生駒 忍

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「リズムネタ」のつまらなさと暗いフォーク

きょう、BLOGOSに、<短すぎる賞味期限>8.6秒バズーカ「ラッスンゴレライ」はお笑いにとっては死に至る劇薬という記事が出ました。

女性が男性に求めるステータスの記事の最後に紹介したものではありませんが、タイトルを1文字でも短くする意図ではないと思います。本文でもずっと、最後の長音記号を落として書いていて、当人のねたの書きおこしでまでそうしているので、意図をもってのことでしょう。こんな芸人はのびない、長続きしないという、放送作家としての確信の表現でしょうか。

「心理学の分野には「単純接触効果」という言葉がある。これは、別に気にならないものや、ふだんなら無視してしまうようなものでも、何とも目にしたり耳にしたりしていると親しみや、嫌悪感などの関係性ができてしまうという考え方のことである。」、「嫌悪感などの関係性」までこの効果に入れるかどうかはともかくとしても、「ふだんなら無視してしまうような」こんな地味な用語が、心理学の世界の外でも「目にしたり耳にしたり」されるようになってきて、「何とも」ふしぎな気持ちです。ぜひ、単純接触効果研究の最前線(宮本聡介・太田信夫編、北大路書房)も売れてほしいと思います。

飽和して続かなくなるのは、「リズムネタの中に入れ込まれている「しゃべり」が、実は、よく吟味すると「ちっともおもしろくない」からだ。」そうです。そして、「ラッスンゴレライ」の書きおこしを示して、「少し長めに引用したが、これだけ長くても笑いは、笑えるところは一つもない。」と断じます。「よく吟味」したようには思えませんし、文字だけで見せられてつまらないのは、あたりまえでしょう。落語でもミュージカルでも、書いたもので十分にたのしめるのでしたら、舞台はいりません。うごきもありますし、同じことばを言うのでも、どのように声に、音に乗せるのかで、印象は大きく変わります。週刊朝日 10月31日号(朝日新聞出版)で森田真生が書いた、数字だけで笑えるように見えても、その数字の言い方しだいだというお話を思い出しました。

「オリエンタルラジオの「武勇伝デンデンデデンデン、デンデデン」」、何だか冗長です。筆者が「民謡の「お囃子」の部分だけでやっている」イメージでとるのも、理解できます。

「前者の「リズムネタ芸人」と後者の「リズムネタのようでいて、リズムネタでない芸人」のどこが違うか?」、「民謡に例えれば、リズムネタは「お囃子だけを抜き出した者」であり、後者は「民謡の本歌部分をやっている者」とでも言えるかも」、おもしろい視点ではあると思います。ですが、「「リズムネタのようでいて、リズムネタでない芸人」の大先輩といえば、トニー谷さんとか、牧伸二さんが居る。」というレベルとのちがいは大きくても、レギュラー、藤崎マーケット、いつもここから、オリエンタルラジオ、テツandトモ、COWCOWを、この基準で4対2にわけるのは、私にはむずかしく思われます。「民謡の「本歌」の部分も歌い、歌詞につづけて、その理由もきちんと笑いに昇華」、言いたいイメージと例とが、うまく対応しません。「あるある探検隊」は「歌詞につづけて、その理由も」、きちんとかどうかはともかくとしても、やり取りして笑いに使います。いわゆる「あるある」とそうでないものとで線を引くなら、「何でだろう」は「あるある」側でしょう。筆者がみちびきたい線引きを可能にするには、かなりあいまいですが、芸風、ねらう客層を見るのがよいかもしれません。古典的な流れの笑い、古典芸能ではない「芸能」の舞台とは異なり、お笑いライブなどで反応を見ながら試行錯誤するなら、そういうところの客層にしぼったねたが効率的ですし、たいていは若い男性ですので、若い女性ファンがほしくなります。PHP 2015年3月号(PHP研究所)で、ナイツの塙宣之は、「所属事務所の会長に漫才協会に入れさせられ」、「当時は若いコに騒がれたいと思っていたから、気分は乗らない。漫才をイヤイヤやってましたね。」と、売れないころをふり返ります。そして、「転機は二〇〇五年か六年のNHK新人演芸大賞。このコンクールの予選に出る際、若者向けのネタにするか浅草向けのネタにするか、ずいぶん考えました。」、そこから、いまの「浅草のナイツ」へとつながります。一方で、DVD付きマガジン よしもと栄光の80年代漫才昭和の名コンビ傑作選 第2巻 島田紳助・松本竜介(小学館)によれば、紳助・竜介という漫才コンビで売れた島田紳助は、若い女性の「追っかけ」のターゲットになると芸が甘くなるとして、「あいつらを笑わしにかかったら終わりや」と言っていたそうです。

「本歌をネタにする方は寿命、賞味期限は実に長い。」、売れたらという前提が必要かもしれませんが、同感です。「津波ラッキー」事件の記事で亡くなったことに触れた牧伸二は、先に自分の寿命がつきてしまったほどです。ですが、猛毒のヒドラジンを燃料とするロケットのように、「死に至る劇薬」で高く上がったら、用済みと同時に切りはなして、うまく軌道に乗れれば、ねたは落ちても自分は回りつづけます。音楽ねたを含むマニアックな芸で注目されてから、明るいお昼の司会業に回ったタモリも、やや近いでしょう。

明るい、タモリで思い出したのが、nikkansports.comにきょう出た記事、タモリ&小田和正、ショーパン挙式で和解です。「乾杯のあいさつを務めたタモリ(69)は、かつて「歌が暗くて嫌い」などと突き放したオフコースの小田との間にあった確執を乗り越えたと明かした。」そうです。昨年の紅白歌合戦の「福山君、グッズありがとう」に続いて、また私事の持ちこみかという印象もありますが、よいニュースになりました。いまの小田からは想像しにくいかもしれませんが、オフコースに限らず、フォークは暗いものだったのです。きょうのNHKラジオ第一放送の午後のまりやーじゅで、坂田おさむが明かした、暗いフォークの世界から「うたのおにいさん」に転身したときの困惑は、明るい話しぶりでしたが、相当なものだったと思います。