きょう、しらべぇに、「若者のビール離れ」の原因?「飲み会でのビール強要」がイヤな人は驚きの割合!という記事が出ました。
「空気を読んでビールに」にまで、「ビール強要」という強い表現をあてています。自分の思うところを少しでもさまたげられたら、強要されたととるのでしょうか。そうだとすると、もう一杯、もう一軒と行きたい人が、その希望を引っこめるような空気にするのも、強要にあたりそうです。自分がそういう「強要」に寄与することにも、「ビール強要」に敏感な人は、注意していますでしょうか。
「若い年代ほど「1杯目ビール強要空気」を嫌がっている」とするグラフの、世代差があざやかです。向きは逆ですが、BLOGOSにきのう出て、多くのアクセスを集めている記事、朝生見て左系の皆さんにいろいろ聞いてみたいことにあるグラフにも似ています。
「若者のビール離れ」と「無関係ではなさそう」という解釈は、うなずけるところです。関連して、若者は本当にお金がないのか? 統計データが語る意外な真実(久我尚子著、光文社)には、「若者だけではない「アルコール離れ」」の話題があり、図表30が、日本国内のビール消費量が1994年にピークに達してから、その後の20年、すさまじいいきおいで落ちていく展開を示しています。並行して、何倍にも増えていったのは、リキュールでした。いまの若者は苦いものが苦手という話題とも、よく対応して見えます。では、ほかの国ではどうでしょうか。そういえば、るるぶドイツ・ロマンチック街道(JTBパブリッシング)には、「ドイツのビールの特徴は苦味が少ないこと。現地の若者はレモネードやコーラで割って飲むんだって!」とあります。
「ビールは強要される、楽しくないお酒になってしまったのでしょうか…。」、ここから、宣伝に入ります。きょうからのプロジェクトのアピールのほか、「5月19日からは、過去の同プロジェクトから誕生した「百人のキセキ 魅惑の黄金エール」が、全国の主要なコンビニエンスストアにて数量限定で発売となっています。」ともあります。その写真が、とてもしろうと風なのも、一般参加型であることのアピール目的かもしれません。
「とりあえずビール」の文化には、ビール以外を飲みたいという人とはまったく逆の立場からも批判があることも、紹介しておきましょう。知識ゼロからのビール入門(藤原ヒロユキ著、幻冬舎)は、「なじみ深いが、意識は薄い。」「こんな素敵なお酒を「とりあえず」で飲むなんて……。」となげきます。
あるいは、そもそも飲まない、飲むのは水という人もいます。おかんメール2(扶桑社)の「厳しい母②」はともかくとしても、水で足りるのは、お金がかからず、しあわせかもしれません。けさの朝日新聞朝刊では、山本卓という人が、「居酒屋で水だけはだめなの?」として、ソフトドリンクまでいやがり、店員を感情的にさせたことまで書いています。浦安鉄拳家族事件の、「一円でもお店に利益をもたらした時点で私たちはお客様です。」のような感覚もあったのかはわかりませんが、そこまでの店員の反応からすると、その「一円でも」にさえならない、お店を赤字にさせ続ける行動だったのかもしれません。それでも、BLOGOSにきょう出た記事、日本経済に広がりつつある「老人共産圏」にある、「つまり、彼らは常に過大な要求をする割には、その要求に見合うマネーを払わない。」「膨大にして貧困、徹底して吝嗇な客」とは、まったく別の世代です。そして、ガジェット通信に先日出た記事、個人店に大切にされる1人飲み食いの仕方について(ベンチャー役員三界に家なし)の美意識とは、まるで対極です。「強要」は、とにかくいやだったのでしょう。ふと、「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」を思い出しました。