生駒 忍

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「津波ラッキー」と「マナー神経症」の時代

きょう、秒刊サンデーに、フジテレビ「東日本大震災」のドラマに出て来た名刺「津波ラッキー」に物議という記事が出ました。昨年放送されたテレビドラマに、震災を揶揄しているととれる場面があったことが発見されたそうです。

つい、「日本の大震災をお祝います」事件を思い出してしまいました。ご存じない方は、ロケットニュース24の、サッカーACL「大地震をお祝い」横断幕に韓国人も激怒 / 試合に勝ったが「大きな敗戦」をご覧ください。今回の件は、未必の故意も含め、不適切とわかって仕込んでいたのか、誰も気づかずに通してしまったのか、知りたいところですが、今のところはわかりませんし、突きとめることもむずかしそうです。J-ADNI「不適切データ」問題で、改ざん疑惑を指摘した側だった朝田隆・筑波大学教授が、きょうのYOMIURI ONLINEの記事、改ざんではない、未熟…認知症研究で部門責任者では一転して、改ざん否定に回る混乱を連想しました。あの名刺をつくった小道具スタッフは、悪意を持ってこうしたとしても、あるいはもしそうだとしたら必ず、名前によい英単語を組みあわせたよくあるメールアドレスにしただけで、そういうつもりはなかったと言いはれるよう、逃げ道まで考えてあのようにつくっていそうです。その点では、もともとの脚本の段階で、わざわざ「つなみ」と読む人物を設定したのが、そもそものまちがいだったように思います。震災前に書かれた原作ものではなく、オリジナル脚本なのですし、珍名だらけの物語設定でもないのに、「つなみ」と命名する必然性がどこにあったのか、私には見当がつきません。

一方で、そんな細かいことを被災者は大して気にしないという声もあるでしょう。昨年10月に出た円谷プロ特撮DVDコレクション06(講談社)は、東京が大津波にのまれるウルトラマンレオ第1話を収録した上、津波シーンを「素晴らしい迫力」とたたえましたが、おわびや回収になったとは聞きません。今回の名刺では、被災者を代表できそうなところからの反発であったとしても、方広寺の鐘銘が豊臣氏の滅亡につながったようにはならないでしょう。弱者を持ちだして、大資本の下ではたらく下っぱの行いをたたくのでは、イザ!にきょう出た記事、可視化されるストレス…鉄道マナーの議論白熱に「終点」は?にも取りあげられた、グリーン車開放要求騒動のようでもあります。その記事で主な論点になっている、近年のマナー要求の肥大化については、日本はなぜ諍いの多い国になったのか 「マナー神経症」の時代(森真一著、中央公論新社)の論考が興味深いと思います。

弱者とは別に、亡くなった人もまた、あつかい方に気をつけないと、不謹慎として指弾されやすくなります。津波の場合は、存命の被災者だけでなく、多くの死者を出したこともありますので、「津波ラッキー」名刺は両方にかかわる問題といえます。昨年は、やなせたかしが亡くなりましたが、これを受けての吉田戦車の発言が、不謹慎だと批判をあびたのは記憶に新しいでしょう。宮崎駿が手塚治虫追悼の場で口をきわめて手塚批判を展開したお話は、オタク学入門 東大「オタク文化論」ゼミ公認テキスト(岡田斗司夫著、新潮社)にくわしいですが、そこまでの執念のなかった吉田の発言にも、批判が出たのでした。ですが、こういう時代になったとはいっても、年月がたつのを待ってから言えば、こうはならなかったでしょう。昨年出たjazz Life 2013年3月号(ジャズライフ)のまんが「ジャズ爺」には、「ヘンリー・マンシーニって生きてたっけ?」「マンシーニと言うぐらいだから死に、でしょぅ」というやりとりがありますが、名前を死と引っかけるなと、どこかで問題になったとは聞きません。ところがもし、昨年に亡くなった牧伸二について、同じように「伸二と言うくらいだから死んじ、でしょぅ」などというまんががどこかに載っていたとしたら、より不謹慎な感じがしませんでしょうか。