きょう、電通報に、「外してるけど、おもしろい」を目指す。という記事が出ました。
「会議は面倒でつまらなくて時間のロスではない。会議は実はとてもおもしろいものなのです。」、たのしい職場のようで何よりです。大学業界、少なくとも私のまわりでは、大人のための落書き帳(S. グノスペリウス著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の時間だと公言する人はさすがにいませんが、会議はたいくつなもの、やむなく出るものという考えが、よく見られます。ですが、この業界の特殊事情もあります。朝日新聞デジタルの、asahi.com時代に出た記事、〈学長力〉産業人、組織に「喝」 芝浦工大学長 柘植綾夫学長には、産業界から学長になっておどろいたこととして、「まず、会議の開催通知に開始時間だけ書いてあって終了時間が書いていなかったこと。」「大学経営を、学術論争のように延々と議論するのにも驚いた。」とあります。
「電通のクリエーティブの会議ではなかなかお見かけしませんが、議論の場で正論ばかり言う人はけっこういるようです。」「でもそういう人からは人は離れていくという話を、心理カウンセラーの知人から聞いたことがあります。」とあります。目ざすべきは「ストライクゾーン甘めのゆるい球」、「外してるけど、おもしろい」なのだそうです。出世の教科書(千田琢哉著、ダイヤモンド社)の、「出世する人の会議・打ち合わせのルール10」の10番目の感覚です。
「しかも不思議なことに、「外してるけど、おもしろい」を繰り返していくと、「正しくて、おもしろい」が出てくるようになります。」、世界はあまのじゃくなものです。そういえば、The Will to Meaning: Foundations and Applications of Logotherapy(V.E. Frankl著、Plume)は、「The more one aims at pleasure, the more his aim is missed.」「Normally pleasure is never the goal of human strivings but rather is, and must remain, an effect, more specifically, the side effect of attaining a goal.」としました。