生駒 忍

記事一覧

犯罪を身近にしたメディアと性的接触のまんが

きょう、産経ニュースに、危機感薄い夜の子供たち 頻繁にライン、外出に抵抗感なくという記事が出ました。大阪の中1男女殺害遺棄事件を受けた、啓発的な内容のものです。

「死角や薄暗いところなど、(まちなかに)危険な場所があること自体は特別なことではない。」と指摘されます。子どもはどこで犯罪にあっているか 犯罪空間の実情・要因・対策(中村攻著、晶文社)をみると、緑あふれる公園も、夜型化する商店街も、しっかり目かくしされたプールも、かえって犯罪被害の危険をつくる側面があることが、実例からわかります。

「さらに、町には24時間営業の店もあふれ、明るい場所も多い。」ともあります。私なら、町ではなく街と書きたいところですが、こうして「「夜」が昔より身近になった」ことが、犯罪も身近にしてしまったのです。

そこに、「ラインやメールで話していたら、いつでもつながっている意識になる。昔は深夜に子供だけで出かけるなんて怖くてできなかったが、夜でもつながっているという安心感を持ってしまう。」という、尾木直樹の指摘がつながります。ここはさらに、NEWSポストセブンにきょう出た記事、無関心が問題、社会全体で子供を見守るべき 寝屋川事件の教訓で、阪根健二・鳴門教育大学教授に指摘された、「昔は一家に一台の固定電話しかなく、子供同士が連絡するには相手の自宅に電話をする必要があった。今は携帯やLINEで夜中でも手軽に連絡が取れるため、子供同士で集まれ、親が子供の動向を把握しきれない」という問題が重なります。大人が知らない ネットいじめの真実(渡辺真由子著、ミネルヴァ書房)には、携帯電話ひとつによって、家にいながら一夜にして追いこまれ、翌日に自殺した高校生の事例があり、子どもがいつでも、どことでもつながるメディアの危険性がわかります。

尾木は、「深夜に外出している子供を見かけたら一声かけるということができないか。」と主張します。先ほどのNEWSポストセブンの記事でも、阪根は「コンビニ、携帯電話など、さまざまな要因が重なり、親が子供の深夜の外出に関知しづらくなり、子供が深夜徘徊していても、周囲の大人が注意しなくなった。」ことを問題視します。正論ですが、多くの人は口だけで、ひと声さえ出せないものです。怒る! 日本文化論 よその子供とよその大人の叱りかた(パオロ・マッツァリーノ著、技術評論社)が、「新聞雑誌を調べますと、電車内でのマナー違反を強い口調で批判したり、ウイットたっぷりに皮肉な調子でこきおろすコラムや記事はたくさん」、「でも、その中で実際に注意したという例は、ほとんどありません。」「相手に殴られる心配のない家や新聞社でコラムを書く段階になると、急に正義の論客やカミナリオヤジに変身するのです。」と、皮肉な調子でこきおろしたことを思い出します。その筆者が、「東京・千葉近郊で経験した事例のみに基づいてます」と、一般化の限界を示しながらも、実際に注意した結果は大半が無視で、ですが暴力で返されることはまったくなかったそうですので、コラムニストの皆さんにも、思いきってひと声をかけて、それを世に出してほしいと思います。

思いきってひと声で思い出したのが、とまとのひとという人の1週間前のツイート、夏コミ行ったらエロ漫画家におっぱい揉まれた話。です。困ったココロ(さくら剛著、サンクチュアリ出版)にあるカナちゃんのお話では、相当にハードルが高いとされたところを、ひと声で越えてしまう、ストレートですがななめ上の展開です。

お笑いの単純接触効果と個性偏重への疲れ

きょう、マイナビティーンズに、ティーンはなぜお笑い芸人のギャグ・ネタをマネしたくなるのか?という記事が出ました。「ネタを掘り下げ、心理学の観点などから検証していきます。」というものです。

想像がついた人も多いと思いますが、「リズムネタ」のつまらなさの記事でも取りあげた「ラッスンゴレライ」が、くり返して話題にされます。全裸に見える一発芸は、出てきません。ですが、同じくマイナビティーンズに先日出た記事、「とにかく明るい安村」が大ブレイク!ティーンに人気の訳は?が、「彼の真似をするティーンが続出しています。」「制服を着たままで真似をする動画がLINEやYouTubeに投稿されるように」として、きちんと取りあげたところです。安心してください。

「1968年に発表された心理学の論文で、繰り返し接することで印象が高まるという『単純接触効果』の存在が発表されています。」とあります。少々遠まわりのような書き方は、Zajoncのカタカナ表記に迷っての、苦肉の策かもしれません。ふと、占い師が教える幸せになる理論に半年前に出た記事、『身近な出会い』から「結婚」に繋げる方法が、つづりをまちがいながらも、一般的なカタカナ表記と合う書き方をしたのを思い出しました。また、あの論文の中には、mere exposure effectという表現は、一度も使われていません。時枝宗臣という人のウェブサイトの記事、記憶に残る広告、その効果は、事実に反することを、いきなり太字で示しています。一方で、気になる書き方ではあっても、こちらの筆者、浜瀬将樹というライターは、公刊年であることを明確にしていて、好感がもてます。公式の公刊年と実際に公刊された年とが一致しないことがあるのはともかくとしても、公刊された年が、研究の実施や発見にいたった年とは、少なくとも心理学では、多くの場合一致しないことは、意外に知られていないものです。

「総務省が発表した統計調査によると、10代のスマホ・PCによるSNS利用率は86.3%と非常に高くなっています。」とあります。この数値はおそらく、2012年秋に行われた調査の結果です。その2年後の調査の結果を示した、平成26年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書では、これは94.8%です。また、10代といっても、12歳までは調査対象外であったことに注意してください。

「感受性の高いティーンの年代には特にダイレクトに伝わり、ついマネをしたくなるのだと思います。みなさんがティーンの頃はいかがでしたか?」と締めます。個性に価値がおかれるこのご時世に反して、若者がそろって同じ芸人のまねとはなげかわしいと思う人もいるかもしれません。ですが、無意味に個性にとらわれても、しかたがありません。週刊現代 7月25日・8月1日号(講談社)で酒井順子は、マンモグラフィ体験などから、「実は我々、個性偏重という状況に疲れている」可能性を見いだしました。また、週刊アスキー 5月5日号(KADOKAWA)で小野ほりでいは、「個性というのはほとんど捨てるためにあるようなものだ。」と論じています。

ホリエモン支持者への批判と「柔軟な専門性」

きょう、東洋経済ONLINEに、なぜ若者はホリエモンに"勘違い"を抱くのかという記事が出ました。

「堀江さんには若者のファンが多いが、ぼくははっきりいって彼らのほとんどが堀江さんを誤解していると思う。」「「堀江さんが新しい道を切り開いて実力主義の社会を作ることで、今、老害世代に虐げられている自分たちにもチャンスが巡ってくるのではないか」というふうに」、「競争力のない若者が、不思議と堀江さんの言動を見て「自分たちのような日本の老害に苦しんでいる若者に有利な世界が来るのではないか」と勘違い」という指摘です。これほどにゆたかな日本で人生をスタートできた好条件、イージーモードを忘れ、「自分たちが「既得権益を受けている側」ということが理解できていない」上に、自分のチャンスまで他人だのみなのです。2012年5月30日付の産経新聞で曾野綾子が、「私のように戦争を知る世代は、幼時から貧困や命の危険の中に自分が置かれていたので、逆に努力して自分で生き延び、社会の繁栄のために働くことを覚えた。」と書いたことを思い出します。あるいは、世界は意識の外で、日本の中の世界の相対比較が絶対的であるような、「国家」主義、「民族」主義なのでしょうか。

しかも、インターネットへのアクセスも、「そもそも既得権益であり、チャンスの芽」だとします。これさえあれば、世界がけた違いによく見えるようになりますので、そうわかるはずのところを、海外旅行をすすめられていやがる心理の記事で取りあげたような感性なのかはわかりませんが、まるで日本の中しか見ませんと、はじめから決めているかのような人の目だと、芽だと見えないのでしょう。「自分たちを慰めるようなコミュニケーションに使うことに終始」するのでは、なおさらです。

「今ぼくはカメラや撮影の勉強をしているが」という例が、ターゲット層の興味を引くかどうかはともかくとしても、興味深いのは、若者のあり方に批判的な視点をとりつつも、インターネットの情報を手ばなしでたたえている点です。このほうが、若い人にとどきやすいと考えたのでしょうか。MAISHA No.19(幻冬舎)ではしりあがり寿が、「ネットって部分的には深く知ることはできるけど、情報を選り好みしちゃうのも否めない。」とし、読んだら忘れない読書術(樺沢紫苑著、サンマーク出版)は「栄養バランス読書術」として、「ネットだけをやって本を読まないのは、「おかず」のない「白米」だけの弁当を食べるようなものなのです。」と表現します。より若いところでは、PHP 2015年4月号(PHP研究所)で井ノ原快彦が、ネット情報に否定的な立場を示して、「基本的には、目の前で起きていることを信じようと思いますね。」と言っています。

「これからの人類にとって最も重要となるのは「勉強をする能力」となるのでは」、今でもかどうかはともかくとしても、とてもうなずけるところです。AERA 6月29日号(朝日新聞出版)では、「柔軟な専門性」という表現で、学びつづけなければいけない近未来が論じられましたし、マーケット感覚を身につけよう(ちきりん著、ダイヤモンド社)は前向きなかたちで、同様の話題を出しました。

「ビール強要」をきらう若者と水だけの客

きょう、しらべぇに、「若者のビール離れ」の原因?「飲み会でのビール強要」がイヤな人は驚きの割合!という記事が出ました。

「空気を読んでビールに」にまで、「ビール強要」という強い表現をあてています。自分の思うところを少しでもさまたげられたら、強要されたととるのでしょうか。そうだとすると、もう一杯、もう一軒と行きたい人が、その希望を引っこめるような空気にするのも、強要にあたりそうです。自分がそういう「強要」に寄与することにも、「ビール強要」に敏感な人は、注意していますでしょうか。

「若い年代ほど「1杯目ビール強要空気」を嫌がっている」とするグラフの、世代差があざやかです。向きは逆ですが、BLOGOSにきのう出て、多くのアクセスを集めている記事、朝生見て左系の皆さんにいろいろ聞いてみたいことにあるグラフにも似ています。

「若者のビール離れ」と「無関係ではなさそう」という解釈は、うなずけるところです。関連して、若者は本当にお金がないのか? 統計データが語る意外な真実(久我尚子著、光文社)には、「若者だけではない「アルコール離れ」」の話題があり、図表30が、日本国内のビール消費量が1994年にピークに達してから、その後の20年、すさまじいいきおいで落ちていく展開を示しています。並行して、何倍にも増えていったのは、リキュールでした。いまの若者は苦いものが苦手という話題とも、よく対応して見えます。では、ほかの国ではどうでしょうか。そういえば、るるぶドイツ・ロマンチック街道(JTBパブリッシング)には、「ドイツのビールの特徴は苦味が少ないこと。現地の若者はレモネードやコーラで割って飲むんだって!」とあります。

「ビールは強要される、楽しくないお酒になってしまったのでしょうか…。」、ここから、宣伝に入ります。きょうからのプロジェクトのアピールのほか、「5月19日からは、過去の同プロジェクトから誕生した「百人のキセキ 魅惑の黄金エール」が、全国の主要なコンビニエンスストアにて数量限定で発売となっています。」ともあります。その写真が、とてもしろうと風なのも、一般参加型であることのアピール目的かもしれません。

「とりあえずビール」の文化には、ビール以外を飲みたいという人とはまったく逆の立場からも批判があることも、紹介しておきましょう。知識ゼロからのビール入門(藤原ヒロユキ著、幻冬舎)は、「なじみ深いが、意識は薄い。」「こんな素敵なお酒を「とりあえず」で飲むなんて……。」となげきます。

あるいは、そもそも飲まない、飲むのは水という人もいます。おかんメール2(扶桑社)の「厳しい母②」はともかくとしても、水で足りるのは、お金がかからず、しあわせかもしれません。けさの朝日新聞朝刊では、山本卓という人が、「居酒屋で水だけはだめなの?」として、ソフトドリンクまでいやがり、店員を感情的にさせたことまで書いています。浦安鉄拳家族事件の、「一円でもお店に利益をもたらした時点で私たちはお客様です。」のような感覚もあったのかはわかりませんが、そこまでの店員の反応からすると、その「一円でも」にさえならない、お店を赤字にさせ続ける行動だったのかもしれません。それでも、BLOGOSにきょう出た記事、日本経済に広がりつつある「老人共産圏」にある、「つまり、彼らは常に過大な要求をする割には、その要求に見合うマネーを払わない。」「膨大にして貧困、徹底して吝嗇な客」とは、まったく別の世代です。そして、ガジェット通信に先日出た記事、個人店に大切にされる1人飲み食いの仕方について(ベンチャー役員三界に家なし)の美意識とは、まるで対極です。「強要」は、とにかくいやだったのでしょう。ふと、「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」を思い出しました。

「自己実現」をきらった壇蜜とウィークタイズ

きょう、TABI-LABOに、世界中で話題!心理学者による「20代へのメッセージ」に、幸せに生きるヒントがあったという記事が出ました。「「若いうちは好きなように生きよう」という風潮に警鐘を鳴らす」講演の紹介です。

「20代は自己実現への努力をすべき時期である」、講演中にself actualizationという表現を聴きとることはできませんが、日本で広く好まれることばでの意訳のようなものでしょう。一方で、PHP 2015年5月号(PHP研究所)で壇蜜は、グラビアの世界へ落ちつく前、「自己実現」ということばはいやだったと述べています。ちなみに、アサ芸プラスにきょう出た記事、芸能マネージャーは見た!タレントの「間違った決断」暴露座談会(1)壇蜜はなぜ失速?は、壇蜜や大島麻衣などの失敗を突くものですが、「前は23歳なんてオバサン扱いだったのに、今は30過ぎでも現役でグラビアをやっていたりするね。」とあり、クライエントの「いまの30歳は、昔の20歳と同じくらい若いよね」を思わせるところがあります。

「同じような考えの人とだけ一緒にいると、行動範囲や考えも限られてしまいます。」とあります。シアターガイド 2013年11月号(モーニングデスク)で木場勝己が、最後の精神分析 フロイトVSルイスについて、「フロイトが考えの異なるルイスを自宅に招くのがおもしろい」と評したのを思い出しました。「友人の友人の友人のようなゆるい繋がりを持つことが、サークルの外にでるきっかけとなります。」ともあります。「ゆるい繋がり」はweak tiesのことで、社会学では「弱い紐帯」と訳されるものです。ちなみに、史実ですと、フロイトのサークルでは、考えの異なる友人や弟子は、フロイトと切れて、次々と外れていったのでした。