国際文献社がかかわる学会の「ポータル」を、ご存じでしょうか。あそこには、心理系の学会もかなりお世話になっていますので、その「ポータル」もいろいろとあります。ログインするわけにはいきませんので、FAQのページを挙げてみます。
また、「学会」とはついていませんが、学会の「ポータル」である可能性の高いものもあります。
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きょう、マイナビウーマンに、匿名のメールが危険な理由「割れ窓理論」という記事が出ました。割れ窓に関する議論には関心があるのですが、少なくとも私には、この文章からライターが伝えたかった主旨がうまくつかめませんでした。それも、たとえば小町なら、少し前にトピ締めになった職場の人のお見合いに同行しましたのような、書きたいという意志は感じられるようなものでもなく、正直な印象としては、コピペにたよったやる気のないレポートのように思えてしまいました。そして、実際に、コピペと思われる内容を含んでいます。
「匿名性という心理」という節は、たとえば「匿名性の心理」というようなタイトルにしたほうがわかりやすいと思いますが、ここで「割れ窓理論」が登場します。ですが、ここがコピペです。日本語版ウィキペディアの、割れ窓理論#沿革のところから持ってきて、途中に2行分の改行を加えただけです。改行だけでなく、二重かぎかっこをふつうのかぎかっこに変える修正もあるという見方もあると思いますが、この項目の初版ではふつうのかぎかっこで、4年後に二重かぎかっこにされましたので、昔のものからコピペしたとも考えられます。その間に、その次の文では「また」が「又」になってまた「また」に戻っていますので、「また」になっているころからです。また、コピペレポートにありがちなパターンで、これがジンバルドーの理論のように見える文章になってしまっています。ですが、ジンバルドーではなく「ジンバルト」と表記されています。この方の表記はいろいろあって、迷いの晴れる時間術(P. ジンバルド・J. ボイド著、ポプラ社)や、ついに日本語で読めるようになるルシファー・エフェクト 善良な人間が悪魔に変わるとき(仮題)
(P. ジンバルド著、海と月社)では、長音記号がつきません。サイコパス 秘められた能力
(K. ダットン著、NHK出版)では、「フィリップ・ジンバード」になっています。
次の節は、「フラストレーション攻撃仮説」です。本松良太郎という方のブログ記事、フラストレーション攻撃仮説・モデリング・社会的動機と自己呈示行動:攻撃行動の発現に関する仮説からと思われるコピペがあります。コピペしなかったところでは、先ほどのジンバルドーの師匠が、「N・Eミラー」という点の足りない表記にされています。中点で切りはなさないので、無理に見れば、「ミ」が流線で、「E」の字がはねとんでいるように見えないこともありません。そういえば、できる大人の食べ方絵じてん さんまをキレイに食べられますか?(小倉朋子監修、ナツメ社)の158ページでは、流線つきのエスカルゴのとび方が、力のいれ方が悪いためにとび出したのではなく、自力でまっすぐとんでくる、まるでフライング Windows.scrのようでした。
そして、「ペンネームは人を大胆にさせる」の節です。言いたいことはわからないわけではないのですが、心理学で「ペルソナ効果」というと、エージェントの認知に関する効果を指すことが多いように思います。また、心理学の外ではまったく別の意味で、PlayStation Vitaの売り上げ増加に関して使われたことがあります。MANTANWEBに、MD松尾のヒット解析 : “ペルソナ効果”でVita初の3DS超えという記事があります。
きょう、Yahoo!知恵袋に、ぶりっ子を嫌う心理って何ですか?という質問記事が立ちました。以前に、SNSへの不適切投稿をする人の心理と心理学という記事で書いた、心理学がなじみにくい「~する(人の)心理」のパターンですが、いくつか回答がついています。
通常、「ぶりっ子」は女性に対して使う表現ですが、ではその逆、男性版はあるでしょうか。古い概念では「軟派」、新しいものでは「チャラ男」が近いかもしれませんが、ほかの同性からの、嫌悪感を通りこして敵視にいたるほどの感じが、「ぶりっ子」ほどにはなさそうで、男女の非対称がうかがえます。ですが、女性でひとくくりにするのは乱暴で、その中でもさまざまな感じ方があります。きょうの週刊新社会のコラムで、男性のほうを向いていると判断したそれなりの歳の女性をこきおろしている辛淑玉も、昨年12月24日付の日刊スポーツで「「ぶりっ子好き」を公言するのも珍しい。」と書かれた大野いともと、いろいろです。
だいたい想像がつくかもしれませんが、発言小町を見てみましょう。昼田とハッコウ(山崎ナオコーラ作、講談社)に登場する「発言タウン」のモデルだと考えられる投稿サイトです。すると、少し前に盛りあがった、結局美人でぶりっこがいいの!?悔しい!!!など、想像どおりという感じです。Biz+サンデーのブログの、飯田香織による【女偏、男偏】という記事を読んだことがあっても、「嫉妬」がどちらも女へんなのはという、耳にたこのお話が頭にうかんでしまい、小町でよく見る表現を無理に使うなら、もやもやしてしまいますとでも言うところでしょうか。
「ぶりっ子」は、テレビでも使われますし、むしろ1980年代前半に、テレビが広めたことばといえるでしょう。NHKで放送された「あまちゃん」にも、その時代への言及の中で登場しました。ところが、あまちゃん 完全版 DVD-BOX1では、そこがカットされたというのです。アサヒ芸能 10月17日号
(徳間書店)によると、ぶりっ子と松田聖子とが結びつく表現に、聖子サイドからけちがついた影響のようです。ほんとうのことなのに今さら、と思う方も多いでしょう。著名人とはいっても、Q&A 思春期のアスペルガーのための恋愛ガイド
(G. ウーレンカム著、福村出版)でいう「言わない方がいいこと」のようなとらえ方をするべきところなのでしょうか。
きょう、ヒトメボコラムに、歪な愛情から逃れられない!? 法律から見るDVの範囲と対処法という記事が出ました。DV等の法的な位置づけと、対応のこつを述べています。重いですが広く知られてほしいことだけに、あのようなしきいの低いサイトで取りあげられたのは、ありがたいことだと思います。
ですが、私は読みだしてすぐ、授業でうそを教えてしまったのではないかと、少しあせってしまいました。「2012年度に配偶者暴力相談支援センターに寄せられた相談件数は、なんと77,334件にも及びます(内閣府男女共同参画局「配偶者暴力相談支援センターにおける配偶者からの暴力が関係する相談件数等の結果について」)。」とあったからです。急いで、配偶者暴力相談支援センターにおける配偶者からの暴力が関係する相談件数等の結果について(平成24年度分)を確認したところ、総数は89,490件でした。では、「77,334件」はどこから来たかというと、これの2年前のようです。平成22年度分は、タイトルに年度がつかず、配偶者暴力相談支援センターにおける配偶者からの暴力が関係する相談件数等の結果についてという名前で公表されていて、ヒトメボコラム記事での記述と対応します。下のけたを見て、平成22年度と2012年度とを混同してしまったのでしょうか。サービス心理学というブログがあって、残念ながら更新がやんでもう5年目に入りますが、そこの概数は2桁がちょうどよいという記事に対して、年については下に注意がかたよりがちということもありそうに思います。ちょうど100年ずれるまちがいは、意外とよく見かけるものです。30分でわかる尖閣と竹島(イースト・プレス)には、シーボルトの日本地図が1974年に公刊されたように書かれていますが、あれはこのような100年のずれに、シーボルト地図を取りいれたとされるミジョンの中国・朝鮮図との混同などが重なったものかもしれません。
「DVでもう1点、問題となるのは、ひどい暴力を受けているのに本人がDVであると自覚できていないケースが多いこと。」とあるのも、やや気になったところです。まず、DVという概念がない人には、どんなにDVを受けようとも、それをDVとは自覚しようがないはずですが、知識の啓蒙が有効なそういうパターンをイメージしているのでしょうか。それとも、配偶者暴力防止法1条の定義どおりかどうかはともかくとしても、DVの一般的な知識はあって、一方で自身に起きていることがそこにあてはまる質のものだという自覚はなぜかできないという、たとえば病態失認や、摂食障害や身体醜形障害にみられるボディ・イメージのゆがみに近いものでしょうか。あるいは、DVだと思えるひどい暴力を受けていても、愛されている場合はDVから除外される、というようなオリジナルなただし書きを創作してしまっているのでしょうか。少なくとも、オリジナルルールのない妥当なDVの知識があって、「ひどい暴力」が自覚できていれば、ここでいう「DVであると自覚できていないケース」にはなりにくいように思います。それとも、DVの知識と暴力の実体験とを、自分の頭の中で結びつけて考えることをしていないのでしょうか。そういえば、そろそろ全国に配本されたものと思いますが、ブッダが職場の上司だったら(F. メトカルフ・B.J. ギャラガー著、日本文芸社)という、「もしドラ」並にユニークなタイトルの本の中には、もしマッキンゼーの名刺を持っていたとしても、ブッダならば「自分の頭で考えよ」と言うはずだという一節があるはずです。この組みあわせは、日本の有名な「社会派」ブロガーを強く連想させますが、翻訳書のはずなのです。
その後で、アディーレの弁護士の発言の中に、「被害者は『自分は本当は愛されている、必要とされている』と錯覚し」とあります。今日の基礎心理学では、錯覚というと知覚に関する現象ですので、「誤解」や「かん違い」などにしてほしくもあるのですが、一般的な日本語として、「錯覚」がしっくりくる感じもわかります。心理学用語が外とずれるのは、「デマ」でも「自尊心」でもそうですし、「犯罪心理」や「音楽療法」にもそういう側面があります。実際には、心理学で扱っている錯覚の大半は視知覚の現象ですから、「錯覚」もあまり使われず、「錯視」なのですが、一般にはなぜか、こちらは使われにくい表現のようです。けさの日経MJにも、「MERRY タイツ、錯覚生かし脚細く」という記事があり、黒とピンクで錯視を意識したデザインが、カラー写真つきで紹介されていました。
大洗町は、太平洋に面した小さな町で、昔からの漁業と、海をいかした観光産業がさかんなところです。町の公式サイトのトップページは、役場らしからぬデザインで、観光への注力ぶりがうかがえます。ですが、2年半前の大震災で、大きな被害を受けました。震度6弱と大津波、そして原子力事故の風評被害が続きます。そこの観光が、ようやく持ちなおしてきたようです。
大きいのはやはり、日本有数の巨大水族館、アクアワールド・大洗です。朝日新聞茨城版の記事、大洗水族館に千客万来 茨城観光の牽引役に期待によると、この夏は過去2番目の来館者数を記録したとのことです。意欲的な展示の数々に、テレビ番組の影響が加わりました。テレビ朝日系「若大将のゆうゆう散歩」内での紹介もありましたが、TBS系「半沢直樹」が、ここにも効いています。きのうのmsn産経ニュースの記事、ドラマ「半沢直樹」 浅野支店長驚愕のメール場面…アクアワールド茨城県大洗水族館にもなりました。映像作品への登場は、まるまる舞台になった大洗にも星はふるなり(福田雄一監督)もありましたが、広く受けいれられる作品ではありませんでしたし、不可思議物語
(今関あきよし他監督)では一番最後のあれだけでほぼ無意味でしたが、大ヒットドラマの影響力は相当なのでしょう。
そして、これまで町が経験しなかった方向から、新規に観光資源を成立させたのが、ガールズ&パンツァーです。舞台とされる大洗町に、いわゆる聖地巡礼がやってくるようになったのです。以前の記事で、コンテンツツーリズムの学術団体について取りあげましたが、巡礼は観光形態のひとつとして、評価されるようになりました。大洗町での積極的な取りくみは、観光庁による第一回「今しかできない旅がある」若者旅行を応援する取組表彰の奨励賞にもつながりました。また、観光庁がTokyo Otaku Modeと協力して始めたサイトには、Seichi Junreiのコーナーが置かれ、もちろんガルパンも取りあげられています。これからは、はるか海外からも、まさに巡礼とよぶにふさわしい来訪が伸びそうです。きょうから、毎週日曜日の再放送が始まり、来年には映画公開も予定されていますので、特需はまだまだ続くでしょう。
さらに、終わらないゆるキャラブームに乗りたいのか、つい10日ほど前に、イメージキャラクターも定めました。茨城新聞が、シラスの塊「アライッペ」 大洗町ゆるキャラ決定と報じています。名前だけ聞くとアイヌ語風で、どこのキャラなのか誤解されたのではアピールのさまたげになりそうですが、北海道にフェリーでつながっていることを意識したのかもしれません。外見は、無数のシラスにハマグリの口で、どちらかというときもキャラという気もします。着ぐるみの雰囲気によっては、ふなのみくすのようにはりきると一部で受けそうですが、どうでしょうか。