船橋市こども発達相談センターが、臨時職員の公募を出しています。急募とのことで、応募時間帯の指定もありますので、気をつけてください。
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きょう、日本心理学会第77回大会のお弁当申し込み期限を、11日(水)に延ばすことが発表されました。メールでのお知らせと、ウェブサイトの更新との、両方で告知されました。
学会発表の申し込み期限が延びるのは、この世界ではもう、なかば当然のことになっています。今度のスポーツ心理学会や発達心理学会が、延長はないと宣言していたのは、今では延ばすほうがふつうになってしまったからでしょう。ですが、お弁当の申し込みが延びるのは、かなりめずらしいことです。
発表申し込みでしたら、思うように数が集まっていないときには、期限を延ばして、少しでも増やそうとするというやり方が一般的です。学会等の大会で、発表申し込みが多すぎて早めに締め切ってしまうことは、まずありません。期待よりもずっと少ない、あるいは非現実的な期待を持ってしまったために、後のスケジュールを圧迫することは承知で、延ばすものです。そういえば、これは学会ではありませんが、先日終わったYoung Perceptionists' Seminar 2013は、締切前でも参加定員に達したら後は受けつけないと宣言していましたが、締切は延長されて、結果的には、3日間の会期に一般発表は16件となりました。
では、日心大会のお弁当も、そういう事情なのでしょうか。これほど呼びかけても、期待した数の申し込みを集められず、異例の延長に賭けたのでしょうか。もしかすると、あの価格設定は一定以上の数が売れる前提でされたもので、あまりに申し込みが少ないと、不足分だけ誰かが自腹を切らされたり、値上げや内容のスリム化などで注文者にしわ寄せが行ったりするのかもしれません。そして、私の予想では、以前にお弁当を会場内で食べてよいのでしょうかという記事で書いた、チュートリアルワークショップでの飲食の可否の問題が、ここに来ての延長にかかわっているはずです。延長のお知らせメールの最後には、「※お昼の時間帯にございます事前申込制のチュートリアルワークショップでは一部のセッションを除き、お弁当を召し上がりながらご参加いただけます。」と付けたされています。実は私は、これに近い情報を、先に知らせていただいていますが、ここがわからず注文をためらっていた人が、これで注文しやすくなりましたので、それに合わせての延長だと考えると、納得がいきます。ありがたい配慮です。もちろん、「一部のセッション」がどこなのかわからないのでは困るというのも、とてもわかりますが、このあたりももう数日で公開されるか、参加者へ個別に知らされるかのどちらかの展開がある可能性も、あると見ています。
さて、この件の案内メールには、「昼食お弁当販売期間延長のお知らせ」と、「販売は事前申し込みをした方に限らせていただきます」という表現との両方がありました。販売ということばが、事前の手続きをさしたり、当日の金銭との交換をさしたりしていて、少し読みにくく感じました。そして、このあたりを読んで次に気になってきたのは、当日の会場での販売期間です。今のところ、お昼の小講演の会場で飲食してよいという発表はありませんし、チュートリアルワークショップも「一部のセッション」がありますので、これらに出る人には、できるだけ早いうちに食べてしまいたかったり、終わってからにしたかったりという希望もあるでしょう。すると、そういう「販売期間」の情報も、あると助かりそうです。それとも、お弁当はお昼のピーク回避のためのものなので、そういうオフピークに食べたい人は想定外なのでしょうか。
きょう、人民網日本語版に、心理カウンセラー育成、上海で本格始動という記事が出ました。「国家人力資源社会保障部」が証明書を出すということは、国家資格とみてよいでしょうか。一方こちらでは、国のつくりがちがうからと言えばそれまでかもしれませんが、この半世紀、国家資格の実現は近づいては消しとんでの蜃気楼です。
ですが、こちらでイメージするようなものと同じなのかどうかは、疑わしいかもしれません。育成訓練の主催者は、「これからの心理カウンセラーとクライアントとの関係は、『医師と患者との関係』と同じような関係となるだろう。」と言っているそうです。むしろ、心理学が一般に考えるカウンセラーの立ち位置については、「医患关系」ではないことが意識されるように思います。
育成訓練機関のトップは、「心理カウンセラーは、決して単なる『話し相手』ではない。」と言っているそうです。ここは、うなずけるところでしょう。もちろん、プロカウンセラーの聞く技術(東山紘久著、創元社)にもあるように、向き合って耳をかたむけることはとても重要です。ただの話し相手、「陪聊」というわけではないということです。ですが、現実的には、カウンセラーには聞き役を求めたい人もいますので、その期待にどう対応するかは、なかなかむずかしいところです。小町で少し前に盛りあがった、うつ病の私、家族から家事をしないと怒られますのトピ主は、そういうねらいで毎日のカウンセリングを求めたり、友だちにしようとしたりして、もちろん断られたそうですが、たしなめのコメントを浴びています。
きょう、OKWaveに、【心理学】大至急回答お願いします(´・ω・`)という質問記事が立ちました。内容は、動物行動に関するものです。
内容はともかくとしても、どういう動機での援助要請なのかは、タイトルだけで見当がついた方もいると思います。文面を見て、すなおに事情を書いている正直ぶりと、文字数まで注文するあつかましさとに、私は失笑してしまいました。そして、以前に『認知コントロール』がぴったりですという記事で取りあげたものと同じように、けちと言われても、この方に直接回答するつもりはありません。
ですが、こちらの質問記事には、早々と回答がついています。今のところ、最近では結婚式に着て行く黒ドレスに合うボレロの色についてなどでベストアンサーに選ばれているGraciesという方が2回、先週末に現れてかなりのペースで活躍しているryo-phoenixという方が1回の、計3回です。ですが、残念でも、当然でもあるかもしれせんが、そのどれもが、ずれた方向を向いてしまっています。
回答のNo.3に、「詳しくは、益田玲爾先生の魚類心理学をご高覧いただくと」とありますが、これはおそらく、魚の心をさぐる 魚の心理と行動(益田玲爾著、成山堂書店)のことだと思います。「魚類心理学」は、この著者が自分の専門分野を表すために、好んで使っている表現です。平易で親しみやすい本なのですが、Amazon.co.jpでは、タイトルに「心理」とつけたことで評判を落としているようです。私には、芯は心理学にはなく、あくまで魚好き、海好きの興味なのだということが見えてしまいますが、心理学の世界の外からも、心理を取りあげたものには見えにくいようです。著者は、こう見られていることに気づいているのでしょうか。ふと、2nd 2013年7月号
(枻出版社)にあった、新海誠が自作の秒速5センチメートル
に多くの観客がショックを受けたことに、自分とはちがうと気づかされたというお話を思い出しました。
ベルソーブックスのシリーズでは、この本よりもむしろ、魚との知恵比べ 魚の感覚と行動の科学
(川村軍蔵著、成山堂書店)のほうが、心理学者から見て心理学らしい本といえるかもしれません。なお、こちらの本は、2000年に出た後、5年ごとに改訂されてきましたので、すると再来年ごろに、また改訂される可能性があります。ウナギの回遊の章は、3訂版ではじめて登場しています。次の改訂があれば、「ヨーロパウナギ」と書いてしまったところの対応もされるでしょう。
プロ心理学のすゝめというブログがあります。「某大学院で心理学を学ぶ学生達が旧態依然とした心理学界への不満を吐き出すブログです。」とあり、タイトルも含めて、なかなか挑戦的であると思う方もいるでしょう。もう1年近く、更新が止まっていたのですが、きのう、ひさしぶりに新記事が出ました。右近という人による、分散とは何か (その1)と題した記事です。
ここで主題になっている、分散の加法性は、表面的にはむずかしいお話ではないのですが、意外に知られていないように思います。ですので、こうして、少しずつでも啓蒙してもらえるのは、ありがたいことです。少なくとも、記事になったことで知る人が減ることはありません。ですが、自分のアタマで考えよう(ちきりん著、ダイヤモンド社)ではありませんが、言われていることをそのまま信じてしまう人には、あぶないかもしれません。
平均は、加法性が常に成り立ちます。5教科のテスト得点がクラス全員分あったら、個人ごとに5教科の合計を求め、その平均を求めても、各教科の平均を求め、それを合計しても、同じになるということです。ですが、分散は、ずっとナイーブです。
例示のために、適当な仮想データをつくってみました。「い」~「る」の11名の、国語と算数のテスト成績という設定です。
国語 算数
い 80 91
ろ 75 88
は 45 70
に 65 82
ほ 95 100
へ 85 94
と 50 73
ち 90 97
り 70 85
ぬ 60 79
る 55 76
国語の平均は70、算数の平均は85になり、「プロ心理学のすゝめ」にある例とまったく同じ値です。分散は、国語が250、算数が90ということで、こちらは少しずれますが、この後で暗算をしやすい値に調整してつくりました。
11名それぞれについて、2科目の合計を出して、その平均を求めると、155になります。加法性が当てはまっています。そこで、次にその分散を求めてみると、640となり、250+90=340とはかけ離れた値になってしまいます。加法性の不成立は明らかです。
では、標準偏差ではどうでしょうか。分散の正の平方根をとればいいので、どれも暗算ですぐ出せます。250=5*5*10、90=3*3*10ですので、国語の標準偏差は5√10、算数の標準偏差は3√10です。もうお気づきですね。合計の標準偏差は8√10となって、つまりこのデータでは、分散はだめでも、標準偏差には加法性が現れているのです。
せっかくですので、別の考え方によるばらつきの統計量である、平均偏差も取りあげましょう。「プロ心理学のすゝめ」には、「残念なことに心理学の統計の授業においては「偏差の絶対値を取るのは面倒だから2乗にしちゃった(=´∀`)」と説明されることは多い。」とありますが、そのめんどうなやり方をとって、平均との差の絶対値を平均したものが、平均偏差です。計算すると、国語が150/11、算数が90/11、そして合計が240/11となります。標準偏差だけでなく、平均偏差にも、加法性が当てはまる結果となりました。「簡単に言えば、「分散は足し算 (加法) できる」ということである。」と書いてあったのは、分散「は」とあるように、ほかにはない加法性があることが、分散の優位性をもたらしているという意味をこめているのでしょう。ですが、ご覧のとおり、分散の加法性が否定された上に、同じデータで平均偏差の加法性は認められることがあるのです。
もちろん、分散の加法性は実在しないというわけではありません。もう種を見ぬいた方も多いと思いますが、今回の仮想データは、分散の加法性の成立条件からはほど遠くなるようにつくりました。平均では常に成り立ちますが、分散の場合は、加法性が成り立つための条件があります。そして、心理学が興味をもつような調査データですと、その条件が厳密に満たされることはなかなかないと思います。