生駒 忍

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ファミレスの起源と主敵とされた「昭和結婚」

きょう、週刊医学界新聞のウェブサイトに、私のキャリアチャート(2)という記事が出ました。「不定期リレー連載」としてはじまったものの、(1)から2か月以上次が続かず、非常勤講師と労働契約法の記事で取りあげた「いま聞きたい」のような運命ではと心配していた人もいたと思いますが、無事につながりました。

「私の幼いころは,家庭に電話はなかったし,コンビニ,ファミレス,カップヌードルもなかった。」とします。「私が高校生だった1980年代は実にのんびりしていた。」とあることから、1970年ごろから後のころだと思われますが、ココストアやセイコーマートの1号店が1971年、すかいらーくが1970年、日清カップヌードルが1971年ですので、あってもぎりぎりです。ファミリーレストラン 「外食」の近現代史(今柊二著、光文社)やコンビニエンス・ストア業態の革新(金顕哲著、有斐閣)の視点からは、それぞれもう少しさかのぼる考え方もあるでしょう。もちろん、その時代に「家庭に電話はなかった」わけではないですので、この人の家やまわりにはという程度で理解しておきましょう。

「共働き世帯が片働き世帯を逆転したのが1997年,今や女性も自分のキャリア形成を考え進路を選ぶ時代となった。」とあります。新刊JPにきょう出た記事、「育休とりたいか?」理系男子の反応は、「男性は空間認識能力が高いことから、奥行きにまで意識が向く」として、「キャリアに関しても同じことが言えて、女性は半年先のことならリアルに考えることが可能ですが、男性は3年先、5年先、10年先のことを考えることに対する心理的抵抗が少ないと言われています。」とつなげる展開はともかくとしても、「1992年に共働き世帯の数が専業主婦世帯の数を逆転し」とあって、こちらの1997年逆転説とずれて見えます。これは、逆転が2回あったためです。平成27年版 男女共同参画白書(勝美印刷)の、Ⅰ-2-9図を見てください。その「男性雇用者と無業の妻から成る世帯」が、「片働き世帯」と表現されるもので、お役所文書でもたとえば、国土交通白書 2013(日経印刷)に「その後、共働き世帯数は継続的に増加し、1997年には共働き世帯が片働き世帯数を上回ることとなった。」とあるような用い方をされますので、いわゆるヒモの場合は、ここでの「片働き世帯」には数えません。第18回社会福祉士国家試験・第8回精神保健福祉士国家試験では、問題52で逆転の「初めて」のほうの年をDとしての、並びかえ出題がありました。ちなみに、そのBは、労働力調査で出されはじめた時点ですでに超えていましたので、不適切な出題というほどではありませんが、文の表現が不自然にも思われます。

さて、「この数十年で日本人の生活スタイルや価値観は大きく変わった,と痛感する。」、それはそうでしょう。「クリスマスは恋人とホテル」の起源の記事や、自撮りをきらう女性の記事で触れた指摘にあるように、1980年代の文化的転回は大きく、多感な時期だった筆者には、特にそう感じられたことと思います。

「しかし,デザインどおりいかないのが人生で,大学受験に失敗。」、ここで産経ニュースにきょう出た記事、「受験に失敗、腹立った」小5弟を刺した高3男子を殺人未遂で逮捕 体に傷30カ所ものようにならなかったのは不幸中の幸いですが、「どん底で私が考えたそれからのキャリアデザインは,自分がキャリアを積むのではなく,キャリアのある男を見つければよいという短絡的なものへと変わった。」そうです。「婚活」症候群(山田昌弘・白河桃子著、ディスカバー・トゥエンティワン)で主敵とされた「昭和結婚」の感覚、そしてそこで言う「価格.com婚」や、「大学時代の彼氏がいい企業に就職したら、離さないでさっさと結婚するので、結婚が早い二〇代が目立ちます。」へとつながる感覚でもあります。

その「成績不良者」が、転進しては学びつづけて、いまでは看護展望 2015年5月号(メヂカルフレンド社)で自身が「"自ら学んでいく"環境を提供する」と表現したような活動をすすめています。そうすると、昔とは逆の立場で、まったく逆の価値観を得たいま、昔の自分と同じような学生がいたら、どのようにかかわるのか、興味があるところです。

逆の立場で思い出したのが、SANSPO.COMにきょう出た記事、朝鮮日報、清原容疑者出身の大阪・岸和田市は「貧しい」です。「日本だから静観しているが、逆の立場だったら、とんでもない話だ」という、韓国紙の報道への不快感は理解できますし、私も先々週に岸和田に立ちよったところで、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、68年ぶり人口減少 883万8908人にあるように、人口減は目だつものの、「貧しい人々が集まって暮らす」ようすは見かけませんでした。おおさか維新の会としての威信、そして自分の選挙区だからという、立場上のこともあるのでしょう。一方で、半島の反対のほうについてですが、zakzakにきょう出た記事、朝鮮学校の補助金中止通達へ 日本政府、北への新たな制裁措置によれば、自由民主党の長尾敬が、「公安調査庁から初めて、『朝鮮総連には工作員などが(日本国内に)約7万人いる』という報告」「私が『その中に朝鮮人学校の関係者が含まれているのか?』と質問すると、同庁は『その理解で結構です』とはっきり認めた」と明かしました。これこそ、「日本だから静観している」問題で、もしあちらの体制が逆の立場でしたら、無慈悲どころではなかったことでしょう。

音楽療法士の言う最低収入と貯金で買う時間

きょう、LAURIERに、「好き」を仕事に! 「好きなことで食べてゆく」4つの方法という記事が出ました。

「今回は、今年こそは「好き」を仕事にしたいとお考えの女子に対して、どうすればそれが実現されるのか? について見ていきたいと思います。」という内容です。こういうテーマに関心をもつ人には、「女子」ですのでイメージがつながりにくいかもしれませんが、搾取される若者たち バイク便ライダーは見た!(阿部真大著、集英社)で論じられた、「「好き」を仕事に」のこわさも、知ってほしいところです。

冒頭の事例が、「「好きなことを仕事にしようと思えば、結婚しちゃえばいいと思います。」というものです。ですが、いわゆる永久就職のことではなく、「ふたりで働いたら最低でも月収が30万円くらいにはなるので、お給料の安い仕事も転職の選択肢に入ってきます」という考え方です。「最低でも月収が30万円くらい」、これは東京都でしたら、907円の最低賃金レベルですので、最低にもほどがあると思った人もいるでしょう。それを「音楽療法士」が言ったということが目に入り、よけいに気になった人もいるかもしれません。ふと、マイナビウーマンにきょう出た記事、こんな暗い人って苦手ですか? ぶっちゃけ「我ながら暗いなぁ」と思うこと4選に登場する、「用事がなければ一日中家に引きこもって布団の中でネットサーフィンしていること」と、非生産的なイメージを見せた「クリエイティブ職」というコントラストを思い出しました。

「アメリカの小説などの文芸分野の編集者は、既婚女性が多いそうですが、理由は編集者のお給料が安いことだそうです。」、これはもちろん、すぐ後にあるように、ほかにも理由がある中での一因です。わが国では、絵本の翻訳を出したくてしかたがない既婚女性が多くてというお話を聞くことがありますが、これはまた別の要因が効いているとされます。

「貯金とは、好きなことを仕事にするために、スキルを身につけるために必要なものであり、同時に「時間を買う」ためのものです。」とします。その「時間を買う」ために、時間を売ってはたらくわけですから、売った時間でそれ以上の時間が買える人には、とてもよさそうです。一方で、メキシコの漁師だったり、南の島に行った証券マンだったり、いろいろなバリエーションがありますが、あのおなじみの寓話が頭にうかぶところでもあります。

転職希望者の調査結果と転勤をいやがる若者

きょう、J-CASTに、海外勤務OK派が急上昇中 転職先として「積極的に選ぶ」という記事が出ました。

「転職希望者を対象にした「海外での勤務」調査」の結果の紹介で、より具体的には、「人材紹介会社の集合サイト「エン転職コンサルタント」の利用者1023人」が回答したものです。「転職先として海外勤務の可能性がある企業を「積極的に選ぶ」と回答した人は37%」、皆さんはこの数字を、どう見ますでしょうか。海外でははたらきたくない大学生の記事もご覧ください。

より見るべきポイントは、「19%だった5年前と比べると約2倍の水準になった。海外勤務の意向をもつ人が年々増加していることがわかる。」ところです。もちろん、新卒ではなく、転職市場の動向であることに注意してください。それでも、こういった流れが、若い世代にも影響していく可能性はあるでしょう。キャンパスの症状群 現代学生の不安と葛藤(笠原嘉・山田和夫編、弘文堂)にはすでに、「転勤がいやだから入社しない」問題の増加さえ指摘されていましたが、そこまでの人にも影響がとどくと、興味深いと思います。

「年代別でみると、年代が上がるにつれ「東南アジア」と回答した割合が高く」、「一方、年代が若いほうが「ヨーロッパ」「北米・カナダ」という回答が多かった。」そうです。ここは、「50代は「海外のほうが、自分の経験を活かせるから」が最多。」といったところと関連しそうです。実際に活躍できた場所、自分の需要を肌で感じた場所と、漠然とした「海外」のイメージとで、こういう世代差が現れているようにも思います。後者は、「海外」勤務のおしゃれな私、かもしれず、はたらくというよりは、日本では小さいころからずっと体験される、むしろ消費者的な、差異化の欲求のような気もします。ふと、言える化 「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密(遠藤功著、潮出版社)にある、「子どもたちのブルジョア感を刺激」するガリガリ君リッチの戦略を思い出しました。

「アイヒマン実験」の疑問点とリーダーシップ

きょう、ライフハッカー日本版に、口にする言葉がカギ。部下に「任せる」リーダーシップという記事が出ました。

「リーダーの多くが「権限を持ち積極的に関与する」人材を望む一方で、実際の関係はそうならないことが一般的です。」と書き出されます。ですが、「問題は、リーダーが社員を統制し指示を与えようとすることにあります。」とされます。成果のために、積極的にうごかないのなら指示をあたえ、それがうごかない部下をそだて、「社員が素晴らしい成果を上げる機会を奪っている」という、にわとりと卵のようです。「昔は、どちらもありましたよ」というロシアンジョークがありますが、ここではリーダーのほうから、どちらもあるようにリードする提案がされます。

「1960年代初頭、心理学者のStanley Milgram氏は、他人の指示に従おうとする気持ちの正体を突き止めようと試みました。」、これ自体は事実です。ですが、「アイヒマン実験」や「ミルグラム実験」とよばれるそのこころみから提出された知見は、Behind the Shock Machine: The Untold Story of the Notorious Milgram Psychology Experiments(G. Perry著、Scribe Publications)で、本質的にうたがわしいことが突きとめられており、慎重にあつかうべきものです。私も、授業で教科書的に紹介することは不適切と判断し、やめました。

潜水艦船長としての体験、「実行不可能な指示を出したところ、当直士官はそれをそのまま船員に命じました。彼もそれが実行不可能であることを知っていたにもかかわらず、「言われたから」それを伝えたのです。」が印象的です。日経電子版の記事、吉田調書「海水注入、命令違反を覚悟」 原発事故のようなことの勇気が、あらためてわかります。「官邸はまだ海水注入を了解していないので、四の五の言わずにとめろ」と指示が入っても、「ヒエラルキーのトップが指示を出し、下層部がそれに従うのは、普通のことだと思うかもしれません。でも、現場で何が起きているのかを把握しているのは、下層部の人間なのです。」、まさにこの世界だったのです。

「「指示をください」は、部下の本心を隠すカモフラージュであることが多い」、「ですから、リーダーは「指示をください」と言われても、すぐに答えを出さないのが正解です。」とします。こうすると、おたがい苦しいかもしれませんが、将来の苦しみを減らすことになるのでしょう。Amazon.co.jpでとても評価の高い週刊東洋経済 1月18日号(東洋経済新報社)で野村総一郎が、「医者が答えを出してしまったら、患者がそれ以上成長しなくなってしまう。」として、人生相談との立場のちがいを示したのを思い出しました。

日本の義務教育の成果と世帯あたりの預貯金

きょう、Japan In-depthに、【“高み”を極めようとしすぎる日本】~過剰なサービスや労働を生む背景とは~という記事が出ました。

フランスのフォレスト・アドベンチャーでの、「お釣りを数えて間違っていることを言うと「ああ、間違えたわ」とあっさりとお釣りをくれたが、すみませんの一言もなく「ふん」と行ってしまう。」という体験から書き出されます。筆者は、「ただ単純に計算ができなかったということで、そして計算ができなかったことの恥ずかしさを隠すため不愛想な態度で終わる人もいるのだ。」という解釈をとりたいようです。ですが、「単純な計算がスムーズにできない人に遭遇する確率も高いと言うことだろう」とされる、あるいは「違う友人に「7×3/7なんて簡単な分数の問題なのに息子の中学のクラスの2/3が解けなかった」と愚痴っても「・・・・私もその問題、答えられないわ」などと言われる世界」であれば、おつりの暗算ミスくらいで、「計算ができなかったことの恥ずかしさ」がどれほど生じるのか、気になるところです。できてあたりまえの日本人的な感覚から、恥ずかしさを推測してしまってはいないでしょうか。一方で、クレジットカードの読みものにきのう出た記事、アメリカ人は17+8を暗算することが出来ないという話。1桁+1桁の足し算はかろうじて出来ますが、2桁+1桁は計算機がないと出来ません。によれば、日本ではあたりまえのレベルの暗算は、アメリカ人にはおどろかれ、すなおにほめられるようです。西友エスニック系PBカレーの記事で取りあげたフランス人のお話などもありますし、「「人種差別でわざとしたんじゃないか?」と疑心暗鬼」という見方も、可能性としてはなお残るかもしれません。

「日本の義務教育は良質だ。授業数も多く、全体の学力を上げることに成功をしている。」、ここはもっと知られてもよいところでしょう。日本の学力は必死な上位層が上げているだけ、全体では格差がひどく大きいというイメージを持つ人に、「世界と日本ではそのぐらい違うということ」も理解されてほしいと思います。それでも、「国際成人力調査」の知見は事実である一方で、理数系の教育の成果が、おとなにきちんと生きているかどうかには、疑問もあります。平成18年版 科学技術白書(国立印刷局)の第1-2-54図で、日本だけが異常な位置にあることは、一度見たら忘れられません。

「水準が高さを追求できる日本では高みを極めすぎるきらい」、わかります。「過剰過ぎる」という過剰な表現には、「逆にそこまでしなくていいのに」とも思いましたが、「何事も適度にすることも重要なことではないだろうか。」、これは同感です。

適度で思い出したのが、東洋経済ONLINEにきょう出た記事、たっぷり貯金したいなら、香川と徳島に学べです。趣味へのお金のかけ方の記事で取りあげたような、あるいはChikirinの日記の中でも有名な記事、全国の子供たちに告ぐ:お年玉はソッコーで使うべき!があわれんだような、保守的に貯金に走ることにも、適度を求めたいところですが、「香川県統計協会2014年」が示したという数値のために、「銀行の前で、突撃取材を敢行」、「預金通帳を7~8冊持ち歩いて」いるタクシー運転手の報告と、シンプルですがやや飛ばしぎみにも感じます。あの数値は、多眼思考(ちきりん著、大和書房)にある、「貯金がゼロに近い18歳や23歳の若者が都会に出てしまうから世帯平均貯蓄額が上がってるだけ」という視点を、「だけ」は言いすぎにしても、さけては通れない話題のはずです。そこを飛ばして、2県に別々の環境可能論風の解釈では、後づけ感が出てしまいます。それでも、となりあう2県ではあっても、同じでないことは否定しません。舞田敏彦のツイート、子どもの貧困率地図。からは、また別のお金の面での、讃岐山脈をはさんだ大きな落差がうかがえます。