生駒 忍

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日本人だけが謙虚である調査結果と声かけ事案

きょう、It Mamaに、日本人が外国人と比べると圧倒的に「自己肯定感」が低い理由という記事が出ました。Amazon.co.jpで高い評価を集める、困ったココロ(さくら剛著、サンクチュアリ出版)の主張の紹介を中心として書かれたものです。

さっそくその本から、「さくらさんは、「日本人は歴史的に謙虚であることを良しとする文化を持っているから」と語っています。」と引きます。私は、この本をまだ読んではいないのですが、この「歴史的」の意味あいはどのようなものだったのでしょうか。古くからずっとということでしょうか、それとも、歴史上のできごとの影響で必然的にそうなったということでしょうか。もちろん、両方かもしれません。小浜逸郎のブログに4か月ほど前に出た記事、日本人の自己評価は、なぜこんなに低いのかは、大学での授業実践の経験をふまえたエッセイですが、もともとの特徴と、戦争の爪あととの、どちらもがあると指摘します。

「例えばインドでは「こんにちは」「お元気ですか」の二言だけしか話せないのに、「俺は日本語が話せる」と豪語する現地人がいた、とのこと。」とのことです。インド人もびっくり、と言ってよいのかどうかわかりませんが、これは大胆です。KANTER JAPANによる22か国調査の結果報告、日本人は「健康」に対する自己評価が低い。で、自分の健康へのコントロール感の最高がインド、最低が日本だったのを思い出します。一般には、自己評価での日本の特異的な低さが、よく指摘されます。週刊ポスト 7月19日・26日号(小学館)で宋文洲が、「日本人は真面目な上に自分の能力を高く見積もりすぎる傾向がある。」と指摘するのはむしろ特異で、心理学的に検証してほしいところです。先ほどの小浜のブログ記事でも、日本だけが反転するグラフがありますし、ベネッセ教育総合研究所の学習基本調査・国際6都市調査が報告する図1-3-1も印象的です。日本だけを見ると、左右、つまり成績の上下でどちらにもゆがまず、まん中から左右対称で美しいのですが、海外ではゆがむのが当然で、かたよっているのは日本のほうだと考えざるをえません。怒り爆発の表現、「You got me mad now」を日本人は、ゆがめすぎて、ゆがみがないように聞きとってしまうことを連想しました。

そのインド人の話題から進めて、「これについて、『カウンセリングサービス』にも、似たようなことが書かれています。」と来ます。二重かぎかっこでくくってありますが、本ではなく、そういう名称のウェブサイトからの、伝聞的な部分の引用です。

同じように、「ただ、『ダイヤモンド・オンライン』で、品川女子学院の校長・漆紫穂子さんは、「ほめてあげるのが苦手な大人が多い気がします」と日本の文化以外の問題も指摘。」、こちらは有名サイトですのですぐわかると思いますが、二重かぎかっこはやはり、ウェブサイトです。あまりほめないのも、日本の文化的な特徴のようにいわれがちですが、ここでは「日本の文化以外の問題」と位置づけます。文化ではなく、では日本の何だと考えることになるのでしょうか。

そして、また困ったココロからの話題に戻ります。ですが、この最後の引用が、『カウンセリングサービス』からのものとはうまくなじみません。成功では上がりにくい、失敗で下がりやすいのでしたら、こまかい向社会的行動でこつこつかせごうとしたところで、たまにつまづいてはふり出しに戻る賽の河原にはまるのではと、心配になります。文字どおり声をかけただけで「声かけ事案等」にされるとされるのは、Excite Bitの記事、これって不審者? 「声かけ事案」はどんなケースかから考えると都市伝説的ですが、席をゆずろうとしたらいやがられて、どちらも不快になったというたぐいの事例は、昔からたくさんあります。そこを意識すると、ゆずられるほうも気をつかうもので、発言小町の記事、ただのデブなのに、電車で席を譲ってもらいました。のようなことにもなり、あそこでよく見る表現で言えば、もやもやしますという感じでしょうか。

最後に、「【参考】」として、引用元の一覧があります。本文中でももう示してありますが、こちらではリンクもはられて、親切な印象をうけます。本に関しては、人文系の世界では書名だけではなく掲載ページまで求められますし、以前に日本語版ウィキペディアの嘗糞(상분)の項目で、「人糞を嘗める朝鮮人特有の遊び」をめぐって疑義が出たようなこともありますが、そこまででなくてよいと思います。そういえば、小保方騒動でも、ウェブ上の文章をだまってコピペした行為が笑いものになったところでした。前に書いた酒鬼薔薇の影響の記事で、早稲田のコピペの伝統の威力か、あの人だけが特異なのかと書きましたが、探偵ファイルにきょう出た記事、早稲田・小保方氏の指導教授らのゼミ、博士論文でコピペ大量発覚!は、前者の可能性をうかがわせます。そして、心理学にかかわる者として、これは対岸の火事、あるいはシャーデンフロイデですませるわけにはいきません。パーソナリティ研究の最初の号の最後にある報告書を、心理学者なら忘れてはいけません。あれはほんとうにあぶないところだった、査読者がもし、AとCとの2名だけだったらと、何度考えてもぞっとします。