生駒 忍

記事一覧

映画を見ることのメリットと魔法シーンの効果

きょう、IRORIOに、【ジャンル別】映画を見ると得られる5大メリットという記事が出ました。

タイトルからはやはり、映画を見ると得をする(池波正太郎著、新潮社)を連想しました。ですが、その本や、文学を読むことの意味の記事で取りあげたものとは異なり、こちらはすべて、実証研究にもとづくようです。そして、内容は海外サイトの記事の要約ですが、その手のものでは異例の、「出典元」が5件もある合わせ技です。ですが、タイトルの表記がおかしくなっているもののほうが多数派です。3番目は、日付と思われる表記もくずれていて、DVの実態と法の記事で触れた、100年のずれを思わせるところもあります。

5番目の、魔法のシーンの効果は、ユニークなものです。つい、まねして魔法の力を借りたいと思ってしまいますが、おとなが同じように見ても、頭の器用さを発揮させる力は、あまり出ないような気がします。そういえば、SOFT TENNIS MAGAZINE 2014年12月号(ベースボール・マガジン社)のまんが「グリップ!」では、青柳が「器用さだけで何とかできるのは小学生までよ」と言っていました。

「人生一度きり」の裏と自分から動けない人

きょう、Menjoy!に、地雷ぼーん!付き合ったら苦労しまくり「浪費家男性の口癖」3つという記事が出ました。「ファイナンシャル・プランナーの花輪陽子さんに、浪費家男性の口癖を聞いて」、「相手の深層心理を探ってみる」ことをすすめるものです。

まず、「人生一度きり」です。「なんだか、すごくポジティブシンキングでいつでも全力で生きているというイメージのあるこの言葉ですが、実は“今がよければすべてよし”という考えの裏返しかもしれないですね。」、同感です。少なくとも、来世を信じ、来世のために努力する信仰とは無縁の人でしょう。ポジティブシンキングが実はポジティブではない現実には、ピグマリオン効果とポジティブシンキングの記事でも触れましたし、最近ではたとえば、小二教育技術 2014年11月号(小学館)で田中ウルヴェ京が、「ポジティブになっても結果は出ない」と指摘しています。

次は、「これは俺にとって大切だから譲れない」です。「趣味やギャンブルにお金をかけ、たしなめても言い訳をして流す癖がある場合も」、これは手ごわいパターンです。通勤電車での恋の記事で取りあげたような、強力な学習が成立してしまっているなら、説得はとてもむずかしいです。また、「俺にとって大切だから」は、主観の世界に持ちこんで客観的な指摘を無効化してしまいますし、ベビーカーの外部不経済問題の記事で触れた「必要」「必需品」に近いあつかいにくさを生みます。

そして、「誰かが助けてくれるでしょ」です。これも、みごとなポジティブシンキングです。「日ごろから特に何も考えずに、なんとかなるだろうと思っている人は、本当にピンチになったときに、自分から動けない人なのかも」、その可能性は高いでしょう。だれかがどうにか症候群 現代人を理解する新しい視点(頼藤和寛著、日本評論社)が、その蔓延と対処を論じていたのを思い出しました。

「頭を使わない活動」の力とリベラル派の道徳

きょう、ライフハッカー日本版に、クリエイティブな発想を逃さないために、日常に取り入れるべき「3つのB」という記事が出ました。

「3つのB」とは、ケーラーの「ベッド(Bed)、バスルーム(Bath)、そして乗り物のバス(Bus)」です。「バスルームを使ったり、バスに乗ったり、ベッドに横になったりといった活動は、脳の力をほとんど必要としません。」、これが新たなインスピレーション、クリエイティビティをつくり出すとします。つい、音楽の三大Bを連想してしまいましたが、バッハとブラームスとは、斬新なクリエイティビティで世界を革新したとは言いにくく、特にブラームスは、音楽の世界の「見下し現象」の記事で挙げた論争では、保守側でした。一方で、ベートーヴェンは、フーガを好んだところもありますが、耳をわずらってもなお作風が発展する、革新性の強い作曲家でした。親のための新しい音楽の教科書(若尾裕著、サボテン書房)は、「ベートーヴェンの晩年の曲にはけっこうわけのわからないフレーズ」、「最後の三つのピアノ・ソナタとか、弦楽四重奏曲のこれまた最後の三~四曲などがそうです。」「現代音楽につながる意味において、よりむずかしい音楽への布石となったものを探してみると、どうもベートーヴェンの晩年あたりがかなりあやしいのでは」として、これが「ハードボイルドに突き進んだ現代音楽」への道をひらいたと論じています。

さて、この記事の主張は、眠る技術 「起きられない」「寝た気がしない」「やる気が出ない」あなたへ(西多昌規著、だいわ書房)の、「扁桃体を中心とする野生的な脳」の力で、レム睡眠中によいアイデアを得るお話にも近いと思います。また、「頭を使わない活動」によって、着想が頭にうかんでくるという着想には、ありのままを受容されることでいまある自己から変われるという、ロジャーズ派のような逆説を感じます。「その活動は、平穏で、半瞑想状態になれるような活動である必要があります。」とありますが、瞑想から新しさの覚醒が、平穏からある意味では不穏なインスピレーションが、導かれるのです。

瞑想で思い出したのが、ライフハッカー日本版にきょう出た記事、幸福は成功の結果ではなく、成功を導くものであるです。「幸福は、より良い成果を上げるための重要な要因であり、成功へと導くものです。」という、逆説的な話題ですが、中でも、「より幸せになろうと物欲を満たすための出費をすることよりも、瞑想をしたり、人間関係に投資したり、経験を得るために出費したりすること」がよいようです。感情を独立変数側におく視点は、世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ(M. モッテルリーニ著、紀伊国屋書店)のように、心理学の外のイメージのようにも思われていそうですが、SNS不適切投稿の心理の記事で古いという指摘を紹介した認知的不協和理論のように、感情が行動を変えることは、心理学では古くから知られています。

感情で人を動かすことに関連して興味深いのが、リテラにきょう出た記事、なぜ、サヨク・リベラルは人気がないのか…社会心理学で原因が判明!?です。最後は、「われわれリベラルも知性をいったん脇に置いて、“感情”という武器を再び手にとるべきでき時がきたのかもしれない。」と締めるのですが、いろいろと気になるところもある記事です。関心は、リベラルじゃダメですか?(香山リカ著、祥伝社)に近いようですが、問題設定にずれを感じます。「人気がないのか」ではなく、あれほどあった人気をなぜ失ったのか、を考えるべきでしょう。社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学(J. ハイト著、紀伊国屋書店)を引用していますが、そことのずれにも気づいていないようです。「個々の“家族”(とりわけ子どもたち)を、“他国の”軍事力の危険にさらすわけにはいかないと力説することで大衆の支持を」というやり方は、わが国では駐留アメリカ軍基地の危険性のアピールや、「教え子を戦場に送るな」式の、むしろ左側の戦略にも近いやり方です。「他にも〈ケア〉基盤に重点を置きすぎるあまり、リベラルが劣勢に立たされている場面はいくつもある。」としながらも、「置きすぎる」問題の解消のために「〈ケア〉基盤」から適切な距離をとる提案はされません。雑誌のキャッチコピー対決は、安倍たたきのほうが「今ひとつ」、「おとなしすぎる」としますが、せめて週刊現代くらいは加えないと、同じ土俵での対決にならないように思います。また、見かけは新聞ですが新聞協会には加盟できない日刊ゲンダイなどは、「もはや理性もへったくれもない。いたって下品だ。」の毎日で、「百田尚樹とか嫌韓本みたいな教養のないバカ丸出しのヘイト本」などと書ける筆者の感性にもあうことでしょう。そして、もっと感情にうったえるやり方をとるべきだと言いたいようですが、近年では自衛権、原子力、がれき焼却、オスプレイ、特定秘密と、本質的な有用性を飛ばして、不安をあおれるところに焦点をあてる戦術は、おなじみのものです。それとも、打倒せよ、粉砕せよと連呼した時代に戻したいのでしょうか。テロも、文字どおり恐怖という感情を用いる手段だとほのめかしたいのでしょうか。ハイトの、「リベラルの道徳基盤は〈ケア〉〈公正〉〈自由〉の3つに依存するが、一方の保守主義者は6つすべての基盤を用いていることが分かった」という知見から、「6つすべての基盤に訴えかけることが原則的に不可能なリベラル」と規定しますが、残り3本も、少なくともわが国の左翼運動は、内部では重視してきたはずです。「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」が、異論を封じる民主集中制、革命のためには手段を選ばない「確信犯」、レーニンや毛沢東の礼賛や解釈学、立場にずれのあるセクトを「トロツキスト」「反革命集団」などと規定しての排撃、査問や「総括」といった暴力をささえる価値なのではないでしょうか。もちろん、「その種のオッサンたちからしてみれば、いろいろとトラウマがあるのだろうから」と、ぼかしたくなるほどの過去に戻る反動ではなく、再出発にはクリエイティブな発想が求められるところではないかと思います。

通勤電車での恋と「ひるまえ川柳」での色対比

きょう、Glittyに、通勤電車の恋は必然だった!? 相手の心を引きつけるアメと「ムシ」のモテ法則という記事が出ました。

「通勤電車の恋がはじまる理由」を、「これはいつも見かけている人なのにときどき姿が見えない日があることで、「今日はどうしたんだろう?」「あの人の顔を見たかったな...」と気になってだんだん好きになってしまう、という心の作用が働いているから」だとします。そして、「通勤電車のトキメキは、心理学の用語で「間欠強化」というものにあてはまります。」としますが、あてはまらないと思います。通勤時に、気になる人がいたりいなかったりするうちに、電車に乗ることがやめられなくなってしまうのであれば、そこは部分強化、間欠強化だといえますが、強化子自体が強化を受けるのではありません。

むしろ、部分強化は、全強化よりも学習効率は悪いです。部分強化の強みは、学習されると、その後に強化子が得られない状態が続いても、なかなか消去されないところにあります。ギャンブルで、あたる快感のとりこになって、負けつづけても抜けられなくなり、あちこちからの借金、会社のお金の横領、保護費とつぎ込み続ける人生にはまるのは、これです。勝つように、負けないようにねらうことが後まわしになって、つぎ込むこと自体にはまる危険もあります。月刊FX攻略.com 2013年12月号(シンセイ)で、為替鬼という人が、「自分で決めた売買ルールを守れず、チャンスを待てずに、エントリーしてしまう、いわゆる「ポジポジ病」」として紹介したものがそうです。

「このアメとムシ法則を使えば、好きな人とのハートもゲットできそう。」とあります。あとのほうの「と」はよけいで、つい、混迷している大阪都構想を連想してしまいました。「好きな人や彼から気になる存在になれるかも」ともありますし、この筆者に「女子」ということばを使ってよいどうかはともかくとしても、助詞の使い方が気になる文章です。

気で思い出したのが、きょうのお昼はじょんのび くらし情報便の「ひるまえ川柳」です。あの句に対して、赤と青との対比が評価されていましたが、私は「気」まで含めて、赤・青・黄の3色の組みあわせではないかと思い、気になりました。皆さんは、どのようにとりましたでしょうか。

音楽中心音楽療法と傾聴技法としての感情反映

きょう、マイナビウーマンに、心に傷を持っている人に対して行う、適切な対応は?「人間中心療法」という記事が出ました。

「人間中心療法」という表現は、あまり使われないもので、より一般には、パーソン・センタード・アプローチ、PCAと呼ばれます。「療法」では、病気の治療というイメージが出やすいですし、「人間中心」も、背景を知らないと、心理療法ならあたりまえのことを、わざわざ名前にするのは無意味だと感じる人が出そうです。これに似た名前として、音楽療法の世界には、「音楽中心音楽療法」という考え方が現れていて、音楽療法なのだから音楽が中心であたりまえではないかと思った人も、本来は音楽ではなく、療法である以上は人間が中心になるべきと思った人も、それぞれいると思います。ですが、21世紀の音楽入門 7(教育芸術社)で小沼純一が、「昨今、環境についての考えも広く浸透してきており、人文科学のみならず、「人間中心主義」を批判する立場もさまざまにでてきましたが、芸術、アートにおいて、そうした発想はまだでてきていないようです。」と指摘したのと同様に、音楽療法で、積極的に人間を中心からはずすという立場も、考えにくいでしょう。皆さんは、音楽療法の中心、主人はどちらだと思いますでしょうか。もちろん、音楽中心音楽療法は、そんな単純なところで終始するお話ではありません。音楽中心音楽療法(K. エイゲン著、音楽の友社)を読みましょう。

「そのままではさらに孤立し、対人恐怖を抱えてしまう可能性もある」、一般にはこの逆、対人恐怖から孤立、孤独へという因果関係のほうが、より自然でしょう。うつ病とアルコール依存の関係の記事で触れたような悪循環も、もしあったとしても、そこまでは強くないと思います。

「アメリカ合衆国の臨床心理学者カール・ロジャーズは「非指示的療法」という心理療法を使っていました。」、あまり書かれないような表現がいろいろと入っていますが、「ロジャース」ではなくロジャーズと書いたのは、よいと思います。ちなみに、「ロージァズ」は、今日では一般的ではないでしょう。

その技法は、「繰り返しや感情の反射などを使ったカウンセラー技術であり、相手の悩みを軽減する方法」とされ、これはいろいろと、落ちつきません。「感情の反射」は、まちがいではありませんが、基礎心理学での反射との弁別を意識して、私なら反映と書きたいところです。ロジャーズ派に限局された立場ではないのですが、カウンセリングテクニック入門(大谷彰著、二瓶社)では、傾聴技法の2番目に、「感情反映」があります。「相手の感情を反射する」「相手が言葉にできない感情を言葉にして返してあげる」の区別として、反射と反映とで呼びわけたいという発想もあると思いますが、後者は「できない」ところをあつかう点で、感情反映とは区別され、カウンセリングテクニック入門での「クライアント自身が気づいていない気持ちや考え、触れたくない事柄に対して、いわばメスを入れる技術」、「クライアントの気づいていない感情や思考・行動・言動の矛盾に焦点を当てる技法」、つまり活動技法に近いでしょう。

「無条件の肯定的関心」「共感的理解」「自己一致」、基本的な概念ですし、「普段私たちが日常的に取り入れていくことも可能」と呼びかけるのならなおさら、かんたんにでもよいので、ぜひ説明してほしかったところです。「人がそこにいること」という、第一条件にも届かないものへの、文字どおりの理解はあるようですが、3要件はむずかしかったのでしょうか。