生駒 忍

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終了時間がわからない会議と正論ばかりの人

きょう、電通報に、「外してるけど、おもしろい」を目指す。という記事が出ました。

「会議は面倒でつまらなくて時間のロスではない。会議は実はとてもおもしろいものなのです。」、たのしい職場のようで何よりです。大学業界、少なくとも私のまわりでは、大人のための落書き帳(S. グノスペリウス著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の時間だと公言する人はさすがにいませんが、会議はたいくつなもの、やむなく出るものという考えが、よく見られます。ですが、この業界の特殊事情もあります。朝日新聞デジタルの、asahi.com時代に出た記事、〈学長力〉産業人、組織に「喝」 芝浦工大学長 柘植綾夫学長には、産業界から学長になっておどろいたこととして、「まず、会議の開催通知に開始時間だけ書いてあって終了時間が書いていなかったこと。」「大学経営を、学術論争のように延々と議論するのにも驚いた。」とあります。

「電通のクリエーティブの会議ではなかなかお見かけしませんが、議論の場で正論ばかり言う人はけっこういるようです。」「でもそういう人からは人は離れていくという話を、心理カウンセラーの知人から聞いたことがあります。」とあります。目ざすべきは「ストライクゾーン甘めのゆるい球」、「外してるけど、おもしろい」なのだそうです。出世の教科書(千田琢哉著、ダイヤモンド社)の、「出世する人の会議・打ち合わせのルール10」の10番目の感覚です。

「しかも不思議なことに、「外してるけど、おもしろい」を繰り返していくと、「正しくて、おもしろい」が出てくるようになります。」、世界はあまのじゃくなものです。そういえば、The Will to Meaning: Foundations and Applications of Logotherapy(V.E. Frankl著、Plume)は、「The more one aims at pleasure, the more his aim is missed.」「Normally pleasure is never the goal of human strivings but rather is, and must remain, an effect, more specifically, the side effect of attaining a goal.」としました。

えり好みする早大生とあつかいにくい東大卒

きょう、J-CASTに、「海外で働きたくない」大学生の割合 カンボジア人と日本人、多かったのは・・・という記事が出ました。

「あなたは卒業後、海外で働きたいですか?」に、「日本の大学生は「はい-17%、自分が希望する国なら-32%、いいえ-51%」と、過半数が海外で働きたくないという結果でした。」、カンボジアは「はい-27%、いいえ-73%」となったそうです。日本ではしばしば、若者が内向きになってしまったといわれますが、経済成長の目ざましいカンボジアも、このくらいです。ですが、選択肢のつくりが異なるので、「自分が希望する国なら」というつごうのよい条件を求める場合に、カンボジアの学生はどちらに入れたかがわからず、単純な比較には適しません。似たものとして、ICC Web Magazineという、早稲田大が運営する、もう1年以上更新されていないウェブサイトに出た、早大生のグローバル意識調査アンケート分析レポートがあります。ページの中ほどからの「学校法人産業能率大学「2010年7月第4回新入社員のグローバル意識調査」との比較」は、「海外で働きたいと思うか?」の問いへの回答を比較して、「世間一般の新入社員と比較して、若干ではあるが早大生の方が将来海外で働いてみたいと考えている、またグローバル意識が高まっている」とします。ですが、日本-カンボジア比較の日本側調査の選択肢ともおおむね対応する、「どんな国・地域でも働きたい」と「国・地域によっては働きたい」とを足すと、今回の日本側調査、産能大調査、早大調査とも、ほぼ一致します。むしろ、早稲田は「どんな国・地域でも働きたい」が少なく、えり好みする傾向が強いことがわかります。早稲田が多く見えるのは、ほかにはない「期間によっては働きたい」を選択肢に加えたからでしょう。基礎データのQ10の棒グラフを見ると、海外ではたらきたいと言いつつも、適当な期間は3年に満たないとする学生が6割を占めます。Q12にある、海外ではらたきたい理由の1位は、「海外で自分を成長させたいから」ですので、海外ではたらきたいというよりは、海外でもはたらいてみたい、海外でもはたらいておきたいという程度の学生が多いことがわかります。そういう程度でも、「働きたいとは思わない」ではなく、「期間によっては働きたい」としてカウントできたことで、「グローバル意識が高まって」見えるのです。

「いろんな仕事が有り、給料も高い。そのお金で家族をサポートできる」、日本の学生にはあまりない考え方のように思います。ゆたかな日本に、兄弟船(鳥羽一郎)のような感覚は、少なくなりました。また、ゆたかさは、内向きの問題とも関連します。大学の国際化と日本人学生の国際志向性(横田雅弘・小林明編、学文社)には、「日本がこれまでに築き上げた成熟した経済は誇るべきものであるが,それは同時に情報とモノであふれ返った社会,極度に便利で居心地の良すぎる社会になっている。その結果,皮肉なことであるが,若者はそのコンフォート・ゾーンから飛び出し,敢えて海外の異なった環境の下,多種多様な習慣や文化をもつ人々にもまれ,渡り合いながら,自分の力で状況を切り開いていくような苦労をすることに価値を見出せなくなってきている。」とあります。そういえば、政府にまで再三止められながらもふりきって、「イスラム国」へ入って殺害されたあのジャーナリストは、40代後半でした。週刊文春 2月5日号(文藝春秋)は、軍事企業の社長の救出を「入国」目的と考えるとつじつまが合わないことや、映像10分300万円とされる取材の相場を示しましたが、家族が総出ではたらいても返せないような金額の要求をまねき、自分が救出の対象になり、家族を悲しませる結末となりました。JBpressにきょう出た記事、イスラム国の「真の狙い」など存在しない 錯綜した人質事件の情報(前篇)にあるように、向こうはそれ以上に、お金目あてだったのです。「イスラム国の過去の行動を見れば、今回の人質事件は、これまでイスラム国が何度も繰り返してきた「外国人誘拐ビジネス」の延長にすぎない」のであって、「イスラム国は最初の脅迫動画において、イスラム国と敵対する陣営に巨額の援助を決めた日本政府を「十字軍に加わった」と非難しているが、要求していることはカネだ。日本政府に政策変更を求めているわけではない。」「あるいは日本政府がそもそも援助など行わなければ人質は解放されたか? と考えると、イスラム国に限って、その可能性はないと判断するしかない。」「例えば、日本は人道支援だけを行っていること等をイスラム国に伝え、いくら説得しようとしても、彼らは誘拐ビジネスの原則を曲げない集団であるから、結果は変わらなかったであろう。」とします。ここは、BLOGOSにきょう出た記事、「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識しているとも整合します。

さて、「どんな仕事に就きたいですか?」に、カンボジアでは「会社 38%、公務員 27%、起業 35%」となりました。起業の多さにおどろかされます。「カンボジア最高学府の王立プノンペン大学をはじめとする大学生」であることも一因だと思いますが、日本の最高学府でも、こうはならないでしょう。我が闘争(堀江貴文著、幻冬舎)には、東大に行っておいてサラリーマンになるなど考えられなかったとあり、あのような人生に進んだのでしたが、そう口にする東大生の大半は口だけで、結局は他人がつくった会社の一番下に入りそうです。もちろん、入ってからその会社に適応できるかどうかは、また別です。そういえば、男の子の育て方 「結婚力」「学力」「仕事力」。0~12歳児の親が最低限しておくべきこと。(諸富祥彦著、WAVE出版)には、「地方出身で東大卒の男ほど、扱いにくいものはない」という、出版社社長の指摘がありました。

「「この国には何もない。だから自分が創るのだ」という力強い意見」、起業はこうあってほしいと思ってしまいます。一方で、日本はまったく異なります。希望の国のエクソダス(村上龍作、文藝春秋)でのポンちゃんの有名なせりふ、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」を思い出します。ちなみに、その作者の村上は、震災を受けて、まるで正反対の考えを披露しました。New York Timesへの寄稿、Amid Shortages, a Surplus of Hopeには、「But for all we’ve lost, hope is in fact one thing we Japanese have regained.」「But we who were so intoxicated with our own prosperity have once again planted the seed of hope.」とあります。

内定辞退の不安と日本企業に転勤が多い理由

きょう、マイナビニュースに、内定を辞退する理由 -「面接で印象が悪くなった」「ブラックの噂」という記事が出ました。

「内定を辞退した経験はありますか?」という問いに対して、「はい 27.7%」となりました。対象がはっきりしないので、「雇用悪化の現代社会を象徴するかのような低めの数字」ととるのが妥当かどうかは、判断しにくいところです。「マイナビニュース会員」の「男性137名 女性163名」で、余裕のバブル世代も入っています。

辞退理由の分類は、上の2グループが、辞退自体に関しては消極的なもので、それ以降はより積極的な理由からの辞退だといえそうです。積極的というとポジティブですが、次がつながった前者よりも、どちらかというと後者のほうが、不安な印象があります。よく調べないままで内定まで行ってしまう危うさもありますし、そのくらいでも内定をとれた自分には実力があると解釈して、ここを捨ててもさらによいところでとれると信じているかもしれません。プライドが高くて迷惑な人(片田珠美著、PHP研究所)の、「就職浪人たちの「もっとできるはず」という思い込み」のような世界にも近いでしょう。「就活」と日本社会 平等幻想を超えて(常見陽平著、NHK出版)が論証したような、巧妙できびしい「学歴フィルター」を通れたのでしたら、同程度のフィルターならまた通れる可能性が高いですが、フィルターより先はわかりません。

理由の最後は、「あとで色々と調べて、ブラック企業の噂があった」で、その直後が「総評」です。自分で選んだのに他人から聞いたことでこわくなってしまうチキンとも、見えるものを集めていって正体を判断するダックテストとも言える事例で、「ニワトリからアヒルへ」の総評につなげたと読むのは、読みすぎでしょうか。

「内定した会社側に問題がある場合もあるようだ。給与や労働時間など就労条件が悪かったり、勤務地や転勤の可能性があるなど、希望に添わなかった時には、辞退する人もいるよう。」とします。「記載されていた物より条件が大幅に違っていたから」が問題なのは当然ですが、「勤務地や転勤の可能性」まで、会社側が悪いかのようにされることには、疑問を感じます。なお、池田信夫blogの記事、日本の会社はなぜ転勤が多いのかにあるように、転勤は長期雇用と結びついていますので、これは空間的な安定を手ばなして、時間的な安定を手に入れるという関係といえます。

「ようじ男」の生活保護への疑問と芸人の世界

きょう、J-CASTに、19歳「ようじ男」の逃走資金は生活保護費 「働かずに楽ができる」という人物がなぜ受給できるのかという記事が出ました。

「 「今の日本はいいですね」などと福祉制度をあざ笑うような動画を投稿し続けた男に、保護費が受給されることに疑問を持つ人は多い。」とあります。気持ちはわかりますが、あざ笑ったことを理由に、生活保護を認めないルールは、残念ながらというよりは、当然ながらというべきところですが、ありません。生活保護法4条を持ち出して、わざわざ皮肉を投稿するひまと頭とがあるならととがめるくらいでしょうか。刑務所や少年院の過去があると、その間に学歴や職歴を落とす不利も含めて、はたらく機会は得にくくなりますので、生活保護を通しやすいことはありそうですが、きちんとした統計データはありますでしょうか。Business Journalの記事、無職者の自立支援“できない” 更生保護施設、刑務所の実態を見ると、「更生保護施設は、慰安旅行みたいなもの」「ちょっとしたペンション」、「ここでしばらく勤め先が見つかるまでブラブラして、勤め先と住むところが決まると、すぐに施設を出る。それからさっさと勤め先を退職して、生活保護受給の申請に行く。」「施設を出てからは生活保護で働かなくても生涯食べていける。プライドさえ捨てれば、この国は生活の面倒を見てくれるのですから。」、生活保護が使えて当然のようなようすがうかがえます。

「生活扶助9万9620円、住居扶助5万3700円の計15万3320円が支給された通知を見せびらかし、「ある種の勝ち組だと思いませんか」」、はたらいたら負け、はたらかずにくらせるようになった自分は勝ち、という論理でしょうか。一般的な感覚では、この程度の金額で「勝ち組」というのでは、これも皮肉だと理解するほかありません。それとも、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、ようじ動画投稿:「英雄になるため」…逮捕の少年供述にある「英雄」も、小物ですので、実は本気だったのでしょうか。

「ネット上では反発が」、これは当然でしょう。生活保護の満額受給、少年法が適用されることを知っての少年犯罪、投稿動画のアクセス数など、ネットの人々を刺激する要素がならびます。ちなみに、産経ニュースに1週間前に出た記事、PC4台駆使、違法動画1000万円超荒稼ぎの男は「記憶喪失」の怪…生活保護も不正受給、裁判には仮の名「鈴木太郎」で出廷の異例にも、やや似た要素がありますが、こちらにそこまでの刺激は、感じられません。

「父親からは自首するよう促すメールが来たと話しているが、三鷹市のアパートで1人暮らしをしていたと報じられている。親子が別居する理由は分からない。」、気になります。生活保護法4条2項もそうですが、ここで連想したのは、アスペルガーと凶悪犯罪の記事で取りあげた、佐世保同級生殺害解剖事件の少女です。こんどは、父親の顔や頭を金属バットでたたきのめした殺人未遂で再逮捕となりますが、「ようじ男」も、あのように平気で犯行をくり返し行えるようすからは、物理的にはなすことが、親の側の被害を予防するねらいがあったようにも感じるところがあります。それとも、結果的には生活保護に依存したくらしになりましたが、依存的な態度が強くて、突きはなせば改心して、自立するだろうという読みだったのでしょうか。

それで思い出したのが、朝日新聞デジタルにきのう出た記事、引きこもりからの栄光なき受験が糧に 髭男爵・山田さんです。かなりアクセスを集めているようですが、「神童」から不登校に転落、高校にも行かず、「家を出ろってことになり、実家近くで一人暮らしをした。「働け」とか「飯食わせる義理もない」とか言われるのを、「はいはいそのパターンね」って。」という体験が紹介されました。転機は「テレビつけて、同級生だか一つ上だかの成人式のニュースを見た時。」で、ここから大検、愛媛大、NSC、そしていまへとつながります。もちろん、「芸人として売れるまで10年かかりました。」とあります。夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘(中川淳一郎著、講談社)は、「お笑い芸人の場合は、10年経っても売れなかったら多分もう売れない。」として、サンドウィッチマンにも触れましたが、その10年です。それでも、お笑いの世界は経歴に関係なく、実力勝負ですから、子どものうちにがんばる力を身につけてある人には、合うのかもしれません。やや似た事例としては、統合失調症がやってきた(ハウス加賀谷・松本キック著、イースト・プレス)にある、ハウス加賀谷がいます。こちらも、親がまじめで、しっかり勉強し、しかし中学生のときにくずれていき、お笑いの世界へ入って、居場所を見つけました。もちろん、加賀谷の場合は、人気が出るのも早かったのですが、症状もまた出てきました。「ギリギリ芸人の綱渡り」と表現されていましたが、舞台ではあのテンションで飛ばし、帰ると家でふるえてすごす状態となり、再度の転落となったのでした。

ふるえで思い出したのが、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、傷害容疑:男がスプレー吹きつけ…女子高生2人軽症 大阪です。「19日午前8時10分ごろ、大阪府高槻市紺屋町の商店街「高槻センター街」を歩いていた高校3年の女子生徒2人が、自転車に乗った男にスプレーを吹き付けられた。」という事件です。「女子高生はパニックで体が震えていた」という目撃者情報がありますが、これは2名ともと理解してよいでしょうか。「男は1人の生徒の顔に向かってスプレーをいきなり噴射し逃げた。」とあるところでは、吹きつけの対象は1名です。これに合わせて、前のほうも、たとえば「自転車に乗った男が吹きつけたスプレーをあびた。」というようになるのなら、自然な説明になります。それとも、書かれていないだけで、もうひとりのほうには、顔以外へ吹きつけていたのでしょうか。また、タイトルにも本文にも、「軽症」とありますが、生物兵器のようなものでないのでしたら、ここは「軽傷」と書きたいところです。

下層ノマドの「新しい働き方」と日本人の自信

きょう、WirelessWire Newsに、新しい働き方から落ちこぼれることを自覚していない人々という記事が出ました。

「数年前から日本では「新しい働き方」なるものが流行しています。」と書き出されます。なぜ、「日本では」と限定したのでしょうか。この後の内容から、海外でも、知識産業にはそういうはたらき方がひろがっているとわかります。キダ・タローの佐村河内批判の記事の最後に書いたお話を思い出しました。ですが、「ノマド」のバズワード化のような、いまの「流行」としての側面は、海外にはあまりないのかもしれません。そういえば、そういう意味での「ノマド」的な、高い知性を武器に、会社にしばられずにクリエイティブに活躍する階層の台頭を予見した、ゴールドカラー ビジネスを動かす新人類たち(R.E. ケリー著、リクルート出版部)は、わが国では目だった話題を呼ぶこともないまま、絶版になっていました。

「仕事の成果に求められることは高い創造性や明確な成果であり、オフィスにいるかどうか、同僚と良い関係を作ったかどうかではありません。」、そのとおりだと思います。いつも遅くまでオフィスにいることが、自分の労働生産性の低さの露見ではなく、がんばりのアピールになるのは、生産的ではありません。社内の人間関係も、よいほうがはたらきやすいのは当然ですが、そこが中心的な関心になるのも、日本的なことかもしれません。格付けしあう女たち 「女子カースト」の実態(白河桃子著、ポプラ社)には、「成果を出さない人でも、長くいればなんとなく偉い感じになるのは、ぬるい集団だからです。成果を出さないと、居場所がなくなる外資系金融等に比べ、旧来型の日本企業のほうがカーストが生まれやすいと言えます。」とあります。時間だけ使えれば、必死に頭を使わなくても経験値がたまり、勝手にレベルが上がって自動的に強くなる、ロールプレイングゲームの世界は、世界にはないのです。そういえば、T&E SOFTが日本発のRPG、ハイドライドを出して、きょうで30年となりました。

「高付加価値を産み出す人々は、「新しい働き方」の恩恵を受け、より良い生活環境と創造性を手に入れますが、「その他大勢」の生活は悪化する可能性があるのです。しかしながら、多くの人々は、実は「その他大勢」なのにも関わらず、今の所、「新しい働き方」の都合の良い部分しか見ていません。」、だからこそ、実際には大多数の、昔ながらのはたらき方のままの人々にも「流行」したのでしょう。手料理への配偶者の評価の記事でも触れた、ダニング-クルーガー効果でしょうか。自分はやればできるという自信は、少なくともその時点では、あるほうがしあわせでいられます。児童の放課後活動の国際比較 ドイツ・イギリス・フランス・韓国・日本の最新事情(明石要一・岩崎久美子・金藤ふゆ子・小林純子・土屋隆裕・錦織嘉子・結城光夫著、福村出版)が明かした、日本の子どもの、がんばればうまくいくという認識の際だった低さや、「文化作法・教養についても自信がない傾向」には、こちらまで将来を悲観してしまいます。ですが、社会は自信だけではわたれません。ぼくにだってできるさ アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産(J. マクラウド著、北大路書房)で、子どものころから悲観的で夢がなかったグループと、アメリカンドリームをこころから信じていたグループとの、その後を見てください。

「その一方で、通信やIT業界の中でも付加価値が低いと判断された人や、ルーティンーン化した事務を処理するサラリーマン、付加価値の低い営業、受付、コールセンター、店屋の店員、ホテル従業員、介護職に従事する人は時間給で雇用されるか、高付加価値人材の何分の一かの年収を受け取ります。しかも仕事はEUや旧植民地からやってくる移民との取り合いです。」とします。東大経済学部「L型大学」説の記事で取りあげたように、日本は移民をもっと入れるべきと主張していた筆者も、移民とのあらそいの問題は認識していました。バズワード化した「ノマド」は、アタリの言うハイパーノマドのイメージのようですが、「新しい働き方」は、多くの人々を下層ノマドのほうにさせて、「高付加価値人材の何分の一かの年収」か失業かをめぐるあらそいにはめ込みます。「日本人らしさ」とは何か 日本人の「行動文法」を読み解く(竹内靖雄著、PHP研究所)は、「日本人は利益を追求するよりも、不利益を避けることを重視して行動する。」として、日本的平等主義による「もっぱら「人並みでありたい」ための競争」のはげしさを指摘しましたが、するとこういうあらそいには、一転して並でない行動力が発揮されるのでしょうか。