シリーズ第24弾です。
ワークブック144ページに、明治期の民間による福祉事業がいろいろと取りあげられています。その中に、「明治期の民間慈善事業ではキリスト教の信仰をもつ人々による事業が多く、石井十次らの岡山孤児院、留岡幸助らの家庭学校、石井亮一らの滝乃川学園、野口幽香らによる二葉幼稚園(保育園)、山室軍平らの救世軍、岩永マキの浦上養育院などがある。」とあります。偉人の名前がならび圧巻ですが、他がすべて「ら」をつけているのに、岩永のみ一人で事業を行ったように書かれるのは、適切ではないように思います。
ほかの書籍での書き方を見てみましょう。系統看護学講座 専門基礎分野 社会福祉(医学書院)には、「岩永マキらによる浦上養育院(1874)など」とあります。そして、ほかの偉人については、「石井十次の岡山孤児院(1887),非行少年への感化事業を進めた留岡幸助の家庭学校(1899),知的障害児への療育を開いた石井亮一の滝乃川学園(1891),野口幽香・森嶋みねの二葉幼稚園(1900)など」というように、ワークブックとはほぼ反転しています。社会福祉概論(松井圭三・小倉毅編、ふくろう出版)でも、「ド・ロ神父・岩永マキによる「浦上養育院」、石井十次の「岡山孤児院」、石井亮一の「滝乃川学園」、山室軍平の「救世軍」など」、「留岡幸助によって設立された「家庭学校」」、「貧困児童の保護保育事業「二葉幼稚園」が野口幽香によって設置」とあり、むしろ浦上養育院だけが、一人で設立したものではない位置づけです。朝日 日本歴史人物事典(朝日新聞社)の岩永マキの項には「孤児棄児の養育施設(のちの浦上養育院)を,同志の女性数名と共に開き」、日本社会福祉人物史(上)(田代国次郎・菊池正治編、相川書房)には「1874 (明治7)年岩永マキ、ド・ロ神父などによって浦上養育院が創立」とあり、明治期日本キリスト教社会事業施設史研究(矢島浩著、雄山閣)には「岩永マキらは、浦上養育院を設立すべくして設立したのではない」という表現が出てきます。そして、大正・昭和カトリック教会史(3)(高木一雄著、聖母の騎士社)は、「明治十年(一八七七)、ド・口師創立」とします。