生駒 忍

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「自主的」が「主体的」に書きかえられています

シリーズ第29弾です。

ワークブック242ページに、「表7 住民等の主体的参加」という表があります。これは、社会保障審議会福祉部会による市町村地域福祉計画及び都道府県地域福祉支援計画策定指針の在り方について(一人ひとりの地域住民への訴え)から、一部の内容を抜粋したものです。その一部とは、「市町村地域福祉計画」の「(2)計画策定の体制と過程」の中の「⑤ 地域福祉計画策定の手順」のことです。そこにある4項目が対象です。

ただし、その整理のしかたには、好ましくないところがあります。原文と見くらべていただくとわかりますが、基本的には、骨組みから遠いところを少しずつ削ってととのえる方針がとられています。同じ文の中に「明か」と「明らか」との両方が出てくる表記のゆれについては、「明らか」にそろえています。ですが、その中で特異な変更が加わっているのが、4項目目です。原文で、「このような住民等による問題関心の共有化への動機付けを契機に、地域は自主的に動き始めることとなる。」とあるところが、この表では「住民等による問題関心の共有化への動機付けを契機に、地域は主体的に動き始める。」となっています。「自主的」が「主体的」に書きかえられているのです。ほかのどの項目でも、原文の表現をほぼそのまま残しているのですから、似た意味のことばだとはいっても、ここだけをわざわざ書きかえてしまうのは、適切ではないと思います。この表につけた、「住民等の主体的参加」というタイトルに合った内容があったように見せたかったのでしょうか。ギリシャ神話の、プロクラステスの寝台のお話を思い出します。

大学非常勤講師と改正労働契約法の適用

この4月に、労働契約法が改正されました。それと大学非常勤講師の雇用とのかかわりが、ここのところ、あちこちで話題にのぼっています。今月14日の朝日新聞の生活面には、大学、5年でクビ? 非常勤講師、雇い止めの動きという記事が出ました。それから一週間少々して、池田信夫blogに非常勤講師という被差別民という記事が出て、なかなかのアクセスを集めているようです。

もっとも、この業界から見ると、今ごろになぜ、という印象も受けます。公布された昨年の8月に気づいていた人は少ないと思いますが、12月にはReaD & Researchmapで「いま聞きたい」という連載が始まり、その第1回が改正労働契約法は大学にどう影響を与えるか?というものでした。しかも、それから半年以上がたっていますが、今でもトップページからリンクされていますので、この業界の人のかなりの部分は、もう読んでいるはずです。トップページに出たままなのは、第2回以降がいつまでも出ないからで、前夜(幻冬舎)のようになってしまうのではと、心配なところです。

その第1回記事のQ10にあるように、大学の非常勤講師は、そもそも労働契約法の適用対象外になるという考え方もあるようです。その場合は、これまでと変わらないということになるでしょうか。もちろん、たいていは1年契約ですから、労働契約法でのしきい値になる5年は5回分ということで、従来からあるやや似たお話として、日立メディコ事件の判例を思い出します。最高裁での原告敗訴の判決文には、「その雇用関係はある程度の継続が期待されていたものであり、Xとの間においても5回にわたり契約が更新されているのであるから、このような労働者を契約期間満了によって雇止めするに当たっては、解雇に関する法理が類推され」、とあります。

朝日の記事については、いつもながらわかりやすく書けていると思います。記事の左側には、朝日が得意としている図解があって、これも親切です。気になるのは、早稲田大学のあつかいで、記事の中では2回出てきますが、4月の刑事告発のことには、ひと言も触れられていません。なお、そのうち最初のほうは、「朝日新聞の取材で、国立の大阪大や神戸大、私立の早稲田大が規則を改めるなどして非常勤講師が働ける期間を最長で5年にしている。」という文ですが、朝日の取材が規則改定をさせたというわけではありません。

また、年収500万円台で「生活はぎりぎり。1校でもクビになれば生活が成り立たない」という非常勤講師が登場しますが、週に15コマも入れることができるのは、専業非常勤でもあまりないことです。語学を担当しているということが、これだけそろえられる理由でしょう。語学はどこでも必修で、しかもLL教室の規模の制約や習熟度別のクラス分けなどがあって、開講されるコマ数が大変に多いです。そのため、同じ大学で同じ日に、何コマも続けてまかせてもらいやすい科目です。語学以外では、なかなかこうはいきません。ですので、これは特別な例と考えたほうがよいと思います。なお、この方はO先生ではないかというお話も入っていますが、私はお会いしたことがなく、わかりません。少なくとも、吉田拓史、牧内昇平の両記者とも、長岡宏大先輩のようなことは絶対にないはずです。

池田信夫blogのほうは、いつもながらきつい口ぶりですが、おおむね正論であると思います。ですが、「准教授になれば無条件にテニュア(終身在職権)が与えられ、年収は1000万円以上」と書かれたところは、正しくありません。最近では、任期つきの准教授もありますし、テニュアトラック制でまずは任期つきということも、めずらしくありません。

学習カウンセリングの定義と研究者

中国新聞が運営している、大学ナビというウェブサイトがあります。そこの、この先生に教わりたい!というコーナーに、子どもたちの内面に触れる機会は、教育者を目指す学生にとって最高の経験、という記事が出ました。掲載「日」のところには、2013年6月としか書かれていませんが、出たのはきのうです。私がこれを知ったのは、きょう、広島女学院大学が、その記事をニュースとして紹介したからです。ニュースには、「幼児教育心理科の桐木建始先生」と書かれていますが、幼児教育心理学科の桐木教授のことです。

主な話題は、学習カウンセリングについてです。この、学習カウンセリングということばは、いろいろなところで、いろいろな意味で使われていて、混乱しやすいところがあります。ここでは、「学習カウンセリングは、勉強につまずいている小学生を、心理学的な視点から分析し、支援するというものだ。」というとらえ方になっています。

学習カウンセリングの定義は、それ以外にもあります。たとえば、学習カウンセリングの可能性 ―学習方法の意識化の試み―という文書があって、そこには、学習カウンセリングで取りあげる内容を表にならべて、「日本語学習を進めていく上で表1に述べた問題を取り上げ、それを明確にし自らの解決を図るように援助するプロセスを学習カウンセリングと定義する。」とあります。なお、この文書ファイルは、坂谷内勝のウェブサイトにありますが、日本語教育連絡会議の報告発表論文集に収録されたものです。ファイルはPDF形式で、OCRもかけてあるのですが、Google検索では、副題が「門吉方法の意識化の試み」に変わってしまっています。

その筆者は、今は徳島大学教授になっています。ですが、本人のサイトでは、この文書の著者を、文書のはじめにある「ゲールツ・三隅友子」名義ではなく、単著であることには変わりありませんが、「三隅友子」とだけ書いています。また、文書では、所属先を大手前女子大学と書いていますが、本人のサイトにあるプロフィールには、そこでの職歴が見あたりません。

「正統的状況参加」でもわかります

去年の6月、今ごろかもう少し前だったはずですが、tenki.jpのみんなの気持ちで、「正統的状況参加」ということばを使った方がいました。もう、見えるところにはログが残っていないようですが、見たおぼえのある方はいますでしょうか。

「周辺」と「状況」とでは、読みも字面もまったく別で、類義語でもありません。それでも、他の人に通じることばでは何というもののことを言いたいのかは、考えなくてもわかりましたし、あのときに見ていた他の人も、あの分野の基礎知識だけあれば、すぐわかったはずと思います。

同じ用例を検索してみると、10年近く前に、エドという人が、「正統的状況参加」を使っているところが見つかります。この人は、自分のブログ内では、「状況」ではなく「周辺」のほうを使っていたようですが、そこはもう残っていないため、確認できません。状況に埋め込まれた学習(J. レイヴ・E. ウェンガー著、産業図書)を提示していましたので、「正統的状況参加」で指したかったものは、あれのはずです。

それでふと思いだしたのですが、ITmediaエンタープライズにあるコミュニティ・オブ・プラクティスの説明では、その原書が「エティエンヌ・ウェンガー(Etienne Wenger)博士とレイヴ・ジーン(Lave Jean)博士の著書『Situated Learning』(1991年)」と書かれていて、二人の順番がひっくり返った上に、片方の姓名もひっくり返っています。なお、このページがある用語事典コーナーは、「情報システム用語事典」と「情報マネジメント用語事典」との、どちらの呼び方もされています。

ヨミドクター記事「カウンセラーになるには」

きょう、ヨミドクターで、木曜日恒例となっているからだコラムの更新がありました。「遺伝のはなし」シリーズの最終回として、カウンセラーになるにはと題したコラムが公開されました。

このタイトルだけでは、誤解をまねきそうですが、内容はすべて、認定遺伝カウンセラーという民間資格についてです。「認定遺伝カウンセラーになる方法を尋ねる方がいらっしゃいますので」という理由で、今回はコラム全体が、その紹介文になっています。

最後の段落で、「認定遺伝カウンセラーは全国にまだ138人しかいません。」とあって、おどろいた方もいるかもしれません。認定遺伝カウンセラー制度委員会ウェブサイトには、「2013年2月現在」「わが国で」「活躍をしてい」る人数としてなら、ちょうどこの数が示されています。一方、認定遺伝カウンセラー資格取得者(2012年12月現在)としては、140人の氏名が明らかにされています。

その15人目にいるこれの筆者は、コラムの最後にはいつも、「昭和大病院認定遺伝カウンセラー」という肩書きを使っています。昭和大学病院が認定しているようにも見えてしまい、誤解をまねきそうなところがやや心配です。「昭和大病院遺伝カウンセラー」と書けば、その問題はなくせますが、いかがでしょうか。

また、気になる用法は、「遺伝のはなし」シリーズの初回、「多様性」 環境適応に大切の時にもありました。「私は、遺伝や遺伝子に関わる認定遺伝カウンセラーという仕事をしています。」と自己紹介しているのですが、この書き方は、認定の2文字までをふくめて、仕事の名前だという位置づけをしています。遺伝カウンセラーという職種があって、それに民間団体が対応づけた資格が認定遺伝カウンセラーだというかたちで、カウンセリング実践ハンドブック(丸善)でもあつかわれていますし、私の理解もそうだったのですが、ここではそうではないようです。