生駒 忍

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愛他的な英雄の心理と疑問点続出の映像公開

きょう、健康美容EXPOに、「命がけの人助け」を選択する理由 ―英雄は直感的に行動するという記事が出ました。

「カーネギー・ヒーロー・メダル」、これはもちろん、Carnegie Hero Fund Commissionが出しているほうの、カーネギー・メダルのことです。CILIPの児童文学賞のほうが、ずっと知名度が高いのは、日本だけではないようです。今回の記事のもとになった、HealthDayに2週間前に出た記事、Heroism Seems to Be a Spontaneous Actも、「Carnegie Hero Medal」という表現を使っていました。

その英文記事と見くらべると、最後にある「Rand氏は、「今回の分析の結果、とても極端な愛他主義者はまず行動し、後で考えていたことがわかった。ただし、これは必ずしも遺伝子に組み込まれているものではない。他人を助けることが自分の長期的な利己心に恩恵をもたらすことが多いことを学んだゆえに、無意識に協力する習慣がついたものだ」と述べている。」は、実際の発言の引用と、間接話法的に地の文に書かれたものとを組みあわせて、一度の発言のように再構成したものだとわかります。訳として見ても、やや気になるところはありますが、指摘は興味深いものです。もちろん、愛他的行動が学習で育つのは事実だと思いますが、その学習を起こりやすくするような生得的な基盤があることも、考えられるでしょう。「情けは人のためならず」調査の記事で取りあげたような現象も、寄与していそうです。小さいうちのそういう経験から、芽が出て、育つのだと思います。

芽が出るで思い出したのが、DMMニュースにきょう出た記事、【歴史戦】韓国「真相明らかにして何が残る」 ずさんな元慰安婦聞き取りです。産経ニュースにおととい出た同名記事の転載に見えますが、同一ではありません。「金福善(キム・ボクソン)と尹順萬(ユンめスンマン)の2人」とありますが、おとといのものには、「め」はまだありません。明らかにおかしいとわかるこの場所に、どうしてこの「め」が出てきて、つみ取られることなく表に出たのかは、よくわかりません。

もちろん、その記事の本題は、「外部に公表するためのものではない。あくまでも遺族会の記録とするものだ」と押しきって撮影したビデオの公開で、「だが、映像公開はかえって聞き取り調査のずさんさを裏付けた。」という問題です。「金は「日本の巡査」に連行されたとしているが、金が暮らしていた全羅南道も含め、当時の朝鮮半島では巡査はほとんどが朝鮮人だった。」「金は日本政府とは別にソウル大教授(当時)の安秉直らが行った調査では「巡査」ではなく「国民服(あるいは軍服)を着た日本人」と語り、後に日本政府を相手取り起こした訴訟の訴状には「憲兵」と記している。」「尹は大阪と下関で慰安婦として働かされたと証言するが、内地である大阪や下関には遊郭や娼館はあったとしても慰安所はない。」「映像では、通訳は「日本の軍人3人が部屋に来て、連れていった」と訳しているが、実際には尹はそんな話をしていない。」といったぐあいで、基本的なところでもう、ぼろぼろです。「5日にわたる聞き取り調査を17分ほどに短くまとめた」公開で、あちらに有利に見えるように編集されているのだろうと警戒した人もいると思いますが、それでもこの程度なのでは、先が思いやられます。小保方騒動での実験ノート一部公開で、追及してきた側と擁護してきた側との、双方に広がった脱力感を思い出しました。あるいは、PHP 2014年6月号(PHP研究所)で安西水丸が書いていた、安西の母が「絵くらい描けます」と言いきって、出てきた絵がとてもへただったというかなしみにも近いかもしれません。

味覚に問題のある子どもの食と橋下・桜井会談

きょう、NHK NEWSWEBに、30%余の子ども 味覚認識できずという記事が出ました。

「「甘み」や「苦み」など基本となる4つの味覚を認識できるかどうか調査」したとのことで、5原味説の立場でないのは、日本人のノーベル物理学賞が話題になったところだけに、日本人としてやや残念に思いました。ですが、動画では、選択肢には「うまい(うまみ)」も入っていたように見えます。実際にはあてはまるもののないフィラーとして、選択肢に入れただけだったのでしょうか。あるいは、これも本来の研究対象には入っていて、ところがおそらく、単においしく感じたもの、好きなものの味だったときに「うまい」につけてしまうなどの混乱があって、検討対象から事後的に落としたような気もします。

文中には、植野正之・東京医科歯科大学准教授が、「子どものたちの味覚を育てることが必要だ」と言ったように書かれていますが、動画で見ると、確認できません。カットされたところで発言したのかもしれませんが、映像の書きおこしにはなっていないことには、注意が必要です。そういえば、BLOGOSにきょう出た記事、橋下市長と在特会桜井会長が会談は、あの短さですが、一部で微妙に発言内容が変わって書かれていたりもするようで、念のため動画で実際のやり取りを見ておくのが安心ではあると思います。それでも、少し見るだけでとてもつかれる応酬で、両者が立ちあがって一触即発となったところまで見れば、あとは感覚的にはもう、遠慮したいところです。つい、中國新聞アルファにきょう出た記事、いじめ問題 手を出す子にどう対応にある、「広島県教委は、けんかの際に言葉で反論できず、つい手が出てしまうケースが多いようだという。」を思い出してしまいました。

さて、「味覚を認識できなかった子どもはジュースを毎日飲んでいたり、野菜の摂取が少なかったりしたほか、ファストフードなどの加工食品を好む傾向も見られた」とのことです。そういった食べものを好むのであれば、甘味や塩味の感覚が消失していることはなく、閾値が弱っているのだろうと思います。自然な味わいのものになじむことは、昔から変わらない、ゆたかな伝統の味の世界を失わないためにも、小さいうちから意識すべきところでしょう。ですが、いまの大人が、どれほど自然な味になじんで育ったかというと、どうでしょうか。うまい棒は、なぜうまいのか? 国民的ロングセラーの秘密(チームうまい棒著、日本実業出版社)には、「駄菓子バーで大人が盛り上がるのは、「駄菓子」が変わらないおかげだったな。」とあります。

モネよりピカソを好む乳児と声優の「代表作」

きょう、It Mamaに、なんと!赤ちゃんは共通して「ピカソの絵が好き」と判明!?という記事が出ました。Psychol. Aesthet. Creat. Arts第5巻の、What is it about Picasso? Infants' categorical and discriminatory abilities in the visual arts.を取りあげたものです。

「子どもがグズりそうでなかなか美術館などに出かられていない家庭もあるかも」とあります。ふと、枕草子大事典(勉誠出版)によれば七一段から七七段までのぶれがある、「ありがたきもの」を思い出しました。七二段としたうつくしきもの 枕草子(清川妙著、小学館)は、銀は見ばえ、鉄は実用性で、清少納言の主張は「外見も内容もいいってことは、ほんとうにむつかしいこと。」だとしました。その主張から750年ほどして、小野小町の子孫の家で、鉄であったことから悪事が露見するお話ができました。その50年後に創業された木屋の毛抜 團十郎はステンレス製ですが、磁性はあるのでしょうか。

さて、「キュビスムの巨匠『ピカソ』と印象派の代表『モネ』」とあります。「巨匠」と「代表」とのどちらを使っても、大きなまちがいではなさそうですが、使いわけてあります。どちらかといえば、表現として無難なのは「巨匠」でしょう。日本語版ウィキペディアのTemplate:声優では、荒れやすいことなどから、「代表作」が取りのぞかれました。

「9ヶ月の赤ちゃん」が「ちゃんと他の絵とのテイストの差を見分けていることが先ずは驚きですよね。」、その気持ちはわかります。ですが、単に弁別ができるという程度であれば、ヒトでなくてもできます。ピカソを見わけるハト ヒトの認知、動物の認知(渡辺茂著、日本放送出版協会)を見てください。もちろん、ほかの動物が、人間と同じように美を感じている保証はありません。「大人の領域とされる芸術作品にもリアクションできるほどの明らかな好み、芸術的センスが赤ちゃんにはあるのです。」とあるのは、そう考えると言いすぎで、理解や「芸術的センス」までは保証されません。The Japan Newsの記事、Learning to Look at Faces and Be Looked atで、市川寛子・中央大学助教が、新生児が顔を注視するとされる現象に示した解釈も、参考になるでしょう。

「今回の実験で分かったのは、赤ちゃんは可愛らしい絵だけを好むわけではないということ。」、注視を好みとイコールでとらえれば、これはいえそうです。ですが、「可愛らしい描写が特徴的」な絵本を持ちだして、「実際に赤ちゃんが好むのはそういったテイストではないかもしれない」、ここは気になります。キュビスム絵画を「そういったテイスト」よりも相対的に好むかどうかは、試してみないとわかりませんが、「そういったテイスト」が絶対的に好みではないとは、考えにくいと思います。

「芸術に触れるのに、早過ぎるということはないのですね。」とあるのも、少々言いすぎかもしれませんが、早すぎると悪い影響があるとも考えにくいでしょう。もし、悪影響があるのだとしたら、この実験の参加者がかわいそうです。また、幼いころから本物に触れることがどのくらいよいのかは、実証的にははっきりしないところがありますが、実は本物をわかっていない親が、まだ早いなどと逃げるのは、よい態度ではないでしょう。子どもの成長のために、手ぬきはよくありません。そういえば、実践につながる教育相談(黒田祐二編、北樹出版)には、「ここで重要なのはすべの子どもが成長することです。」とありました。

招待客の人数に連動する幸福感とダンバー数

きょう、Menjoy!に、どういうこと?幸せな結婚生活には「招待客150名以上」大学研究という記事が出ました。DSM-5訳語ガイドラインの記事で触れた、タイの大学教員が書いたものです。

「いったいどういうことか、詳しく紹介します。」とあるのに、それほどくわしくはないように、私には思えました。「招待客と結婚生活」と題して、4段落にわたって紹介されましたが、「その割合は、全体の47%。」以外は、一文ごとに段落を切りましたので、全部合わせても5文です。National Marriage Projectのレポートに、招待者数の分析は、それほどくわしくあつかわれてはいませんでしたので、くわしくは書けなかったのでしょう。どこの誰による研究なのかはわかっていますので、取材すればよかったのにと思う人も多いと思いますが、取材をことわられたか、取材のひと手間をかける気にならない原稿料だったかで、こうなったのかもしれません。

その紹介内容にも、適切ではないところがあります。「なんと招待客が150人を超える結婚式を挙げたカップルが、もっとも幸せな結婚生活を送っているということがあきらかに」、これはタイトルと、人数の境目が異なります。正しいのはタイトルのほうで、レポートには「To illustrate this association, we divided the sample into those who had weddings with 50 or fewer attendees, 51 to 149 attendees, or 150 or more attendees.」とあります。また、従属変数も、登場順に47%、31%、37%とありますが、どれも実際の割合そのものではありませんので、誤解をまねきそうです。これは、収入や教育年数などを統制した後の修正値で、たくさん招待できるお金持ちほどしあわせなのはあたりまえだというような、誰でも思いつく批判はかわせるようになっています。

それでも、「結婚式の規模が結婚生活に与える影響」という、因果関係だと決めての表現は、好ましくないでしょう。筆者自身が、「ほかにも招待客が多いということは、それだけ人間関係が豊かだということ。友人の多さが、その後の結婚生活で生じる問題で相談祈ってくれたり解決に役に立っているのかもしれません。」と、偽相関のような解釈を提案することともなじみません。

「いかがですか、結婚式はなにかと費用がかかるものですが、一生に一度ですから150名以上の招待客をよぶ結婚式を挙げてみてはどうででしょうか。」と締めます。「一生に一度」とは限らないことはともかくとしても、最後は「150名以上」と書いて、研究知見への対応性は回復されます。ひょっとすると、この群の結果を引っぱったのはけた違いに招待客の多かった人々で、150人かもう少しという程度では、その下の群とほぼ同じかもしれません。多ければ多いほどという単調増加で、たまたまここに線が引かれただけという見方もできます。続編も近々出るという、お任せ! 数学屋さん(向井湘吾作、ポプラ社)のストーリーにかかわった、継続しているが連続していないグラフのようなイメージではまずいパターンです。ですが、進化心理学的には、150人という人数は意味のある上限値とされることがありますので、それを意識した可能性もあります。友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学(R. ダンバー著、インターシフト)でおなじみの、ダンバー数です。

ミルグラム服従実験の再解釈と「操作人間」

きょう、AFPBB NEWSに、「悪は凡庸」ではない?有名実験を新たに研究という記事が出ました。

「1961年に米エール大学(Yale University)の心理学者スタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)氏が実施した伝説的な実験」に関する研究のひとつの紹介です。もちろん、「アイヒマン実験」の論文としての公刊は1963年ですが、実施は1961年7月からです。「この実験での発見は、ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に関与したナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の1961年の裁判を扱った政治哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)の画期的な著書と一致」とありますが、その裁判の報道を見てから設計された実験です。そして、Behind the Shock Machine: The Untold Story of the Notorious Milgram Psychology Experiments(G. Perry著、Scribe Publications)によれば、アイヒマンの事例と一致させやすいように解釈したようでもあります。なお、この本のAmazon.co.jpのページの紹介文は、以前に知的なイルカの登場作の記事で触れた本のものと思われる「おうむ返し」で、こわれていますので気をつけてください。

「「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・サイコロジー(British Journal of Social Psychology)」に発表された新たな研究」とあるのは、「ソーシャル」が落ちていますが、全文が公開されている‘Happy to have been of service’: The Yale archive as a window into the engaged followership of participants in Milgram's ‘obedience’ experimentsのことだと思います。誰の論文なのかが記事に直接には書かれず、職業上気になってしまいましたが、記事中に発言のある2名が、第1・第2著者です。そういえば、宮古毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、「操作人間」(行雲流水)には、「そのことで生活が便利になる反面、それが高じると人は「操作人間」になると現代の社会心理学は警告する。」とありますが、「現代の」、しかも社会心理学者に小此木啓吾を入れるのは苦しいので、別の誰かのはずなのですが、社会心理学者の誰の警告なのでしょうか。

みちびかれた知見は、「異常なほどの実害を及ぼす行動」が、権威への服従という消極的なかたちよりも、むしろ積極的な「大義」にささえられるということのようです。ふと、そだちの科学20号 思春期のそだち(日本評論社)に登場した、「世界平和のために免許は取りません」を思い出しました。