生駒 忍

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FreidmanではなくFriedmanです

シリーズ第11弾です。

ワークブック74ページに、「フリードマン(Freidman, M.)とローゼンマン(Rosenman, R. H.)が提唱したタイプA行動パターンは、冠状動脈性心疾患と関連があると報告されている。」とあります。ストレスに関する節の中に、これだけを書かれても、予備知識のない人にはなぜストレスの話題で出てくる内容なのかが、やや見えにくいように思います。

しかも、名前のつづりに、誤りがあります。フリードマンは、正しくは"Friedman"です。なお、これは、日本人らしいまちがい方というわけではなく、英語圏でも見かけるスペルミスのようです。1年ほど前に出たThe family counselor(J.H. Blass著、iUniverse)でも、たしか中ほどにあったと思いますし、少し探してみて気づいたところでは、たとえばペンシルバニア大学の学生新聞、The Daily Collegian1979年9月28日付の紙面に、とても小さな字で出ている"Dr. Meyer Freidman"は、おそらくこのフリードマンなのだろうと思います。

日心77回大会1号通信等が届きました

先週のことですが、日本心理学会の1号通信等が、無事に届きました。以前に、日心大会の表サイトと裏サイトについて書きましたが、1号通信の発送時期の2度目の変更の発表も、「裏サイト」が先に行っていました。そして、三度目の正直でしょうか、今度こそ示されたとおりに発送されたようで、とても安心しました。

フランスの法定年金には国庫負担が入ります

シリーズ第10弾です。

ワークブック302ページに、フランスの社会保障制度が、ごく簡単に説明されています。ですが、誤りを含んでいます。

「年金は、法定年金、高齢者連帯手当の2つである。」とありますが、老齢年金がこの2種類ということです。障害年金や遺族年金に相当する無拠出給付もあります。

「法定年金は、40年以上の被保険者期間と年齢60歳を要件として支給される。」とあります。だとすると、現在で25年、改正後で10年になる予定の、わが国の国民年金の最低加入期間をはるかに上回る、きびしい制度だということになりますが、そんなことはありません。厚生労働省のサイトの、諸外国の年金制度:フランスを見てみましょう。最低加入期間はなしとあります。ただし、厳密には、フランスでは加入期間を四半期単位で数えますので、最低で3か月は必要になります。筆者は、60歳から満額で受給するための条件を書きたかったのでしょうか。なお、支給開始年齢は、前のサルコジ政権下で62歳まで延ばすことになり、オランド政権では一部を公約どおりに60歳へ戻すことになりました。そのかわりにと言ってよいかわかりませんが、ブルームバーグのHollande Presses French to Embrace Social Revamp to Spur Growthという記事によれば、給付の減額にも手をつけざるを得ないようです。そういえば、60歳へ戻したときに、フィナンシャル・タイムズが、Hollande's first step is a faux pasという社説で批判していました。

「法定年金に国庫負担は原則なし。」とありますが、これも誤りです。もう20年以上、しっかりと租税が投入されています。

日本心理研修センター設立記念フォーラム

以前に、日本心理研修センターの創設について取りあげました。そこで予想したとおりに、4月1日に一般財団法人として設立にいたりました。もちろん、大事なのはこれからで、つくってしまえばそれでおしまいというわけではありません。先日に文庫化された欧亜純白 下(大沢在昌作、集英社)に、「いよいよ、終わりが始まった。」というフレーズがありましたが、これはその逆、始まりが終わったとでもいうべきところでしょうか。あるいは、国家資格が実現してはじめて始まるのであって、まだ始まってもいないという考え方のほうが正しいかもしれません。

今月14日に、設立記念総会と、設立記念フォーラムとが開催されます。フォーラムのほうは、広く参加が可能になっています。センターのブログに、一般財団法人日本心理研修センター設立記念フォーラムのご案内という記事があり、その一番下から、PDFファイルのダウンロードができます。このファイルは、3ページからなっていて、1ページ目は理事長のお名前でのご案内の文書になっています。チラシの部分は2・3ページ目で、それぞれ表と裏だと思う人が多いと思いますが、私のところに届いたものでは、ご案内文書も含む3枚が左上をステープラーでとじられていて、両面印刷にはなっていませんでした。

相対的剥奪はしたくてもできない状態です

シリーズ第9弾です。

ワークブック318ページに、「タウンゼント(Townsend, P.)は、所属する社会で標準的とされる生活様式や習慣、活動に参加できない状態を貧困ととらえ、当たり前とされる生活から外れることを相対的剥奪として、新しい貧困観を提示した。」とあります。タウンゼントのつづりは、専門家にもまちがわれやすいようで、世代・ジェンダー関係からみた家計(小泉眞麻子著、法律文化社)は、引用文献のところでは"Townsent"と書くありがちな誤りをくり返していますし、MINERVA福祉資格テキスト 社会福祉士・精神保健福祉士 共通科目編(ミネルヴァ書房)では、ほかではあまり見かけることのない、"Thownsend"という誤り方をしていますが、このワークブックでは正しく書けています。ですが、相対的剥奪の説明としては、これでは誤解をまねくように思われます。

まず、先にふれておくと、相対的剥奪という用語は、タウンゼントがつくり出したものではありません。American soldier: Adjustment during army life(S.A. Stouffer著、Sunflower University Press)が初出であることは、タウンゼントも認めています。

では、タウンゼントのいう相対的剥奪とはどんな状態かというと、「人々が社会で通常手にいれることのできる栄養、衣服、住宅、居住設備、就労、環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いていたり、一般に経験されているか享受されている雇用、職業、教育、レクリエーション、家族での活動、社会活動や社会関係に参加できない、ないしはアクセスできない」、これはInternational analysis of poverty(P. Townsend著、Harvester Wheatsheaf)からの、高齢期と社会的不平等(平岡公一編、東京大学出版会)にある和訳です。また、あの大著、Poverty in the United Kingdom: A survey of household resources and standards of living(P. Townsend著、University of California Press)の915ページ、"the absence or inadequacy of those diets, amenities, standards, services and activities which are common or customary in society"でもよいでしょう。ほかに、31ページも有名ですが、長くなるので、ここでは引きません。

ワークブックの記述では、貧困と相対的剥奪とが分けられていますが、実際のところは、必ずしも明確ではありません。さきほどの915ページには、"If they lack or are denied resources to obtain access to those conditions of life and so fulfil membership of society, they are in poverty."ともあります。広くまとめて、相対的剥奪の定義としてあつかったほうがよいかもしれません。

また、ワークブックで相対的剥奪として示されているのは、「当たり前とされる生活から外れること」ですが、この表現は適切ではありません。そのあたりまえの、ディーセントなくらしもできるのに、あえて外れるような場合は、相対的剥奪には含めないはずです。飽食の時代に食べないことを志向するダイエット、日本で必死で貯金して途上国でゆるい日々を送る外こもり、大寺院に属しながらの壮絶な荒行、いずれも相対的剥奪とは考えにくいでしょう。相対的剥奪は、できるのにしない状態ではなく、どんなにしたくてもできない状態であるということが、ここの表現からはつかみにくいと思います。

ちなみに、できるのにしないという選択の議論は、このワークブックではすぐ後に登場する、センのケイパビリティ論へとつながります。ごく大まかにいえば、選択の自由の幅が広いことを重要視することになります。ですが、いろいろな選択肢が手もとにそろうのが、ほんとうに豊かで、よいことなのかは、むずかしいところです。あえて質素なくらしに徹した先人たちを論じた清貧の思想(中野孝次著、文藝春秋)からは、所有をなくすほど精神の自由がひろがるというような考え方をかいま見ることができます。心理学者による古典では、自由からの逃走(E. フロム著、東京創元社)はもちろんですが、ウォールデン ツー(B.F. スキナー作、誠信書房)も興味深いでしょう。そして、最近では、さらに別のアプローチも見つかります。Xイベント 複雑性の罠が世界を崩壊させる(J. キャスティ著、朝日新聞出版)では、複雑性が高まりすぎて確率的にさえ予測がむずかしい問題の問題が論じられますが、その中で、経済力がある人ほど選択肢が増えていってしまうことへの言及があります。また、1週間ほど前のWSJの記事に、When Simplicity Is the Solutionという、キャスティの問題提起にもつながるものがありました。80万本を超すアプリを配信するAppストア、ランチメニューなどを除いてもメニューが240種を超すチーズケーキファクトリーなどを例に出して、複雑化することの問題を示し、単純に、簡潔にするよさを述べています。そして、この主張は、その名もずばりのSimple(A. Siegel & I. Etzcorn著、Grand Central Publishing)という本として、そろそろ出版されるようです。