることを厳しく戒めなければ」として31年、平成24年版 警察白書(ぎょうせい)にある、「警察では、“たかが万引き”といった風潮を一掃し、万引きを許さない社会気運の醸成や規範意識の向上を図るため、社会を挙げた万引き対策を推進している。」ことや、自分を消したいこの国の子どもたち [傷つきやすい自尊心]の精神分析(町沢静夫著、PHP研究所)での「たかが万引きなのにね」と子どもをかばう母への批判は、大多数の人が支持すると思いますが、万引きの情報が、それ自体が真が偽かというレベルで混乱を生じて、生徒も、教師も自殺に追いこむとすると、「たかが万引き」と考える社会だったら命が助かったかもしれないという皮肉を含めて、また別の意味で、万引きの「たかが万引き」ではない威力を感じます。

「判決を受け、父親は「教育関係者には、子どもたちを育てる場に、決して過労死問題を持ち込まないでいただきたい」と話した。」、正論でありつつ、皮肉がきいているようにも読めます。「授業での班分けについて、夜間や休日に携帯電話に繰り返し要望してくる親もいた。」「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細(ささい)なことで苦情を受けたり…」、問題を持ちこんでいる直接の「関係者」は、遺族のメッセージをどう思うでしょうか。

「教員は責任感が強く、頑張り過ぎる人が多い。人に頼んだり、無理な仕事は断ったりする技術も身につけてほしい」、これも正論ではあります。ですが、誰かが、どこかがかわって引きうけられる条件がないと、意味がありません。なぜあの保護者は土下座させたいのか(関根眞一著、教育開発研究所)には、「悪質な児童を転校させろ!」というクレーム事例がありますが、バカが多いのには理由がある(橘玲著、集英社)には、「問題のある生徒は片っ端から退学処分にしてしまう」私学のやり方が、公立では使えないため、学級崩壊やいじめの発生を封じきれないという指摘があります。「無理な仕事」をつくる親や子に、刑罰の無力化効果、つまり犯罪者を収監して一般社会からはなし、あるいは賛否はあるにしても、死刑で文字どおり娑婆から追うようなことは、使えません。人権無視が横行した、事件以前の宇都宮病院は、ほかが入れたがらない、対応のむずかしい患者を引きうける、必要悪としての面があったともいわれます。あるいは、皆さんのまわりには、入所者をていねいに選別した上で、障害者はこわくない、地域の理解をとうったえる施設は、ありませんでしょうか。

さて、最後のグラフは、「年5千人前後で高止まり」していることを読みとらせるもののようです。変化パターンや注目すべき転換点を示すのでなければ、グラフの必要性はあまりないようにも思います。むしろ、「臨床心理士、井上麻紀さん」の、「教員数は少子化に合わせて減少していることが影響している」との解釈に対して、絶対数と割合との対応から、たいした減少ではないのにと思わせることになりかねません。割合のゆれのほうが少々大きく見え、全体の微増傾向のために、多少は井上説に合う方向がうかがえますが、ここにも少しだけ、トリックを感じます。折れ線グラフの縦軸の目盛りは、読む上で意味のある範囲にしぼっただけで、下までのばせば棒グラフの縦軸の原点と同じ位置で0になりそうだと思った人は、注意して見てください。折れ線のほうの0は、もう少し下にくるはずで、つまりは折れ線のうごきのほうが、強調されて見えるようになっています。少しといえば少しですが、ふつうにつくれば同じになりそうなもので、そこを少しだけ、あえてずらしたことが、かえって気になりました。

それで思い出したのが、ハフィントンポスト日本版にきょう出た記事、音楽療法とは、どんな事をするのでしょう。です。最後に、「2016年3月9日 「Hawaii Web TV」から転載」とあります。ですが、記事が転載されたきょうの日付ではない上に、ここをクリックして出る記事は、どんな時差を考えても、9日とは解釈できませんので、転載元の記事が出た日でもありません。転載元で、「この記事の動画はこちら。」でクリックして出るものが、Hikoという人の3年半以上前のコメントがある、ずっと古いものである上に、実はこの動画そのものをYouTubeで確認すると、「2012/09/16 に公開」と表示されて、コメントが先行しているとわかるなど、ゆがんだ時空がひろがるのですが、「発達額的」など、ほかの奇妙なところはすべて大目にみて、ハフポに書いた日付だけでも、正しくできないものかと思ってしまいます。

それで思い出したのが、ハフィントンポスト日本版にきのう出た記事、「アンサイクロペディアの癖に......」 3月11日の項目が考えさせられるです。きのうの夜、訂正が入ったことが、後のほうでわかります。ですが、問題の献立事件の記述が、いまもうそを書いたままです。「教職員などから」になっているのです。そこにあるリンク先、同じくハフィントンポスト日本版にきのう出た記事、3月11日に卒業祝い給食、「震災の日に非常識」の声も みんなはどう思う?は、献立批判への全否定とはとれないツイートも紹介しているからと言いはるのかもしれませんが、「埼玉新聞が報じた。」として、「教職員などから」としています。もちろん、その埼玉新聞のウェブサイトへのリンクをクリックすれば、そうは報じていないことがすぐわかりますので、それこそ「非常識?」「困惑も」といったところです。

それで思い出したのが、ハフィントンポスト日本版の記事、【大阪中1殺害】事件2日後、容疑者はカレー店で「メッチャ美味いです︎」です。ハフポではめずらしい「コメント欄が本番」となり、あれだけ不注意だと笑われても、削除も訂正もせず、結局きれいに消えたのは、コメントのほうでした。書いたのは、安藤健二という人で、先ほどのアンサイの記事の記事と、同じ筆者です。

アルコール依存予備群の数と短時間での飲酒

きょう、J-CASTに、「話の分かる」課長の悲しい酒 「飲みニケーション」が招いた悲劇という記事が出ました。「家庭円満のA課長(52歳)。」の、もの悲しい事例です。

「日本のビジネスパーソンは、弱音を吐かない、強い心と体が求められてきました。」とあります。日本にかぎったことではないと思いますが、ほかの国よりもということでしょう。日本人の謙虚さの記事で取りあげた、宋文洲の指摘とも関連しそうです。

「ある日、会社の健康診断データから医師に「お酒をやめなさい」と言われた。やめたら、その後、発汗、頻脈、発熱などが続き、「天井からネズミが自分を見ている」などと言い出した。」そうです。出てきた症状は、アルコール依存らしいすがたですが、ある日言われてすぐやめたことは、一般的なイメージとはずれるようにも見えます。底が浅かったのではなく、「弱音を吐かない完璧主義な性格。」だったからかもしれず、みごとなUターンだと思います。そういえば、地方消滅の罠 「増田レポート」と人口減少社会の正体(山下祐介著、筑摩書房)には、「Uターンは難しい。難しいのは構造的にそうなのである。」とありました。

「ある調査では、働く人々の多数が軽症のアルコール依存予備群の危険があると警告を鳴らしています。」、どこのどんな調査で、多数とはどのくらいでしょうか。わが国では、440万、ないしは450万という数値が、予備軍の数とも、予備軍まで含めた数とも言われて、よく出まわっています。アル法ネットのアルコール関連問題を正しく理解しようでは、このカットオフでよいかはともかくとしても、「アルコール依存症者と予備軍(AUDIT15点以上)」が294万人とあります。なお、おそらく同じWHO世界戦略を踏まえたアルコールの有害使用対策に関する総合的研究からの推計と思われるものとして、第2回アルコール健康障害対策関係者会議の配付資料には、同じカットオフで292万人とあり、少々ずれます。そのくらいは小さなことだともいえますが、その一方で、たとえばWeb Designing 2014年10月号(マイナビ)の「インターネット依存症421万人が持つ意味」と見くらべると、あるいはその中にもアルコール依存との比較グラフがありますが、小さな問題に見えてしまいます。Amazon.co.jpで評価がわかれている現代用語の基礎知識2016(自由国民社)の、「アルコール依存症」の項の中ほどで、「アルコールは、自殺との関係で最近改めて注目されている。」として主張される問題などを示して、重さで返すべきでしょうか。少なくとも、スマホの身体依存の記事で取りあげた、陰謀論的な理解をする人には、重さを思いしらせたいとは思います。

さて、最後に「メンタルヘルスから見た、「良い飲みニケーション」の5か条」があり、最初が「1:「飲みニケーション」は、「特急」のぞみ(飲んだら止まらない)ではなくて、「各駅停車のこだま」で行こう。」、最後は「5:翌日にアルコールが残らないように、短時間、適量飲酒にしよう。」です。お酒の入るたのしい時間、のんびり行こうと言われたかと思うと、「短時間」とひっくり返されてしまうようでもありますが、声がすぐ返るという意味もこめた、こだまでしょうか。

小室哲哉への大衆側の反動とクロスロード伝説

きょう、ダ・ヴィンチニュースに、小室哲哉ブームを終わらせたのは宇多田ヒカルだった 1998年、音楽界はどう変わったのか?という記事が出ました。1998年の宇多田ヒカル(宇野維正著、新潮社)を紹介するものです。

「本書によれば、1998年におけるCDの総生産枚数は4億5717万3000枚。」とあります。「本書によれば」といっても、この本が算出公表したものではなく、日本レコード協会が発表した数値に、何の手も加えていません。

「時代の移り変わりを象徴したのが小室哲哉による“TKブーム”の終焉」、「約5年間にわたりヒットチャートを独占してきたことによる大衆の「飽き」と「反動」」、これが1998年の転換点にひびいたようです。この1998年まで、小室プロデュース作品は4年続けて日本レコード大賞を受賞し、そしてこれを境に、一度も取ることはないまま現在にいたります。受賞作のひとつが、1998年の最後、紅白歌合戦で最も視聴率をとったのも、頂点として象徴的であると思います。

「小室の気持ちを「様々なしがらみによって仕事を減らすことは不可能だった。むしろ増えていくばかりだった」と著者は代弁する。」とあります。正確な代弁ともいえますが、本人はすでに、罪と音楽(小室哲哉著、幻冬舎)で、「毎日が締切だった。」「それはもう、「生きながらにして死ぬ」ことを科された毎日だった。」「まさに「クロスロード伝説」さながらだ。」、そしてまさに、「「今ここで自分がくたばったほうが、残された人たちはビジネスになって喜ぶんじゃないか」とさえ、真剣に思っていた」と明かしています。