生駒 忍

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ウェーバー-フェヒナーの法則と子どもの幸福

きょう、宮崎日日新聞のウェブサイトに、子どもの幸福度という記事が出ました。「くろしお」という無署名のコラムの記事です。

Innocenti Report CardのChild Well-being in Rich Countries: Comparing Japanは、先週の話題だったものですので、もう地方は情報が遅い時代ではないのにと思わされますが、その出おくれをかすませるかのように、心理学の確立より前に確立された心理学の古典、ウェーバー-フェヒナーの法則から書き出されます。ですが、これの書かれ方が、かなり特殊です。「人間の感覚を表す法則があるそうだ。」と始まるのはまちがいではないにしても、「ウェーバーという心理学者が「定量化」を考え、フェヒナーという物理学者が数式にした。」、これは困ったものです。ウェーバーが弁別閾の実験により経験的に作った数式から、弟子のフェヒナーが感覚量の定量化へと拡張して考えたのがあの法則ですので、あべこべな気がします。ウェーバーが心理学者、フェヒナーが物理学者というのも、苦しい組みあわせです。「法則の名は、学者2人の名前を連ねたものだ。」とだけ書いて、法則名そのものは書かれていませんが、書いたら名前の順序が逆にされていたのではないかと、おかしな想像をしてしまいました。

法則をあてはめた例が、誤解をまねきそうです。「例えばラジオの音が半減したと感じるのは10分の1になった場合とはじき出す。」とありますが、あの法則では、定数がモダリティによらず一定だとも、常用対数になるともされてはいません。音声の場合は、等ラウドネス曲線のこともありますし、ラウドネスレベルとソン尺度との対応はこのような関係とされる一方で、前提になったウェーバーの法則が聴覚ではややずれること、スティーブンスのべき法則との論争などもあって、むずかしい問題を含みます。

「理科が苦手な身」がウェーバー-フェヒナー則を取りあげたのは、最後に「親の所得と子の幸福感の関係も法則通りならいいが、多分そんなに鈍くはないだろう。」というひとことを書きたかったためのようです。ここで話が替わって、「日本の子どもの幸福度は先進31カ国の中で6位。」と、Child Well-being in Rich Countries: Comparing Japanの話題が登場します。かんたんな紹介のようですが、気になるところもあります。

まず、「物質的豊かさ」について、「この数値は「標準的な所得の半分未満の世帯で暮らす子どもの割合」で比較し、その割合が多いと評価が下がる。」とありますが、適切ではありません。あの報告書での「物質的豊かさ」は、子どもの相対的貧困率、子どもの貧困ギャップ、子どもの剥奪率の3指標から合成されるものです。この説明では、そのうち子どもの相対的貧困率だけを述べているように見えますし、その説明としても問題があります。相対的貧困率は、中央値を基準にするもので、「標準的な所得」を定義して基準に使うことはしていません。だからこそ、「相対的」貧困なのです。なお、以前に相対的剥奪の記事で書いたように、しないこととできないこととは区別すべきですが、子どもが自発的に相対的貧困のくらしを選んでいるとは考えにくいですので、相対的剥奪ともある程度読みかえが可能でしょう。ですが、「要するに親、大人たちの貧富の差が大きくなればなるほどマイナスになる。」というのは、要しすぎかもしれません。「世帯の可処分所得が中央値の50%未満(税金・社会保険料と各種の社会保障給付を考慮し、世帯人数と構成に応じて調整した数値)の世帯で暮らしている子どもの割合」は、子どもを持てない貧困世帯の割合が増えれば、改善に向かいます。ユーミンの罪(酒井順子著、講談社)がいうように、今や出産は「お洒落行為」なのです。

「「住居と環境」の10位は外国人が思うほどウサギ小屋の住み心地は悪くない、と反論できる。」とありますが、あの「住居と環境」は、1人あたりの部屋数、住居に関する問題、環境面の安全、殺人発生率、大気汚染の4指標の合成です。わが国はそれぞれ、15位、17位、2位、8位ですので、住居の面では胸をはれる順位ではありません。

「親の所得格差が子どもを不幸にしているという点に関しては返す言葉がない。」というのも、誤解をまねくところです。この報告は、幸福度を5分野の指標で定義しているのであって、幸福そのものは測定も分析もしていません。所得格差を幸福度の算出に使うように定義してあれば、所得格差が大きいほど「不幸」なのは、データを取らなくても定義上必ずそうなるだけのことです。経済産業研究所の新春特別コラム、2014年の日本経済を読む: どうしたら人はもっと幸せになれるか?でいえば、「外的な環境が変化すれば幸せになれるというアプローチ」の立場で、ポジティブ心理学が得意とする、「外的な環境が変わらなくても、自分のメンタリティが変わることによって人はもっと幸せになれるのではないかというアプローチ」は、はずされています。あるいは、「勇気」の科学(R. ビスワス=ディーナー著、大和書房)に登場するお話ですが、勇気に価値をおくマサイ族は、幸福感には興味がなく、ケニアまではるばる出かけての調査がなり立たないほどだったそうです。幸福を意識しないくらしも、それはそれで幸せなのかもしれません。

ピグマリオン効果とポジティブシンキング

きょう、マイナビウーマンに、頭のいい人はポジティブな人が多い―「ポジティブさは頭の良さを生み出すのではなく、努力を生み出す」という記事が出ました。説得力を出そうと工夫しながら書いたようなのですが、先日書いた「クリスマスの恐怖」の記事の最後に触れたものとはまた違ったかたちで、まとまっていない文章のように思えます。

ユニークなピグマリオン効果が登場します。以前に、やまだ塾関連の記事でも書いた、通俗的な理解が広がっている用語が、さらに広がりました。「人間は期待をかけられると、その通りにふるまってしまい、実際その通りになってしまうという心理的な傾向」なのだそうで、「この「ピグマリオン効果」を無意識に感じている」ことが効いているという議論が行われます。期待の力は、私自身のものも含めて、心理学的な研究も多く行われていますが、そう単純ではありません。現実には、わが子の筆跡で「いじめ」が見抜ける(石﨑泉雨著、講談社)にもあるように、期待でつぶれてしまう人もいるのです。

何ごとも努力がだいじだというのは、同感です。ですが、ポジティブシンキングについては、どうでしょうか。引き寄せの法則(M.J. ロオジエ著、講談社)の流れのものも含めて、多くの一般書にポジティブシンキングへのポジティブシンキングが見られますが、近年は批判的な視点も見かけるようになりました。モデルプレスにきょう出た記事、「欲に負けた…」と後悔する5のささいな瞬間には、「「一日ムダにした…」と一瞬後悔しても、「まだ明日があるし」と妙にポジティブになってしまうのが年末特有のワナ。」とあります。今年のビジネス書では、年始に出た青い象のことだけは考えないで!(T. ハーフェナー・M. シュピッツバート著、サンマーク出版)、年末に出た金持ちトーク貧乏トーク 無限の富を生み出す話し方、ドンドン貧乏になる話し方(野口敏著、経済界)とも、ポジティブシンキングがポジティブでないことを指摘していますし、年始にはネガティブシンキングだからうまくいく35の法則(森川陽太郎著、かんき出版)という、挑戦的なタイトルの本も出ました。

こちらの記事では、ネガティブな人にもいいところがあると、フォローに入ります。「自分が体で覚えた体験や経験」を活用できるのがよいのだそうです。つい、ビスマルクのことばだという、"Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen."が頭に浮かびました。ちなみに、ビスマルクは賢者は歴史にとは言っていないとされています。それはともかくとしても、ネガティブな人は実体験をだいじにして、ポジティブな人は頭の中のポジティブシンキングで現実へ入るということですと、間接体験が現実と虚構の世界との区別をつきにくくするという、電子メディア社会 新しいコミュニケーション環境の社会心理(宮田加久子著、誠信書房)の指摘が連想されます。きょう、その著者である宮田の訃報が入りました。ご冥福をいのります。

働きながらでも生き残りたいミステリー作家

きょう、YOMIURI ONLINEに、小学校臨時職員の28歳、ミステリー作家デビューという記事が出ました。第23回鮎川哲也賞を受賞した、市川哲也というミステリー作家を紹介しています。

紹介といっても、受賞発表は4月で、受賞作である名探偵の証明(東京創元社)は10月に出て、選評が載ったのもミステリーズ! vol.61(東京創元社)ですから、2か月前の巻です。ほとんど誰も見ていないようですが、東京創元社公式チャンネルに第23回鮎川哲也賞受賞者 市川哲也先生 受賞コメントの動画が出たのは、11月上旬でした。ですので、今さらという印象もありますが、「情けは人のためならず」報道の記事で記者の夏休みの可能性を指摘したように、連休とクリスマスとで記者が休んでいて、そのぶんの埋め草用に、書きためてあったのかもしれません。それでも、今年のニューカマー、夢に近づいた人へのインタビューですので、年の暮れらしい記事ですし、こちらも元気をもらえます。

「作品に込めた思い、作家としての今後について聞いた。」とありますが、この2点の話題はあまりなく、これまでのことが記事の中心です。その中で、「小学生の時には、テレビで活躍するマジシャン、Mr.マリックさんのトリックを見破ることに熱中し、推理や心理学に興味を持った。」とあるところに、注意をひかれました。マジックから心理学へ興味が向かうのは、心理学がわかる人から見ればつじつまが合うのですが、この世代でというのはめずらしいと思います。マジックにだまされるのはなぜか 「注意」の認知心理学(熊田孝恒著、化学同人)が出たのは、昨年のことです。心理学をつなげせさる特異なマジックとしては、昨年にブームの山があった「メンタリズム」がありました。新刊JPにきょう出た記事、メンタリズムブームの仕掛け人たちが明かすその正体は、メンタリズムを「哲学用語で「形而上」という意味」と書くなど、気になるところはありますが、DVD-BOOK メンタリズム フォーク・スプーン曲げ 曲げ方完全解説(KOU・村山惇著、扶桑社)をわかりやすく紹介しています。

「働きながらでもいいから、小説家として生き残りたい。」と言っているところには、作家の仕事は「働き」ではないとでもいうような考え方がうかがえます。私たちはなんのために働くのか 「働く意味」と自分らしい働き方を考える(諸富祥彦著、日本能率協会マネジメントセンター)にある、明大生の「働くことの三つの価値観」でいえば、一つ目でしょうか、それとも二つ目でしょうか。この本には、「きれいごとは通用しない時代になってきた」、「本音を言えば「働きたくない」」という節もあります。

高度な知性をもったイルカが登場する作品

きょう、ウォール・ストリート・ジャーナル日本版に、イルカはあなたが思うほど賢くないという記事が出ました。Wall Street Journalの記事、Dolphins Aren't as Smart as You Thinkを和訳したものです。

よく訳されていてありがたいのですが、やや気になるところもあります。「アフリカ灰色オウム」とあるのは、うっかり逐語訳してしまったのだと思います。アレックスと私(I.M. ペパーバーグ著、幻冬舎)の、あのアレックスです。

この記事が行きすぎをいましめている、イルカが知的に高いというイメージは、反捕鯨運動につながる政治的なところもありますが、サブカルチャー的な方向でも、たびたび活用されてきました。有名なのは、銀河ヒッチハイク・ガイド(D. アダムス作、河出書房新社)でしょう。人間は地球上で3番目にかしこい存在で、イルカは2番ということで、しかも週刊パーゴルフ 10月15日号(学研マーケティング)で伊藤誠道が言っていたような、2位以下はもう同じようなものというわけではなく、イルカのほうは地球がこわされる公示を知っていたのでした。また、日本でも、知的なイルカは、さまざまな分野に見ることができます。星をみるひと(ホットビィ)では、主人公はイルカ族との共存を選ぶことで、「ふるいこころのおり」がこわされ、ハッピーエンドを手にすることができます。デビルサマナー ソウルハッカーズ(アトラス)に登場するスナッピーは、「ボクに魔法は効かないっキュ!」などとうそをついて、だまそうとしてきます。そして、小松崎茂による「イルカがせめてきたぞっ!」は、イルカが牙をむいたときのおそろしさが、小さい子どもにもよくわかる仕上がりです。おとなの私は、後方で火をふく戦車のデザインにも心ひかれます。

パレートの法則と「2・6・2の法則」との往復

きょう、dot.に、あなたはどれ? 職場の女性に「2・6・2の法則」という記事が出ました。AERA 12月16日号(朝日新聞出版)からの転載で、中づりでは「ワーママ格差の絶望」と大書されていた企画からの抜粋です。

AERAでよくある、おとなの集団や階層の内部にある意識のずれを、意識が高いと思っていそうな側が共感する方向からあぶり出すものの一環です。積極的には攻撃に出ず、ですが自殺(末井昭著、朝日出版社)ほどには淡々とせず、わりきりや笑いたおしにも走りません。そういえば、3か月ほど前に新田哲史が、アゴラに“SPA化”するAERAの残念な件という記事を書いていました。

最後の段落で、「2・6・2」の法則が登場します。ここでは、経産省の坂本里和が提唱者であるような誤解をまねく書き方になっていますが、「職場の女性には」という限定にオリジナリティがある可能性をのぞくと、法則自体はビジネス書ではおなじみのものです。直接の初出を私は特定できていないのですが、社会生物学の古典的知見や、パレートの法則からの連想を、経験的な感覚と組みあわせたもののようです。プロ野球1リーグ化論争にこれを持ちだした横澤彪の吉本探訪記 其の伍(キューズ)など、冒険的な応用も多く見られます。パレートの法則の通俗化もさまざまで、王様の速読術(斉藤英治著、三笠書房)は、この法則を当てはめて、本のほんの2割を読めばそこの情報の8割が得られると主張しています。なお、この本は、パレートの法則が1897年に富の所有の法則として発見されたように書いていますが、誤りです。

ここではその法則が、通俗化したパレートの法則へと戻る方向に向かいます。2・6・2の中間層である6は、よくも悪くもない無難な多数派として、あまり関心を向けられないことも多いのですが、この記事では、どちら側にでも移動できる階層として理解した上で、上ではなく下の2割へ合流してしまうと論じています。つまり、現実には「ちょこバリ」はなり立たず、「動揺層」はくずれて2・8にいたるということです。すると、3分類にした坂本の主張は、わずか3文後にくずれてしまうわけですが、これでよかったのでしょうか。意識が高いAERA読者に見えていそうな、意識が低いのは2割ではなく8割という、何とも殺伐とした光景が頭にうかびます。そういえば、同じ2・6・2の法則でも、レインボーチルドレン(滝沢泰平著、ヒカルランド)によれば、マヤやアステカの人々はこの法則を受けいれて、さぼる人々を気にしないことで丸くやっていたのだそうです。