生駒 忍

記事一覧

過剰テロップ事件と今ここでわかりたい欲求

きょう、秒刊SUNDAYに、犯人はヤス!昨日の「過剰テロップ事件」で日テレに非難殺到という記事が出ました。

「昨日日テレの金曜ロードSHOW!で放送された「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」において衝撃的な事件が発生した。」とありますが、映画のストーリーの中の事件ではありません。「左上に表示されている番組テロップに壮大なネタバレが記載されていた」という、電波にのせた日本テレビが起こしたものです。「最後の一撃」ものの記事で触れたように、ねたばれのたぐいは荒れる話題になりがちです。人間はわかることを好む一方で、誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか(G. エインズリー著、NTT出版)が生物学的基盤を論じたように、むしろ意外性や、間接性の遠まわりも報酬となるのです。なお、その本自体も、順当には進んでいかない意外性や遠まわりを地でいくような手ごわい本で、読者を選ぶかもしれません。

「一般的にかが得ればこのような表記はあえて伏せておくのだが、最近では「わかりやすさ」や「概要をすぐに把握させる為」か、あえて記載しているのかもしれない。」、そのとおりだと思います。月刊J2マガジン Vol.1(ベースボール・マガジン社)で、柱谷哲二が、テレビのサスペンスは映像があるので犯人がわかりやすいと言っていましたが、今日のテレビは、わかりやすさの優先が、あまりに強すぎてはいませんでしょうか。テレビを見ているのが理解力の低い層にかたよってきたのか、スマートフォンなどの使用と並行しての、ながら視聴が楽にできるような親切設計なのか、背景が気になるところです。あるいは、テレビの中だけでなく、いまの人の全体に、すぐわかることへの志向が強くなっているようにも思います。教育研究 2007年11月号(不昧堂出版)で向山行雄は、東京都の小学生調査の知見から、「児童は教師にていねいに教えてもらうことを期待しているのであり、教えてもらっても分からないことを後からまた指導してもらうことはあまり望んでいない」と指摘しました。どちらでも大差ないように見えるかもしれませんが、これはつまり、いま、ここでわかることの欲求であって、あとからわかるのは別にいらないということです。むずかしい本が売れないと言われて久しいですが、こういう時代では、無理もないでしょう。何度も読みかえしてだんだん見えてくるよろこび、むかし読んでまったく意味がわからなかったものをまた読んで、前よりはわかると気づく成長のよろこびにも、気づけるような機会をつくりたいものです。

テレビの予定調和と放送事故を期待させる紅白

きょう、BLOGOSに、V6井ノ原さんのセクハラに対する発言がネットで反響を呼んだ2つの理由 - カツセマサヒコという記事が出ました。NHK総合テレビで15日に放送された「朝イチ」での発言に対する、ネット上の反応に関する考察です。

「同番組の調査によると、「セクハラ被害は40代~60代の女性が一番受けている」ということが明らかになり、その理由として「歳を重ねた人はセクハラされても騒がないだろう」という加害者の心理があるのではないかという仮説が立てられた。」とのことです。加害者は、相手の年齢や、それと共変する婚姻関係の有無などには関係なく、女性ならあとは誰でもよいのだという前提をおけば、この仮説をあつかえそうですが、どうでしょうか。なお、その逆に、加害者側の年齢が判断にかかわることも、あるかもしれません。週刊ポスト 10月24日号(小学館)は、有名な安城学園高等学校吹奏楽部のセクハラ騒動に関して、「おじいさんは許される」という主張があったことを明かしました。
  
「テレビ番組特有の「予定調和」に疑問を抱く人たちも」、これは特有なのでしょうか。ほかにはない特有のところが、ここで具体的には示されませんでした。おとといの記事で取りあげたような、ストーリーをととのえようとする傾向は、マスメディアによく見られますが、新聞やラジオなどのほかのメディアのやり方にはない、テレビ番組だけがもつ予定調和、どのようなものでしょうか。

「「いじられても大丈夫なキャラクターだから、許されるだろう」と高をくくるのは間違いであり、無自覚のうちに親しい人との関係が「加害者・被害者」に変わっているケースもありえる。」、「大丈夫」の定義によっては、おかしなことになります。被害を生じることはないという意味であれば、ゆるすかどうか以前に、被害は論理的に否定されます。もちろん、そういうキャラクターではないのに、そういうキャラクターだとその人が思っているだけなのでしたら、被害が生じる可能性は高まることでしょう。

「井ノ原さんの発言により、決められた台本に沿って進行されるのがデフォルトとされるテレビ番組に番狂わせが起き、その結果、奇しくも番組が最も伝えたかったであろう「黙認されたセクハラに気付かせること」を番組自らが反面教師となって実演することになってしまった」、ここは指摘されたとおり、いかにもネット好きの人々が好みそうな要素だと思います。発信者側の材料で発信者にダメージが生じる展開は、前世紀末のアングラ系掲示板で流行した「お前もな」あたりからすでに、ネットの世界で好まれるパターンです。その後に、ブーメランという表現が、あざ笑う意味あいをこめて、広く使われるようになりました。また、「放送事故」も、ネットの世界で、人気があるようです。かなり拡大解釈されて、テレビなら予定調和であるべきという前提をおいて、その美しい調和のストーリーにあわない事象を見かけると、放送事故レベルなどと評するところも、見かけるようになりました。

むしろ、テレビのほうから、事故を期待させて注目を集める「ブーメラン」も、投げられるようになってきました。目先の注目にはこだわらないNHKであっても、例外的に視聴率が強く問われる紅白歌合戦には、ここ数年、そういうしかけ方を感じます。リハーサル中の事故を出して、早着がえで失敗した、バックバンドがミスをして歌手ともめたなどと流すのもそうでしょう。また、笑福亭鶴瓶には、開始早々に「ポロリ」の提示をともなわせましたし、ゴールデンボンバーの初出場時の会見では、脈絡のない品のない発言で、ハプニングを連想させました。ゴールデンボンバーだけでなく、泉谷しげる、桑田佳祐、ひさびさの長渕剛といった、何かやってしまうのではという期待を刺激しやすいアーティストが、各回の目玉として前面に出されがちですし、今年の紅組司会に決まった吉高由里子にも、そういう意味あいを感じます。週刊ポスト 10月31日号(小学館)は、表紙は仲間由紀恵なのですが、NHK関係者による、「過去4回、紅白で司会の経験がある仲間さんに比べ、吉高さんは『今年の顔』であるのは間違いないが、生放送で何をするかわからない」という発言を載せました。もしかすると、昨年の紅白への、特にネット上での反応を独占した綾瀬はるかも、実はねらいどおりで、予想をはるかに上まわる予定調和だったのかもしれません。

笑点の台本の存在を指摘する「業界関係者」

きょう、メンズサイゾーに、祝、桂歌丸師匠復帰! カオス状態のイレギュラー回も絶賛された『笑点』の安定人気という記事が出ました。現在、人気女子アナ「AV出演」疑惑で騒動に…担当番組から顔写真消えるが相当なアクセスを集めているメンズサイゾーですが、こちらはお色気の気のない話題です。

記事の主題は、復帰そのものではなく、それより前の放送内容についてなので、今さらと思った人もいるでしょう。それも、取材したといえる内容は、「業界関係者」のやや長い声があるくらいです。やや長いのは、主題につなげる導入があるからで、出だしは「常にアドリブで勝負しているように見える笑点ですが、きっちり台本があって大喜利のお題も事前に知らされているというのは有名な話ですよね。」です。ブックでも入手できたのならともかく、業種までふせた匿名の人に言わせるほどのことでもないように思いますが、「業界」では一大タブーなのでしょうか。週刊ポスト 11月22日号(小学館)では、ビートたけしが笑点を、「あんなもん、落語家たちは放送作家が作ったネタを読み上げてるだけ」と斬りましたが、そのくらいの人でないと言えないのでしょうか。一方で、テレビの伝説 長寿番組の秘密(文藝春秋)には、歌丸も登場し、大喜利の回答を「全てアドリブ」と断言しています。

この後、かわって司会をつとめた時の林家木久扇や三遊亭圓楽の暴走の紹介が、最後の論評まで続きます。「やりたい放題」なのは筆者のほうも、とは思いませんでしたが、もっと前に出せる話題、ほかでもう話題になった話題で今さらという感じはあります。

そういえば、やりたい放題で思い出しましたが、きょう、OKWaveに、アンケートカテゴリーは無法地帯?という質問記事が出ました。回答にある、「KBT☆3とかMTNなど意味不明な単語が横行」は、私は別に困りはしませんが、一般論として困ったものだとは思っていました。また、「踏み潰されたら~シリーズってどこにあるんですか?」と疑問を向けた人もいますが、これはおそらく、以前にはちべえトマトパンの記事で触れた人の、最近の活動のことでしょう。

いじめの起こる撮影現場での出演女性の首つり

きょう、AFPBB Newsに、韓国リアリティー番組で女性出演者が自殺という記事が出ました。撮影現場で首つり自殺が起きて、テレビ局に非難が殺到しているそうです。

韓国起源説ではありませんが、日本にも多少似たところのあるテレビ番組があります。ちょうど、FLASH 3月18日号(光文社)が、その「テラスハウス」のやらせを告発して、話題になったところです。リアリティ番組のはずが、お金でつるやらせが横行する内情は、指示どおりのキスで10万円などと、かえってリアリティがあります。ですが、AFPBBの記事によれば、こちらは札束で、あるいはむちでたたいて意に反することをさせたのではなく、本人の行いからバイアスをかけて切りとる制作態度が、死をまねいたようです。「かわいそうな女の子」に見えるようえがき出そうとした意図は、誰が見てもかわいそうな結末となって反映されたのでした。

生前に母親に電話した内容、「番組が放送されたらもう韓国には暮らせなくなる」、これはとても重いと思います。リアリティ番組から戻ったら中途半端な有名人になっていて、いろいろやりにくくなることなら、日本でもありますが、放送されたために自殺したり、国外に移住、あるいは大半を海外で過ごさなければならなくなったりしたような例は、聞いたことがありません。少し前にKStyleに出た記事、人身攻撃、性的羞恥心を感じさせる書き込みから虚偽の動画まで…消えたスターたちの人権にある、女優ムン・ソリの声を思い出します。映画内のベッドシーンについてのようですが、「露出シーンは負担だ。撮ったその時だけでなく、10年経っても負担となる出来事が生じたりする。韓国社会が負担にさせる」というのです。

自殺はしなかった出演者も、「番組出演中にいじめられたり中傷されたり」と思った体験を明かします。朝鮮半島には「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ」「他人の家の火事見物をしない君子はいない」などということわざがあると聞きますが、こういう場面も、プロデューサーのねらいによっては、好んで使われる番組なのでしょうか。もし、番組でいじめられたかわいそうな弱者として知られて、「おぼれる犬は棒でたたけ」になってしまうとしたら、「番組が放送されたらもう韓国には暮らせなくなる」と考えるのもしかたがないでしょうか。それとも、韓国は儒教社会だといわれ、儒教 ルサンチマンの宗教(浅野裕一著、平凡社)によれば儒教は弱い者の側の強い思いから形成されたものですので、弱者にとても理解があるはずで、自殺したこの出演者が異常だと考えられるのでしょうか。

出演者の首つりで、番組は放送中止のようです。これも朝鮮のことわざだという、「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる」を思い出しました。番組やテレビ局の関係者は、おわびの気持ちでいっぱいでしょうか。自分の首が心配でしょうか。あるいは、見られていないところでは、「ひとつ釜の飯を食べて訴訟を起こす」とうそぶいているのでしょうか。

「津波ラッキー」と「マナー神経症」の時代

きょう、秒刊サンデーに、フジテレビ「東日本大震災」のドラマに出て来た名刺「津波ラッキー」に物議という記事が出ました。昨年放送されたテレビドラマに、震災を揶揄しているととれる場面があったことが発見されたそうです。

つい、「日本の大震災をお祝います」事件を思い出してしまいました。ご存じない方は、ロケットニュース24の、サッカーACL「大地震をお祝い」横断幕に韓国人も激怒 / 試合に勝ったが「大きな敗戦」をご覧ください。今回の件は、未必の故意も含め、不適切とわかって仕込んでいたのか、誰も気づかずに通してしまったのか、知りたいところですが、今のところはわかりませんし、突きとめることもむずかしそうです。J-ADNI「不適切データ」問題で、改ざん疑惑を指摘した側だった朝田隆・筑波大学教授が、きょうのYOMIURI ONLINEの記事、改ざんではない、未熟…認知症研究で部門責任者では一転して、改ざん否定に回る混乱を連想しました。あの名刺をつくった小道具スタッフは、悪意を持ってこうしたとしても、あるいはもしそうだとしたら必ず、名前によい英単語を組みあわせたよくあるメールアドレスにしただけで、そういうつもりはなかったと言いはれるよう、逃げ道まで考えてあのようにつくっていそうです。その点では、もともとの脚本の段階で、わざわざ「つなみ」と読む人物を設定したのが、そもそものまちがいだったように思います。震災前に書かれた原作ものではなく、オリジナル脚本なのですし、珍名だらけの物語設定でもないのに、「つなみ」と命名する必然性がどこにあったのか、私には見当がつきません。

一方で、そんな細かいことを被災者は大して気にしないという声もあるでしょう。昨年10月に出た円谷プロ特撮DVDコレクション06(講談社)は、東京が大津波にのまれるウルトラマンレオ第1話を収録した上、津波シーンを「素晴らしい迫力」とたたえましたが、おわびや回収になったとは聞きません。今回の名刺では、被災者を代表できそうなところからの反発であったとしても、方広寺の鐘銘が豊臣氏の滅亡につながったようにはならないでしょう。弱者を持ちだして、大資本の下ではたらく下っぱの行いをたたくのでは、イザ!にきょう出た記事、可視化されるストレス…鉄道マナーの議論白熱に「終点」は?にも取りあげられた、グリーン車開放要求騒動のようでもあります。その記事で主な論点になっている、近年のマナー要求の肥大化については、日本はなぜ諍いの多い国になったのか 「マナー神経症」の時代(森真一著、中央公論新社)の論考が興味深いと思います。

弱者とは別に、亡くなった人もまた、あつかい方に気をつけないと、不謹慎として指弾されやすくなります。津波の場合は、存命の被災者だけでなく、多くの死者を出したこともありますので、「津波ラッキー」名刺は両方にかかわる問題といえます。昨年は、やなせたかしが亡くなりましたが、これを受けての吉田戦車の発言が、不謹慎だと批判をあびたのは記憶に新しいでしょう。宮崎駿が手塚治虫追悼の場で口をきわめて手塚批判を展開したお話は、オタク学入門 東大「オタク文化論」ゼミ公認テキスト(岡田斗司夫著、新潮社)にくわしいですが、そこまでの執念のなかった吉田の発言にも、批判が出たのでした。ですが、こういう時代になったとはいっても、年月がたつのを待ってから言えば、こうはならなかったでしょう。昨年出たjazz Life 2013年3月号(ジャズライフ)のまんが「ジャズ爺」には、「ヘンリー・マンシーニって生きてたっけ?」「マンシーニと言うぐらいだから死に、でしょぅ」というやりとりがありますが、名前を死と引っかけるなと、どこかで問題になったとは聞きません。ところがもし、昨年に亡くなった牧伸二について、同じように「伸二と言うくらいだから死んじ、でしょぅ」などというまんががどこかに載っていたとしたら、より不謹慎な感じがしませんでしょうか。

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