生駒 忍

記事一覧

小冊子の学習でメタ認知能力が伸びる可能性

きょう、ValuePress!に、メタ認知能力を高める危険予測訓練小冊子新発売!という記事が出ました。

「認知症」とは異なるかたちで、認知について知ってもらえる機会が増えるのは、ありがたいことです。メタ認知については、心理学の外でも、特に学校教育場面への活用がよく意識されますし、メタ認知 基礎と応用(J. ダンロスキー・J. メトカルフェ著、北大路書房)にあるように、法廷場面への応用もあります。そして、この小冊子は、交通場面にメタ認知を結びつけます。

B5版16ページで、下半分が書きこみ用の空欄になったページもたびたびありますので、その程度の分量でメタ認知能力が伸びるのかと、疑問に思う方もいるかもしれません。また、メタ認知「能力」を高めるようにつくられたといえるかも、気になるところでしょう。これは、「能力」のとり方によると思います。メタ認知の構成、分類、用語については議論もありますが、ここではロングセラーの認知心理学 4 思考(市川伸一編、東京大学出版会)にあるもので考えると、メタ認知的知識については、身につくと思います。どんな交通場面でどんなことを見落としやすいのかという、一般的な人変数や課題変数、どこに注意を向けるべきだろうかという方略変数は、冊子内容から、かなり直接に学べます。ですが、能力と表現すると、メタ認知的活動が適切に行えるイメージに近いと思います。この冊子には、「「メタ認知能力」は、2つの側面があり、1つは「自分の心を知ること」で、自己モニタリングする力です。もう1つは「自分の心と行動を制御すること」で、自己コントロールをする力です。」とありますので、心理学でいうメタ認知的活動を、「メタ認知能力」と呼んでいることがわかります。ここを伸ばせるかどうかについては、もう少し慎重に見たほうがよいかもしれません。冊子から学べるメタ認知的知識は身についても、それを実際の交通場面で自発的には使えない、産出欠如で止まってしまったら、「能力」としてはあらわれません。記事タイトルにあるように、「危険予測訓練」として、分量はこのくらいでも、何度もくり返して訓練する使い方をするなら、ある程度の効果はありそうです。それでも、交通場面に限らない、全般的な「メタ認知能力」に効くかどうかは、さらに上の次元になります。知能検査の練習をすると知能は上がるか、音楽の訓練で知的能力も伸びるか、状況に埋めこまれた学習は状況が変わると役にたたずむだになるかなど、般化の問題は心理学的にも奥が深いところなのです。

日本人が若く見られる理由と能年玲奈のひざ

きょう、zakzakに、【カラダの不思議】海外で日本人が若く見られる理由 顔の形、皮膚、ファッション…という記事が出ました。

きょうは、ミュージアムパーク茨城県自然博物館の、第60回企画展の開催に先だつ内覧会に行って、すぐそばで見かけた山口武平の、92歳とは思えないかくしゃくとした姿におどろいてきたところです。見た目でわかる外見心理学(齊藤勇著、ナツメ社)という本もある一方で、見た目で人間のすべてがわかるはずはなく、年齢だけ考えても、はっきりはわからないものです。そして、今回の記事では、年齢評価における文化や人種の要因が話題になります。

日本人が若く見られがちなのは、日本でも、あるいは日本では海外以上にかもしれませんが、有名です。かもめ食堂(荻上直子監督)には、小林聡美演じる主人公が、フィンランドの女性たちに子どもあつかいで悪く言われる場面があります。この記事では、顔の輪郭、しわ、ファッションから、理由を解きあかします。ですが、これについては、ほかにもいろいろな説明があります。2年前にマダムリリーに出た記事、なぜ日本人は海外で若く見られてしまうのか? 6つの理由には、「顔のホリが浅い」から「子どもっぽい物への抵抗感がない」までがならび、顔の輪郭のお話は、その中には見あたりません。また、それに3か月遅れて中国網日本語版に出た記事、日本人が「童顔で年をとらない」ように見える6つの理由は、1番目が「顔のアウトラインは比較的はっきりしていない」ですが、残りはマダムリリーの記事と、順序までほぼ対応した内容です。

外見については、日本人だけでなく、人類学でいう新モンゴロイドは一般に、若く見えやすいようです。そういえば、ロケットニュース24の記事、女子小学生かと思った!! 犯罪レベルに幼い35歳がネット界に激震を与えるは、今月に入って種あかしがあるまでかなり信じられていて、画像修正や整形だと決めつける人はいても、実年齢を見ぬく人はほとんどいなかったのでした。なお、この記事のコメントには、有名なステマコメントがありますので、笑ってあげてください。知らない方は、めしおブログの人気記事、「つぶちょきんFC2」「だれてん」「やほなま」「だれたく」とは何なのか?を、「真意をしっかりと読み取って」読むことをおすすめします。

一方で、欧米から見た東洋人は、むしろ反対に見えることもある、たとえば鳩のなかの猫(A. クリスティー作、早川書房)で、東洋の少女はませて見えると言われる場面があると指摘する人もいるかもしれません。和訳版ではかぎかっこの欠落があったところの近くにありますが、「ラマット国」の設定からみて、西洋か東洋かというレベルでは東洋ですが、新モンゴロイドでも旧モンゴロイドでもなさそうです。

あの場面では、ひざに注目が向かいます。シャイスタのひざを見たか、ひざに年齢があらわれると話題になります。皆さんは、ひざを特に意識することはありますでしょうか。FRIDAY 3月21日号(講談社)では、広海・深海が能年玲奈のひざを評価し、手いれの話題で盛りあがっていました。もちろん、ひざは顔とは異なり、出さなくてかまわないところですので、不利な年齢になったらかくすだけのことかもしれません。ですが、Menjoy!にきょう出た記事、やっちゃってた!? 男性にとって「18歳以上のニーハイはNG」と判明の調査データでは、ひざがかくれるニーハイの上限は、1位が「18歳まで」、2位が「15歳まで」でした。

甲状腺がん統計と地震予知とマルチタスクの害

きょう、asahi.comに、甲状腺がん、疑い含め75人 福島の子、県が調査という記事が出ました。きょうの第14回「県民健康管理調査」検討委員会での報告を報じたものです。

反原発運動に肩いれしていると言われてもしかたのない朝日新聞社ですが、この記事は冷静で、すなおに書かれた印象です。「結果がまとまった25万4千人のうち75人が甲状腺がんやがんの疑いがあると診断」、「昨年11月より検査人数は約2万8千人、がんは疑いも含めて16人増えた。」と、調査の分母を明らかにして数値を出したのは、とてもよいと思います。統計の基本的な考え方ができる人なら、巨大な調査であること、標本を万の単位で増やせば発見数の増加はあって自然なことがわかるでしょう。75人とあるのは、もう手術ずみの人も数えたのべ人数で、現在甲状腺がんの人の数ではありませんので、減ることはありませんし、がんは人類に昔から、原子力事故とは無関係にあるものですので、人間が住んでいれば世界中どこで調べても、のべ人数なら永遠に増えつづけます。なお、この75人には、手術したところがんではなかったと判明した人や、がんであったともなかったとも確定できなかった人も数えてあります。

増加数の直後に「県は「被曝(ひばく)の影響とは考えにくい」としている。」と書くと、被害者を無視する行政と思われそうですが、考えにくいといえる根拠まできちんと読んでほしいと思います。後の段落に、「チェルノブイリ事故で子どもの甲状腺がんが増えたのは、発生後4、5年からだったことなど」が理由としてあります。それならば今調べる必要はないと誤解されそうですが、ほんとうに増えるかどうか、どのくらい増えるかを知るには、比較対象があってはじめて、それと比べて増えたといえるので、きちんと基準を固めることが重要なのです。

同じものを、毎日新聞のウェブサイトは、福島第1原発:県民調査 甲状腺がんの子ども増えると報じました。うそを書いてはいませんが、事故と人数増とが結びついて見える記事タイトルにしてあるのは気になります。ちなみに、きょう見かけた記事で、もっとタイトルが不適切だったのは、山陽新聞のウェブサイトに出た、重度障害者の家族に独自支援 岡山県議会で知事表明です。特別児童扶養手当を独自に拡充するようなものかと思ったら、医療機関等への補助で、結果的に家族のメリットになるだろうというものでした。さて、毎日の記事は、標本数を示さず、タイトルのとおり増えている印象を強く持たせるものです。それでも、後の段落が、朝日の記事にあったものとはまた別の視点で、行政側が逃げているイメージとともに、原子力事故の影響ではない可能性も示唆するかたちです。「症状のない人も対象にこれだけ大規模な調査」はこれまでされず、陽性の定義を広げれば割合が増えるのは自然なことです。これまであまり考えられてこなかった「おとなの発達障害」は、啓発すれば数は増えますし、死別反応でのうつ状態もうつ病に入れることで、うつ病は増えるでしょう。

これらのように、正事例を数えるだけでは足りないことが、もっと世の中に広く知られてほしいと思います。その点でありがたいと思ったのは、zakzakにきょう出た記事、「思い込み」の前兆現象予測 科学的根拠は乏しいです。いきなり「心理学者が地震予知に取り組んだことがある。」とくるので、福来友吉がそんなこともと勝手に予想してしまいましたが、存命のきちんとした心理学者が登場して、とても安心しました。信号検出理論でおなじみの2×2の組みあわせを考えなければいけないことを指摘し、記憶のバイアス、錯誤相関の問題を論じて、最後を「気鋭の心理学者をがっかりさせているのが現状」と締めたのはこちらもがっかりでしたが、啓発になると思います。

現実には、大きな事態がないふだんのあれこれを毎日おぼえておくことは、なかなかむずかしいものです。ですが、つんくはそういう「観察力」を持っているのだそうです。日刊SPA!にきょう出た記事、つんく♂プロデューサーの仕事論「通勤中に観察力を鍛える」の後半が、その話題です。「僕は、自分の会社の部下にも伝えているんです。“昨日、会社から家に帰るまでの途中、何があったか言ってみろ”って。でも、みんなは覚えていない。“は?”って顔をするんですよ。」と言います。みんな「は」覚えていない、でも自分は、ということです。そして、「印象に残っていないことも、いかにすくい取ることができるか? そこが他人と差をつけるポイントだと思うんですよね」と主張します。中西香菜の「埼玉は安い」など、泣いて仕事を中断するほどかと思う一方で、印象がうすいこともとにかく忘れないつんく思想の影響だと考えると、納得できてしまう面もあります。

そのつんくの記事の前半はというと、作曲のやり方です。おととい書いた佐村河内事件の記事で触れた記事で、つんくがゴーストライターだのみの「作曲」をしているともとれる業界情報を書かれてしまったことを意識したアピールではないと、私は思います。曲なら自力でどんどん書ける、ゴーストなど不要と伝えたいとも解釈できるかもしれませんが、ゲンダイネットにきのう出た記事、全聾もウソ NHKも心酔した佐村河内守の凄まじい演技力にあるNHKスペシャルの疑惑の撮影エピソード、「まっさらな五線紙に音符を書く姿を撮影すればウソを見抜けたはずだが、取材班は「曲の完成」の知らせを受けながら、記譜の撮影は拒否され、12時間後に突然、机に置かれた譜面を撮影したという。」を考えれば、ひらめいて生み出していく過程よりも、あれもこれも調整して書いているという外形的なことばかりを知らせるのは、意識していない証拠ともいえます。

また、あれこれを並行して書くのは、職業作曲家ならめずらしいことではありません。サンデー毎日 12月29日号(毎日新聞社)にある池辺晋一郎の体験談には、一時は口をきいてもらえなかった三善晃から、2曲を同時に書くようすすめられ、自分もそうしていると言われたとあります。ですが、同時にあれこれをするのは、一般にはすすめられません。YOUNG BUDDHA 120号にある大川隆法の書き方のまねは、凡夫には無理でしょう。また、自閉症の本(佐々木正美監修、主婦の友社)に「同時に2つのことをしようとすると混乱します」とあるような、自閉症的な特性があるならもちろんですが、少し前にもてはやされたマルチタスクは、本人はいい気分でも成果には逆効果であることがわかってきました。ライフハッカー日本版の「マルチタスク」は本当に悪いのか、科学的に解明してみた、Gigazineのマルチタスクによって生じる精神的・身体的問題がさまざまな研究から判明をご覧ください。さらに、前者の記事では、音楽を聴きながらの作業には特に問題がないように書かれましたが、The Oxford Handbook of Music Psychology(S. Hallam, I. Cross, & M. Thaut編、Oxford University Press)の後ろのほうの章によれば、悪影響もあってそう単純ではありません。私もそうですが、凡夫ならばしかたがありませんので、20年ロングセラーのカレンダー、ひとりしずか(三和技研)の、19日のところのことばをかみしめましょう。

東北楽天とはたらかないアリとみこしの名言

きょう、ヨミドクターに、「社会的手抜き」なぜ起きる?という記事が出ました。社会的手ぬきをテーマに、東北楽天、ブレスト、はたらかないアリといった話題をならべた、親しみやすい読みものです。

楽天球団の例は、最初からいきなり社会的手ぬきの応用的な当てはめになっています。一般には、ほかの人といっしょの状況と、一人だけの状況とで比較して、個人あたりの出力で前者が後者を下回るかたちで示される現象です。その原因になる成分が、田中将大の先発といっしょかどうかにもある程度対応すると解釈できることから、広い意味で社会的手ぬきとしてあつかったのでしょう。なお、田中先発の次の試合と、次の次の試合との勝敗の比のずれで、現象の存在をうかがわせていますが、無理筋なのを承知で、検定をかけてみました。結果は、ふつうのカイ二乗検定でp=.102、イェーツ修正ありのカイ二乗検定でp=.173、フィッシャーの直接確率計算の両側確率もp=.173、いずれにしても有意でないことになりました。

ブレインストーミングではなく「ブレーン・ストーミング」の段落をはさんで、最後ははたらかないアリのお話です。ここで使われた知見は、「北海道大准教授(動物行動学)の長谷川英祐さんが働きアリの集団を観察したところ、働いているのは3割で、長期的に見ても2、3割はほとんど働いていなかった。」というものです。はたらかない割合は、ほかにも2割だったり、1割だったりと、まちまちで出まわる話題ですが、研究によって報告された割合が異なることが、その根本にあります。同じ研究者のグループのものでも、たとえば日経電子版の記事、働かない「働きアリ」の正体は 常に1割が出遅れ 北大チーム、新たな性質発見には、「労働の回数が1割以下(7回以下)と、ほとんど働かないアリが10%いた。労働の回数が4割以上(28回以上)で特に熱心に働くアリは10%以下だった。」とあります。「ほとんど」はたらかないと判断する基準、行動カウントのルール、調査の対象や時期などで、この数値がある程度変わる、そして変えられることは、心理学者ならすぐわかります。ですが、以前に2・6・2の法則の記事も書きましたが、あのようにきちんと数値で決まったもののほうが、世間では科学的で有用な知見に見えるのでしょう。OKWaveにきのう出た質問記事、危機感とモチベーションの関係についても、そのあたりをうかがわせます。ですので、たとえば「メラビアンの法則」は、ポップ心理学の本では定番で、最近では10年後の自分のために 今すぐ始めたい36の習慣(松富かおり著、すばる舎)が、「最近では、「メラビアンの実験」というものが注目されています。」と書きましたが、最近に限らず、心理学の教科書や学術書にはまず見かけません。ですが、「マジカルナンバー7±2」は、おかしな解釈であつかった心理学のテキストもかなりあります。治療外要因が4割などとする、心理療法の効果の割合のお話は、わが国では昨年に問題が広く知られるようになりましたので、消えるのは時間の問題でしょう。まだ知らない方は、丹野義彦・東京大学教授によるLambert(1992) 心理療法の効果の割合 批判を、赤字のところだけでもよいので、ご覧ください。

杉森純の署名の後に、社会的手ぬきを説明するかこみがあります。そこの例示では、「祭りのみこし担ぎが典型で、実際に担いでいる人は全体の何割かに過ぎない。」とあります。こちらは数字を出さずに、「何割か」です。

みこしのたとえで、zakzakにきのう出た記事、舛添氏の強さのワケと細川氏が支持を一気に伸ばせない理由 都知事選を思い出しました。失速ぎみの陶芸家ですが、政治評論家の浅川博忠によれば、「細川陣営は雑居ビル状態で、旧日本新党の面々が同窓会をやっているような雰囲気で、支援態勢もまとまりがない」そうです。みこしとして、文字どおりかつぎ出しておいて、ろくにかつげていないわけです。週刊朝日 2月14日号(朝日新聞出版)によれば、共産党幹部が細川側の支持グループを勧誘して引きはがしているようですし、ずいぶんふんどしがゆるんでいます。今回も裏にかくれている小沢一郎の「みこしは軽くてパーがいい」は、仁義なき戦い(深作欣二監督)の「みこしが勝手に歩けるいうなら歩いてみいや」と何かもうひとつ足して「三大みこし名言」と呼びたいくらいの名言ですが、都知事選に関しては、週刊文春 1月23日号(文藝春秋)で適菜収が、細川を「神輿は軽くてパーはダメ」と斬りました。それでも、あれから20年がたって、またもかつぐ価値があるとされたところは、興味深いと思います。アイドル新党(原宏一作、徳間書店)では、久々に選挙にかかわることになった「照さん」が、政治家はみこしにかつがれるのも才能だと言います。

就活面接での位置戦略とおじぎの動画分析

きょう、ビーカイブに、リラックスできる面接官との位置関係は「左側」という記事が出ました。ディレクトリ名からのイメージとは異なり、就活面接の準備・練習カテゴリの7本目の記事です。

左右の「心理」は、心理学者があまり取り組まない一方で、雑学的な心理学の本ではよく見かけるテーマです。研究知見の引用をせずに、著者のイメージや、研究知見の引用のないほかの本からの引き写しで書かれることも多いようです。それでも、予知夢や血液型性格論のような、本質的に否定されるものではなく、大小まちまちの尾ひれをかき分けると、信頼できる科学的発見も出てくるのが、ややこしいところです。サブリミナル効果の科学 無意識の世界では何が起こっているか(坂元章・坂元桂・森津太子・高比良美詠子著、学文社)が整理したように、閾下提示刺激の効果は実在して、しかしいわゆる「サブリミナル効果」が人間を意のままにあやつることはまずないような、あるいはモーツァルト効果にも似た部分がありますが、そういう世界です。左右についても、きちんと科学的な本もあり、たとえば左と右の心理学 からだの左右と心理(M.C. コーバリス・I.L. ビール著、紀伊國屋書店)がありますし、その第一著者による言葉は身振りから進化した 進化心理学が探る言語の起源(M.C. コーバリス著、勁草書房)では、第8章がこの話題です。わが国では、後者の訳者が、左右に関する心理学の研究で知られています。

この記事では、冒頭で「雰囲気を大きく左右する」と書いた上で、左右の話題がくり返し登場し、左がよいと呼びかけます。ですが、正面の難点の議論はあっても、右ではなく左がよいとする根拠はほとんど書かれません。1か所、人間のではなく「目の習性」として表れるところくらいです。その「習性」が、書字習慣に影響されたものならば、読み書きをヘブライ語やアラビア語でする人々ではどうだろうかと考えたくなります。

衆議院議員と参議院議員とで、おじぎのしかたが異なるとは、興味深い話題ですが、実証的なデータはあるでしょうか。テレビ番組ならば、ストーリーにあう場面をいくつか切り貼りして正当化しそうな話題ですが、ひまな方がひたすら動画を見て、自分の目でおじぎの型を判定してこつこつ数える手法なら、実現可能性はありそうです。それを、柴田寛・東北文化学園大学講師の調査のような、おじぎの型が与える印象の知見と対応させて論じることになります。もちろん、おじぎをする本人の中での効果もあるでしょう。身体心理学 姿勢・表情などからの心へのパラダイム(春木豊編、川島書店)や、動きが心をつくる 身体心理学への招待(春木豊著、講談社)の世界です。ですが、こういう「身体心理学」は自分が使いたい意味ではないという、札幌学院大学人文学部臨床心理学科ブログの記事、身体心理療法と非言語的コミュニケーションのような声もあります。Yahoo!知恵袋にきょう出た質問記事、なんで女って歳とる毎に子供っぽくなるんですか?での「身体心理学」は、どのような意味ととるべきでしょうか。

さて、正面をさけて左をとろうとくり返し呼びかける中に、「自分の主張をどうしても通したいときや、相手に強く抗議する場合には真正面から立ち向かうのが原則」ともあります。就職活動の面接を想定した記事のようですが、どうしても採用してほしい、ほかのどんな応募者よりも自分は優秀、自分を採用すれば貴社の利益につながるといった「主張をどうしても通したいとき」だと考えれば、就活面接では正面をとるべき、わざわざ斜にかまえるのは自殺行為か自己ハンディキャップ化か、ともいえそうです。ここはあくまで「余談」ととる人もいるかもしれませんが、最後にある4点のまとめには、きちんと「3. 説得や自己PRに力を注ぐときは、敢えて向き合う位置を」とあります。