生駒 忍

記事一覧

「嫌われる勇気」で恋愛する方法と失敗回避

きょう、ハウコレに、イイ恋をつかむには「嫌われる勇気を持つこと」!その理由と方法という記事が出ました。

今さら、嫌われる勇気(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)を意識したのでしょうか。表紙のデザインはあのとおりですので、内容で売れている本だと思います。それにしても、昨年からアドラーがしかけられていることに関しては、「アドラー心理学」以外の心理学者がほとんど注意を向けるようすがないように、私には思えるのですが、反応しないのが正解でしょうか。上司にかかわる強迫観念の記事で触れた、NLPの場合と同様でしょうか。

「今回は、モテに必要な嫌われる勇気をご紹介したいと思います。」とありますが、4件を提示するような書き方に見せても、そういえるのは後半の2件です。前半は、勇気そのものではなく、その勇気がもたらすものです。

2番目の「自分を知ってもらうことで過ちが少ない」、これは先日書いた「ありのままの私」の恋愛心理の記事の、ポジティブ版のようです。失敗をさけることに焦点をあてると、記事の最後にある、「リスクを取らなければ、リターンもありません。」との整合性が気になるところです。

4番目の「自分に自信をもつ」、あまりにありきたりですが、なかなかむずかしいことです。やりたいこと探しの記事で、いまの若者の自信のなさに触れたのを思い出しました。

ひらめきを待たない創造性とドラゴンボール-

きょう、ライフハッカー日本版に、ひらめきという神話:本当にクリエイティブな人は、ひらめきを待ったりしないという記事が出ました。

「本当にクリエイティブな人」をどう定義するかはともかくとしても、多彩な顔ぶれが登場する記事です。ですが、少なくともわが国では、一般に高い知名度や評価があるとはいいにくい名前も混ざります。登場順に見ていくと、冒頭のカフカは、今の学生なら読んだことがないという人もめずらしくない気がしますが、それでも名前くらいは知っているでしょう。続いて、マヤ・アンジェロウは、もちろんすぐれた詩人ですが、ぐっと知名度は下がります。斎藤美奈子のいう「中古典」のような位置で、私の世代まで下ると、名前を知らない人もいそうです。マイケル・シェイボンは、もう少しはましになりますが、それでも一般にも有名とまではいいにくい作家です。それが一気に反転するのが、村上春樹です。カフカのあと、知らない人が二人いるのを飛ばして、この名前で海辺のカフカ(村上春樹作、新潮社)が頭にうかんだ人もいそうです。

こちらは作家ではありませんが、「有名な心理学者、ウィリアム・ジェームズは、習慣とスケジュールが大事である理由を「心を解き放ち、本当に面白い活動の舞台へと導いてくれる」からと言っています。」とあります。心理学史では有名な人物ですが、そのことばが今日の世界に生かされるのは、意外にめずらしいことです。あとは、「ウリアムジームスの言葉」としてネットに出回るものが、この人のもののようです。

ひらめきとスケジュールとは、直接に対立するものではありませんが、この記事の主張は、降りてきてから仕事をしよう、ではなく、スケジュールをきちんと確保して、ひらめきと関係なく仕事をしていれば、その中でクリエイティブなひらめきの機会もあるだろうというものです。へたな鉄砲のことわざだとがっかりした人も、あるいは前向きなものでは、エジソンのことばということになっている「99%のパースピレーション」が思いうかんだ人もいるでしょう。SAMURAI SOCCER KING 2013年12月増刊号(講談社)で宮間あやが言う、「当然、乗らない日もありますが、そういう日はそういう日なりに」でいいのです。「もうちょっとやる気があったら今日やるのにな」より、ずっといいのです。

ですが、そういう固定スケジュール戦略で気になるのは、降りてきたらスケジュールを変更して、仕事時間をのばすのはありかどうかです。決めたスケジュールなのでと無条件で切ってしまっては、とてももったいないように思えます。一方で、のばした分だけあとで休みもほしくなるでしょう。また、臨機応変にというともっともらしいですが、そこの合理性をとると、結局は気が向いたらする、向かなければしかたないという考えにかたむいて、スケジュール固定のよさを失いそうです。よいときに仕事をのばして、そうでないときに先のばしするのでは、ひらめき待ち戦略に戻る方向です。

のばすで思い出したのが、銀河パトロール ジャコ(鳥山明作、集英社)の「スペシャル おまけストーリー」です。むしろ、ジャコ本編よりも話題になっているようにも思える「おまけ」ですが、「ドラゴンボールー」というように、後ろを長音記号でのばす人もいるようです。ですが、あのタイトルにあるのは、マイナスです。ネット上で文字になったものだけ見て、誤読したのかもしれません。あの字だけ白抜きにして区別してありますし、カタカナで「マイナス」と添えてあるので、ひと目みればもうまちがわないはずなのです。紙にお金をはらうのは情弱、などという考えもあるのかもしれませんが、若者はまんがしか買わないと悪く言われたのが、今はまんがも買わないになってきたのでしょうか。フリーですが紙媒体であるR25の、4月3日号の36ページ、石田衣良が書いた「なんでも無料症候群」を思い出しました。

女子校は奥手や内戦を育てるのでしょうか

きょう、マイナビウーマンに、女子校出身者はやっぱり恋に奥手だったりするの?「いいえ 63.0%」という記事が出ました。先月に行われたネット調査の結果を紹介するものです。

「まず、女性読者277人に「女子校出身」か聞いてみたところ、46人が女子校出身とのことでした。」とあり、スクリーニングのところからの紹介のようです。ですが、最後には「有効回答数277件。」とあって、スクリーニングではなかったようなあつかいです。記事本文には、46名の回答で、本題に対して17人が「はい」、29人が「いいえ」だったとあきます。記事タイトルにある「いいえ 63.0%」は、ここでの比率で、277人でのものではないはずです。一方で、紹介されるエピソードは、すべてが「はい」の人のものです。「残念ながら「女子校の女の子たちは奥手!」という幻想は砕かれてしまいました……。」と結論しながら、幻想のかけらをひろい集めるのです。少数派を掘りさげる調査や分析はあってよいのですが、見たいものを見たいだけのようにも見えます。

サンプルが小さいのでしかたがなかったと思いますが、単純に「女子校」でくくることの限界もあります。いわゆるお嬢様学校でしたら、俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」として拉致られた件 1(七月隆文作、一迅社)のあとがきにあるように、あらそいのないお花畑なのかもしれませんが、自分のところはそんな裏表のない平和ではなかったという女子校経験者も多いでしょう。むしろ、女子の国はいつも内戦(辛酸なめ子著、河出書房新社)のタイトルそのままだったり、昨今の流行語でいう「マウンティング」が横行する空間だったりしたかもしれません。女子校育ち(辛酸なめ子著、筑摩書房)にあるような分類をとりいれた調査ができると、もっとおもしろくなることでしょう。

目からうそを、下半身から緊張を見ぬきます

きょう、マイナビウーマンに、嘘の見抜き方とは?「腕や足を組んでいるのは拒否のサイン」という記事が出ました。

「心理学者や尋問者は嘘を見抜くために、話手が話している内容よりも、その人の目やしぐさ、ジェスチャーなどで嘘を見抜くようです。」とのことで、私自身は特段そういう意識はありませんが、この記事の前半は、そういういわゆる「行動心理学」が話題の中心です。行動主義心理学ではなく、植木理恵のすぐに使える行動心理学(宝島社)のような「行動心理学」です。ですが、4点のポイントのうち、2番目の「注意力」のみ、行動ではなく内的な特性で、行動から注意力を推測し、そこから感情状態を推測する方向です。「しかし、不安な人や緊張している人は何か他の事に注意を向けようとします。」という前提です。緊張に関しては、もっと一般的な「行動心理学」では、注意力に注意せずに、見えるところから直接見ぬくやり方もあります。たとえば、心理の技法大全(おもしろ心理学会編、青春出版社)には、下半身を見れば緊張のレベルがわかるとあります。

後半は、「次は言葉から分かる嘘の見抜き方です。」とあり、冒頭の文とは逆に、ことばそのものからのアプローチを紹介します。ですが、後半に入る直前にある「一種のバリアを張っているサインと考えていいでしょう。」が、後半にも意外にあてはまります。「嘘の見抜き方」というほどのものではなく、ことばの比較的そのままの解釈です。カウンセリング的な言いかえ技法や、あるいはジンクス!!!(まなべゆきこ作、角川書店)で、雄介が星座を言うべきところに「スター座」と答えたくらいの、情報量の増えない展開です。

日本人だけが謙虚である調査結果と声かけ事案

きょう、It Mamaに、日本人が外国人と比べると圧倒的に「自己肯定感」が低い理由という記事が出ました。Amazon.co.jpで高い評価を集める、困ったココロ(さくら剛著、サンクチュアリ出版)の主張の紹介を中心として書かれたものです。

さっそくその本から、「さくらさんは、「日本人は歴史的に謙虚であることを良しとする文化を持っているから」と語っています。」と引きます。私は、この本をまだ読んではいないのですが、この「歴史的」の意味あいはどのようなものだったのでしょうか。古くからずっとということでしょうか、それとも、歴史上のできごとの影響で必然的にそうなったということでしょうか。もちろん、両方かもしれません。小浜逸郎のブログに4か月ほど前に出た記事、日本人の自己評価は、なぜこんなに低いのかは、大学での授業実践の経験をふまえたエッセイですが、もともとの特徴と、戦争の爪あととの、どちらもがあると指摘します。

「例えばインドでは「こんにちは」「お元気ですか」の二言だけしか話せないのに、「俺は日本語が話せる」と豪語する現地人がいた、とのこと。」とのことです。インド人もびっくり、と言ってよいのかどうかわかりませんが、これは大胆です。KANTER JAPANによる22か国調査の結果報告、日本人は「健康」に対する自己評価が低い。で、自分の健康へのコントロール感の最高がインド、最低が日本だったのを思い出します。一般には、自己評価での日本の特異的な低さが、よく指摘されます。週刊ポスト 7月19日・26日号(小学館)で宋文洲が、「日本人は真面目な上に自分の能力を高く見積もりすぎる傾向がある。」と指摘するのはむしろ特異で、心理学的に検証してほしいところです。先ほどの小浜のブログ記事でも、日本だけが反転するグラフがありますし、ベネッセ教育総合研究所の学習基本調査・国際6都市調査が報告する図1-3-1も印象的です。日本だけを見ると、左右、つまり成績の上下でどちらにもゆがまず、まん中から左右対称で美しいのですが、海外ではゆがむのが当然で、かたよっているのは日本のほうだと考えざるをえません。怒り爆発の表現、「You got me mad now」を日本人は、ゆがめすぎて、ゆがみがないように聞きとってしまうことを連想しました。

そのインド人の話題から進めて、「これについて、『カウンセリングサービス』にも、似たようなことが書かれています。」と来ます。二重かぎかっこでくくってありますが、本ではなく、そういう名称のウェブサイトからの、伝聞的な部分の引用です。

同じように、「ただ、『ダイヤモンド・オンライン』で、品川女子学院の校長・漆紫穂子さんは、「ほめてあげるのが苦手な大人が多い気がします」と日本の文化以外の問題も指摘。」、こちらは有名サイトですのですぐわかると思いますが、二重かぎかっこはやはり、ウェブサイトです。あまりほめないのも、日本の文化的な特徴のようにいわれがちですが、ここでは「日本の文化以外の問題」と位置づけます。文化ではなく、では日本の何だと考えることになるのでしょうか。

そして、また困ったココロからの話題に戻ります。ですが、この最後の引用が、『カウンセリングサービス』からのものとはうまくなじみません。成功では上がりにくい、失敗で下がりやすいのでしたら、こまかい向社会的行動でこつこつかせごうとしたところで、たまにつまづいてはふり出しに戻る賽の河原にはまるのではと、心配になります。文字どおり声をかけただけで「声かけ事案等」にされるとされるのは、Excite Bitの記事、これって不審者? 「声かけ事案」はどんなケースかから考えると都市伝説的ですが、席をゆずろうとしたらいやがられて、どちらも不快になったというたぐいの事例は、昔からたくさんあります。そこを意識すると、ゆずられるほうも気をつかうもので、発言小町の記事、ただのデブなのに、電車で席を譲ってもらいました。のようなことにもなり、あそこでよく見る表現で言えば、もやもやしますという感じでしょうか。

最後に、「【参考】」として、引用元の一覧があります。本文中でももう示してありますが、こちらではリンクもはられて、親切な印象をうけます。本に関しては、人文系の世界では書名だけではなく掲載ページまで求められますし、以前に日本語版ウィキペディアの嘗糞(상분)の項目で、「人糞を嘗める朝鮮人特有の遊び」をめぐって疑義が出たようなこともありますが、そこまででなくてよいと思います。そういえば、小保方騒動でも、ウェブ上の文章をだまってコピペした行為が笑いものになったところでした。前に書いた酒鬼薔薇の影響の記事で、早稲田のコピペの伝統の威力か、あの人だけが特異なのかと書きましたが、探偵ファイルにきょう出た記事、早稲田・小保方氏の指導教授らのゼミ、博士論文でコピペ大量発覚!は、前者の可能性をうかがわせます。そして、心理学にかかわる者として、これは対岸の火事、あるいはシャーデンフロイデですませるわけにはいきません。パーソナリティ研究の最初の号の最後にある報告書を、心理学者なら忘れてはいけません。あれはほんとうにあぶないところだった、査読者がもし、AとCとの2名だけだったらと、何度考えてもぞっとします。