生駒 忍

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印税生活のためのプロ意識と公募に落ちる作品

きょう、しらべぇに、夢の「印税生活」の実態は?物書き志願者が陥りやすい罠も…という記事が出ました。

「「印税生活」という言葉は、独特の魅力にあふれている。」と書き出されます。子どものなりたい職業調査の記事で取りあげた中にも、スポーツ選手、アイドル、研究者といった、はなやかな頂点はごくわずかで下が多数いる職業がならびましたが、「印税生活」は職業の名前ではないにしても、それらの仲間ではありそうです。はたらき方としては、自営業ということになるわけで、そう考えると、多くの人にとって、夢のくらしのイメージからははなれることでしょう。「本が売れない」というけれど(永江朗著、ポプラ社)には、「サラリーマン家庭で育った人にとって、自営業は「連帯保証人」とか「破産」という言葉と一体らしい。」とあります。

「また、安定した印税収入が得られるようになれば老後の不安もなくなる。」とあります。それだけでくらせる印税が続くのでしたら、これは正しいといえます。ですが、印税が絶えないように、老後もものを書きつづけていくつもりなのでしょうか。まさかとは思いますが、老いる前に書いたものが増刷つづきで、あとは何もせずにくらせるという想像ではありませんでしょうか。2章ほどまかせていただいた音楽心理学入門(星野悦子編、誠信書房)が発売1年で増刷となり、うれしい気持ちになっているところですが、大放言(百田尚樹著、新潮社)で明かされた、きちんと増刷される本を書きつづけるプロ意識、プロの仕事には、私などはとてもかないません。もちろん、心理学者が書いたものにも、安定のロングセラーはあります。私が持っているものですと、新訂版 教育と心理のための推計学(岩原信九郎著、日本文化科学社)が最強で、手もとにあるものの奥付を見たところ、「2007年1月10日 新訂版第34刷(通算41刷)発行(検印廃止)」とあります。

「まさか国からもらえる手当だけで老後の生活を営めるとは、誰も考えてはいないだろう。」、そうであってほしいものです。数十年前まで、恩給は別格としても、公的年金だけでくらそうという人は、少なかったはずです。それがいつの間にか、それだけでくらせないのはおかしいと言いだす人まで出てくるようになりました。40年も納めたのにという人もいますが、どんなに長生きしようともつきずにもらい続けられる権利と引きかえに、その40年で納めたのはいくらだったか、計算してみましたでしょうか。

「じつはこれが、物書き志願者の大半を苦しめる課題なのだ。」とされる問題、とてもうなずけます。やりたいことを見つける方法の記事で取りあげた、起業してやりたいことが見つからないのに、起業はしたいという状態を思わせます。

後半は、「公募賞選考から見る「ダメな作品」」へと話題がずれて、まずは「内容が他のそれと似通っている」、「他の作家に書く尽くされた世界観から一歩も出ていない」ものが、当然落ちるというお話です。名作を徹底して研究したのになどと言いだす人は、売れる文章術(中野巧著、フォレスト出版)でいう「第7の落とし穴」にはまっているのかもしれません。2015年4月6日にニッポン放送で放送されたオールナイトニッポンGOLDでの、バカリズムが後に退学するお調子者の同級生をくじいたという、強烈な回想トークを思い出しました。それでも、このタイプの人は、意外に自分はユニークだと信じているのかもしれません。サイゾー 2013年10月号(サイゾー)でモルモット吉田が正面から指摘したように、松本人志の映画が焼きなおしにすぎないのは、おそらくそれです。あるいは、アーティスト症候群(大野左紀子著、河出書房新社)が「自然体症候群」と命名した、私もはき気がするほど不愉快になる、試験に出ない英単語 普及版(中山著、飛鳥新社)の036の出番かと思うようなアピールにも、そのにおいがします。とっつぁんのブログに1週間前に出た記事、冗談の浸透速度にある、「よっこいしょういち」が自分のオリジナルだと思うくらいの素朴さであれば、そういう気持ち悪い自意識はまったく見えないのですが、むずかしいところです。

「「ドラゴンの背に乗った騎士が魔法を駆使して世界を救うために戦う」という内容の作品はまず一次選考で落とされる」、アルバイトの即断、文字どおりの「断」が目にうかぶようです。公募ガイド 2016年5月号(公募ガイド社)での、柏田道夫のQ&Aの3番目だと言われたとしても、これはそうなるでしょう。また、私立ポセイドン学園高等部 2(大江慎一郎作、集英社)で、バトル展開にすれば何でもうまくいくわけではないことも、感じておきましょう。

「魅力的な響きに満ちた「印税生活」という言葉だが、それを実現させるための道は決して単純ではないということを知っておくべきだろう。」と締めます。道のためには、火を絶やさずに、がんばってください。「木をくべなきゃ、火が消える」、(F. フェリーニ監督)でのせりふです。

父子間での「完全に一致」となやみ共有の意味

きょう、mamatennaに、疲れが吹っ飛ぶ♪ほっこり育児あるある7選!という記事が出ました。

内容は、「ネットでみつけた、育児あるあるを紹介します!」というものです。手ぬきだと思った人も多いと思いますが、つくる苦労と、結果のすばらしさとが対応するとはかぎりません。福田裕彦のきのうのツイート、だいたい「今の日本映画はつまらない」とか「神目線」言う人間は、への反応を見てください。

「最近はSNSに写真を投稿する人も多く見られますが、パパと子どもの寝相がまったく同じという姿に癒されるママは多いのだとか。」とあります。夫の寝姿が、「完全に一致」などと書かれて投稿されているのでしょうか。意外なところで似るのは、偶然の一致にすぎないか、意味あるシンクロニシティを読むところかは、それぞれでしょう。トムとジェリーまちがい探しランド 2012年5月号(白夜書房)にある、山中伸太という人の、主題歌の体験談はどうでしょうか。

「「リモコンがいつの間にか消えている!」という家庭は少なくないようですよ。」、皆さんのところではどうでしょうか。日刊ゲンダイの記事、中野劇団員殺害 捜査線上に浮上した“リモコンフェチ”の謎のようなこともありますので、気をつけてください。

「「ベランダで洗濯物を干していたら鍵を閉められた」「うっかりおむつを洗濯機に…」など、悲しいあるあるがチラホラ…。」とあります。UDやDfAの負の側面というと大げさかもしれませんが、皆さんのところでは、ベランダなどのかぎは、子どもにもあつかいやすいものになっていますでしょうか。スポーツ報知のウェブサイトにきょう出た記事、大阪小1女児転落死、空飛ぶシーンのアニメが影響?のようなこともありますので、気をつけてください。一方で、週刊現代 4月16日号(講談社)には、埼玉失踪少女保護事件に関して、「捜査関係者が言う。」として、「被害少女は『外から鍵が掛けられていた』と話しているが、いまのところはっきりした痕跡は見つかっておらず、手錠やロープなどで拘束していた様子もない。」という指摘があります。

「ママ友やパパと、悩みやその日あった子どものかわいいと思うことなどを共有するだけで、気分が軽くなるかもしれません。」と締めます。心理学的にも、意味のあることです。むしろ、日常的なこと、軽いものごとのほうが、共有しやすいかもしれません。ふと、世界最高のクラシック(許光俊著、光文社)にある、Jean Sibelius: Symphonies Nos. 4&6で聴けるケーゲルのあの名演は、他人にすすめるとなると躊躇するというお話を思い出しました。それでよいと思います。

児童養護施設内部の性暴力と恋愛商品化の時代

きょう、Daily News Onlineに、【日清食品のCM中止】矢口真里をなぜ起用?過敏対応の舞台ウラという記事が出ました。「日清食品株式会社が7日、3月30日から展開していた新CMの放送を中止した。」ことの騒動を取りあげたものです。

「同CMは、ビートたけしや小林幸子、ムツゴロウなど各界の大御所が登場した大がかりな作り」、これだけ見ると、大手らしいテレビCMです。ですが、矢口真里と新垣隆は、よくない方向性で有名にはなっても、ここに混ぜると小物なのに、かえって目だってメインより前に出てしまい、そのおもしろさのねらい方が裏目に出て、いらだたせてしまったのでしょう。単独では地味で丸いものが、よいところに加わると変に特徴を出すのは、どこでも起こりうることです。食べものでも、週刊朝日 4月8日号(朝日新聞出版)で東海林さだおが、豆大福について、「ぼくは納得できませんね、大福餅になぜ豆(赤えんどう)が混入しているのか。どういう発想でああいうことになったのか。」とし、dancyu 2016年3月号(プレジデント社)では佐藤孝夫という人が、ラーメンに入れる玉子を「見映えにも味にも邪魔だ!!」と非難したように、ネガティブな反応を刺激します。ですが、いちいち腹をたててしまっては疲れますので、PHPのびのび子育て 2015年5月号(PHP研究所)にある乙武洋匡の提案、「感情的になったら、やかんの絵でも描いて×印」などはいかがでしょうか。

「日清は、CM放送問題に直面した過去がある。」とあり、「CM放送問題」とは耳なれないことばなので、どんなものかと思ったら、「2014年1月のドラマ「明日がいない」(日本テレビ系)では養護施設関係者への人権侵害が取り沙汰され、他社とともにスポンサーを自粛した。」ときます。ドラマ名がおかしいのは、ままならない問題、あるいはおまんま抜きという意味をこめたのかもしれませんが、入所児童も関係があるので「養護施設関係者」であるとはいっても、所沢産野菜ダイオキシン事件の記事で取りあげた「葉っぱもの」のように、誤解のおそれがあるとわかるはずの表現がとられたことは、気になります。一方、そういう「養護施設関係者」側から見ると、実際よりもよい側面に、うそくささが感じられていたようです。THE PAGEの記事、虐待受けた子どもたちを取材した著者が語る「明日ママ」――「誕生日を知らない女の子」黒川祥子さんには、「施設出身者の子たちに、「このドラマについてどう思う?」と聞いたら、「フィクションだと思った」と言っていました。その理由を聞いたら、「子どもたちの関係がフラットだから」と。」とあります。現実の関係は、その誕生日を知らない女の子(黒川祥子著、集英社)を見てください。また、イザ!の記事、性暴力で年少者を支配する施設の子供たち…虐待、DV、性刺激の末にも、参考になるでしょう。

「CM擁護派が呆れた様子を示し、クレームに迎合する形で放送中止を決めた日清に「失望しました」と意見」、これもめんどうなことです。この手のパターンは、クレームが匿名であるために、クレームをつけた人に対して、批判的な人が直接に意見することができず、両側がたたかうのではなく、両側からたたかれるかたちになりがちです。

「「このCMでカップヌードル食べたくなるのか疑問」とCMの出来自体を否定する指摘」、これはMore Access! More Fun!の記事、カップヌードルの新CMって、自分にはジュラ紀のそれにしか見えない件で、すでにあったことです。ジュラ紀とは極端ですが、世界的に評価された「Hungry?」シリーズよりも古いという批判をこめたのでしょう。音楽誌が書かないJポップ批評61 DREAMS COME TRUE 恋愛歌マジック!(宝島社)で速水健朗は、ちょうどあのころの、イメージCMがあふれ、「“普通の恋愛”が商品化され」、ドリカムが若者の支持を集めていた、そんな時代の空気と、その3者が並行してかたむいていったことを論じました。時代は待ってはくれないのです。

それで思い出したのが、netgeekにきょう出た記事、國學院大學のパンフレットに致命的なミスがあって声だして笑ったです。本題はもちろん失笑ものなのですが、大学パンフレットで、学長紹介のすぐ右に、革マル派への警戒の呼びかけがあるのも異色です。ここは時代が止まっているのか、時代に取りのこされたのかといった見方は、大学側と革命家側との、どちらに向けるべきでしょうか。

見えないスクールカーストと「ほんとうの私」

きょう、BizLadyに、ウソ私って最下層!? 会社にもある「見えないカースト」あなたの位置は…という記事が出ました。

タイトルで、「ウソ私」をそういう複合語だと、一瞬だけ読みまちがってしまいました。「ほんとうの私」ではない「私」を、こう呼ぶというイメージです。もちろん、「ほんとうの私」をもとめる感覚が危険であることは、クローズアップ 学校(藤田主一・浮谷秀一編、福村出版)や、チャット恋愛学 ネットは人格を変える?(室田尚子著、PHP研究所)などに指摘があるとおりです。それにしても、SPA! 4月12日・19日号(扶桑社)でも、「今原幹恵」という人が活躍しているのだと誤解したところで、少々疲れているようです。

「なんと社会人にもカースト制度が存在するよう」、言いたいことはわかりますが、よい表現ではないと思います。「○○カースト」という表現に、たとえで使っているとわかるとはいっても、ほんものの重さを考えれば安易に使うべきでないという批判もあるわけですし、ここでははっきりと、制度としてあるように書いています。もちろん、カーストということばそのものが制度をさすので、「カースト制度」は「HIVウィルス」や「北大路通」くらいにはおかしなことばだ、あるいは単に「制度」とみたのでは本質をとられきれない、そもそも「カースト」ということばのなり立ちが不適切、などと言いだすときりがありません。

調査結果が、「しかし「最上層」(12.8%)、「上層」(13.4%)の2つを合わせると自分が「カーストの上にいる」と思っている人は26.2%も!逆に、「最下層」(7.0%)、「下層」(14.8%)を合わせると21.8%と対照的な結果に。」と表現されます。どこがどう対照的なのかが、よくわかりません。極よりはその手前のほうが多いのは同じで、むしろ対称的ですし、上が26.2、下が21.8では、等しくはないものの、対照的というほどのちがいにも見えません。「地位や収入で自分をランク付け」「「お金がない」ことで自分を低く」といったことであれば、正の歪度を持ちそうな分布から、上のほうが多い結果が出るのはふしぎだというのでしたら、わかります。平均以上効果が入ることも、わかります。ビニールタッキーという人のツイート、メイド喫茶やコスキャバに来る客は「俺はここにいる他の奴らに比べて気持ち悪くないから彼女たちに好かれている」とを思い出しました。下層ノマドの「新しい働き方」の記事の最後に触れたような、並を目ざす日本的な競争感覚とも関連しそうです。

さて、「また上には上がおり、医師の年収が高いと思っても、米国のIT企業家に比べものにならない場合も。またIT企業家でもハリウッドセレブなど、エンターテインメント業界やビジネスで大成功した人に比べれば収入は落ちるかもしれません。」とあります。1か月ほど前に話題になった動画、Be grateful fot what you have!を思い出しました。「大事なのは、「自分と人を比較してどうか」ではなく、「自分自身の目標を達成したか」。」なのです。ですが、その達成ができそうかどうか、他人との比較で気づくこともあります。PHP 2016年5月号(PHP研究所)には、エケペディアの牧野アンナで、Staygoldというアカウントが要出典をつけたところに関連しますが、安室奈美恵の才覚を目にして夢をあきらめた、牧野自身による回想があります。島田紳助が司会に転向したエピソードと同様、その後の道で、確固たる地位を得たわけです。なお、これをふくめて浮きしずみのあった牧野にくらべると、紳助の転向はなめらかでしたが、DVD付きマガジン よしもと栄光の80年代漫才 2(小学館)によれば、若い女性の「追っかけ」のターゲットになると芸が甘くなるとして、「あいつらを笑わしにかかったら終わりや」とまで言っていたのが、その正反対とでもいうべき「硬派」とのつき合いを甘くみて、芸能界を追われて終わったのでした。

さて、最後にきて、「以上、スクールカースト・社会人カーストの実態についてご紹介しましたが、いかがでしょうか?」とたずねてきます。ですが、スクールカーストのお話は、見あたりません。ママカーストのほうが、まだ記述があるくらいです。こころのきれいな人には、見えないのでしょうか。素材とされたオウチーノ総研の発表、「スクールカースト・社会人カースト」実態調査には、きちんと入っていますので、書きわすれたのでしょうか。音楽的コミュニケーション 心理・教育・文化・脳と臨床からのアプローチ(D. ミール・R. マクドナルド・D.J. ハーグリーヴズ編、誠信書房)の映画音楽の章を訳したときに、モハメド・アリ かけがえのない日々(L. ギャスト監督)の分析を紹介するように書いていながらされずに終わっていたため、訳注を足したのを思い出しました。

やらせ疑惑の食文化の調査と電話番号での露見

きょう、しらべぇに、県民が『秘密のケンミンSHOW』はヤラセと激怒!調査した結果という記事が出ました。

「全国47都道府県民の面白い特徴をとりあげることで大人気の番組だが、インターネット上では「ヤラセでは?」という声も多い。」とあります。テレビドラマの二極化の記事で触れた「愚民化装置」論を持ちだすと大げさですが、テレビはそういうものだと、わりきってたのしむくらいが、よいかかわり方でしょう。だからといって、ネットで流されるものも、すばらしいというわけではありません。ウェブニュース一億総バカ時代(三田ゾーマ著、双葉社)にある発信側の金言、「そもそもなぜ記事を読めているのかをユーザーは考えた方がいいよね。」が、とてももっともです。すばらしいものもありますが、ストレスと「負けるが勝ち」の記事で触れた問題、最近では週刊新潮 4月7日号(新潮社)で藤原正彦が、「無限にある石ころから玉を選び出す」と表現したような限界があります。こちらも同じ大学の名誉教授ですが、PHP 2015年2月号(PHP研究所)で土屋賢二が示した、他人もネットの情報もあてにならないので犬を、とまでわりきる感覚も、楽かもしれません。クッキングパパ連載30年の記事でも取りあげた号です。

このタイトルで、何をどのように調査したのかと思ったら、熊本県に関するもの2件について、飲食店3軒でのコメントをならべるものでした。しかも、2件は手と足という組みあわせのつもりなのかわかりませんが、ヒトデの話題のほうは、同じくしらべぇにおととい出た記事、熊本県民はヒトデを食べる!?真相を探りに天草へ行った結果の取材の使いまわしのようで、足を使わず手ぬきに見えます。それでも、同じ画像に見えるものは、2枚とも画質を下げてあったり、秀寿しを「秀寿司」と書きかえてみたりと、手を入れてはあります。

「もうひとつあった熊本ネタ「熊本県民は揚げ豚足が大好き」についても検証」、こちらは倍の軒数のコメントを取ってあり、ヒトデよりは手がかかっていますが、そのうち片方は「菊池市でピザ店『イルフォルノドーロ』を営む原田さん」です。そのうち、原田将和やその店をメインにした記事が出てきて、そういうことかとわかるのかもしれません。ふと、YouTubeに3年2か月前に出た動画、Vanishing Leprechaunを思い出しました。もちろん、どこに気を向けて見るべきかは、きょう出た動画、【全国の女子たちに聞いてみた】女子が意外と気にしない「男のコンプレックス」って何?の後のほうで言われたことなのですが、どこがどのようにと具体的な説明まではできない人は、自分でつくって検証してみましょう。

さて、「揚げ豚足の名店『とん八』」、こちらの取材は、安直ですがうなずけます。「食べないですよ。」「とあっさり言われて」、揚げた足についても、あっさりお手あげなのでした。

「結果としてはヒトデも豚足もかなり大げさに盛っている部分があると感じたが、どちらも名物として通用するぐらい美味しかったのは事実。」とあります。この中身でこのタイトル、「激怒」と入れたこともふくめて、「かなり大げさに盛っている」のはおたがいさまですし、これで通用するのは、ライターにとっておいしいのも事実でしょう。

「該当する県民からすると誇張されて違和感を感じるだろうが、県外の人が観光へ行くきっかけになるという点では、地域の活性化などにも役立っているのかもしれない。」と締めます。松山が坊っちゃん(夏目漱石作、岩波書店)を、仁和寺が徒然草を使う開きなおりを見れば、ただの違和感と引きかえにインバウンドをかせげるのは、ありがたい面もあるかもしれません。ここで気になったのは、県内の人の視点にたつお話であっても、「観光へ行く」であって、観光に来るとは書かなかったことです。どちらでも通じますが、行くか来るかで、印象が異なります。

それで思い出したのが、チューリップテレビのウェブサイトにきょう出た記事、県西部の少女を誘拐 LINEで誘い出し山形へです。被害者の手をつかんで車に乗せていったという埼玉失踪少女保護事件が、ひとりで手をつかんだまま乗せて発進する動作が裁判でどう検証されるかはともかくとしても、それとは異なり、こちらは家出の延長線上にあるパターンですが、出る方向のはずが、「親子2人で富山県にきて電車などを使い山形県の自宅に連れ去った疑い」と、親子がはるばるむかえに来る、異例の家出です。「渡辺容疑者はスマートフォンの無料通信アプリ『LINE』のやりとりで少女の悩みを聞きだしたうえで「こっちに来るか」「俺に甘えろ。全て解放してやるなどとそそのかし、誘い出していたことが捜査関係者への取材でわかりました。」とあり、ヘンな求人広告(イースト・プレス)にある「『胸少し大きいけどいろいろ大変でしょ」」のような、別の種類で対応させるものはまれでも、かぎかっこが閉じられていないことだけでしたらよくあることなのはともかくとしても、なやみから「全て解放してやる」と言われて、親子に期待したようです。ただし、朝日新聞DIGITALにきょう出た記事、13歳少女は無事保護 25歳男と母、誘拐容疑を認めるには、「全て開放してやる」とありますが、どちらもうたがわしい報道機関ではないと考えると、LINEにはどちらの表現も見つかったのだと思います。「少女は外出してから一度、母親と連絡をとっています」「体をしばられるなどの身体的な拘束はなく、ケガはありません」とあり、開放的でもあったのでしょうか。「あいの風とやま鉄道などで山形県にまで連れ去った」のも、いのしししか乗っていないなどということは絶対になく、物理的に拘束しての移動はできなかったはずですが、「山形県にまで」と、遠さが強調される表現が気になりました。それでも、いまは新幹線で乗りついで行けるようになりましたが、富山には、ほんものの新幹線では山形に行けない、格が違うと強調したい人はいますでしょうか。これだけ遠くなら見つかるまいと、親子は思っていたことと思いますが、「少女の自宅の部屋から大量の電話番号を書いたメモが見つかり、番号を調べていったところ渡辺容疑者らが浮上」、まるで陽動作戦かと思うほど物証がストレートで、どまんなかということでも山形を連想させたのでした。

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