生駒 忍

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医療ソーシャルワーカー業務指針とその改訂

シリーズ第26弾です。

ワークブック387ページに、医療ソーシャルワーカー業務指針についての説明があります。そこでは、「医療ソーシャルワーカー業務指針検討会によって発表された「医療ソーシャルワーカー業務指針」(2002(平成14)年)では」という書き方が一番はじめにされていますが、少し後に、「「医療ソーシャルワーカー業務指針」は、2002(平成14)年に改正された。」と書かれています。これでは、業務指針は2002年に発表されて、その年のうちにすぐ改正されたように読めます。

実際には、1989年に最初のものが発表され、それを改訂したものが出たのが2002年です。先日出た現代社会福祉用語の基礎知識 第11版(学文社)にも、そのように書かれています。日本医療社会福祉協会のサイトの倫理綱領・業務指針のところから、両方のバージョンを見ることができます。見くらべると、二つの間にあった内外の変化がうかがえます。たとえば、業務の範囲について、1989年版では5種類があって、順に、「経済的問題の解決、調整援助」「療養中の心理的・社会的問題の解決、調整援護」「受診・受療援助」「退院(社会復帰)援助」「地域活動」となっています。これが、2002年版では6種類に増えて、「療養中の心理的・社会的問題の解決、調整援助」「退院援助」「社会復帰援助」「受診・受療援助」「経済的問題の解決、調整援助」「地域活動」というぐあいに変わりました。退院と社会復帰とが分離されましたし、並び順も、時代の変化をあらわしているといえそうです。ですが、順序には特に価値はないという考えも、あるかもしれません。保健医療ソーシャルワーク論(田中千枝子著、勁草書房)では、もちろん2002年版を取りあげていて、資料としてそれを11章の後ろに載せていますが、その11章の本文では、経済的問題、療養中の心理的・社会的問題、受診・受療援助、退院援助、社会復帰援助、地域活動という、1989年版に準じた順序で示しています。あるいは、古いものより新しいもののほうがすぐれているという、月並みな発想をうたがうべきなのかもしれません。新・社会福祉学講義 第2版(杉本敏夫・宮川数君・小尾義則編、西日本法規出版)は、2004年4月の公刊ですが、業務指針は1989年版のほうを載せました。

東大医科学研第40回創立記念シンポジウム

きょう、東京大学の公式サイトに、第40回医科学研究所創立記念シンポジウムの開催案内が掲載されました。今回のテーマは、"Dysregulation of signal transduction systems underlying intractable disorders"だということです。あくまで、intractable diseasesではなく、intractable disordersです。

開催日のところには、「2013年05月31日 00:00~00:00」とありますが、概要のところにあるように、所要時間は13時から17時までの4時間です。なぜこのように書いてしまったのか、少々気になって、サイト内の他のイベントの情報をのぞいていたら、東京大学ITSセミナーシリーズ20の開催案内で、開催日のところに「2013年05月29日 15:41~15:44」とあることに気がつきました。

認知症サポーターは資格ではないとされます

シリーズ第25弾です。

ワークブック217ページに、「認知症サポーターの資格要件は何か。」と問い、答えは「養成講座の修了」となる一問一答があります。これは、適切ではないように思います。

認知症サポーターの資格要件というからには、認知症サポーターは資格だということになりますが、そうでしょうか。認知症サポーターキャラバンのサイトを見まわしても、「「認知症サポーター養成講座」を受けた人が「認知症サポーター」です。」という、ボーリングによる知能の定義を思わせる定義はありますが、資格だという表現は、どこにもありません。資格ではないとも書かれていません。

ですが、資格ではないという明言は、あちこちでされています。日本農業新聞東北版の、認知症サポーターを養成 介護に生かしてと講座 JAきたかみという記事には、「資格ではないが」とはっきり書かれています。また、公的な報告書にも見つけることができます。「平成24年度 第1回八尾市地域包括支援センター運営協議会」について(報告)を見ると、「認知症サポーターは資格なのか、名前が公開されるのか、また、今後サポーターの活用方法を検討しているのか。」という問いへの回答で、「地域で見守りの目を増やす目的で行っており、資格ではない。」と明言されています。平成21年度第2回高槻市社会福祉審議会高齢者福祉専門分科会でも、「認知症サポーターというのは特に資格ではありません。」という回答があったことが記録されています。なお、これにつながった問いを見ると、「認知症の問題は非常の大きいと思うのですが、認知症サポーター100万人計画の中で、現在1,200人ですね、この方たちは具体的にはどういうものですが。資格をとったらそれはどういう役割をするのですか。」と書かれていますので、この文字どおりの発言だったのかは、やや疑問に思います。そして、資格であることをはっきり否定するこれらに対して、キャラバンが抗議や撤回・訂正要求を行ったとは、いまだに聞いたことがありません。

年金アドバイザー4級テキストの要注意部分

明解 年金の知識 2012年度版(山崎泰彦・小野隆璽著、経済法令研究会)という本があります。はしがきに、「思い切って枝葉を刈り込み,コンパクトな解説を心掛けた」、「入門的な基礎知識としては,この程度で十分」などとあるように、年金制度の大まかな骨組みを述べた一冊です。見ひらきごとに話題をまとめ、図表をふんだんに加えて、わかりやすく書かれています。

本文中にはどこにも書かれていませんが、銀行業務検定の年金アドバイザー4級を受けるのでしたら、実はこれが、実質的なテキストになります。200ページもない分量ですが、これ一冊を頭に入れれば、すべて正答できるはずです。労災保険関係の年金や議員年金はまったく取りあげられていませんが、このあたりは出題されません。一方、退職金の課税方式のような、年金そのものとは別の話題も載っていますが、試験には退職金控除に関する計算問題が出ています。福祉領域のテキスト等ではあまり学べない確定拠出年金も、この本にはもちろん載っていて、出題もされます。私は、退職金控除も確定拠出年金も解けましたが、満点でなかったということは、はずかしながらこの本の分量も入りきっていなかったということになります。

さて、この本は、コンパクトによくまとまっていて、年金アドバイザー4級を受けない人にもすすめられるよい本だと思うのですが、適切とはいえない記述もあります。いずれも、試験で直接問われることはなさそうなところですが、いくつか挙げておきたいと思います。

・66ページに、福祉施設規定の見なおしについて述べられています。そこに、「年金福祉施設の設置等の根拠であった,被保険者等の福祉を増進するために「必要な施設をすることができる」旨の規定を廃止する」とあります。規定がなくなったのは、その通りです。ですが、旨と書かれていますが、かぎかっこ内はこの本の筆者が主旨をまとめたものではなく、当時の法規にあった表現そのままです。日本語としておかしいのですが、筆者の問題ではなく、かつての厚生年金保険法79条、「政府は、被保険者、被保険者であつた者及び受給権者の福祉を増進するため、必要な施設をすることができる。」からそのまま引きうつしたものです。

・96ページに、国民年金の学生納付特例について述べられています。そこに、「在学する大学が学生納付特例事務法人の指定を受けていれば,平成20年4月より,在学する大学等の窓口での申請が可能」とあります。「在学する大学」と「在学する大学等」との両方が出てきますが、これは前のほうを修正して、そちらも「在学する大学等」とするべきでしょう。なお、国民年金法109条の2にあるように、厳密には教育施設ごとではなく法人単位で指定を受けるのが学特事務法人制度です。

・136ページに、障害年金の障害認定日について述べられています。そこに、「心臓ペースメーカーおよび人口弁については装着したとき」とあります。正しくは、人工弁です。見るまでもないとは思いますが、国民年金・厚生年金保険障害認定基準 平成24年9月1日改正の「第3 障害認定に当たっての基準」の、1章11節2(10)に規定されています。

・161ページに、「退職金制度の形態」と題した表があります。一連のデータの出典が下に示されていますが、平成9年以前は労働省、平成20年については厚労省の調査で、では平成15年はというと、書かれていません。この年ですので、もう厚労省のはずです。探すまでもないと思いますが、就労条件総合調査 平成15年版(厚生労働省大臣官房統計情報部編、労務行政)に同じ数値がありますので、出典はこれだと判断できます。

浦上養育院の設立者は岩永マキだけでしょうか

シリーズ第24弾です。

ワークブック144ページに、明治期の民間による福祉事業がいろいろと取りあげられています。その中に、「明治期の民間慈善事業ではキリスト教の信仰をもつ人々による事業が多く、石井十次らの岡山孤児院、留岡幸助らの家庭学校、石井亮一らの滝乃川学園、野口幽香らによる二葉幼稚園(保育園)、山室軍平らの救世軍、岩永マキの浦上養育院などがある。」とあります。偉人の名前がならび圧巻ですが、他がすべて「ら」をつけているのに、岩永のみ一人で事業を行ったように書かれるのは、適切ではないように思います。

ほかの書籍での書き方を見てみましょう。系統看護学講座 専門基礎分野 社会福祉(医学書院)には、「岩永マキらによる浦上養育院(1874)など」とあります。そして、ほかの偉人については、「石井十次の岡山孤児院(1887),非行少年への感化事業を進めた留岡幸助の家庭学校(1899),知的障害児への療育を開いた石井亮一の滝乃川学園(1891),野口幽香・森嶋みねの二葉幼稚園(1900)など」というように、ワークブックとはほぼ反転しています。社会福祉概論(松井圭三・小倉毅編、ふくろう出版)でも、「ド・ロ神父・岩永マキによる「浦上養育院」、石井十次の「岡山孤児院」、石井亮一の「滝乃川学園」、山室軍平の「救世軍」など」、「留岡幸助によって設立された「家庭学校」」、「貧困児童の保護保育事業「二葉幼稚園」が野口幽香によって設置」とあり、むしろ浦上養育院だけが、一人で設立したものではない位置づけです。朝日 日本歴史人物事典(朝日新聞社)の岩永マキの項には「孤児棄児の養育施設(のちの浦上養育院)を,同志の女性数名と共に開き」、日本社会福祉人物史(上)(田代国次郎・菊池正治編、相川書房)には「1874 (明治7)年岩永マキ、ド・ロ神父などによって浦上養育院が創立」とあり、明治期日本キリスト教社会事業施設史研究(矢島浩著、雄山閣)には「岩永マキらは、浦上養育院を設立すべくして設立したのではない」という表現が出てきます。そして、大正・昭和カトリック教会史(3)(高木一雄著、聖母の騎士社)は、「明治十年(一八七七)、ド・口師創立」とします。