生駒 忍

記事一覧

ひたすら怒る吉木りさとビンアン虐殺壁画

きょう、zakzakに、吉木りさ、ひたすら激怒に“怖すぎ”“想像以上”の声が…という記事が出ました。テレビ東京系の番組、吉木りさに怒られたいを取りあげたものです。

今年に入り、週刊新潮 5月8・15日号(新潮社)に出たAKBに対するGやHの逆襲や、日刊サイゾーにきのう出た記事、広告業界の“AKB48離れ”明るみに……「20位中、1人だけ」は“脱法ハーブ騒動”の余波かのように、ようやく復旧が見えてきましたが、グラビアアイドルの業界も、一時はAKBに相当圧迫されていました。その中で孤塁を守ってきたのが、篠崎愛とこの人です。

「テレビ局関係者」の発言を見ると、「怒る」と「しかる」とがあいまいなようにも見え、怒りはしませんが、気になります。ここは、現実的にはむずかしいところです。この「しかる」ことは、シロクマの屑籠の記事、「叱られ下手は堕落しやすい」に関してにあるように、そこから学べない人にはうまく届かず、「怒る」にしか見えなかったりもするのだろうと思います。ビジネス法務 2013年7月号(中央経済社)でも論じられた、口うるさい人のありがたさも、わからないことでしょう。本人の頭の中では、必ずわかる! 「○○(マルマル)主義」事典(吉岡友治著、PHP研究所)の261ページの絵のようになっていそうです。

「いままでの吉木といえば、高い声で甘えるキャピキャピしたイメージだったが。」とあります。マイナビウーマンの第一印象に関する記事のうち、きのうの記事では取りあげなかったものに、第一印象で好印象な人に共通した特徴とは?「裏表のない笑顔」「声が高い」がありましたが、「声の高さ。高すぎる人にいいイメージを持ったことがない。落ち着いたトーンの人は安心できていい」という声が紹介される、タイトルと矛盾した内容のふしぎな記事で、吉木も実は「高い声で甘える」やり方で損をしていて、むしろここから新しいファンをつくれるかもしれません。また、有吉弘行におもしろさを感じさせる背景に、いまの毒舌とは正反対のような過去があるように、同じ人の中でのコントラストをつけるのは、有効な売り方だと思います。

同じ人の中でのコントラストといえば、同じくzakzakにきょう出たまんが、鏡のない国のパクがあります。ちなみに、3こま目でテレビ画面に映っているのは、SAPIO 2014年8月号(小学館)の表紙と15ページとに出た、ビンアン虐殺壁画です。

扇風機発言と報道ステーションのスポンサー

きょう、トピックニュースに、古舘伊知郎氏が「報ステ」で、停電時の熱中症対策は「扇風機で」と珍コメントという記事が出ました。

この「珍コメント」に対しては、「ケーキを食べればいいじゃない」を思い出すところでしょうか。もちろん、マリー・アントワネットのことばだと信じている人が今でも多くいる、あのフレーズです。あるいは、扇風機がクーラーより格下というイメージにあわせるなら、曲淵景漸のほうが近そうです。失敗しないとわかっていたら、どんなことをしてみたい?(J.C. マクスウェル著、ダイヤモンド社)は、「無知による失敗なら、人に非はない。」としますが、PowerPointを知らなかったからといって、扇風機まで理解していないとは考えにくいです。この番組には、有名な家電量販店がスポンサーについてきましたので、こびたつもりでの失言だと見るべきでしょうか。

この記事の解釈は、古館自身に、不適切な発言だという意識があって、そのため直後に対処したというものです。ひなた弁当(山本甲士作、中央公論新社)の、鳩にやつあたりしたものの、すぐにあやまった展開を連想しました。ですが、この発言の場合は、あやまりを認めて撤回したわけではありません。手動のイメージが強い窓への言及をつなげて、方向をそらしたようです。そういえば、先ほどの失敗しないとわかっていたら、どんなことをしてみたい?には、「負ける時は、ちゃんと負けろ。」ともありました。

放送作家と交際したおニャン子と「あいのり」

きょう、zakzakに、新田恵利「彼氏いた」発言、80年代と今のアイドル事情の違いという記事が出ました。先日のTBSの特番からの話題を取りあげたものです。

新田恵利は、私がアイドルだった頃(長谷川晶一著、草思社)で、「ラグビー部の彼」を明かしましたが、今回はそれより後のことでしょう。「しかも、新田は放送作家と付き合っていたと告白。まさかの職場恋愛だ。」、ここは「新田は」に反応した上で、新田ほどの人気ではなかった、高井麻巳子というメンバーを連想するべきでしょうか。また、新田の話題に、ライターの発言として、「テレビ局のスタッフがタレントに手を出すというのは、芸能事務所にとっては“商品を傷物にされる”ということですから、業界を干されかねない一大事」とぶつけたことには、新田も「職場」の人と結婚したことへの皮肉を感じます。

そのライターは、「おニャン子の場合は、タレントというより半分素人みたいな存在でしたから、スタッフと付き合っちゃうケースも」と語ります。メンズサイゾーに4か月ほど前に出た記事、読モに食われまくり? NMB48・渡辺美優紀のお泊り愛騒動が意外な疑惑に発展を思い出しました。AKBが「半分素人」かどうかはともかくとしても、関係者の発言として、「本来なら事務所が止めるべきですが、読者モデルは半素人のため歯止めがきかず、次から次に毒牙にかけられている状況です。」とあります。

Twitterでの「ブーイング」が3本、並べられています。ですが、私が確認できた範囲ではどれも、スポニチが放送内容からかんたんに紹介した記事を見て、放送翌日に反応したもので、番組を見ての反応ではないようです。Business Journalにおととい出た記事、テレビのやらせ批判は間違い?その実態と生まれるカラクリ 情報番組で横行するステマでの、神奈川テレビのわいせつ語衣装の騒動の議論を思い出しました。新田の夫と同じ会社に勤めていた人が、「100件以上寄せられた批判の80件以上が、北海道や九州など神奈川県以外から」「実際に番組を見ていない人が批判しているのであり、それは批判ではなくただの「雑音」「トイレの落書き」」と斬ったのでした。なお、「あいのり」の「出演者は全員、タレント」として、「日本にちゃんと交際相手がいるタレントも大勢いました。中にはスタッフといい関係になっている出演者もいました。」と明かしていて、今回のおニャン子のことと、いまも昔も変わらないと思わされます。

ですが、恋愛禁止に関しては、「ただ、今のアイドルと80年代のアイドルではかなり事情が違うという。」とあります。おニャン子がデビューした1985年、先ほどの連想の先にいる放送作家が書いたなんてったってアイドル(小泉今日子)は、あの歌詞で堂々と歌えたのでした。なお、ずっと後に、日経エンタテインメント! 2012年3月号(日経BP社)で小泉は、この曲を歌うのがとてもいやだったことを明かしています。そういえば、冒頭で挙げた私がアイドルだった頃によれば、新田恵利は、デビュー前にもう「アイドルなんて、どうせ、仮面をかぶった操り人形でしょ」と思っていたそうです。

「アリーヤ」と「アーリヤ」とのバランス

きょう、SankeiBizに、ゼンデイヤ アリーヤの伝記映画降板という記事が出ました。

本文では、「アリーヤ」が2回、「アーリヤ」が2回と、2種類の表記が交互に使われています。以前に、マクルーハンかマクルハーンかの記事を書きましたが、今回の記事では、どちらにするかで迷った結果、バランスをとったのでしょうか。先月29日の海外ニュースを、今ごろになって紹介するだけのものですので、あわてて書いてこうなってしまったとは考えにくいです。

伝記映画に遺族が反対する展開は、先日はホイットニー・ヒューストンでもありましたし、お金がらみのこともありそうで、むずかしいところだと思います。そういえば、WEB女性自身にきょう出た記事、ホイットニー・ヒューストンの娘、母の伝記映画の監督に噛み付くは、その映画の配役をめぐる「もっともすぎる発言」に、娘が強く反応したことを取りあげました。最後は失礼な文で締めますが、指摘としては合っていると思います。もし、以前に佐村河内ゴースト事件の記事で名前を出したミリ・ヴァニリのようなことをしたとしても、この人にグラミー賞は無理だと私は思うのですが、どうでしょうか。

華原朋美の「天然水」と後に続く持田香織

きょう、NewsCafeに、【ウラ芸能】華原朋美の笑えない話という記事が出ました。パソコンからのアクセスの場合は、User-Agentで対応しなければはじかれますので、OKMusicへ提供された同記事でご覧ください。

「それが影響しているのかもしれませんが、また彼女の精神状態を心配する声が上がり、このままでは仕事が激減する可能性がある、と心配するムキもあります」とあります。ふつうに「向き」と書いてよさそうなところを、カタカナにした理由がよくわかりません。漢字にすれば同じですが、カタカナではまるで、つい本気に、むきになっているように見えます。また、筋肉がたくましく張ったさまをあらわす擬態語の「むきむき」は、擬態語ですが「ムキムキ」と表記されるほうが多いので、そちらも連想します。サマーライオン 初回限定盤C(アイドリング!!!)に収録された「ミルキーガール」の歌詞には、「骨はムキムキ」とありました。あるいは、くだらないことで本気になる「ムキ」ですと、むずむずする曲名ですが、Dear My Friend(Every Little Thing)の歌詞に「すぐムキになって」とあるのが、一番売れた楽曲でしょうか。それにしても、そのELTの持田には、この記事の華原との相似を感じます。売れないアイドルを経て、意欲的なプロデューサーの下で大ヒット、そのプロデューサーとはなれた後で、精神的問題をうたがわれる奇行が話題になり、その間に元プロデューサーは失速と、華原の振れ幅を小さくして後に続くような展開です。すると、そろそろ五十嵐充も持ちなおすのでしょうか。

「それで観葉植物がうつ状態になってしまい『こんなになったのは、忙しくてかまってあげられなかった私のせいだよね。いいお水を飲んでね』と天然水をあげたら『ありがとう。元気になるね』と植物が言ったというような話です」とあります。元気になるのならよいのですが、この人に「天然水」と言われると、のろいの都市伝説を生んだ桃の天然水かと思ってしまいます。そういえば、賢治文学「呪い」の構造(山下聖美著、三修社)には、「私は歌手の華原朋美の大ファン」とあります。