きょう、ウートピに、「リスクを取らないと変われない」 フィリピンの女性映画監督が語る“29歳の決断”とマニラのカルチャー事情という記事が出ました。「マニラのカルチャー事情」は、フィリピン全土ではなく都市部のことなのだろうとは推測できるものの、はっきりとは登場しませんが、シージ・レデスマが「29歳の決断」などをとおして映画監督になった道のりはよくわかる、親しみのもてるインタビューです。
自作の舞台となったコールセンターは、「他の似たような仕事に比べて給料も高め」、「若者が集まりやすい」、「環境や給料がいいので、この職場が好きで5年10年続ける人ももちろんいます。」、明るく見えますが、「自分の目指す仕事を見つけるまでの「つなぎ」としてコールセンターに来る人が多い」、「業界を卒業した成功例がないわけではありませんが、難しいのが現実」、そして「生活にはお金が必要ですから、夢の職業を求めてコールセンターを去っても、数年後にまた戻ってくる人もいます。」、このパターンは、わが国では性風俗産業に、やや近いところがあるように思います。All Aboutに少し前に出た記事、「風俗」というお仕事の“重さ”と“軽さ”について、産婦人科医が考えてみたには、「どちらかというと「ちょっと割の良いお小遣い稼ぎ」のつもりで気軽に「風俗」のお仕事に足を踏み入れてしまって」「どちらかというとずるずる仕事を続けている方のほうが多いのが現状」、「効率よく稼ぐ方法を知ってしまうと、なかなか他の方法で稼ぐことができなくなってしまうようなのです。」とあります。入ったらおしまいとは言いませんが、どこかできちんと区切りをつけなければいけません。そういえば、ささらさや(加納朋子作、幻冬舎)では、エリカはサヤに、「いい、サヤ。区切りってのはね、自分でつけなきゃならないもんなのよ。」と言うのでした。
区切りで思い出したのが、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、ハト:「鏡の中の自分」認識…慶大チーム 議論に区切りで、興味深い知見なのですが、「区切り」はやや大げさにも思われます。「米国の心理学専門誌(電子版)に発表」としか書かれていないのですが、J. Exp. Anal. Behav.のSelf-recognition in pigeons revisitedがそれらしく、もしそうだとすると、「情けは人のためならず」調査の記事で取りあげたものと同様に、筆頭著者の名前が報道には登場しないパターンです。「類似の実験は1981年に米ハーバード大のチームが成功したと発表したが、その後は失敗報告が相次いでいた。」というテーマでしたら、成功の可能性がゼロでないことは、最初の報告で立証ずみですので、今回の2羽の正事例は、区切りとなりますでしょうか。最初のものが捏造論文であるうたがいがあるのでしたら、その区切りにはなるのでしょう。先日とどいた、日本発達心理学会ニューズレター第73号を見て、200回も成功したという実験の、あと1回で晴れる日を待たれている人を思い出したことを思い出しました。
さて、インタビューに戻りますが、レデスマもかつて、コールセンターではたらいていたものの、足を洗って、このとおり成功しました。「映画監督志望だったわけではありませんが、子どもの頃から音楽や美術や歴史にも興味があり」「2004年頃から脚本を書くことに目覚め、この道を究めたいと思うようになりました。」、ですがコンテストでは善戦どまりで、「映画業界に入るためには経験を積む必要があると実感」、タイトルにある決断へいたります。今作は初めての長編映画ですが、それまでに積みあげてきたものがあったからこそ、まったく別の分野へ転進しての転身に成功したのでしょう。そういえば、ウートピに少し前に出た記事、“元大人AKB塚本まり子モデルデビュー”に疑問! 35歳を過ぎても女性は新しいことを始められるのか?では、ファッション誌編集者が塚本まり子について、「“専業主婦がAKBに加入!”が売りだったのに、すぐに塚本さんが過去に音楽活動をしていたことが判明」、「水着グラビアをみれば分かりますが、写真に撮られ慣れていて、素人ではありません。」と指摘し、時代小説家の佐藤雅美とは別の、おそらく性別も別と思われる佐藤雅美という人が、「どんなことをするにせよ、過去の経験が重要です。友人の主婦が40歳過ぎて小説家になったんですが、子供の頃から山ほど本を読んでいる人でした」と述べています。
その年齢は、こつこつと積むうちに消耗していきます。「映画祭であと一歩のところで落選し続ける一方で、年齢は上がっていく。」、「「リスクを取らないことには変われない」と思った」、そして「コールセンターを辞めたのは29歳でした。」ときます。あなたは未来 あなたは可能性(吉田和正著、日経BP社)の、自分はもう失敗できない年齢になったと述べる郷ひろみではありませんが、リスクは若いうちならとれるのです。趣味へのお金のかけ方の記事の最後に紹介した、女子高生の起業家精神を思い出しました。性風俗産業に入るのも、お金のために性感染症、それに起因する不妊やがん、レッテルや「親ばれ」のリスクをとったとはいえるでしょう。ですが、入ると抜けにくく、それなのに年齢が上がればだんだんとお仕事がなくなり、ほかの職歴を積んでいないとほかのお仕事もろくに取れなくなり、詰んでしまうリスクも、覚悟していますでしょうか。
今後について、「幅広い映画を撮っていきたいです。ホラーやアクションなども、1ジャンルに1作品は撮りたいですね。」、とても意欲的で、期待がもてます。週刊大衆 6月23日号(双葉社)で藤竜也が、「僕は悪魔から普通の人間まで全部やりたいんですよ。」と言っていたのを思い出しました。
そして、「5年後には何をしていると思いますか。」という問いに、「映画を作っていると思います。」と答えて締めます。しあわせな自信を感じます。ですが、先の自分が見えなければ不幸とも限りません。何のために(中村文昭著、サンマーク出版)が説くような人生観も、あってよいでしょう。また、日本映画magazine vol.45(オークラ出版)で木村文乃は、「高校生の頃、25歳の自分を想像できなかったんですよね。」「想像していなかったからこそ、今が楽しい」と言っています。