生駒 忍

記事一覧

クラクションを鳴らされたら攻撃で返す心理

きょう、OKWaveに、クラクションを鳴らしたら急ブレーキを踏まれてしまいという質問記事が出ました。

道交法の範囲を逸脱したクラクション使用には、このようなどちらかというと攻撃的なものがありますが、それに対して、さらに攻撃的、暴力的なやり方でやり返してしまうのは、何なのでしょうか。ナニワ成功道 スピード、パワー、トーク 74の具体例(中谷彰宏著、PHP研究所)には、「大阪は街じゅうクラクションの洪水です。」とした上で、「クラクションで文句をつけるのはいいのですが、相手を間違えると、怖いヤクザのベンツに両側を挟まれ、そのまま環状線を3周は回されて、降ろしてもらえなくなります。」とありますが、何倍もにして返すのは、やくざに限らないでしょう。あるいは、ベストカー 1月26日号(講談社)に載った、市岡裕という人がクラクションを鳴らした相手から受けた、「信じられない行動」のお話もあります。クラクションを鳴らされると、自分の運転への評価を通して、自己評価に意外にひびくのかもしれません。ですが、攻撃的にさせるのは、運転がうまい自分への非礼、無理解への制裁感情でしょうか。それとも、自分でも運転がへただとわかっていることを強く意識させられることによる、自己愛的憤怒でしょうか。いずれにしても、かかわっても得することはなさそうですので、クラクションは鳴らさずにこらえたいものです。あるいは、皆さんは、あ~勘違い運転術(山口宗久著、講談社)にハイヤー運転手のこつとして出てくる、「まるでうっかりホーンボタンに触れちゃったのよ程度の軽いタッチで、かつ確実に相手に聞こえてるくらいの鳴らし加減」を、うまくできますでしょうか。

攻撃的な態度をとる人の心理と豊川似の事件

きょう、Yahoo!知恵袋に、知らない人に攻撃する人の心理を知りたい。という質問記事が出ました。

攻撃そのものというよりは、「攻撃的な態度を取る人の心理を知りたい」というところのようです。より具体的なかたちとしては、同じくきょう、知恵袋の同じカテゴリに出た質問記事、都内在住の美男です。 街ですれ違いざまにいちいち容姿にケチつけて来る女がいま...のようなものをイメージすればよいでしょうか。以前にSNSへの不適切投稿の心理の記事などでも触れた、「~する(人の)心理」のパターンですので、人間にはそもそも攻撃性があるから、あるいはその逆に、攻撃性が人間という種をつくったという、アフリカ創世記 殺戮と闘争の人類史(R. アードレイ著、筑摩書房)のような一般的なお話では、求められる答えにはなりません。一部の人のそんなささいなことに、大きな用語である「攻撃」を使ってほしくないという声もあるかもしれませんが、毎日あちこちで出ていると思われる、そういう人たちのそういう「負のエネルギー」は、合わせればかなりの量なのではないかと思います。ワールドワーク プロセス指向の葛藤解決、チーム・組織・コミュニティ療法(A. ミンデル著、誠信書房)にある「叫び声や言い争いを美しい歌に変容させていった」グループのお話ではありませんが、みんながしあわせになる方向へ使えないものかと、つい思ってしまいます。ですが、みんながしあわせになると、その「負のエネルギー」もわいてこなくなるような気がしますので、振動するかもしれません。

さて、ここではありがちなけんかやいじめではなく、「知らない人に」というところに関心が向けられています。いわゆる「誰でもよかった」のようですが、悪口やにらみつけですので、ずっとささいなことです。それでも、アンサイクロペディアの誰でもよかったに、「だが、誰でもよかったと言う割には自分よりも強そうな人、政治家や社長のように社会的立場が上のような人ではなく、到底返り討ちに遭いそうにない、老人や女子供などの弱そうな人、後から仕返しされなさそうな人を選んでいることが多い。」とあるのが、同じようにあてはまりそうです。さっそくついた回答は、読んでよい気分のしない話題を含みますが、それでも相手を選んでいるはずだという冷静な視点があります。

「知らない人に」で思い出しましたが、行動心理学 社会貢献への道(岩本隆茂・和田博美編、勁草書房)のコラム「広汎性発達障害」は、「「人を殺してみたかった」.顔見知りの主婦を殺害した高校3年の少年は,そう供述した.」と書き出されます。ここは、以前に酒鬼薔薇の影響力の記事で触れた、愛知・豊川の事件のようにも見えるのですが、被害者はどちらも、顔見知りではなかったはずです。豊川ではないとすると、どこの事件なのでしょうか。ご存じの方がいましたら、教えていただきたいと思います。

障害者施設ではたらく人のお給料の出所

きょう、OKWaveに、障害者福祉施設の運営資金という質問記事が出ました。障害者施設は、篤志家やボランティアのイメージがあるのか、高齢者介護のように薄給で人材が定着しないとたびたび報じられることもないためか、お給料をどう出しているのかを知る機会がなく、わかりにくいところかもしれません。

それでも、障害の種類ごとに、まるで温泉旅館の増築のようになっていたこの分野は、障害者自立支援法の体制になってから、かなりわかりやすくなりました。江藤淳と少女フェミニズム的戦後(大塚英志著、筑摩書房)で対比された「サティアン」ほどではなく、温泉旅館のほうでよいと思いますが、それが整理されました。今では障害者総合支援法へと名前を変えて、今月からグループホームとケアホームとの一元化もされましたが、障害福祉サービスはその介護給付と訓練等給付に対応し、利用者から直接受けとる一部負担以外の部分は、市町村からの給付費の代理受領でまかないます。ただし、障害児施設については児童福祉法のほうに入り、保護者等の一部負担と、都道府県等からの障害児施設給付費とです。

地域生活自立支援事業は、給付ではなく、事業費補助のかたちをとります。地域活動支援センターは、入所して使う昔ながらの障害者施設のイメージからは離れますが、任意事業としての福祉ホームは、この事業費補助を受けることになります。

障害関連の入所系の施設では、生活保護法に基づく更生施設や、以前に佐賀県への設置の記事大分県への設置の記事で取りあげた情緒障害児短期治療施設もあります。これらは措置制度ですので、委託費を受けるかたちです。

先祖がえりする脳といじめの被害者による加害

きょう、Yahoo!知恵袋に、暴走族の脳みそについて。という質問記事が出ました。それなりに自説をぶったのに、今のところ平板な反応しかなく、誰かもっと反応してあげたらとも思いますが、私は回答リクエストの指定に当てはまりませんし、回答する気はありませんので、頭にうかんだことを少し書いておきます。

冒頭に提示される結論、「彼らの脳は先祖返りしていると思います。」、このアイデアは、19世紀への先祖がえりのようにも見えます。いわゆる犯罪心理ではない、学問としての犯罪心理学をかじると出てくる、生来的犯罪人説がよみがえったようです。今ではもう、この説をそのままで使うことはありませんし、提唱者は100年以上前に亡くなりました。ちなみに、その訃報は、わが国の萬朝報にも「ロンブローゾ歿す 刑事人類學大成者」と報じられましたが、その記事の本文には「ロンブローゾ」という表記は登場せず、「ケザーレ・ロムブローゾ氏」、「ロ氏」と書かれています。

「なぜそうなったかというと、家庭や友達がDQNだったからであり。 怖い父親、兄貴、先輩など常に脅える環境で過ごしたことにあります。だからこそ自分も自分より弱い相手をビビらそう、脅えさせようと考える、「その立場なら安全である」いわば弱者の自己防衛に端を発していると結論付けられます。」、こちらは虐待の連鎖にも近いですが、破壊的権利付与とはずれます。自分たちが差別されたと強く反応する一方で、あっさりと別の人たちの差別に走る人の感覚でしょうか。新しいところですと生々しいですので、古いお話を持ってくると、100年以上前の大阪で、「学術人類館」と称した見世物小屋の展示に沖縄の人々も入ったことに、反発した沖縄の新聞人である太田朝敷は、人類みな平等と説くのではなく、沖縄の女性をアイヌなどと同列にされるのはゆるせない、という差別的な方向の主張を展開したのでした。あるいは、いじめの被害者が機会をみて加害者側にまわるのにも似ています。他反応分化強化のような論理ですが、いじめられるのといじめるのとは同時に起こらないので、いじめのつらさを知る子ほど、自分がいじめられないようにいじめに走るのです。AERA 4月29日号(朝日新聞出版)にも、いじめの原因はストレスではないという指摘の中で、「いじめをやめると、次は自分がいじめられるかも。」という中学生女子の声が登場します。また、こちらはフィクションですが、先日に待望の続編として出た給食のおにいさん 進級(遠藤彩見作、幻冬舎)では、前の被害者、今は加害者の真耶のせりふに「やらないと、私がまたやられる」とあります。

「バイクに乗った原始人と言っても良いと思います。」、ここで連想したのは、ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊(正高信男著、中央公論新社)です。今の若者のありのままに批判的なものに定番の光景ですが、10年前に話題を呼んだこの本も、Amazon.co.jpではさんざんなコメントを受けています。

高校生の寄り道と遠回りした人生からの成長

きょう、Yahoo!知恵袋に、高校生は帰りに寄り道して何をしとるんですか?という質問記事が出ました。方言のせいではないと思いますが、まだ誰も回答をつけていません。

子どもの放課後のすごし方については、たとえばベネッセ教育総合研究所による、放課後の生活時間調査をはじめとして、いろいろな研究があり、ちょうど私もかかわっていたりもします。ですが、帰宅後をはずして、特に寄り道に限定したものは、なかなかありません。子どもの道くさ(水月昭道著、東信堂)はありますが、高校生よりもずっと低い年代の話題です。同じくYahoo!知恵袋できょう解決した質問、私はこの春から高校へ進学します。を見ると、こんなに早々に質問するほど、寄り道に関心の高い高校生がいることがわかりますが、外からは関心が持たれにくいようです。

先ほど挙げた本について、水月-寄り道という組みあわせは、あの著者の経歴を考えると、興味深く思えます。よく、心理学者が研究テーマに選ぶのは自分自身のことだと言われるのを思い出します。今では学校法人筑紫女学園評議員につき、ご実家つながりという意味では帰宅ともいえそうですが、それまでの長い間の「道草」から、安泰の根がそだったのかもしれません。立命館がらみでは、少し前に書いた『ビリギャル』と西條剛央の記事で紹介した例もありますし、遠回りの道が王道へつながる人生もあるのだと考えたいところです。hontoできょう販売開始となった、家が、居場所が、なくなる時 さまよう子どもたちが辿り着いた先の最後の章は、「遠回りしたから、強くなれた」でした。